66 / 96
10『理解と焦燥の狭間』
1 苦情係の事情
しおりを挟む
****side■唯野
旅行というものは、現実を切り離すものだと思った。
今それぞれが抱えている問題が何なのか、ぼんやりと理解したところで現実に戻される。
自分が今抱えている問題と言えば……。
チラリと苦情係のカウンターの方に視線を向けると、板井と黒岩が何やら揉めていた。
「あなた、最近ここに来過ぎじゃないですか? ちゃんと仕事しているんですか?」
板井はブレない男だなと思う。
それは塩田とはまた違う意味で。
「板井はなんでそんなに邪魔をするんだよ。俺はただ、唯野と呑みに行きたいだけだぞ?」
なんなら一緒に来ればいいと言われ、
「俺から課長と一緒の貴重な時間を奪うのはやめてください」
と抗議している。
塩田たちの方に視線を移せば、相変わらず仲睦まじい。今週末は塩田の両親に挨拶へ行くと言っていたことを思い出し、唯野は複雑な心境になる。
塩田の両親というのは、彼のやることなすことに反対する人たち。仲が悪いというわけではない。塩田が周りに迷惑をかけないように転ばぬ先の杖をしているに過ぎない。
社長が彼をスカウトし両親に反対された時、直属の上司として彼の両親を説得したのは他でもない、唯野である。
唯野は塩田の隣で仕事をする電車に視線を移しながら、あの時は大変だったなと当時のことを思い出していた。
──魔王城に乗り込むのか。
電車のヤツ、勇気があるな。
先日、旅行先で塩田に言われたこと。
『もし、説得に失敗したら協力して欲しい』
あの魔王を打ち砕いたのは、今のところ唯野だけらしい。
プレッシャーだなと思いながらも承諾したのは、
『まずは自分たちで頑張ってみる』
と塩田が言ったからだ。
唯野が驚いたのは言うまでもない。
かといって塩田は、初めから人に頼るような人物ではない。
驚いたのはどちらかというと、反対されたら強硬手段に出ると思ったからである。
『紀夫を笑顔にしたいんだ』
彼はそう言った。
『俺は慣れているから良いけれど。紀夫は二人のこと祝福されたいと思っているはずなんだ』
どれほどまでに塩田にとって電車は大切なのか。
初めから誰にも勝ち目なんてなかったのだろうと思う。
電車紀夫という男は、一見ただ優し気に見える。
明るい髪色に、塩田より少し背が高く、ムードメーカーで天然だ。わが社では皇に次いで人気があると噂されているほどに、いろんな部署の人間から声をかけられていた。
人当たりが良く、見目も良い。系統で言えばアイドル系の男なのである。
そんな彼は、分かりやすいくらいに塩田に夢中だった。彼が塩田のどこに惹かれたのか分からない。
いつだって一緒にいたがる彼に対し、塩田はその好意に気づかないようだった。そんな塩田が彼を尊重する。それは特別なことなのだと思う。
「俺様は行くぞ」
塩田の反対側の席で仕事を手伝ってくれていた皇が立ち上がるのが視界の端に見えて、唯野はそちらへ面を向けた。
どんなに塩田に好意を向けても無駄なのに、それでも一途に思い続ける皇。
そんな恋にも終焉が見え始めていることに、唯野は胸が痛んだ。
これは変えることのできない結末。
礼を述べる一同に、軽く手をあげ去っていく皇。
きっと焦りが見えないことこそが、電車を追い詰めるのだろうと察した。
見られている時は笑顔の電車の表情に陰りが差したから。
旅行というものは、現実を切り離すものだと思った。
今それぞれが抱えている問題が何なのか、ぼんやりと理解したところで現実に戻される。
自分が今抱えている問題と言えば……。
チラリと苦情係のカウンターの方に視線を向けると、板井と黒岩が何やら揉めていた。
「あなた、最近ここに来過ぎじゃないですか? ちゃんと仕事しているんですか?」
板井はブレない男だなと思う。
それは塩田とはまた違う意味で。
「板井はなんでそんなに邪魔をするんだよ。俺はただ、唯野と呑みに行きたいだけだぞ?」
なんなら一緒に来ればいいと言われ、
「俺から課長と一緒の貴重な時間を奪うのはやめてください」
と抗議している。
塩田たちの方に視線を移せば、相変わらず仲睦まじい。今週末は塩田の両親に挨拶へ行くと言っていたことを思い出し、唯野は複雑な心境になる。
塩田の両親というのは、彼のやることなすことに反対する人たち。仲が悪いというわけではない。塩田が周りに迷惑をかけないように転ばぬ先の杖をしているに過ぎない。
社長が彼をスカウトし両親に反対された時、直属の上司として彼の両親を説得したのは他でもない、唯野である。
唯野は塩田の隣で仕事をする電車に視線を移しながら、あの時は大変だったなと当時のことを思い出していた。
──魔王城に乗り込むのか。
電車のヤツ、勇気があるな。
先日、旅行先で塩田に言われたこと。
『もし、説得に失敗したら協力して欲しい』
あの魔王を打ち砕いたのは、今のところ唯野だけらしい。
プレッシャーだなと思いながらも承諾したのは、
『まずは自分たちで頑張ってみる』
と塩田が言ったからだ。
唯野が驚いたのは言うまでもない。
かといって塩田は、初めから人に頼るような人物ではない。
驚いたのはどちらかというと、反対されたら強硬手段に出ると思ったからである。
『紀夫を笑顔にしたいんだ』
彼はそう言った。
『俺は慣れているから良いけれど。紀夫は二人のこと祝福されたいと思っているはずなんだ』
どれほどまでに塩田にとって電車は大切なのか。
初めから誰にも勝ち目なんてなかったのだろうと思う。
電車紀夫という男は、一見ただ優し気に見える。
明るい髪色に、塩田より少し背が高く、ムードメーカーで天然だ。わが社では皇に次いで人気があると噂されているほどに、いろんな部署の人間から声をかけられていた。
人当たりが良く、見目も良い。系統で言えばアイドル系の男なのである。
そんな彼は、分かりやすいくらいに塩田に夢中だった。彼が塩田のどこに惹かれたのか分からない。
いつだって一緒にいたがる彼に対し、塩田はその好意に気づかないようだった。そんな塩田が彼を尊重する。それは特別なことなのだと思う。
「俺様は行くぞ」
塩田の反対側の席で仕事を手伝ってくれていた皇が立ち上がるのが視界の端に見えて、唯野はそちらへ面を向けた。
どんなに塩田に好意を向けても無駄なのに、それでも一途に思い続ける皇。
そんな恋にも終焉が見え始めていることに、唯野は胸が痛んだ。
これは変えることのできない結末。
礼を述べる一同に、軽く手をあげ去っていく皇。
きっと焦りが見えないことこそが、電車を追い詰めるのだろうと察した。
見られている時は笑顔の電車の表情に陰りが差したから。
0
あなたにおすすめの小説
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
壁乳
リリーブルー
BL
ご来店ありがとうございます。ここは、壁越しに、触れ合える店。
最初は乳首から。指名を繰り返すと、徐々に、エリアが拡大していきます。
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。
じれじれラブコメディー。
4年ぶりに続きを書きました!更新していくのでよろしくお願いします。
(挿絵byリリーブルー)
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
fall~獣のような男がぼくに歓びを教える
乃木のき
BL
お前は俺だけのものだ__結婚し穏やかな家庭を気づいてきた瑞生だが、元恋人の禄朗と再会してしまう。ダメなのに逢いたい。逢ってしまえばあなたに狂ってしまうだけなのに。
強く結ばれていたはずなのに小さなほころびが2人を引き離し、抗うように惹きつけ合う。
濃厚な情愛の行く先は地獄なのか天国なのか。
※エブリスタで連載していた作品です
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ヤンキーDKの献身
ナムラケイ
BL
スパダリ高校生×こじらせ公務員のBLです。
ケンカ上等、金髪ヤンキー高校生の三沢空乃は、築51年のオンボロアパートで一人暮らしを始めることに。隣人の近間行人は、お堅い公務員かと思いきや、夜な夜な違う男と寝ているビッチ系ネコで…。
性描写があるものには、タイトルに★をつけています。
行人の兄が主人公の「戦闘機乗りの劣情」(完結済み)も掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる