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第四章
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「今日は、ありがとうございました」
地下鉄名城線を東山線に栄で乗り換え、一緒に本陣で降りた。妹尾は家から乗ってきた自転車をここに止めていた。
「いや、こっちこそ。面白い店に行けたよ」
改札を出て「じゃあここで」と家に向かい出した鮎原を妹尾が自転車を押して追いかけてくる。
「妹尾?」
「ここまで来たついで。教えてください、鮎原さんち」
「お前、ホントに厚かましいな」
どうしようか、と惑うのは一瞬でつい顔が緩む。まだ少し、今日の楽しさを続けていたいと思っていた。
「家まで上がり込もうなんて思っちゃいませんから、安心してください」
「何が安心だ。ばーか。いいよ、茶ぐらい出してやる」
「わ、ホントですか? 正直に言ってよかった。家だけなら、黙って後つければ分かりますもんね」
「お前なあ、ったく」
呆れてしまう。そんなストーカーまがいのことなどするなと、睨めば妹尾はただ苦笑を浮かべる。
家の近くを誰かと肩を並べて歩くのは、妙な感じだった。まだ日も暮れていないこんな時間に外に出ている自分自体、珍しいのだったが。
「ここだよ」
アパートに着いたと鮎原は、妹尾に指差した。
「駅から近いんですね」
「それが利点だ」
外づけの階段を上がって、部屋の前まで行く。階段の横に自転車を止めた妹尾はついて来ていた。
「あの、鮎原さん」
カギを取り出した鮎原は背中に妹尾の声を聞く。
「ん? 今開けるから」
「いえ、やっぱりここで帰ります」
「何だ? 別にいいぞ、たいした物はないけど、何ならビールぐらい」
ここまで来て帰るという妹尾を引き留めるように言う。
「ビールはちょっと。自転車でも飲酒はだめなんですよ」
自転車も車両扱いで、飲酒して乗るのは道路交通法で禁止されているのだと教えてくれた。
「そうなんだ。悪い、気が回らなくて」
余り意識したことがなかったことに、鮎原が「悪い」と言えば、妹尾は「いいえ」と首を振った。
「それに、ここで上がり込んじゃったら、鮎原さんの恋人に悪いでしょ」
「せの…お……?」
前振りもなく言われて、言葉をなくした。まさか妹尾から、そんなことを言われるとは思ってもいなかった。恋人はいないとずっと嘘をついてきたのに。
「今日は楽しかったです。忙しい鮎原さんの恋人に感謝かな。こうして会ってもらえたんだから」
向けられた言葉が痛い。妹尾は笑って言っているというのに。いや、笑っていない。いつもにこやかにしているはずの妹尾が見せたのは、顔こそは笑んではいたが向ける眼差しは暗い。それは暮れ出した日のせいかもしれないが。しかし。
「お前……」
相手が誰か知っているのか、とは聞けなかった。
「やだな、何て顔するんですか。恋人ぐらい、いるんでしょ? 本当は」
「恋人ぐらい……」
どう答えればいいのだろう。いる、いない、誤魔化すための嘘はどうつけばいいのだ。それとももう誤魔化すことはせずに、いる、と認めたほうがいいだろうか。
「鮎原さん――、もっと鮎原さん自身が楽しむ時間を作ってもいいんじゃないですか? 引っ張り回したオレが言うのも何ですけど」
「――っ。へ、変なこと言うな、お前。楽しむ時間って……」
「済みません。変なことですね。……じゃあ、また明日会社で」
ぺこりと頭を下げて、妹尾が踵を返した。かつかつと階段を降りる乾いた音が響く。
はっとして鮎原は、見えなくなった背中を追いかけた。下で自転車の施錠を外す妹尾を見つけて名を呼ぼうとしたが声が出なかった。ぐっと膨れ上がった何かが、鮎原の喉を塞いでいた。
気づかれているのだろうか。いや、妹尾は「恋人ぐらい」と言った。特定の誰かを言った訳ではない。
自転車に跨り小さくなっていく妹尾を見送って、鮎原は自分の喉に手をやる。
(自分の時間……)
余計なお世話だ、と思った。何を知っているというのだ。そんなこと言われなくても、分かってる。
そうだ、分かっているのだ。今の自分がどうしようもないことなど。
地下鉄名城線を東山線に栄で乗り換え、一緒に本陣で降りた。妹尾は家から乗ってきた自転車をここに止めていた。
「いや、こっちこそ。面白い店に行けたよ」
改札を出て「じゃあここで」と家に向かい出した鮎原を妹尾が自転車を押して追いかけてくる。
「妹尾?」
「ここまで来たついで。教えてください、鮎原さんち」
「お前、ホントに厚かましいな」
どうしようか、と惑うのは一瞬でつい顔が緩む。まだ少し、今日の楽しさを続けていたいと思っていた。
「家まで上がり込もうなんて思っちゃいませんから、安心してください」
「何が安心だ。ばーか。いいよ、茶ぐらい出してやる」
「わ、ホントですか? 正直に言ってよかった。家だけなら、黙って後つければ分かりますもんね」
「お前なあ、ったく」
呆れてしまう。そんなストーカーまがいのことなどするなと、睨めば妹尾はただ苦笑を浮かべる。
家の近くを誰かと肩を並べて歩くのは、妙な感じだった。まだ日も暮れていないこんな時間に外に出ている自分自体、珍しいのだったが。
「ここだよ」
アパートに着いたと鮎原は、妹尾に指差した。
「駅から近いんですね」
「それが利点だ」
外づけの階段を上がって、部屋の前まで行く。階段の横に自転車を止めた妹尾はついて来ていた。
「あの、鮎原さん」
カギを取り出した鮎原は背中に妹尾の声を聞く。
「ん? 今開けるから」
「いえ、やっぱりここで帰ります」
「何だ? 別にいいぞ、たいした物はないけど、何ならビールぐらい」
ここまで来て帰るという妹尾を引き留めるように言う。
「ビールはちょっと。自転車でも飲酒はだめなんですよ」
自転車も車両扱いで、飲酒して乗るのは道路交通法で禁止されているのだと教えてくれた。
「そうなんだ。悪い、気が回らなくて」
余り意識したことがなかったことに、鮎原が「悪い」と言えば、妹尾は「いいえ」と首を振った。
「それに、ここで上がり込んじゃったら、鮎原さんの恋人に悪いでしょ」
「せの…お……?」
前振りもなく言われて、言葉をなくした。まさか妹尾から、そんなことを言われるとは思ってもいなかった。恋人はいないとずっと嘘をついてきたのに。
「今日は楽しかったです。忙しい鮎原さんの恋人に感謝かな。こうして会ってもらえたんだから」
向けられた言葉が痛い。妹尾は笑って言っているというのに。いや、笑っていない。いつもにこやかにしているはずの妹尾が見せたのは、顔こそは笑んではいたが向ける眼差しは暗い。それは暮れ出した日のせいかもしれないが。しかし。
「お前……」
相手が誰か知っているのか、とは聞けなかった。
「やだな、何て顔するんですか。恋人ぐらい、いるんでしょ? 本当は」
「恋人ぐらい……」
どう答えればいいのだろう。いる、いない、誤魔化すための嘘はどうつけばいいのだ。それとももう誤魔化すことはせずに、いる、と認めたほうがいいだろうか。
「鮎原さん――、もっと鮎原さん自身が楽しむ時間を作ってもいいんじゃないですか? 引っ張り回したオレが言うのも何ですけど」
「――っ。へ、変なこと言うな、お前。楽しむ時間って……」
「済みません。変なことですね。……じゃあ、また明日会社で」
ぺこりと頭を下げて、妹尾が踵を返した。かつかつと階段を降りる乾いた音が響く。
はっとして鮎原は、見えなくなった背中を追いかけた。下で自転車の施錠を外す妹尾を見つけて名を呼ぼうとしたが声が出なかった。ぐっと膨れ上がった何かが、鮎原の喉を塞いでいた。
気づかれているのだろうか。いや、妹尾は「恋人ぐらい」と言った。特定の誰かを言った訳ではない。
自転車に跨り小さくなっていく妹尾を見送って、鮎原は自分の喉に手をやる。
(自分の時間……)
余計なお世話だ、と思った。何を知っているというのだ。そんなこと言われなくても、分かってる。
そうだ、分かっているのだ。今の自分がどうしようもないことなど。
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