交際マイナス一日婚⁉ 〜ほとぼりが冷めたら離婚するはずなのに、鬼上司な夫に無自覚で溺愛されていたようです〜

朝永ゆうり

文字の大きさ
13 / 48
第二章

彼の演技はどこまで?②

しおりを挟む
 翌日、土曜日。今日は、三条さんと私の両親に挨拶をしに行く日だ。

 私の実家は、都心から電車で一時間半ほどのベッドタウンにある、住宅街の中の一軒家だ。
 父母との約束の時間は午前十一時。三条さんに伝えると、車の方が早く着きそうだからと言われ、三条さんの運転で向かうことになった。

 十時頃に家を出れば、充分間に合うということで、今日は遅めに朝ごはんを食べようということになっている。
 しかし、私がベッドから出たのは午前七時。しかも、一睡も寝られなかった。

 昨夜は夕食後、いつも通りに皿洗いをし、三条さんの後にお風呂をいただいた。そのままいつも通りにお風呂を洗って部屋に戻ったのだけれど、頭の中は三条さんのことでいっぱいだった。

『可愛いな、杷留』

 夕飯前のあの一場面が、頭から離れなかったのだ。

 頬に感じた大きな手の温かな感触。ストレートな言葉に、唐突な名前呼び。それになにより、あの甘い空気。
 彼は練習だと言ったけれど、思い出すだけで頬が火照り、思考がそればっかりになってしまう。

 だったら早く寝ようと早々に布団に潜ったのだが、それで一週間前の、あの朝のことを思い出してしまった。
 あの朝。おそらく夜の間に彼に抱かれたのだろう、朝。私は、この部屋に、三条さんと互いに産まれたままの姿でいたのだ。

 三条さんが普通にしてくれているおかげで、すっかり頭の隅に追いやることのできていた記憶が、ここにきて怒涛のように思い出されてしまう。それなのに、あの夜のことだけは、未だにすっぽりと頭から抜けてしまったままだ。

『可愛いな』

 彼のあの甘い響きを想像したら、あの夜のことを思い出せるかもしれない。
 そう思って必死にあの日のことを思い出そうとしたけれど、今更思い出したところで結婚してしまったのだから意味はないと、すぐにやめた。

 ため息を零し、目をつむった。
 だけど、一度考え始めてしまった三条さんとのあの夜の様子が脳内にちらついて、一人で勝手に恥ずかしくなっては眠れなくなってしまう。
 それで、気がついたら、日が昇っていた。

 父母に結婚の報告をしに行く。そんな日に、一睡もしていないなんて。

 そう思ったけれど、今寝たら確実に寝坊をしてしまうだろう。
 せっかくだから、朝の準備に時間をかけてみよう。
 そう思って、私は体を起こした。

 ***

「早苗、起きているか?」

 それから、おおよそ一時間後。部屋のノック音と共に、三条さんの声が聞こえた。

「はい、起きてます」

 そう言い、扉を開ける。
 すらりとした細身のノータックパンツ、白いシャツにグレーのニットを合わせた私服姿の三条さんがいた。

 彼は、私の姿を見下ろし、目を見張る。

「あの……、やっぱり、変ですかね?」

 固まってしまった彼に、思わずそう小声で訊いてしまった。

 いつもはぱぱっと済ませてしまうメイクだが、今日は時間をかけたナチュラル風メイク。髪型もネットで調べて、できそうなものを色々試しながら後方でまとめ髪にしてみた。

 服装は、あの水漏れでも無事だった、水色のミディアム丈ワンピースだ。首元はボウタイをリボンのように結ぶデザインで、シフォン素材のふわっと軽い感じが気に入っている。
 仕事に来ていくには少しカジュアルすぎて、なかなか着る機会のなかったものだ。

 お洒落を心がけたけれど、これから行くのは自分の実家だ。気合を入れ過ぎてしまっただろうか。

 三条さんが何も言わないので、不安になる。

『そんなことをする暇があるのなら、少しでも寝ろ』

 心の中で、三条さんが言う。
 だけど、目の前の現実の彼は、ふっと優しく口角を上げて、そっと口を開いた。

「やっぱり可愛いな、杷留」
「え……」

 彼の言葉に、思考が一瞬停止した。それから、徐々に頬が熱くなる。
 ドクドクと胸を叩く心臓の音が早くなり、動けないでいるとしばらく彼と見つめ合う形になってしまった。

 だけど、昨夜のことを思い出した。これは、きっと――。

「また練習ですか? 無駄にドキドキしちゃったじゃないですか」

 恥ずかしさをごまかすように、慌ててそう紡ぐ。

 だけど、語尾につけようとした『悠互さん』は、とっさには言えなかった。
 やっぱり、異性を、しかも会社の上司を名前で呼ぶのは、照れくさいし抵抗がある。

 恥ずかしさにうつむいた私の頭に、三条さんはぽすんと大きな手を置いた。

「朝食ができたから呼びに来たんだ。もう、食べられそうだな」

 彼はそう言うと、私の頭から手をのけてダイニングへ去ってしまう。私は乗せられていた彼の手の感覚を確かめるように、一度頭を撫でつけた。

 え、なんで、頭に手を――?
 これも、彼の言う〝練習〟なのだろうか。

 私は混乱したまま、だけど気恥ずかしさと収まらない胸の早まりを押さえつけるように、もう一度自分の頭を撫でつける。
 ほっと一息ついてから、私はダイニングへ向かった。〝練習〟なら、きっと今日ですぐ終わるはずだ。

 ダイニングに行くと、相変わらず美味しそうな朝食が湯気を立ててそこに乗っていた。
 今日は、和食だ。白ご飯にわかめのおつゆ。メインは鮭で、豆とひじきの和え物が添えてある。

「今日も美味しそうですね」

 そういうと、三条さんは「そうか?」と目線をこちらに投げる。だけど、すぐにふいっと逸らされてしまった。

 食事を終えると、私は皿を下げてすぐに洗い始めた。
 まだ出発までは時間があったけれど、何もしないでいると、しかも同じ空間に三条さんがいると思うと、どうしてもそわそわして落ち着かなかったのだ。

 だけど、皿洗いなどすぐに終わってしまう。最後の皿を洗い終わり、蛇口の水を止めると、ダイニングに座ってタブレットをチェックしていた三条さんがこちらを振り向いた。

「終わったか」
「はい」

 答えると、彼は顔で、先ほどまで私の座っていた自分の前の席を指し示す。

 もうご飯は終わったのに、なんだろう。そう思いながら、私は手を拭くと、彼の前に腰かけた。

「これを」

 三条さんは言いながら、私に赤色の小箱を差し出す。首を傾げていると、彼はその蓋を外した。

「え⁉」

 思わず目を見開き、三条さんの顔と見比べる。
 そこには、大小ふたつのリング が収められていたのだ。

 小さい方には、大きいほうにはない小さなダイヤが埋め込まれている。
 だけど、同じように曲線を描いたシルバーのそれは、見紛うことなくペアリングである。

「着けて欲しい。早苗のご両親に会うんだ、一応、夫婦だからな」
「でも……」

 私たちはまがいものの夫婦だ。ほとぼりが冷めたら離婚する。それなのに、お揃いのアクセサリーなんて。

「形だけでも。早苗のご両親を安心させるためにも、あったほうがいいだろう。指輪も買えない男が結婚相手だなんて思われたら、しかもそんなやつが職場の上司だと早苗のご両親に知れたら。早苗は、今の仕事にすら苦言を呈されるかもしれない」
「でも、本当にいいんですか?」
「ああ。そんなに高価なものでもないが」

 彼はそう言うと、大きい方を取って自分の左手薬指に、なんの躊躇もなく嵌める。

 両親への挨拶が終わったら、丁寧に磨いてから返そう。私はそう心に決め、彼の嵌めたものとお揃いのそれを自分の左手薬指に嵌めた。
 思ったよりもひんやりと、重い。

 私がこれから両親にするのは、みせかけの夫婦の挨拶。
 嘘をつくような後ろめたさが急に襲ってきて、気が重くなった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

エリート課長の脳内は想像の斜め上をいっていた

ピロ子
恋愛
飲み会に参加した後、酔い潰れていた私を押し倒していたのは社内の女子社員が憧れるエリート課長でした。 普段は冷静沈着な課長の脳内は、私には斜め上過ぎて理解不能です。 ※課長の脳内は変態です。 なとみさん主催、「#足フェチ祭り」参加作品です。完結しました。

離婚前提の夫が記憶喪失になってから溺愛が止まりません

沖田弥子
恋愛
経営難に陥った父の会社のため、由梨が不動産会社社長である斗真と結婚して早一年――政略結婚とはいえ、それなりにうまくいくと思っていたが、現実は違った。一向に身体の関係を持つことなく、常に夫に冷たい態度を取られる生活に耐えられなくなった由梨は、とうとう離婚を切り出したのだ。しかし翌日、なんと斗真が車で事故に! その影響で結婚してからの記憶が抜け落ち、別人のように優しくなった彼は、妻に過剰なほどの愛を注ぎ始める。戸惑いながらもときめいていた由梨だったが、今度は夜の夫婦生活を求められて……!?

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

雨音。―私を避けていた義弟が突然、部屋にやってきました―

入海月子
恋愛
雨で引きこもっていた瑞希の部屋に、突然、義弟の伶がやってきた。 伶のことが好きだった瑞希だが、高校のときから彼に避けられるようになって、それがつらくて家を出たのに、今になって、なぜ?

身代わり花嫁は俺様御曹司の抱き枕

沖田弥子
恋愛
一般庶民のOL瑞希は、姉の婚約者である御曹司・大島瑛司から身代わり花嫁になることを決められる。幼なじみという間柄であり、会社の専務でもある瑛司はハイスペックなイケメンだが、実は俺様で傲慢な毒舌家。姉が戻るまでの間とはいえ、強引な瑛司に付き合わされて瑞希はうんざり。けれど、瑛司の不眠症を解消するという花嫁修業を命じられて……。◆第12回恋愛小説大賞にて、奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました! 2019年11月、書籍化されました。

桜に集う龍と獅子【完結】

Lynx🐈‍⬛
恋愛
産まれてから親の顔を知らない松本櫻子。孤児院で育ち、保育士として働く26歳。 同じ孤児院で育った大和と結婚を控えていた。だが、結婚式を控え、幸せの絶頂期、黒塗りの高級外車に乗る男達に拉致されてしまう。 とあるマンションに連れて行かれ、「お前の結婚を阻止する」と言われた。 その男の名は高嶺桜也。そして、櫻子の本名は龍崎櫻子なのだと言い放つ。 櫻子を取り巻く2人の男はどう櫻子を取り合うのか………。 ※♡付はHシーンです

旦那様は秘書じゃない

鏡野ゆう
恋愛
たまに秘書に内緒で息抜きに出掛けると何故か某SPのお兄さんが現れてお説教をしていく日々に三世議員の結花先生は辟易中。 『政治家の嫁は秘書様』の幸太郎先生とさーちゃんの娘、結花のお話です。

契約結婚のはずなのに、冷徹なはずのエリート上司が甘く迫ってくるんですが!? ~結婚願望ゼロの私が、なぜか愛されすぎて逃げられません~

猪木洋平@【コミカライズ連載中】
恋愛
「俺と結婚しろ」  突然のプロポーズ――いや、契約結婚の提案だった。  冷静沈着で完璧主義、社内でも一目置かれるエリート課長・九条玲司。そんな彼と私は、ただの上司と部下。恋愛感情なんて一切ない……はずだった。  仕事一筋で恋愛に興味なし。過去の傷から、結婚なんて煩わしいものだと決めつけていた私。なのに、九条課長が提示した「条件」に耳を傾けるうちに、その提案が単なる取引とは思えなくなっていく。 「お前を、誰にも渡すつもりはない」  冷たい声で言われたその言葉が、胸をざわつかせる。  これは合理的な選択? それとも、避けられない運命の始まり?  割り切ったはずの契約は、次第に二人の境界線を曖昧にし、心を絡め取っていく――。  不器用なエリート上司と、恋を信じられない女。  これは、"ありえないはずの結婚"から始まる、予測不能なラブストーリー。

処理中です...