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五、二度目の婚約解消
しおりを挟む前世のイラーリオは、前々世が騎士であったことを忘れ去らせるほど、優秀で有能な文官となった。
元より才能は、あったのだろう。
それに加えての努力により、イラーリオは爵位を継がない子息としては異例なほどに、王城での出世を果たした。
ああ。
何か、嫌な予感がするわね。
これはまた、どこかの大家に婿養子に臨まれる算段ね。
前世に於いて、前々世の記憶のあったアダルジーザは、その時点で色々と覚悟をし、その日を迎えた。
『・・・アダルジーザ。既にお聞き及びかと思いますが、大臣が、私を娘婿にと望んでおられます』
ほーら、やっぱりだわ。
『ええ。聞き及んでおりますわ』
知っているわよ。
そのせいで、私は幾度も死にかけたんだから。
粛々と答えつつも辟易としながら、前世のアダルジーザは冷静に事に及んだ。
『それにしても、凄いですね。あの大臣はとても気難しく、自分にも他者にも厳しい方だと聞きます。そのような方に認められたのですもの。素晴らしいことね』
他人を信用しない大臣が、イラーリオの事は気に入った。
その事実は本当に晴らしいと思うと、そこは本心から言いつつ、アダルジーザは、これで最後となるだろうイラーリオとふたりきりの茶会を最後まで楽しむと決める。
『ああ。それは、本当に嬉しい』
そう言って嬉しそうに微笑むイラーリオが浮かべる表情は、アダルジーザがこれまで見て来たどの笑顔よりも輝いて見え、眩しさと幾ばくかの寂しさに涙腺が緩みそうになった。
ここで泣くなんて、駄目よ。
頑張りなさい、アダルジーザ。
『それで?貴方は、どうなさりたいの?』
自身を叱咤し、凛とした姿勢でイラーリオを見つめるアダルジーザを、イラーリオもまた真摯な瞳で見返す。
『・・・・・ありがたく、お受けしようと、思う・・と言ったら君は』
『分かりましたわ。それでは、こちらの手続きを急ぎましょう。婚約解消でいいですね?』
『・・・・・』
『イラーリオ?・・いいえ、サリーニ伯爵令息。私たちの婚約は解消。それで、よろしいですよね?』
疑問のようでありながら、実際には答えを必要としない、というよりも、肯定以外の返事があると疑いもしないアダルジーザが焦れたように言えば、どこか虚ろなイラーリオが、声だけは、はっきりと答えた。
『いいえ。私の有責での、婚約破棄としていただきたい』
ふざけんじゃないわよ!
こんのっ、愚男野郎!
言葉の重複なんのその。
その答えに、頬が引き攣るのを感じながら、アダルジーザは苛立ちを何とか抑え込む。
『サリーニ伯爵令息。それほどに責任を感じることはありません。それに、我が領、我が家は、婚約破棄による賠償金など、必要としてはおりませんので』
お金ですべて解決できると思ったら、大間違いよ!
この浮気男!!!
ああ、もう。
大河に投げ捨ててやりたい。
『アダルジーザ』
物騒なことを考えつつも、にこりと、何とか表面だけ微笑んでアダルジーザが言えば、長年の付き合いの成果というべきか、その真意を推し量ったイラーリオが、するりと心に入り込むような瞳でアダルジーザを見つめ、その名を呼んだ。
『アダルジーザ。無理をせず、本心を言ってほしい』
『まあ、お優しいこと。ですが、本当にお気になさらないでくださいませ。きちんと本心を言っておりますので』
さっさと終わりにしたいと言うのが、分からないとでも!?
ベネデッタ・プッチの所業を、知らないわけでもあるまいに!
・・・・・でも、もし、本当に知らないとしたら?
『しかし』
『ああ、失礼しました。それほど、私に死んでほしいということでしたか。ですが、そのご要望には、お応えできませんわ』
『・・・・・』
アダルジーザが目を眇め、切り札とも言うべき言葉を述べれば、イラーリオは青い顔で黙り込んだ。
この顔。
本当に、知っていたってことね。
はあ。
万が一、なんて思うだけ悲しいってことか。
苛立つのに、怒りより哀しさが強いことが悔しくて、アダルジーザは殊更に背筋を伸ばす。
『そうですね。馬車の脱輪に、晩餐会での媚薬の混入・・・ああ、護衛騎士の入れ替え、なんていう身内に切り込む手立てもありましたね。他にも、お聞きになりたいですか?ああ、既に知っていらっしゃいますものね。不要ですよね。これは、失礼』
そうよね。
共犯なのだそうだから。
ベネデッタ・プッチから贈られて来た不愉快な手紙の数々を思い出し、アダルジーザは思い切りイラーリオを睨み付ける。
『・・・・・すまない、アダルジーザ』
『謝罪は不要です。というか、やはりご存じでしたのね。いいえ、むしろ計画を立てたのはサリーニ伯爵令息なのだとか・・残念です』
出来るなら、イラーリオとは無関係でいてほしいと願った殺害未遂の数々。
しかし目の前に座るイラーリオから、そのすべてを了解していると知れて、アダルジーザは最後の心残りを捨て去った。
『貴方のお望み通り、死んでさしあげるつもりはありませんが、婚約破棄、喜んで、受け入れます』
大臣は、その位はあれど爵位は持たないから。
私が持つ予定の伯爵位が欲しかったのでしょうけど。
あげませんよ。
大事な領民と、事業の数々に携わる人々の暮らしもあるのですから。
『なっ。アダルジーザに死んでほしいなど、私が望むと本気で言っているのか?』
うっわあ。
何を今更、ってやつね。
『いい加減な予測で言っているのではありませんよ?こちらをどうぞ』
そう言ってアダルジーザがイラーリオへ差し出したのは、大臣の愛娘、ベネデッタ・プッチから贈られた、不愉快な数多の手紙。
『・・・・・・・こんな・・こんな事実は・・・』
『ええと、何でしたっけ・・・ああ、そうそう。真実想い合う相手を奪うのは美しくない所業、学の無い証拠、さっさと爵位をサリーニ伯爵令息に渡して去れ、でしたね。学のある方同士、どうぞ仲良くなさってくださいませ・・ああ、ですが信じられませんわ。婚約者の爵位だけ奪わせて婚姻を望むようなご令嬢が、大臣の愛娘だなんて・・うふ』
嫌味を込めて、暗記している文面を読み上げるアダルジーザに、イラーリオは青くなって首を振り続けるも、好転などしようはずもない。
『ご令嬢と恋仲になった時点で、婚約解消のお話をいただけると思っておりました。がっかりですわ。心底、貴方に絶望しました。サリーニ伯爵令息』
にっこりと会心の笑みを浮かべて、アダルジーザは婚約解消についての書類をイラーリオへ差し出した。
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