24 / 69
2 程よい距離感、大事にします
6月 ⑪
しおりを挟む
「7番、札幌北星高校グリークラブ」
女性のアナウンスが始まるのを合図に、颯斗はひとつ深呼吸し、皆を振り返ってから舞台に踏み出した。ライトが眩しくて、反射的に半分目を閉じる。
ゆっくり歩く、と自分に言い聞かせて、上がったひな壇を真っ直ぐ進んだ。背後から皆の足音がするのが心強い。
指先が緊張で震えて、客席に目を遣るのは少し怖かったが、リハーサルで確認した場所で足を止める。1列目の面々も舞台に出てきて、一段低い場所に速やかに並んだ。
曲目の紹介が終わるのと同時に、全員がスタンバイし、秋原と小菅が登場する。拍手が起こると、指揮者とピアニストだけが一礼した。一気に緊張が高まる。
軽やかな前奏が始まった。後は歌うことに集中するだけ。高校生としてのこの舞台は今日が最後だ。悔いの無いようにという共通の思いは、3年生全員の歌に気合いを入れた。
緊張はするけれど、颯斗は舞台で歌うのが好きだ。歌う時に集まる客席からの視線や、歌い終わった後に寄せられる拍手は、平凡な自分をスターにしてくれる。グリー全員でつくるハーモニーがぴたりと嵌り、こちらがやった! と思った時は、客も「おっ」と感じてくれていることがわかる。
列の一番向こうに立つ杉原は、緊張など微塵も無さそうな顔をしていたが、1曲目のコブクロの「桜」は、いつものように声がこちらまで来ない感じがした。
しかしテノールが高い音でメロディを歌う、マスカーニの「アヴェ・マリア」が始まると、杉原の声が教会の鐘のように降り、広がった。
「『アヴェ・マリア、聖なる母よ、過酷な苦しみの中を祈りをもって進む哀れな者を、お守りください』……」
それに鼓舞されるように、他のテノールの声も響き始めたが、やはり訓練を受けている杉原の歌詞の明瞭さは、ホールで歌うとダントツだ。
聖母マリアへの真摯な祈りの歌を、颯斗たちは低音で支える。杉原の歌に何か痛みのようなものが含まれている気がして、颯斗は危うく、鼻の奥をつんとさせてしまいそうだった。
最後はDREAMS COME TRUEの「晴れたらいいね」の短縮版で、明るく締めくくった。 わっと大きな拍手が湧き、全メンバーが秋原の合図に合わせて、客席に向かい頭を下げる。安堵と達成感に包まれ、颯斗は素直に嬉しかった。
タイムスケジュールがかつかつなので余韻に浸っている暇は無く、秋原が手を挙げるとテノールからいそいそと袖に向かった。まだ拍手をしてくれているのは、部員の家族や友人だろうか。颯斗はしんがりで袖に入る前に、ピアノの傍で全員の撤退を待っていた小菅と共に、もう一度客席に一礼しておいた。会場に再度湧いた拍手は、温かかった。
出番が次の合唱団が待機している脇を通ると、お疲れさまでしたと声がかかる。頑張ってくださいと応じてから、颯斗は小菅と一緒に皆が固まっている場所に行った。
「よしよしお疲れ、とりあえず楽屋に戻って、忘れ物の無いようにロビーに行って」
秋原の指示に従い、全員がどやどやと移動した。この時も颯斗は、小菅と共に忘れ物が無いか確認し、最後に楽屋を後にする。このままいったん解散するため、16組200名近くの人間が出入りするこの場所で何か忘れたら、戻ってこない可能性が高いからだ。
ロビーに出ると、グリークラブのOBが数人、小山と一緒に待ち構えていた。少し面倒くさいが、部長として彼らに対応するのも颯斗の仕事だ。こういう時に、OBたちを直接知る小山がいてくれると、本当に助かる。
「テノールにいい声の子入ったんだな、1年じゃないよね?」
30代後半くらいのOBから杉原のことを訊かれて、颯斗が3年だと答えると、その場にいたOBたちがおおっ、と驚きの声を揃えた。そりゃそうだろうなと思う。颯斗は杉原を呼ぼうとしたが、羽田たちとロビーに来ていたはずなのに、姿が無かった。
「あ、トイレにでも行ったんですかね、すみません」
颯斗はOBたちに説明したが、杉原はとっとと客席に向かったのか、やはり捕まえられない。そうこうする間にOBたちとの会話も落ち着いてしまったので、颯斗は2、3の連絡事項を伝達して解散を告げた。
その後現役部員のほぼ全員が、残りの演奏を聴くためにホールに入った。しかし客席にも杉原はおらず、結局颯斗は合唱祭が終わるまで、彼の姿を見つけることができなかった。
女性のアナウンスが始まるのを合図に、颯斗はひとつ深呼吸し、皆を振り返ってから舞台に踏み出した。ライトが眩しくて、反射的に半分目を閉じる。
ゆっくり歩く、と自分に言い聞かせて、上がったひな壇を真っ直ぐ進んだ。背後から皆の足音がするのが心強い。
指先が緊張で震えて、客席に目を遣るのは少し怖かったが、リハーサルで確認した場所で足を止める。1列目の面々も舞台に出てきて、一段低い場所に速やかに並んだ。
曲目の紹介が終わるのと同時に、全員がスタンバイし、秋原と小菅が登場する。拍手が起こると、指揮者とピアニストだけが一礼した。一気に緊張が高まる。
軽やかな前奏が始まった。後は歌うことに集中するだけ。高校生としてのこの舞台は今日が最後だ。悔いの無いようにという共通の思いは、3年生全員の歌に気合いを入れた。
緊張はするけれど、颯斗は舞台で歌うのが好きだ。歌う時に集まる客席からの視線や、歌い終わった後に寄せられる拍手は、平凡な自分をスターにしてくれる。グリー全員でつくるハーモニーがぴたりと嵌り、こちらがやった! と思った時は、客も「おっ」と感じてくれていることがわかる。
列の一番向こうに立つ杉原は、緊張など微塵も無さそうな顔をしていたが、1曲目のコブクロの「桜」は、いつものように声がこちらまで来ない感じがした。
しかしテノールが高い音でメロディを歌う、マスカーニの「アヴェ・マリア」が始まると、杉原の声が教会の鐘のように降り、広がった。
「『アヴェ・マリア、聖なる母よ、過酷な苦しみの中を祈りをもって進む哀れな者を、お守りください』……」
それに鼓舞されるように、他のテノールの声も響き始めたが、やはり訓練を受けている杉原の歌詞の明瞭さは、ホールで歌うとダントツだ。
聖母マリアへの真摯な祈りの歌を、颯斗たちは低音で支える。杉原の歌に何か痛みのようなものが含まれている気がして、颯斗は危うく、鼻の奥をつんとさせてしまいそうだった。
最後はDREAMS COME TRUEの「晴れたらいいね」の短縮版で、明るく締めくくった。 わっと大きな拍手が湧き、全メンバーが秋原の合図に合わせて、客席に向かい頭を下げる。安堵と達成感に包まれ、颯斗は素直に嬉しかった。
タイムスケジュールがかつかつなので余韻に浸っている暇は無く、秋原が手を挙げるとテノールからいそいそと袖に向かった。まだ拍手をしてくれているのは、部員の家族や友人だろうか。颯斗はしんがりで袖に入る前に、ピアノの傍で全員の撤退を待っていた小菅と共に、もう一度客席に一礼しておいた。会場に再度湧いた拍手は、温かかった。
出番が次の合唱団が待機している脇を通ると、お疲れさまでしたと声がかかる。頑張ってくださいと応じてから、颯斗は小菅と一緒に皆が固まっている場所に行った。
「よしよしお疲れ、とりあえず楽屋に戻って、忘れ物の無いようにロビーに行って」
秋原の指示に従い、全員がどやどやと移動した。この時も颯斗は、小菅と共に忘れ物が無いか確認し、最後に楽屋を後にする。このままいったん解散するため、16組200名近くの人間が出入りするこの場所で何か忘れたら、戻ってこない可能性が高いからだ。
ロビーに出ると、グリークラブのOBが数人、小山と一緒に待ち構えていた。少し面倒くさいが、部長として彼らに対応するのも颯斗の仕事だ。こういう時に、OBたちを直接知る小山がいてくれると、本当に助かる。
「テノールにいい声の子入ったんだな、1年じゃないよね?」
30代後半くらいのOBから杉原のことを訊かれて、颯斗が3年だと答えると、その場にいたOBたちがおおっ、と驚きの声を揃えた。そりゃそうだろうなと思う。颯斗は杉原を呼ぼうとしたが、羽田たちとロビーに来ていたはずなのに、姿が無かった。
「あ、トイレにでも行ったんですかね、すみません」
颯斗はOBたちに説明したが、杉原はとっとと客席に向かったのか、やはり捕まえられない。そうこうする間にOBたちとの会話も落ち着いてしまったので、颯斗は2、3の連絡事項を伝達して解散を告げた。
その後現役部員のほぼ全員が、残りの演奏を聴くためにホールに入った。しかし客席にも杉原はおらず、結局颯斗は合唱祭が終わるまで、彼の姿を見つけることができなかった。
13
あなたにおすすめの小説
坂木兄弟が家にやってきました。
風見鶏ーKazamidoriー
BL
父子家庭のマイホームに暮らす|鷹野《たかの》|楓《かえで》は家事をこなす高校生。ある日、父の再婚話が持ちあがり相手の家族とひとつ屋根のしたで生活することに、再婚相手には年の近い息子たちがいた。
ふてぶてしい兄弟に楓は手を焼きながら、しだいに惹かれていく。
サラリーマン二人、酔いどれ同伴
風
BL
久しぶりの飲み会!
楽しむ佐万里(さまり)は後輩の迅蛇(じんだ)と翌朝ベッドの上で出会う。
「……え、やった?」
「やりましたね」
「あれ、俺は受け?攻め?」
「受けでしたね」
絶望する佐万里!
しかし今週末も仕事終わりには飲み会だ!
こうして佐万里は同じ過ちを繰り返すのだった……。
王様のナミダ
白雨あめ
BL
全寮制男子高校、箱夢学園。 そこで風紀副委員長を努める桜庭篠は、ある夜久しぶりの夢をみた。
端正に整った顔を歪め、大粒の涙を流す綺麗な男。俺様生徒会長が泣いていたのだ。
驚くまもなく、学園に転入してくる王道転校生。彼のはた迷惑な行動から、俺様会長と風紀副委員長の距離は近づいていく。
※会長受けです。
駄文でも大丈夫と言ってくれる方、楽しんでいただけたら嬉しいです。
元カノの弟と同居を始めます?
結衣可
BL
元カノに「弟と一緒に暮らしてほしい」と頼まれ、半年限定で同居を始めた篠原聡と三浦蒼。
気まずいはずの関係は、次第に穏やかな日常へと変わっていく。
不器用で優しい聡と、まっすぐで少し甘えたがりな蒼。
生活の中の小さな出来事――食卓、寝起き、待つ夜――がふたりの距離を少しずつ縮めていった。
期限が近づく不安や、蒼の「終わりたくない」という気持ちに、聡もまた気づかないふりができなくなる。
二人の穏やかな日常がお互いの存在を大きくしていく。
“元カノの弟”から“かけがえのない恋人”へ――
ルームメイトが釣り系男子だった件について
perari
BL
ネット小説家として活動している僕には、誰にも言えない秘密がある。
それは——クールで無愛想なルームメイトが、僕の小説の主人公だということ。
ずっと隠してきた。
彼にバレないように、こっそり彼を観察しながら執筆してきた。
でも、ある日——
彼は偶然、僕の小説を読んでしまったらしい。
真っ赤な目で僕を見つめながら、彼は震える声でこう言った。
「……じゃあ、お前が俺に優しくしてたのって……好きだからじゃなくて、ネタにするためだったのか?」
きっと世界は美しい
木原あざみ
BL
人気者美形×根暗。自分に自信のないトラウマ持ちがはじめての恋に四苦八苦する話です。
**
本当に幼いころ、世界は優しく正しいのだと信じていた。けれど、それはただの幻想だ。世界は不平等で、こんなにも息苦しい。
それなのに、世界の中心で笑っているような男に恋をしてしまった……というような話です。
大学生同士。リア充美形と根暗くんがアパートのお隣さんになったことで始まる恋の話。少しでも楽しんでいただければ嬉しいです。
灰かぶり君
渡里あずま
BL
谷出灰(たに いずりは)十六歳。平凡だが、職業(ケータイ小説家)はちょっと非凡(本人談)。
お嬢様学校でのガールズライフを書いていた彼だったがある日、担当から「次は王道学園物(BL)ね♪」と無茶振りされてしまう。
「出灰君は安心して、王道君を主人公にした王道学園物を書いてちょうだい!」
「……禿げる」
テンション低め(脳内ではお喋り)な主人公の運命はいかに?
※重複投稿作品※
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる