花の精霊はいじわる皇帝に溺愛される

アルケミスト

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 花の中、朱音が眼を開けると、彼女を見つめる熱い男の瞳があった。

 怖いくらい間近にある瞳と、体を軽々と抱きあげる強い腕に驚いて、朱音は気づいた。

 大切に胸に秘めていた、花仙がもつ〈伴侶の玉〉を、彼に奪われてしまったことを。

 囚われた、もう逃げられない。




 きらめく秋の陽ざしが、木々の梢に降りそそいでいる。

 澄みきった大気に甘い金木犀の香がまじって、そこにいるだけで心がわきたつ、気持ちの良い朝だ。

 だがそんな晴れやかな光景とはうらはらに、朱音の心は重かった。

 朱音を見るなり思いきり不機嫌な顔をした男の反応に、反発すべきか反省すべきか迷っていたからだ。

(龍仁様ってばどうしてそんな顔をなさるのよっ。
 私、何か粗相をした!?)

 ここは崔国皇太子、龍仁の邸。

 朱音は彼に仕える女嬬だ。

 朱音はいつもなら、官吏や陳情者の出入りする外廷とは塀でへだてられた龍仁の私的な生活の場、内廷と呼ばれる邸の奥にいる。

 だが今日は主たる龍仁から直々に、

〈俺が戻った時は、お前が真っ先に出迎えろ〉

 と威圧感満々に命じられたので、おっかなびっく内廷を出て、外廷にある馬場という男の世界に生まれて初めて足を踏みいれた。

 周りは厩番や衛士といったごつい男たちばかりで、女は朱音一人だけだ。

 奥仕えの女嬬がこんな荒々しいところにいるのが不思議なのか、朱音の方をちらちらみながらささやき交わす男たちに埋もれて肩身狭く待っていると、供を従えた龍仁が、馬で颯爽と駆けいってきた。

 逞しい馬とそれを堂々と乗りこなす龍仁の姿に眼をみはって、朱音はあわてて顔をふる。

 見とれている場合ではない。

 躍動する馬の肌には汗が光っていた、きっと龍仁も喉を渇かしている。

 朱音は茶をのせた盆を手に、いそいで前へ出た。

 ところがそこからの龍仁の反応がおかしかった。

 朱音を見つけて、眼元を和ませてくれたように感じたのは一瞬だけで、周りの人垣を見た彼の機嫌がみるみる悪くなった。

 朱音の気のせいではない。

 証拠に、周囲の男たちが驚愕の声をあげている。

「な、なんと、あの人徳者で有名な皇太子殿下がここまで怒気をあらわになさるとは」

「例の娘は絡んだ時だけはお人が変わられるという噂は真だったか……」

「ふ、不埒にも注目して申しわけありませんでしたっ。
 以後、気をつけますのでっ」

 顔をひきつらせた男たちが、潮のようにひいていく。

 朱音は広い歩廊にあっという間に一人になった。

 こんなに逞しい男たちをここまで怯えさせるとはいったい何事か。

 朱音まで怖くなってくる。

 何かや不備あったのかと、朱音は手にした盆をそっと見おろしてみた。

 三本爪の龍の図案をほどこした黒檀の盆と、薄い白磁の茶碗は皇太子が使うにふさわしい一品だ。

 ぴかぴかに磨かれた表面は曇り一つなく、菊花がうかんだ茶からは龍仁の好む清々しい香が漂っている。

 どこにもおかしなところはない。

 なのに龍仁の表情は変わらない。

(いったい何が気に入らないの、お茶じゃなくお水がよかったの?
 でも外から帰った時は暑いから、ほどよく冷めた茶を用意しろって命じられたの、龍仁様じゃないっ)

 言いつけられたのは彼が遠駆にでかける前、早朝のこと。

 初秋の今日は晴天で、外で体を動かすと汗ばむほどだ。

 もっともな言い分だと思ったから、朱音はいつ戻るかわからない主のために熱い茶釜の側でずっと番をして、先ぶれの馬が戻るとすぐに茶を淹れて、扇であおいで冷ましてもってきた。

 きちんと言われた通りにしたのに、どうしてこんな顔を向けられるのかわからない。
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