交際マイナス一日婚⁉ 〜ほとぼりが冷めたら離婚するはずなのに、鬼上司な夫に無自覚で溺愛されていたようです〜

朝永ゆうり

文字の大きさ
27 / 48
第四章

似た者同士の慰め合い①

しおりを挟む
 帰宅すると三条さんに促され、私はリビングの大きなテレビの前にある、二人掛けのソファに座った。

 手に持ったままだった、彼のお姉さんにもらった名刺をじっと眺める。

【参議院議員 三条舞子】

 何度見ても、その文字は変わらずそこにあった。

 しばらくすると、三条さんはコーヒーを両手に持って、私の隣にやってくる。
 私は慌てて名刺をポケットに入れると、三条さんが片方を私に手渡してきた。

 それから、自身も私の隣に腰かけ、早速話し出す。

「三条宗満むねみつって、聞いたことがあるか?」
「さんじょう、むねみつ……」

 彼の言葉を口の中で繰り返し、私は目を見開いた。確か、以前どこかの省庁の大臣を務めていた人物だ。

「文科省の元大臣。彼が、俺の父だ」

 政治に疎いことが悔やまれる。
 だけど、きっとお父様が大臣を務めるほどの政治家で、お姉さんが現参議院議員であることからして、きっと三条家が政治一族なことは容易に想像できた。

 告げられた事実にただ驚き、うまく反応できないでいると、三条さんは自嘲するようにふっと笑みを漏らした。

「幼い頃から、俺は三条家の長男として、政治家になるべく育てられた。子供の頃はなんの疑問もなく、そういう毎日を過ごしていたが……、歳を重ねるにつれ、なぜ自分が政治家として生きなけれないけないのかと疑問を持ったんだ。そんな時、まだ大学生だった富永さんに出会った」
「富永局長に?」

 どこを向いていいか分からず、手に持ったコーヒーの中をじっと覗いていたが、彼の声に私は顔を上げた。

 三条さんは、再び自嘲するような笑みを漏らす。
 だけどそれは、先ほどのように卑屈なものではなく、きらきらとしたものに感じられた。

「ああ。富永さんは大学時代からかなりクリエイティブな人だった。それでいて、楽しそうで羨ましかった。俺は初めて、同世代の人に憧れたんだ。あんなふうに、生きたいと思った」
「三条さん……」

 彼の表情から、当時の彼の期待とワクワクが見て取れた。
 同時に、三条さんと富永さんにあると思っていた上下関係以外の何かを、私は思い知った。

 入社前からの知り合いだから、三条さんはあんなに富永さんと仲が良く、信頼しあっているのだろう。

「だから俺は、政治の道を捨てて必死に富永さんを追いかけた。それで、結果的に両親に勘当されたわけだが……それを、俺は後悔していない」

 三条さんはまだ何か言いたげだったけれど、そのまま口を噤んてしまう。

 私は少し冷めてしまったコーヒーを口に運びながら、膝に肘をつき小さくなる彼を、じっと見ていた。

 何か、声をかけたい。
 だけど、複雑な感情が押し寄せて、私は何も言えなかった。

 三条さんが私と結婚したのは、家族から戸籍を外れたかったからなのかもしれないと、思ってしまったのだ。

 あの夜のことは、互いに覚えていない。
 だから、当時の想いをどれだけ推し量っても、それは想像でしかない。

 それでも、私はずっと疑問だった。
 なぜ三条さんが、あの夜、私との婚姻届に判を押したのか。

 それが、今解けた気がしたのだ。

 記憶がないのだから、本当のところは分からない。
 だけど、彼にも複雑な事情があったのだ。

「私たち、似てますね」

 ふと口から飛び出た言葉は、それだった。
 三条さんがこちらを振り向く。私は自嘲しながら、言葉を続けた。

「私、両親があまり好きじゃないんです」
「なぜだ? いいご両親じゃないか」

 三条さんは意味が分からないというように、眉をひそめる。私は、ため息を零した。

「実家でもちらっと両親が話していたと思うんですけど……私、姉がいるんです。姉はいつも完璧でした。勉強もできて、進学も就職も成功して、結婚して家庭を持ってもバリバリ働く、模範みたいな人です。私は、いつも比べられて生きてきた」

 そこまで言うと、自分の惨めさに目頭が熱くなる。
 だけど自分のことで泣くなんてみっともなくて、私は一度小さく深呼吸した。

「でも、私は全然姉のようには生きられなくて。進学も失敗して、恋だって大学生の時に付き合った彼氏に浮気されて振られて、それっきりです。だからせめてもって、仕事だけは頑張ってきた。なのに、それだけじゃ両親は認めてくれなかった。結果、婚姻届を郵送してくるなんて馬鹿げたことまで始めて……本当、ひどいですよね」

 言いながら笑えてくる。否、笑っていないと惨めすぎて泣いてしまいそうだった。

「だから、挨拶に行った時も、あんなに喜んでくれたんです。私の親は、結婚してさえくれれば、相手は誰でもよかったんですよ」

 それでも惨めさに泣いてしまいそうで、俯き、下唇を噛みながら必死に涙を堪える。

「俺は相手が早苗で、良かったと思っている」

 不意に三条さんの優しい言葉が、頭上から降ってきた。
 同時に、なぜか三条さんは私が手にしていたコーヒーを取り、テーブルにコトンと置く。

「あの夜のことを覚えていないのは、本当に申し訳ないが……だが今は、早苗がここにいてくれて、良かったと俺は思っている」

 三条さんはそう言うと、私をふわりと抱きしめた。

 これはきっと、三条さんの優しさだ。
 姉のようにレールの上を歩けない惨めな私を、慰めようとしてくれているのだ。

 だけど、どうしようもなく彼の言葉が胸を締め付け、彼への〝好き〟があふれ出してしまう。

「それは、私もです。三条さんの〝家族〟になれてよかった」

 彼へ優しさを返したくてそう言うと、私も彼の背に手を回した。

 いつまで彼と〝家族〟でいられるのか、今はまだ分からない。
 だけど、少しでも、結婚相手が私で良かったって思ってくれているのなら嬉しい。

 離れがたくなり、思わず彼の背に回す力にきゅっと力を込める。
 すると、三条さんの腕は私の抱擁を解き、代わりに右手で私の顎をくいっと持ち上げた。

「たまらなくなることをするよな、杷留は」

 目の前で見つめられ、鼓動が急速に加速する。頬が、触れられた顎が、顔中が熱くなる。

「事実を、言っただけです」

 恥ずかしくなって可愛げもないことを口走ってしまう。すると、三条さんは私の顎から手を取り去った。

 ああ、こんなこと言うのはダメだった。
 雰囲気を盛り下げてしまった自分に嫌気がさす。

 落ち込み、再び俯いた。テーブルに乗ったコーヒーに、手を伸ばそうとした。その時。

「その事実が、たまらないんだ」

 三条さんは私とコーヒーの間に手を伸ばし、そのまま私の胸元に頭をうずめるようにして抱きしめてきた。

「三条、さん……?」

 突然の出来事に、脳が追い付かない。

「悪い。だが、少しだけこうさせていて欲しい」

 まるで甘えるような三条さんの言葉。
 もしかしたら私と〝家族〟であるということを、彼は確かめたいのかもしれない。

「はい」

 私はそう言うと、おずおずと彼の背に手を伸ばした。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

エリート課長の脳内は想像の斜め上をいっていた

ピロ子
恋愛
飲み会に参加した後、酔い潰れていた私を押し倒していたのは社内の女子社員が憧れるエリート課長でした。 普段は冷静沈着な課長の脳内は、私には斜め上過ぎて理解不能です。 ※課長の脳内は変態です。 なとみさん主催、「#足フェチ祭り」参加作品です。完結しました。

肉食御曹司の独占愛で極甘懐妊しそうです

沖田弥子
恋愛
過去のトラウマから恋愛と結婚を避けて生きている、二十六歳のさやか。そんなある日、飲み会の帰り際、イケメン上司で会社の御曹司でもある久我凌河に二人きりの二次会に誘われる。ホテルの最上階にある豪華なバーで呑むことになったさやか。お酒の勢いもあって、さやかが強く抱いている『とある願望』を彼に話したところ、なんと彼と一夜を過ごすことになり、しかも恋人になってしまった!? 彼は自分を女除けとして使っているだけだ、と考えるさやかだったが、少しずつ彼に恋心を覚えるようになっていき……。肉食でイケメンな彼にとろとろに蕩かされる、極甘濃密ラブ・ロマンス!

離婚前提の夫が記憶喪失になってから溺愛が止まりません

沖田弥子
恋愛
経営難に陥った父の会社のため、由梨が不動産会社社長である斗真と結婚して早一年――政略結婚とはいえ、それなりにうまくいくと思っていたが、現実は違った。一向に身体の関係を持つことなく、常に夫に冷たい態度を取られる生活に耐えられなくなった由梨は、とうとう離婚を切り出したのだ。しかし翌日、なんと斗真が車で事故に! その影響で結婚してからの記憶が抜け落ち、別人のように優しくなった彼は、妻に過剰なほどの愛を注ぎ始める。戸惑いながらもときめいていた由梨だったが、今度は夜の夫婦生活を求められて……!?

身代わり花嫁は俺様御曹司の抱き枕

沖田弥子
恋愛
一般庶民のOL瑞希は、姉の婚約者である御曹司・大島瑛司から身代わり花嫁になることを決められる。幼なじみという間柄であり、会社の専務でもある瑛司はハイスペックなイケメンだが、実は俺様で傲慢な毒舌家。姉が戻るまでの間とはいえ、強引な瑛司に付き合わされて瑞希はうんざり。けれど、瑛司の不眠症を解消するという花嫁修業を命じられて……。◆第12回恋愛小説大賞にて、奨励賞をいただきました。応援ありがとうございました! 2019年11月、書籍化されました。

雨音。―私を避けていた義弟が突然、部屋にやってきました―

入海月子
恋愛
雨で引きこもっていた瑞希の部屋に、突然、義弟の伶がやってきた。 伶のことが好きだった瑞希だが、高校のときから彼に避けられるようになって、それがつらくて家を出たのに、今になって、なぜ?

旦那様は秘書じゃない

鏡野ゆう
恋愛
たまに秘書に内緒で息抜きに出掛けると何故か某SPのお兄さんが現れてお説教をしていく日々に三世議員の結花先生は辟易中。 『政治家の嫁は秘書様』の幸太郎先生とさーちゃんの娘、結花のお話です。

契約結婚のはずなのに、冷徹なはずのエリート上司が甘く迫ってくるんですが!? ~結婚願望ゼロの私が、なぜか愛されすぎて逃げられません~

猪木洋平@【コミカライズ連載中】
恋愛
「俺と結婚しろ」  突然のプロポーズ――いや、契約結婚の提案だった。  冷静沈着で完璧主義、社内でも一目置かれるエリート課長・九条玲司。そんな彼と私は、ただの上司と部下。恋愛感情なんて一切ない……はずだった。  仕事一筋で恋愛に興味なし。過去の傷から、結婚なんて煩わしいものだと決めつけていた私。なのに、九条課長が提示した「条件」に耳を傾けるうちに、その提案が単なる取引とは思えなくなっていく。 「お前を、誰にも渡すつもりはない」  冷たい声で言われたその言葉が、胸をざわつかせる。  これは合理的な選択? それとも、避けられない運命の始まり?  割り切ったはずの契約は、次第に二人の境界線を曖昧にし、心を絡め取っていく――。  不器用なエリート上司と、恋を信じられない女。  これは、"ありえないはずの結婚"から始まる、予測不能なラブストーリー。

オオカミ課長は、部下のウサギちゃんを溺愛したくてたまらない

若松だんご
恋愛
 ――俺には、将来を誓った相手がいるんです。  お昼休み。通りがかった一階ロビーで繰り広げられてた修羅場。あ~課長だあ~、大変だな~、女性の方、とっても美人だな~、ぐらいで通り過ぎようと思ってたのに。  ――この人です! この人と結婚を前提につき合ってるんです。  ほげええっ!?  ちょっ、ちょっと待ってください、課長!  あたしと課長って、ただの上司と部下ですよねっ!? いつから本人の了承もなく、そういう関係になったんですかっ!? あたし、おっそろしいオオカミ課長とそんな未来は予定しておりませんがっ!?  課長が、専務の令嬢とのおつき合いを断るネタにされてしまったあたし。それだけでも大変なのに、あたしの住むアパートの部屋が、上の住人の失態で水浸しになって引っ越しを余儀なくされて。  ――俺のところに来い。  オオカミ課長に、強引に同居させられた。  ――この方が、恋人らしいだろ。  うん。そうなんだけど。そうなんですけど。  気分は、オオカミの巣穴に連れ込まれたウサギ。  イケメンだけどおっかないオオカミ課長と、どんくさくって天然の部下ウサギ。  (仮)の恋人なのに、どうやらオオカミ課長は、ウサギをかまいたくてしかたないようで――???  すれ違いと勘違いと溺愛がすぎる二人の物語。

処理中です...