【完結】婚約者様、王女様を優先するならお好きにどうぞ

曽根原ツタ

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「――求婚されました。理由を聞けば、オーガスタの大切なものを奪いたいからだと」
「そう……ですか」

 ネフィーテはピアノの鍵盤に指を置き、しっとりしたバラードを弾き始めた。ピアノの音に合わせるように、オーガスタは話し始める。

「王女様は子どものころ、私の父のことが好きだったんです」

 だから、アデラは娘のオーガスタに嫉妬して、嫌がらせをするようになった。男顔令嬢というあだ名を社交界に流したのもアデラだった。だが、オーガスタを貶めたことが父に知られてしまう。父に失望されたアデラは、怒りの矛先をオーガスタに向けた。

「サミュエル様を奪ったのも、私を傷つけたいという気持ちがどこかにあったのかもしれません」
「でもアデラ王女は、他人の婚約者を奪っても幸せになれなかった。君がこうして生き生きと過ごしているのが、羨ましくなったのかもしれませんね」
「王女様は、昔から私が大切にしているものを欲しがるんです。母からもらった玩具の宝箱や親戚からもらった異国のネックレスとか、私が大事にしていると、『ちょうだい』と言われたのを覚えています」

 隣の芝が青く見えるのはよくあることだが、王女には他人のものがとりわけ魅力的に映るのだろう。

「今も私……好きな人を王女様に取られるのが、怖いです」

 オーガスタははっと我に返り、口元を手で抑えながら青ざめる。好きな人がいることまで、ネフィーテに話すつもりはなかったのだろう。

「好きな人が、いるんですか?」

 その問いに、返事は返ってこなかった。ネフィーテは一曲弾き終わり、鍵盤から指を離した。

 心がざわめく。オーガスタの想い人がどんな素晴らしい相手なのか知りたかったが、聞いたら自分が傷つく結果になっていただろう。オーガスタが答えないことが、むしろよかったかもしれない。

「君も弾きますか?」
「……いや、私は弾けないので」
「音を鳴らしてみるだけでも楽しいですよ」
「じゃあ……」

 オーガスタは遠慮がちに右手を伸ばし、ポロン、ポロン、と適当な音を鳴らし始めた。つい、彼女に教えたくなって、彼女の手に自身の手を重ねて囁く。

「ピアノはね、こうやって指を丸めて弾くんですよ」
「……!」

 ネフィーテの手が触れた瞬間、彼女は勢いよく手を引っ込め、こちらを振り向いた。オーガスタの顔は、真っ赤に染まっていた。

「え……」

 思わぬ反応にネフィーテが戸惑いの声を漏らすと、オーガスタは顔を逸らして、誤魔化すようにあえて明るい声で言った。

「ああ、そうだ! 実は私、一曲だけ弾ける曲があるんです。もう忘れちゃってるかもしれませんが、ちょっと弾いてみてもいいですか?」
「もちろん」

 すると彼女は、右手を鍵盤の上に伸ばし、おぼつかない手付きで演奏を始めた。
 拙い技術ではあるが、優しい音だった。しかし、ネフィーテが驚いたのは、オーガスタがその曲を弾いたことだった。

『先生。この曲はなんていうんですか?』
『朝焼けです』
『朝焼け……美味しそう』
『ふふ、食べ物じゃありませんよ』

 そんなやりとりをノエと交わした記憶が蘇る。

(そんな、馬鹿な……)

 演奏が終わったあと、ネフィーテはオーガスタの両肩を掴み、ぐっと引き寄せた。

「なぜ君がその曲を弾けるんですか!? その曲は一体、どこで覚えたんです……!? その曲は、その曲は――」
(この世界で、私とノエのふたりしか知らない)

 『朝焼け』は、ノエと一緒に朝日を見ているときに、ネフィーテが即興で作った曲だ。楽譜にも書いていないし、ノエ以外に聞かせたこともなかった。

 一方、ネフィーテに突然迫られたオーガスタは驚いて、びくっと肩を跳ねさせた。そして、反射的に立ち上がろうとする。しかし、ネフィーテが彼女の肩を掴んだままだったので、ふたりで床に崩れ落ちる。

「わっ――」
「危ない!」

 ネフィーテはオーガスタが頭を打たないように、抱き庇うようにして倒れた。

「……大丈夫ですか?」
「はい。平気です」

 両手を床について身を起こし、無事かどうか確認した。
 オーガスタは床とネフィーテに挟まれたような格好で、逃げ場をなくしている。ネフィーテは一拍置いてから、もう一度質問を投げかけた。

「あの曲は、私と孤児だった少年のふたりしか知らない曲です。君が知っているはずがない。いや、君は……君は……――ノエなんですか?」
「…………!」

 時々、オーガスタがノエと重なることがあった。姿は全く違うのに、性格やこちらを見る眼差しがよく似ていた。

 すると、こちらを見上げるオーガスタが、頬に涙を流し、声を震わせた。

「……なさい。ごめん……なさい。好きになってごめんなさい。――先生」

 それは、自分がノエであることの肯定だった。ノエはずっとネフィーテのことを師として尊敬し、『先生』と呼んでいた。

「王女様を、選ばないで……ください。ずっと、私だけの先生で、いて……っ」

 腕で目元を隠しながら、ぼろぼろと泣くオーガスタ。一方のネフィーテは、混乱するあまり言葉を失っていた。

(私のかわいい教え子は、ずっと君だけでしたよ)

 ネフィーテはようやく、オーガスタが出会ったときから自分のことを気にかけてくれた理由を悟ったのである。
 オーガスタ・クレートは、百年前にネフィーテが拾った孤児、ノエの生まれ変わりだったのだ。

(探し物は、見つかったんですか)

 聞きたいことが沢山あった。森に何を探しに行っていたのか。ネフィーテを恨んではいないのか。ネフィーテに拾われて幸せだったのか。けれど、それらを尋ねる前に、オーガスタは逃げるように塔から去っていった。
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