【これはファンタジーで正解ですか?】燈編

司書Y

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告。新入生諸君

8 利き腕はあけておいて 3

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「怖くて、一人で演習室に入ることができないんだよね?」

 それから、茉優を振り返る。彼女は驚いたような表情で燈を見てから、頬を染めて俯いた。

「顔を上げる。下を向いていたら、警戒はできない」

 語気を強めて、燈は言った。その言葉にびくり。と、茉優は身体を竦めてから、おずおず。と、顔を上げた。その顔にはやっと怯えのような表情ご浮かんだ。

「演習中だ。無駄話は厳禁」

 電算部の演習プログラムは自他ともに認める最高の完成形だ。同じことを繰り返すはかりの、安っぽい仮想現実とは訳が違う。たとえ初心者用とはいえ、異形の強さが違うだけで、現実と遜色ない世界で、五感を残したまま戦わないといけないことに変わりはない。

「これは演習だけど、たった一度しかない電算部の入部適正テストだ。わかってる? 試されてるのは君だ。魔道士だから、身を守れないし、護衛が必要なのはわかる。和先輩も納得したから、俺をつけた。でも、俺はただの盾なんだから、君が考えて動かなきゃいけない」

 言い過ぎている自覚はある。
 一般的に魔光検査は6歳、8歳、10歳、12歳、14歳の計五回行われる。その検査で適正ありとされなければ、特戦学部への入学は認められない。魔光を持っているだけでは適性があるとは認められず、量や質まで問われる。適性があると認められても、中学時には学校でスレイヤーになるための教育は受けない。一般生徒が職業の一つとしてのスレイヤーについて学ぶのと同等の教育を受けるだけだ。
 だから、入学したての彼女に実戦の心構えを要求しても無理なのかもしれない。ただ、自分の意思で入部を決めた彼女は、それが電算部だと知らなければいけない。
 それが、電算部。なのだ。

「怖くて一人では演習プログラムに入れないんだよな?」

 そのときには、もう、燈は気付いていた。
 壁の向こうに何かが蠢いていること。もちろん、目には見えない。廊下を吹き抜ける風や、外の木々のざわめき、何かの出す機械音。当たり前に存在している音以外は何も聞こえない。焦げたような匂いや、病院独特のよどんだ甘いような匂い。それも不自然ではない。そんな五感が感じ取る感覚以外のものすら、この仮想現実の世界は再現している。
 だから、燈は感じ取っていた。

「……盾が一枚増えたくらいで、安心してていいのか?」

 感じ取っていながら、彼女にそれを伝えなかった。身の回りへ注意を払って、いち早く敵を発見することは、肉体を強化するとかそういう問題とは違う。魔光を持つものなら、本能的にできることだ。ただ、その精度は個人の努力で磨いていくしかない。びくびくと、常に臆病に周りを見回すことも、才能の一つだと、燈は思う。

「え?」

 燈の言っている意味を理解しかねているのか、茉優はじっと燈の顔を見てから、あたりをぐるり。と、見渡す。それから、燈が壁の向こう側に存在を感じ取っている何かのいる方向を見て動きを止めた。

「何? これ」

 その表情が変化する。不思議そうな表情から、恐怖へ。

「燈先輩……これ。なに? やだ」

 燈の腕に縋るように寄り添って、茉優は言った。

「利き腕」

 その腕を今度は分かりやすく振り払う。茉優が傷ついたような表情を浮かべる。

「右は利き腕だから塞がないでくれ」

 別に弁明する気はない。邪魔だから振り払ったのは事実だ。しかし、そう付け加えると、茉優は言われた意味を理解したようで、素直に燈から離れた。

「で? どうする?」

 壁の向こうの気配と、茉優の間に立って、燈は尋ねた。

「え?」

 じゃり。と、壁の向こうから何かを踏みしめるような音。異形が移動を始めたらしい。

「まだ、気付かれてないかもしれない」

 最悪の事態を想定するのがスレイヤーの鉄則だ。だから、気付かれていると想定して動いた方がいい。想定したうえで、戦闘で脅威を排除するか、戦闘を回避するか判断を下す。それがこのテストの最初の設問だ。
 答えを出すのは燈の仕事ではない。

「……え? でも」

 困ったような顔で茉優は燈と壁を交互に見た。
 たし。たし。と、続けざま音がする。間違いようがない。相手は移動している。少なくとも足があり、地面を『歩いて』移動するタイプの異形だ。足音の数は一つ。異常な気配も一つだから、一体で間違いはないだろう。燈にはすぐに判断がつくけれど、それも伝えはしない。教えてほしいと言われれば教える。ただ、今、燈は茉優の道具でしかない。それを超えてしまったら、茉優の適正テストにならないからだ。

「えと……」

 彼女が混乱しているのは分かった。
 本物の異形を見たことがないのだろう。環境がいいドーム内で育ったのだったら珍しくはない。燈だって横浜ドームの中で異形を見た経験はあまりない。ただ、燈は祖父に連れられて日常的にドームの外へ出ていた。スレイヤーになりたいと伝えると、祖父はできる限りの方法で彼がこの先対峙していくであろう存在を教えてくれたのだ。
 だから、燈は入学してすぐのころから、それが正解であったかは別として、こんな時でもすぐに判断を下すことができた。

「どうすれば……」

 彼女が逡巡していた時間は、それほど長くはなかったかもしれない。時間にすれば数秒だ。けれど、それは実戦において生死を分けるのには十分な時間だった。

「タイムオーバーだ」

 燈は小さく呟いた。
 スライド式のドアは開いたままだった。いや、ドアは外れかけて、閉じることができなくなっている。
 その開口部に、『それ』は、姿を現した。
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