【完結】婚約者様、王女様を優先するならお好きにどうぞ

曽根原ツタ

文字の大きさ
43 / 45

43

しおりを挟む
 
 三百年前、ネフィーテがフェルシス王家の王子として生まれたころ、ネリア王国と隣国との間で激しい戦争が起こっていた。

 成長したネフィーテは、騎士団の司令官として戦地に赴いていた。戦況は悪化し、市民が暮らす街も戦場となり、多くの一般市民が敵兵に殺害され、民衆は疲弊していった。

 追い詰められた人間は、最後に神のような超越した存在に縋ることがある。

 ある日、ネフィーテは教会に人の気配を感じ、敵兵の隠れ場所かもしれないと考えて忍び込んだ。だが、教会の地下で行われていたのは、吸血鬼崇拝の儀式だった。吸血鬼は、大勢の人間の心臓を捧げることで、気まぐれに人間を吸血鬼に変えてくれるという。人々は永遠の命を求め、命懸けで危険な儀式に挑んでいたのだ。

 鼻を刺すような血の匂いに、ネフィーテは顔をしかめる。

(なんて恐ろしいことを……っ)

 人々は祭壇の前で膝を突き、祈りを捧げている。そして、黒いローブをまとった男が、床に描かれた陣の上で呪文のような言葉を呟いていた。

 ネフィーテは陣の上まで走り、儀式を止めようと叫んだ。

「今すぐに儀式をやめなさい!」
「なんの真似だっ、離せ……っ」
「人間には人間の理が、吸血鬼には吸血鬼の理があります。それを捻じ曲げるなど言語道断です。生命への冒涜だ」

 それに、もし人間が吸血鬼になれば、『死ねない』という苦しみを背負うことになる。

「君たちは不死の意味を理解しているんですか!? 大切な人が死んでも、自分は喪失を抱えながら生きていかなければならない。元人間にはとても、その苦しみに耐えられないでしょう。人として生まれたなら、人間の理の中で生きるべきです!」

 ネフィーテが必死に訴えかけるが、信者たちの心には届かない。儀式に参加していた者たちが、ネフィーテを陣の外に引きずり出そうと身体を引っ張った。

「黙れ! 吸血鬼になれば、死を恐れることがなくなる。戦争に恐怖するのはもううんざりだ!」
「私は息子とずっと一緒に生きていたいのよっ! 邪魔しないで……!」
「俺たちは不死の身体を手に入れるんだ。――退け!」

 ネフィーテが抵抗していると、陣が淡く紫色に輝き、やがて強い光を放ち始める。辺りに離散した。その光の中で、吸血鬼の声を聞いた。


『気に入った、人間。お前を――吸血鬼にしてやる』


 光の中で、吸血鬼の赤い瞳が、ネフィーテに向けられていた。
 吸血鬼が選んだのは、ネフィーテだった。ネフィーテに意地悪をしたかったのか、単なる気まぐれかは分からない。けれどこの瞬間、ネフィーテは途方もない絶望を味わった。

 陣の光が収まったあと、礼拝室の人間は全員息絶えていた。ネフィーテの黒髪は銀髪に、青い瞳は赤色に変わっていた。ネフィーテは、吸血鬼になってしまったのだ。

 悠久の命など、欲しくなかった。
 普通に生き、普通に死にたかった。

 しかし、人間の理から外れてしまったネフィーテは、普通の人生が許されなくなった。

 ネフィーテの貢献により、戦争はネリア王国の勝利に終わった。

 あの時、教会に近づかなければ。
 あの時、陣に入らなければ。
 何度も何度も、後悔し、恨んだ。しかし、それらの感情は時間とともに薄れていき、諦めだけが心の中で暗く広がっていった。

 ネフィーテは自分を憎み、誰も傷つけないために、塔に閉じこもった。そして、病弱な王子のフリをして孤独に二百年近くを過ごしたのである。長い年月を経て、自分の年齢すら数えなくなっていた。何も求めず、何も願わず、何もせず、ただ年齢だけ重ねていった。

(私は、生まれてこなければよかった)



 ◇◇◇



「先生!」

 二百年ひとりで生きていネフィーテは、ある時ノエという子どもを拾った。ノエは性別を偽っていたが、八年ともに過ごす中で愛らしい娘に成長していた。

「誕生日、おめでとうございます」
「誕生日……ですか?」

 ノエは不器用に作った誕生日ケーキを持ってきて、屈託のない笑みを浮かべた。ネフィーテは自分の誕生日を覚えていない。長い時間を生きる中で、年齢というものを意識しなくなっていたからだ。ネフィーテが不思議に思って尋ねると、ノエはにっこりと頷いた。

「はい! ネフィーテ様は誕生日を覚えていないとおっしゃっていたので、僕たちが初めて出会った日を誕生日にしました。嫌……でしたか? いつも僕ばっかり祝ってもらうのは、なんだか申し訳なくて」
「……!」

 その言葉に、ネフィーテの心が温かくなるのを感じた。
 歳を重ねることを祝ってくれる人がいるのが、ネフィーテにとって新鮮だった。自分が生きていることを、許されているような気がした。

「来年もまた、一緒にお祝いしましょう」

 ひとつひとつ、傷が癒えていく。渇望していた何かが満たされていく。

「ええ。きっと」

 ノエを失ったときの辛さや寂しさ、苦しさは、どれも胸の深くに刻まれている。
 しかし、ノエと一緒に過ごした時間が、幸福の欠片として、ネフィーテの心に雪のように降り積っていたのもまた事実だった。



 ◇◇◇



「ネフィーテ様!」

 ノエを失ってから百年が経った。寂しさに押し潰されそうになりながらも、ノエとの思い出に浸って心を慰め、同時にノエを守れなかったふがいない自分を責めてきた。

 そして今、ノエの生まれ変わりであるオーガスタが、自分の婚約者として目の前で微笑んでいる。

 ネフィーテとオーガスタは正式に婚約を結んだ。クレート公爵家は、ネフィーテを屋敷に迎える準備をしてくれている。塔で過ごす日も、残りわずかだ。三百年も暮らしてきてそれなりに愛着はあったが、離れることが惜しくはなかった。

 オーガスタは居間のテーブルに、ご馳走を用意していた。皿に載った大きなホールケーキをこちらに差し出し、優しく微笑む。

「誕生日、おめでとうございます。ネフィーテ様が生まれてきてくれて嬉しいです。今日は、ネフィーテ様が頑張って生きてきた――大切な記念日ですね」

 彼女の笑顔に、心が満たされていく。

(ああ……なんて眩しい)

 それは、よく晴れた日の太陽のような輝きだった。ネフィーテがここに生きていることを、喜んでくれる人がいる。それはとても、幸せなことだ。

「ありがとう。誕生日……覚えていてくれたんですね」
「はい。ノエにとって、一番大切な日だったので。ああもちろん、私にとっても二番目に大切な日ですよ?」
「一番目はなんですか?」
「ふふ、これです」

 オーガスタはいたずらっぽく笑い、ケーキをテーブルに置いてから、左手をかざした。その薬指に、ネフィーテが贈った婚約指輪が輝いている。

「婚約記念日が、今の私にとって一番大事な日です」

 そう言って目を細める彼女があまりにも愛おしくて、必死に堪えていなければ、とっくに動きを止めたはずのネフィーテの心臓が口から飛び出してしまいそうだった。

 ネフィーテはオーガスタの左手を包み込み、囁いた。

「一番大事な日を、これから更新していきましょう」
「はい。ネフィーテ様」

 数秒ほど互いに見つめ合うと、オーガスタは一瞬目を泳がせてから、遠慮がちに目を閉じる。今が、口付けするのにうってつけのタイミングだと感じたのだろう。オーガスタはなんとなく良い雰囲気なのを察して、キスを受け止める準備をした。

 婚約してから、時々キスを交わしている。だが、彼女はまだ慣れないようで、唇がわずかに震えている。いじらしい婚約者の仕草に、またしても存在しないはずの心臓を撃ち抜かれた気分になった。

 キスをしないでいたらどんな反応をするかと思って、目を閉じたオーガスタを眺めてみる。すると、瞼を少しだけ開き、頬を赤くしたオーガスタが言う。

「…………しないんですか?」
「いえ、しますよ。ほら、目を閉じて」

 少し期待の滲んだ目が、ネフィーテを見上げていた。

 囁きかけるように促すと、オーガスタは真っ赤になりなから、きゅっと唇をすぼめる。ふっくらとしていて形の良い唇に、自分の唇をそっと押し当てる。触れるだけの口付けのあと、オーガスタは落ち着かない様子で深呼吸を何度かしていた。

「あ、あの……ケーキ、食べましょうか」
「はい」

 ふたりでテーブルを挟んで、たわいもない話をしながらケーキを食べた。ささやかなひと時が、ネフィーテの宝物だった。

「私の誕生日の時は、いつも家族で旅行に行くんです」
「オーガスタはご家族と仲がいいんですね」
「はい。去年は海を見に港町に行ったんですけど、そこにすごく綺麗な花が咲いていて……」

 オーガスタはフォークの先を下唇に押し当てながら、「ネフィーテ様にも見せたかったな」と呟いた。 
 居間には、ネフィーテが描いた花畑の絵が飾ってある。彼女と見る花は、どんなに綺麗だろうと想像してみた。

 ケーキを食べ、ネフィーテの誕生日を十分に祝ったオーガスタは、朝になって帰る準備をし出した。玄関まで見送り、別れの挨拶をする。

「気をつけて帰ってください。お義父様によろしく伝えてください」
「はい」
「昼は何か予定があるんですか?」
「ああ。――探し物をしに行ってきます」

 探し物、という単語に、ネフィーテの眉がぴくりと上がる。ノエは探し物とやらをしに行って、森の奥で吸血鬼に襲われて死んだ。ノエを失ったときの壮絶な悲しみが蘇り、背筋に冷たいものが流れる。

「何を、探しに行くんですか。またあの森に行くつもりですか?」
「ノエがオーガスタとして生まれ変わった意味を、見つけに。ノエの死に決着をつけてきます。心配は無用です。護衛は付けますし、吸血鬼が活動する夜までには、ちゃんと帰りますから。それでは、また」

 オーガスタは玄関から出て行く。「待って」と手を伸ばしかけた時には、扉は閉まっていた。吸血鬼はどんな森にも潜んでいる。普通に活動していても、出会ってしまう時は出会ってしまうので、運とも言える。だが、オーガスタが残した『探し物』という言葉が、ネフィーテの胸に引っかかって離れなかった。

しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

冷遇する婚約者に、冷たさをそのままお返しします。

ねむたん
恋愛
貴族の娘、ミーシャは婚約者ヴィクターの冷酷な仕打ちによって自信と感情を失い、無感情な仮面を被ることで自分を守るようになった。エステラ家の屋敷と庭園の中で静かに過ごす彼女の心には、怒りも悲しみも埋もれたまま、何も感じない日々が続いていた。 事なかれ主義の両親の影響で、エステラ家の警備はガバガバですw

もう、今更です

ねむたん
恋愛
伯爵令嬢セリーヌ・ド・リヴィエールは、公爵家長男アラン・ド・モントレイユと婚約していたが、成長するにつれて彼の態度は冷たくなり、次第に孤独を感じるようになる。学園生活ではアランが王子フェリクスに付き従い、王子の「真実の愛」とされるリリア・エヴァレットを囲む騒動が広がり、セリーヌはさらに心を痛める。 やがて、リヴィエール伯爵家はアランの態度に業を煮やし、婚約解消を申し出る。

愛しの婚約者は王女様に付きっきりですので、私は私で好きにさせてもらいます。

梅雨の人
恋愛
私にはイザックという愛しの婚約者様がいる。 ある日イザックは、隣国の王女が私たちの学園へ通う間のお世話係を任されることになった。 え?イザックの婚約者って私でした。よね…? 二人の仲睦まじい様子を見聞きするたびに、私の心は折れてしまいました。 ええ、バッキバキに。 もういいですよね。あとは好きにさせていただきます。

[完結]婚約破棄してください。そして私にもう関わらないで

みちこ
恋愛
妹ばかり溺愛する両親、妹は思い通りにならないと泣いて私の事を責める 婚約者も妹の味方、そんな私の味方になってくれる人はお兄様と伯父さんと伯母さんとお祖父様とお祖母様 私を愛してくれる人の為にももう自由になります

諦めていた自由を手に入れた令嬢

しゃーりん
恋愛
公爵令嬢シャーロットは婚約者であるニコルソン王太子殿下に好きな令嬢がいることを知っている。 これまで二度、婚約解消を申し入れても国王夫妻に許してもらえなかったが、王子と隣国の皇女の婚約話を知り、三度目に婚約解消が許された。 実家からも逃げたいシャーロットは平民になりたいと願い、学園を卒業と同時に一人暮らしをするはずが、実家に知られて連れ戻されないよう、結婚することになってしまう。 自由を手に入れて、幸せな結婚まで手にするシャーロットのお話です。

今さら救いの手とかいらないのですが……

カレイ
恋愛
 侯爵令嬢オデットは学園の嫌われ者である。  それもこれも、子爵令嬢シェリーシアに罪をなすりつけられ、公衆の面前で婚約破棄を突きつけられたせい。  オデットは信じてくれる友人のお陰で、揶揄されながらもそれなりに楽しい生活を送っていたが…… 「そろそろ許してあげても良いですっ」 「あ、結構です」  伸ばされた手をオデットは払い除ける。  許さなくて良いので金輪際関わってこないで下さいと付け加えて。  ※全19話の短編です。

両親に溺愛されて育った妹の顛末

葉柚
恋愛
皇太子妃になるためにと厳しく育てられた私、エミリアとは違い、本来私に与えられるはずだった両親からの愛までも注ぎ込まれて溺愛され育てられた妹のオフィーリア。 オフィーリアは両親からの過剰な愛を受けて愛らしく育ったが、過剰な愛を受けて育ったために次第に世界は自分のためにあると勘違いするようになってしまい……。 「お姉さまはずるいわ。皇太子妃になっていずれはこの国の妃になるのでしょう?」 「私も、この国の頂点に立つ女性になりたいわ。」 「ねえ、お姉さま。私の方が皇太子妃に相応しいと思うの。代わってくださらない?」 妹の要求は徐々にエスカレートしていき、最後には……。

裏切られた令嬢は死を選んだ。そして……

希猫 ゆうみ
恋愛
スチュアート伯爵家の令嬢レーラは裏切られた。 幼馴染に婚約者を奪われたのだ。 レーラの17才の誕生日に、二人はキスをして、そして言った。 「一度きりの人生だから、本当に愛せる人と結婚するよ」 「ごめんねレーラ。ロバートを愛してるの」 誕生日に婚約破棄されたレーラは絶望し、生きる事を諦めてしまう。 けれど死にきれず、再び目覚めた時、新しい人生が幕を開けた。 レーラに許しを請い、縋る裏切り者たち。 心を鎖し生きて行かざるを得ないレーラの前に、一人の求婚者が現れる。 強く気高く冷酷に。 裏切り者たちが落ちぶれていく様を眺めながら、レーラは愛と幸せを手に入れていく。 ☆完結しました。ありがとうございました!☆ (ホットランキング8位ありがとうございます!(9/10、19:30現在)) (ホットランキング1位~9位~2位ありがとうございます!(9/6~9)) (ホットランキング1位!?ありがとうございます!!(9/5、13:20現在)) (ホットランキング9位ありがとうございます!(9/4、18:30現在))

処理中です...