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しおりを挟む晩餐会の数日後。ネフィーテは自室でひとり、罪悪感に苛まれていた。吸血鬼になって以来、誰かに牙を立てることを拒んできた。しかし、オーガスタが目の前で服を脱ぎ、白い肌を見せて『自分の血を飲んでください』と切願してきたとき、ネフィーテの中で自制心が弾けた。
気がつくと、彼女の柔肌に噛み付いていた。
ネフィーテは図書室で本を読みながら、本棚をぼんやりと見つめた。毒を飲んで暴れたせいで少し散らかっていたが、ほぼ片付いている。思い出すのは、ノエがここで暮らしていたときのこと。
ノエがあるとき、図書室で服を着替えていた。
『ノエ――』
呼びかけた直後、ノエの姿を見たネフィーテは思わず本棚の影に隠れた。彼女は服の下にサラシを巻いていて、明らかに男性と違う胸の谷間が覗いていた。彼女はきょろきょろと辺りを見渡し、ネフィーテの声を聞き間違えたと思って、着替えを再開する。
『空耳……か』
ネフィーテはそのとき、ノエが――女であることに気づいた。確かにずっと、違和感はあった。しっかり食べているのにひょろっとしていて、身長の伸びも遅く、筋肉はほとんどつかず丸みを帯びていた。まだ大人になりきれてはいないが、少女は成長しつつあり、女性らしい特徴が強く現れ始めていたのだ。
よく考えてみれば、孤児が女性として生きることは危険が伴う。例えば、人身売買では少女の方が価値がつきやすい。だからノエは、身を守るために性別を偽り、男として生きることに慣れていたのだろう。
ノエが吸血鬼に殺されたあと、遺体を確認すると、やはり女性だった。ノエの意思を尊重し、ネフィーテはノエを少年として扱い続けた。この秘密は、ノエを知る人間がいなくなっても、死ぬまで守っていくつもりだ。しかし、ネフィーテにも墓場まで持っていくべき秘密があった。
それは、少しずつ成長していくノエを、ひとりの女性として愛してしまったことだ。
◇◇◇
「――タ。オーガスタ」
休暇が明け、近衛騎士の仕事に戻ってきたオーガスタは、最近何かを悩んでいるようだった。考え事ばかりして、話しかけても上の空で返事が返ってこないことがしばしば。普段なら、ネフィーテの一語一句を聞き逃さないように常に耳をそばだてているのに、彼女らしくない。
ネフィーテは音楽室でピアノを弾いていた。部屋の片隅でぼんやりと立っているオーガスタに声をかけたが、何度名前を呼んでも反応がない。五度目の呼びかけで、ようやく彼女の意識を、想像の世界から現実に呼び戻すことに成功した。
「あ……すみません。なんですか?」
「ぼんやりしていたので、気になって声をかけただけです。最近、何か悩んでいますか?」
「はい、少し……でも大丈夫です! 心配しないでください!」
オーガスタは両手を振りながら心配無用だと言い、悩みの内容を打ち明けてはくれなかった。
実はここのところ、ネフィーテにも悩みがある。それは一週間後に控えた、ネフィーテの花嫁選びについてだ。
ネフィーテは『花嫁』という名ばかりの犠牲者をひとり選び、新しい爵位を与えられるか、どこかの家に婿入りして、体よく王宮から追い出されることになるのだ。
王命とあらば、結婚するのは構わない。どうせ結婚は書類上だけで、これまでのように人とかかわらず幽閉される生活が待っているだけだろう。だが、ネフィーテの気がかりは――オーガスタだった。
(どうしたものか。いつの間にか私は――彼女を愛してしまった)
本当に年甲斐もなく、自分はオーガスタという女性に恋をしている。
先日彼女から吸血したとき、彼女を傷つけずに血を採取する手段はあったのに、首筋に触れたいという欲を抑えられなかった。
しかし、あんな風に尽くされ、慕われたら、好きにならずにいられる方が不自然ではないか。もっとも、オーガスタの好意は恋とは違う、敬愛のようなものだろうが。
数日前に、王女アデラが塔を訪ねてきて言った。
『これまでの苦悩はお察しいたしますわ。わたくしがこれからは支えて差し上げます。ですから、わたくしを花嫁に選んでくださいまし。あなたに一目惚れいたしました』
突然押し掛けてきたアデラは、ネフィーテの容姿や不死の力、本能に抗う精神力などを褒めそやし、求婚してきた。彼女のようにネフィーテに近づいてくる存在は珍しく、貴重だ。
だが、アデラはオーガスタの婚約者を奪った相手だ。優しいオーガスタを傷つけたであろうアデラに、心を許すことはできない。
『……何が目的ですか?』
『はい?』
『私に近づいた目的ですよ。さっきから手、震えていますよ。一目惚れしたというのは嘘ですね? 本当は私のことが怖いのでしょう。そうまでして、なぜ、私に求婚を?』
『別に……なんだってよいではありませんか』
アデラは動揺して視線をさまよわせたあと、ソファから立ち上がった。そして部屋を出て行く前に、ネフィーテに言い放ったのである。
『わたくしはただ、オーガスタ様の大切なものを奪いたいだけですわ』
ネフィーテは数日前の回想から意識を現実に戻し、オーガスタのことを見つめた。
オーガスタとアデラの間にどんな確執があるかは分からない。しかし、アデラの来訪が、オーガスタとの関係を改めて考えるきっかけとなった。
オーガスタがネフィーテのことを大切に思っていることは、よく伝わっている。しかし、こうして彼女を自分のもとに留めておくことが、果たして彼女にとって幸せなのだろうか。オーガスタは若く、魅力的だ。だからこそ、騎士としての仕事にとどまらず、人並みの幸せを得てほしいと思う。
「私では力不足かもしれませんが、悩みがあればいつでも相談してください。吸血鬼も、話を聞くことぐらいはできるので」
するとオーガスタは少し迷ってから、ピアノの椅子の近くまで歩み寄り、遠慮がちに口を開く。
「せ、先日……王女様と何を話したのか、教えてくれませんか」
「いいですよ。ずっと立っていて疲れたでしょう。そこに座りなさい」
ネフィーテは左に寄り、ひとり分のスペースを開けた。ふたりは同じ椅子を分け合って腰掛けた。
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