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第三部 小さな国の人質王子は大陸の英雄になる
第286話 マリアナ・ミラー・イスカル
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マリアの訓練が、五日ほどが経った頃。
「先生。どうですか!」
「ええ。いいですよ。基本が出来ています」
驚くほどにマリアは呑み込みが早かった。
剣術が好きだという情熱が、彼女の中で芽生えていき、才能が開花し始めていた。
「先生。ほんと! じゃあ、ねえねえ・・・レベッカさん。上手くなってるの!」
フュンに聞いてからレベッカに聞く。
これがいつものパターンだった。
「そうだな。まあまあだ」
「なんだぁ。あたし、まあまあなんだ・・・」
あまり良い褒め言葉じゃないので、少しがっかりした。
「いえいえ。まあまあじゃありませんよ。ちょっとマリアさん来てください」
「はい先生」
フュンのそばに来た。
「いいですか。マリアさん」
「はい」
「レベッカはね。剣の事になると厳しいですから、まあまあでも褒め言葉なんですよ」
「そうなの」
「ええ。彼女の部下たちはもっと罵倒されていますから。まあまあなんて言葉が出てきたら、儲けものです。とっても褒められています」
「そうなんだ・・・ダンさんも色々言われているの?」
マリアは、フュンの近くにいるダンを見た。
色々と指摘されてしまうレベッカの部下の一人である。
「え。いや・・その・・・」
『そうです』とキッパリと答えたい。
しかし、すぐそこにレベッカがいるので答える事が出来なかった。
なんか睨まれている気もする。
「ふ~ん。じゃあ、あたし褒められているんだ」
「ええ。そうですよ。でも、マリアさん」
「はい」
「基本を抑えましょう。基礎を十ずつやるのです」
「基礎を?」
「ええ。縦。横。斜め。この基本の斬り方だけは、丁寧にやるのです。スパスパ動いてやるのではなく、ゆっくり動作を確認しながら斬るのです」
「・・ゆっくり・・・なんで?」
「早くやると、テキトーになる可能性があります。それと体に動きを染みつかせるのには、丁寧にやる事が大切です。一つを大切にしていく作業。これが重要です。いいですね」
「うん」
元気な返事だった。
「イイ子ですね。これで毎日一人でも出来るようになります」
「うん。やる」
「ええ。ええ。立派な剣士になれそうですね。よかったですね」
「うん」
フュンが笑顔で言うと、マリアも笑顔で応えてくれた。
◇
この後に事件が起きた。
「どいてください!」
大声をあげて修練所にやって来たのは、ティアラを着けた長い髪の女性だった。
「マリア! なぜこんなところに来ているのです。あなたは、こんなところに来てはいけません」
「お。お母様だ・・」
フュンの後ろに隠れた。
「ちょ・・あなたどきなさいよ。誰ですか。あなたは! うちの子に、こんな事をさせた人ですか!」
フュンの前にやってきた女性は、もの凄い剣幕であった。
捲し立てているので、言葉の展開が早い。
「え? 僕の事ですか」
「あなたしかいないでしょ。私の目の前には!」
「そうですか。ところで、あなたはどなたです?」
相手を知っていても、フュンはしらを切る。
堂々とした態度だった。
「な?」
「いや、話しかけてきた方がお名前をどうぞ。それが礼儀ですから」
相手が皇帝の妻。
それは、先程のマリアの会話で分かる事。
しかし、フュンはここで一歩も引かない。
人としての在り方をマリアに見せていた。
名を知りたければ、名を先に言え。
人としての事である。
政治であれば少しまずい。大国の妻と小国の王であるからだ。
「あなたが言いなさい。私はこの国で・・・」
その言葉を言えば、外交問題に発展するので、フュンはそこを言わせなかった。
言葉を被せていく。
「いえいえ。ここはあなたがどうぞ。お名前をおっしゃられないのなら、僕はこのままマリアさんの指導に入ります」
「な!?」
生まれてこの方、このような対応をされた事がない。
女性は怒り散らかす。
「無礼な男。打ち首にします。陛下に言います」
「ええ。どうぞ。僕は構いません。それで陛下が僕を殺すような人であったら、僕の見る目が無かったと思うだけですね。残念です。その程度の人間だったらね」
ふてぶてしい態度で言い返すフュンは、女性の口撃に引かないのである。
「は!? なにを言って・・」
「陛下はこんな事で僕を打ち首にしません。あなたは旦那さんの本質を理解していますか。彼は寛大な人・・・偉大な皇帝陛下です。国民にとって恐ろしい人じゃありませんよ。他国にとって恐ろしい皇帝だっただけです。あなたはそこを勘違いしています」
ジャックスという男は、冷酷で残酷で恐ろしい。
他国を破壊し尽くした殲滅王だ。
敵を支配し、国を掌握した手腕は、少々強引でもあった。
しかしフュンはその行動の裏にある考えを理解している。
そうしなければ、敵で溢れるから殲滅をした。
決断せねばならない時があったから、やっただけ。
誰が好き好んで皆殺しにしてまで戦うというのだ。
自分も。エイナルフも。ルイスも。
そういう悩みを持ちながら前へと進んできた。
だから個人の想いと、皇帝という地位は、別である。
ジャックスという男の本質は、冷静で公平。
これがフュンの抱くジャックスという一人の人間の印象なのだ。
「こ・・・この男。誰ですか。あなたは!」
「だから、あなたからお名前をどうぞ。僕からは絶対に名乗りません。それが礼儀だからです」
「ぐっ・・・こんな男・・・マリア! 早くこちらに来なさい。こんな男と一緒にいてはいけません。早くこちらに」
「・・・・」
マリアがここまで何も言わず、怯えた表情で黙る。
彼女と出会ってから初めての事だった。
横柄でも元気でも、マリアはとにかく何らかの返事を返す子なのに、この時だけは黙ったのだ。
「マリア。こちらに来なさい」
「・・・い、嫌です。まだ勉強の時間・・・・です・・・・お母様・・・」
いつもの元気な彼女じゃない。
何かに怯える声だった。
「勉強? こんな場所は勉強の場所じゃありません。あなたは淑女として、皇女へと成長せねばなりません。それなのにこんなむさくるしい場所に・・・汗をかきに来るなど。信じられません。そんなのは下々の者がする事。あなたは高貴な皇女ですよ」
女性は首を振った。
修練所は、兵士たちが心身を鍛える場所である。
国家の為に強くなろうとする場所だ。
そこを侮辱するのはいけない。
「駄目です!」
フュンはここぞという所で強く出た。
この場の侮辱だけは許せない。
「下々だと言いましたね!? いいですか。上の立場にいるあなたが、そんな言葉を使ってはいけません。ここの兵士さんたちがいなければ、国は維持できないのですよ。あなたがいる国が維持できなくなれば、あなたが今いる地位は無意味だ。ただの無能な女が生まれるだけだ」
「な!?・・・ん・・ですって」
誰にも怒られたことのない姫君だから、フュンの強い言葉に上手く言い返せずにいた。
「ここは、自分の限界を超えて、国家を守るために、修練を繰り返す場所です。むさくるしいなんて侮辱はいけません。皆、ここで命を懸ける。その思いを作り上げる大切な場所だ。大事な仲間たちと共にです」
フュンのこの言葉に、周りにいた兵士たちが感銘を受ける。
自分たちの事を思って言ってくれていると。
「それに、ここも勉強の場所でもあります。あなたが思う勉強は、あなたがしてほしい事でしょう。それにあなたがしてほしい勉強は、今のこの子には必要ありません」
あなたの勉強は、いつでもできる勉強なのだ。
フュンがやろうとしている指導は今にしか出来ない指導である。
大切な子供時代の指導は、今この時にしか出来ないのだ。
大人になってからでは遅い。
心の教育は子供のうちにせねばならない。
ズィーベを生み出す恐れがあるからだ。
「な、なんですって。あなた! いい加減にしなさい。この子の親でもないでしょうに」
「ええ。親じゃありません。でも、一人の大人として、この子を導いてもいいでしょう。子は親だけで育つわけじゃない。周りの大人にも支えられて成長するのです! そして、子供も大人も、両方が育っていく。それが子育てだ」
母が早くに亡くなっているから、フュンは親から指導を受けた事がほとんどない。
でも周りの大人たちが、一生懸命自分を育ててくれた。
だから、彼らと同じように自分も先生として指導しようとしているのだ。
「な!? なんですか。本当に。この男は・・・失礼な」
自分と対峙して、一歩も引かない人間を初めて見た。
苛立ちも溢れる。
「もういいです。いきます」
「あ。せ、先生」
女性は、マリアの手を強引に引っ張って、連れていく。
「待ちなさい」
フュンは強硬手段だけは取らなかった。
女性の手を叩いて、彼女をこちらに引き寄せる事も可能だったが、それだけはしなかった。
「聞きません。あなたのような減らず口の男。ここから消えてしまいなさい。ほら、来なさい。もっと速く歩きなさいマリア」
「せ、先生・・・先生・・・あたし」
振り向いたマリアの不安そうな顔を見て、フュンは彼女に話す。
「マリアさん! 泣くのはやめなさい。あなたは堂々としていなさい。何も悪くありません」
「え?・・・」
フュンはこの時だけは厳しかった。
泣き喚くことを許さなかった。
なぜなら、何も悪くない時に泣くのが良くないからだ。
何も悪くないのなら、堂々としているべきである。
フュンの持論だ。
「ジタバタしない。僕はあなたの先生ですよ。どんな事があってもあなたの先生でいます。その人に拒絶されてもです」
「・・・うん」
「ですから待っていなさい。僕を信じなさい」
「・・・!?」
「いいですね」
「は、はい。先生」
その言葉にマリアは驚きながら喜び、母親の方は更に怒りだす。
後ろを少しだけ見て言う。
「待つ? あなたとはもう縁を切るのです。いいから、マリアに話しかけないで頂戴」
という彼女の言葉には反応を示さずに、フュンは影の中のサブロウを小声で呼ぶ。
「サブロウ」
「なんぞ」
「後をつけなさい。部屋に侵入しても良し。どこかに監禁される可能性もありますからね。自分の部屋だったらいいのですがね・・・」
「わかったぞ。後でフュンと合流ぞな」
「そうです。知らせをお願いします」
「任されたぞ」
サブロウが影のまま追いかけていった。
「フュン様。あれでよろしいので。こちらに引き寄せていた方が」
ダンが聞いてきた。
「いえ。ここはこれでいいです。あれは強引に話を進めるとまずいですね。あちらの女性は感情が激しい。それと、自分の理想を子供に押し付けている。彼女を立派な皇女にするために、必死過ぎますね。そこが駄目だ」
まるで昔のカミラのようだ。
だから、感情の逆なでをしてはいけない。
様々な人を見てきた事が経験となり、フュンの経験は勘へ昇華されたのだ。
完璧な対応だった。
「なるほど」
ダンが納得した。
「ええ。あの年代ですよ。まだいらない。皇女の勉強をするにも今は少しでいい。マナーくらいでいいんです。あと四年くらいはいらない。この四年の間に、他の事をさせたいんですよ。だから、僕はやりますよ」
「え? な、何をでしょうか?」
「あれはどうせね。マリアさんを閉じ込めるでしょうから。ここは僕が出て行きます。ふっ。それにしても彼女・・・あれで僕が大人しく引っ込むと思っているのでしょうね。大間違いだぞ。僕はこういう時だけは諦めが悪いんだ。いいでしょう。戦いますよ。マリアナ・ミラー・イスカル!」
マリアナ・ミラー・イスカル。
イスカル大陸の最後のお姫様。
何としてでも自分の娘を皇女として国や皇帝に認めさせる。
地位をあげる事に必死だった。
その事の為だけに、詰め込み教育を徹底していた女性。
そこにマリアの意思は関係がない。
彼女が時折、怯えた表情をしていたのも、勉強をしない事をくどくど怒られたからだ。
それが勉強嫌いになった原因でもある。
彼女はマリアに学習の楽しさを教えていなかったのである。
だから、フュンは、彼女の束縛からマリアを救おうと動き出す。
「先生。どうですか!」
「ええ。いいですよ。基本が出来ています」
驚くほどにマリアは呑み込みが早かった。
剣術が好きだという情熱が、彼女の中で芽生えていき、才能が開花し始めていた。
「先生。ほんと! じゃあ、ねえねえ・・・レベッカさん。上手くなってるの!」
フュンに聞いてからレベッカに聞く。
これがいつものパターンだった。
「そうだな。まあまあだ」
「なんだぁ。あたし、まあまあなんだ・・・」
あまり良い褒め言葉じゃないので、少しがっかりした。
「いえいえ。まあまあじゃありませんよ。ちょっとマリアさん来てください」
「はい先生」
フュンのそばに来た。
「いいですか。マリアさん」
「はい」
「レベッカはね。剣の事になると厳しいですから、まあまあでも褒め言葉なんですよ」
「そうなの」
「ええ。彼女の部下たちはもっと罵倒されていますから。まあまあなんて言葉が出てきたら、儲けものです。とっても褒められています」
「そうなんだ・・・ダンさんも色々言われているの?」
マリアは、フュンの近くにいるダンを見た。
色々と指摘されてしまうレベッカの部下の一人である。
「え。いや・・その・・・」
『そうです』とキッパリと答えたい。
しかし、すぐそこにレベッカがいるので答える事が出来なかった。
なんか睨まれている気もする。
「ふ~ん。じゃあ、あたし褒められているんだ」
「ええ。そうですよ。でも、マリアさん」
「はい」
「基本を抑えましょう。基礎を十ずつやるのです」
「基礎を?」
「ええ。縦。横。斜め。この基本の斬り方だけは、丁寧にやるのです。スパスパ動いてやるのではなく、ゆっくり動作を確認しながら斬るのです」
「・・ゆっくり・・・なんで?」
「早くやると、テキトーになる可能性があります。それと体に動きを染みつかせるのには、丁寧にやる事が大切です。一つを大切にしていく作業。これが重要です。いいですね」
「うん」
元気な返事だった。
「イイ子ですね。これで毎日一人でも出来るようになります」
「うん。やる」
「ええ。ええ。立派な剣士になれそうですね。よかったですね」
「うん」
フュンが笑顔で言うと、マリアも笑顔で応えてくれた。
◇
この後に事件が起きた。
「どいてください!」
大声をあげて修練所にやって来たのは、ティアラを着けた長い髪の女性だった。
「マリア! なぜこんなところに来ているのです。あなたは、こんなところに来てはいけません」
「お。お母様だ・・」
フュンの後ろに隠れた。
「ちょ・・あなたどきなさいよ。誰ですか。あなたは! うちの子に、こんな事をさせた人ですか!」
フュンの前にやってきた女性は、もの凄い剣幕であった。
捲し立てているので、言葉の展開が早い。
「え? 僕の事ですか」
「あなたしかいないでしょ。私の目の前には!」
「そうですか。ところで、あなたはどなたです?」
相手を知っていても、フュンはしらを切る。
堂々とした態度だった。
「な?」
「いや、話しかけてきた方がお名前をどうぞ。それが礼儀ですから」
相手が皇帝の妻。
それは、先程のマリアの会話で分かる事。
しかし、フュンはここで一歩も引かない。
人としての在り方をマリアに見せていた。
名を知りたければ、名を先に言え。
人としての事である。
政治であれば少しまずい。大国の妻と小国の王であるからだ。
「あなたが言いなさい。私はこの国で・・・」
その言葉を言えば、外交問題に発展するので、フュンはそこを言わせなかった。
言葉を被せていく。
「いえいえ。ここはあなたがどうぞ。お名前をおっしゃられないのなら、僕はこのままマリアさんの指導に入ります」
「な!?」
生まれてこの方、このような対応をされた事がない。
女性は怒り散らかす。
「無礼な男。打ち首にします。陛下に言います」
「ええ。どうぞ。僕は構いません。それで陛下が僕を殺すような人であったら、僕の見る目が無かったと思うだけですね。残念です。その程度の人間だったらね」
ふてぶてしい態度で言い返すフュンは、女性の口撃に引かないのである。
「は!? なにを言って・・」
「陛下はこんな事で僕を打ち首にしません。あなたは旦那さんの本質を理解していますか。彼は寛大な人・・・偉大な皇帝陛下です。国民にとって恐ろしい人じゃありませんよ。他国にとって恐ろしい皇帝だっただけです。あなたはそこを勘違いしています」
ジャックスという男は、冷酷で残酷で恐ろしい。
他国を破壊し尽くした殲滅王だ。
敵を支配し、国を掌握した手腕は、少々強引でもあった。
しかしフュンはその行動の裏にある考えを理解している。
そうしなければ、敵で溢れるから殲滅をした。
決断せねばならない時があったから、やっただけ。
誰が好き好んで皆殺しにしてまで戦うというのだ。
自分も。エイナルフも。ルイスも。
そういう悩みを持ちながら前へと進んできた。
だから個人の想いと、皇帝という地位は、別である。
ジャックスという男の本質は、冷静で公平。
これがフュンの抱くジャックスという一人の人間の印象なのだ。
「こ・・・この男。誰ですか。あなたは!」
「だから、あなたからお名前をどうぞ。僕からは絶対に名乗りません。それが礼儀だからです」
「ぐっ・・・こんな男・・・マリア! 早くこちらに来なさい。こんな男と一緒にいてはいけません。早くこちらに」
「・・・・」
マリアがここまで何も言わず、怯えた表情で黙る。
彼女と出会ってから初めての事だった。
横柄でも元気でも、マリアはとにかく何らかの返事を返す子なのに、この時だけは黙ったのだ。
「マリア。こちらに来なさい」
「・・・い、嫌です。まだ勉強の時間・・・・です・・・・お母様・・・」
いつもの元気な彼女じゃない。
何かに怯える声だった。
「勉強? こんな場所は勉強の場所じゃありません。あなたは淑女として、皇女へと成長せねばなりません。それなのにこんなむさくるしい場所に・・・汗をかきに来るなど。信じられません。そんなのは下々の者がする事。あなたは高貴な皇女ですよ」
女性は首を振った。
修練所は、兵士たちが心身を鍛える場所である。
国家の為に強くなろうとする場所だ。
そこを侮辱するのはいけない。
「駄目です!」
フュンはここぞという所で強く出た。
この場の侮辱だけは許せない。
「下々だと言いましたね!? いいですか。上の立場にいるあなたが、そんな言葉を使ってはいけません。ここの兵士さんたちがいなければ、国は維持できないのですよ。あなたがいる国が維持できなくなれば、あなたが今いる地位は無意味だ。ただの無能な女が生まれるだけだ」
「な!?・・・ん・・ですって」
誰にも怒られたことのない姫君だから、フュンの強い言葉に上手く言い返せずにいた。
「ここは、自分の限界を超えて、国家を守るために、修練を繰り返す場所です。むさくるしいなんて侮辱はいけません。皆、ここで命を懸ける。その思いを作り上げる大切な場所だ。大事な仲間たちと共にです」
フュンのこの言葉に、周りにいた兵士たちが感銘を受ける。
自分たちの事を思って言ってくれていると。
「それに、ここも勉強の場所でもあります。あなたが思う勉強は、あなたがしてほしい事でしょう。それにあなたがしてほしい勉強は、今のこの子には必要ありません」
あなたの勉強は、いつでもできる勉強なのだ。
フュンがやろうとしている指導は今にしか出来ない指導である。
大切な子供時代の指導は、今この時にしか出来ないのだ。
大人になってからでは遅い。
心の教育は子供のうちにせねばならない。
ズィーベを生み出す恐れがあるからだ。
「な、なんですって。あなた! いい加減にしなさい。この子の親でもないでしょうに」
「ええ。親じゃありません。でも、一人の大人として、この子を導いてもいいでしょう。子は親だけで育つわけじゃない。周りの大人にも支えられて成長するのです! そして、子供も大人も、両方が育っていく。それが子育てだ」
母が早くに亡くなっているから、フュンは親から指導を受けた事がほとんどない。
でも周りの大人たちが、一生懸命自分を育ててくれた。
だから、彼らと同じように自分も先生として指導しようとしているのだ。
「な!? なんですか。本当に。この男は・・・失礼な」
自分と対峙して、一歩も引かない人間を初めて見た。
苛立ちも溢れる。
「もういいです。いきます」
「あ。せ、先生」
女性は、マリアの手を強引に引っ張って、連れていく。
「待ちなさい」
フュンは強硬手段だけは取らなかった。
女性の手を叩いて、彼女をこちらに引き寄せる事も可能だったが、それだけはしなかった。
「聞きません。あなたのような減らず口の男。ここから消えてしまいなさい。ほら、来なさい。もっと速く歩きなさいマリア」
「せ、先生・・・先生・・・あたし」
振り向いたマリアの不安そうな顔を見て、フュンは彼女に話す。
「マリアさん! 泣くのはやめなさい。あなたは堂々としていなさい。何も悪くありません」
「え?・・・」
フュンはこの時だけは厳しかった。
泣き喚くことを許さなかった。
なぜなら、何も悪くない時に泣くのが良くないからだ。
何も悪くないのなら、堂々としているべきである。
フュンの持論だ。
「ジタバタしない。僕はあなたの先生ですよ。どんな事があってもあなたの先生でいます。その人に拒絶されてもです」
「・・・うん」
「ですから待っていなさい。僕を信じなさい」
「・・・!?」
「いいですね」
「は、はい。先生」
その言葉にマリアは驚きながら喜び、母親の方は更に怒りだす。
後ろを少しだけ見て言う。
「待つ? あなたとはもう縁を切るのです。いいから、マリアに話しかけないで頂戴」
という彼女の言葉には反応を示さずに、フュンは影の中のサブロウを小声で呼ぶ。
「サブロウ」
「なんぞ」
「後をつけなさい。部屋に侵入しても良し。どこかに監禁される可能性もありますからね。自分の部屋だったらいいのですがね・・・」
「わかったぞ。後でフュンと合流ぞな」
「そうです。知らせをお願いします」
「任されたぞ」
サブロウが影のまま追いかけていった。
「フュン様。あれでよろしいので。こちらに引き寄せていた方が」
ダンが聞いてきた。
「いえ。ここはこれでいいです。あれは強引に話を進めるとまずいですね。あちらの女性は感情が激しい。それと、自分の理想を子供に押し付けている。彼女を立派な皇女にするために、必死過ぎますね。そこが駄目だ」
まるで昔のカミラのようだ。
だから、感情の逆なでをしてはいけない。
様々な人を見てきた事が経験となり、フュンの経験は勘へ昇華されたのだ。
完璧な対応だった。
「なるほど」
ダンが納得した。
「ええ。あの年代ですよ。まだいらない。皇女の勉強をするにも今は少しでいい。マナーくらいでいいんです。あと四年くらいはいらない。この四年の間に、他の事をさせたいんですよ。だから、僕はやりますよ」
「え? な、何をでしょうか?」
「あれはどうせね。マリアさんを閉じ込めるでしょうから。ここは僕が出て行きます。ふっ。それにしても彼女・・・あれで僕が大人しく引っ込むと思っているのでしょうね。大間違いだぞ。僕はこういう時だけは諦めが悪いんだ。いいでしょう。戦いますよ。マリアナ・ミラー・イスカル!」
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地位をあげる事に必死だった。
その事の為だけに、詰め込み教育を徹底していた女性。
そこにマリアの意思は関係がない。
彼女が時折、怯えた表情をしていたのも、勉強をしない事をくどくど怒られたからだ。
それが勉強嫌いになった原因でもある。
彼女はマリアに学習の楽しさを教えていなかったのである。
だから、フュンは、彼女の束縛からマリアを救おうと動き出す。
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『あ、やべ!』
そして・・・・
【あれ?ここは何処だ?】
気が付けば真っ白な世界。
気を失ったのか?だがなんか聞こえた気がしたんだが何だったんだ?
・・・・
・・・
・・
・
【ふう・・・・何とか間に合ったか。たった一つのスキルか・・・・しかもあ奴の元の名からすれば土関連になりそうじゃが。済まぬが異世界あるあるのチートはない。】
こうして剛史は新た生を異世界で受けた。
そして何も思い出す事なく10歳に。
そしてこの世界は10歳でスキルを確認する。
スキルによって一生が決まるからだ。
最低1、最高でも10。平均すると概ね5。
そんな中剛史はたった1しかスキルがなかった。
しかも土木魔法と揶揄される【土魔法】のみ、と思い込んでいたが【土魔法】ですらない【土】スキルと言う謎スキルだった。
そんな中頑張って開拓を手伝っていたらどうやら領主の意に添わなかったようで
ゴウツク領主によって領地を追放されてしまう。
追放先でも土魔法は土木魔法とバカにされる。
だがここで剛史は前世の記憶を徐々に取り戻す。
『土魔法を土木魔法ってバカにすんなよ?異世界あるあるな前世の謎知識で無双する!』
不屈の精神で土魔法を極めていく剛史。
そしてそんな剛史に同じような境遇の人々が集い、やがて大きなうねりとなってこの世界を席巻していく。
その中には同じく一つスキルしか得られず、公爵家や侯爵家を追放された令嬢も。
前世の記憶を活用しつつ、やがて土木魔法と揶揄されていた土魔法を世界一のスキルに押し上げていく。
但し剛史のスキルは【土魔法】ですらない【土】スキル。
転生時にチートはなかったと思われたが、努力の末にチートと言われるほどスキルを活用していく事になる。
これは所持スキルの少なさから世間から見放された人々が集い、ギルド『ワンチャンス』を結成、努力の末に世界一と言われる事となる物語・・・・だよな?
何故か追放された公爵令嬢や他の貴族の令嬢が集まってくるんだが?
俺は農家の4男だぞ?
異世界転生目立ちたく無いから冒険者を目指します
桂崇
ファンタジー
小さな町で酒場の手伝いをする母親と2人で住む少年イールスに転生覚醒する、チートする方法も無く、母親の死により、実の父親の家に引き取られる。イールスは、冒険者になろうと目指すが、周囲はその才能を惜しんでいる
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