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給料日前ということもあり、客の入りが良いとは言えなかったが、常連客がちらほらと顔を出し始めた。皆早い目の夕食を済ませて、軽く飲みに来るのだ。めぎつねはママを含め、スタッフの全員が兼業なので、この界隈の店の中では、営業時間が前倒しである。
ホステスたちは店が混む前に、近所の弁当屋が持って来てくれる賄い夕飯を順番に摂る。最後に食事を終え、歯を磨き口紅を直した晴也が再び店に出ると、ちょうどドアにぶら下がるベルが音を立てた。
晴也は客の姿に身体をこわばらせた。ショウこと、吉岡晶だった。前髪を軽く上げ、コートの下からセーターとジーンズが覗いている。銀縁の眼鏡を除けば、彼は営業担当の吉岡ではなく、ショウとしてやって来たということらしかった。
「おっ、ほんとに来てくれたんだ、いらっしゃい」
ミチルが彼に声をかけ、常連の男性と話していたナツミがそちらに目をやった。
「こんばんは、みちおさんロングヘア似合いますね」
ショウは感じの良い笑顔で言う。みちおって呼ぶな、とミチルが突っ込んでいるのを見ながら、晴也は何処かに隠れたい気持ちになった。
予約席の扱いで、ミチルが彼をカウンター席に導いた。ママも笑顔になる。
「あなたがミチルとハルちゃんの贔屓のダンサーさん? うちの子たちが世話になります」
「ショウです、よろしくお願いします……ミチルさんの贔屓はうちのリーダーです、私がハルさん推しかな」
ショウがカウンターの中に引っ込もうとする晴也に視線を送りながら言う。晴也はママに作り笑いを向けて、顔に血が昇ってくるのを意志の力で抑え込もうと必死になった。
「あーらら、ハルちゃん恥ずかしがってる、結構おぼこいからからかわないでやってよ」
晴也はママの笑い混じりの言葉につい憮然となる。何でそういうことになるんだ。
ビールサーバーを扱ったり、ハイボールを作ったりするのには慣れた。晴也はショウに胸の内で毒づきながらビールをグラスに注ぐ。おまえ、余計なこと言ったら道連れってこと忘れんなよ。
ショウはカウンターからビールを出す晴也の手に視線を送る。黒子を見ているのだと気づき、手を引っ込めた。彼は何でもないように話を始める。
「ハルさんはここで仕事を始めてどれくらいなんですか?」
「……もうすぐ8ヶ月です」
「週2日って言ってましたよね、実質3ヶ月半ってことか」
ママがミックスナッツを小皿に移しながら、豪快に笑った。
「ショウさんの発想、サラリーマンだなぁ……ミチルもあっちのナツミも週3だから、うちの子は皆のんびり成長なんだ」
「基本サラリーマンですから……私も舞台は週3です」
「そうなんだ、3日ともあそこ?」
「あっちが2日で別のとこで1日です」
ミチルは余計な気遣いを見せて、他の常連客に水割りを運んだついでにそこに落ち着いていた。ナツミもカウンターに来たかと思うと、用事を済ませてとっととその場を離れてしまう。
遂に頼みのママまでがグループ客に呼ばれてしまい、晴也がショウの相手をせざるを得ない状況に陥る。
「福原さん、何か怒ってます?」
ショウは小声で言った。晴也はママが見たら怒りそうなほど、口をへの字に曲げる。
「福原って呼ぶな」
「ごめんなさいハルさん、あー昼も夜も可愛いなあ……どんなパラダイスなんだこれ」
何言ってんだよこいつは。晴也は必要以上に冷ややかに言ってしまう。
「もう酔いましたか? 酒弱いんですね」
「まさか、ハルさん飲まない? 何ならボトル入れてもいい勢いなんだけど」
調子の良いショウに持って行かれそうで怖い。だいぶ店での接客にも慣れたが、元がコミュ障気味の上、口説く気で接してくる相手をあしらう術など、知らない。
晴也は酒には強い。潰してお持ち帰りなんかさせねぇからな、と考え、お持ち帰りって何なんだと勝手に恥じ入った。
「今日いきなり入れて二度と来ないようなことになったら、もったいないですよ」
晴也の返事に、ショウは目を見開き、突っ伏して肩を揺する。笑っているとわかり、晴也はまた憮然とした。
「ショウさんのために言ってんだけど?」
「ボトル入れさせないバーなんて初体験」
「気紛れに金を使うなって言ってやってるんだよ」
このバーのホステスは女言葉を原則使わない。それ以上に晴也の口調はやや雑になっていて、ショウは何故かそれに受けた。
そこにママが戻って来て、やたらに楽しげな新規客と膨れっ面の新人を見比べる。
「どうしたの、ハルちゃん遊ばれた?」
「いやママ、ボトル入れよっかって言ったら、気紛れにそんなことするなって叱られました」
ショウの言葉にママまで笑う。
「ハルちゃん、客の気紛れは大いに利用しよう……入れてもらって飲ませてもらえよ」
晴也ははい、と小さく応じて、パウチされた酒のリストをショウに渡した。リストを少し顔に近づける辺り、近眼のようだ。晴也が店に出る時と同じように、踊る時はコンタクトに換えているのだろうか。
ホステスたちは店が混む前に、近所の弁当屋が持って来てくれる賄い夕飯を順番に摂る。最後に食事を終え、歯を磨き口紅を直した晴也が再び店に出ると、ちょうどドアにぶら下がるベルが音を立てた。
晴也は客の姿に身体をこわばらせた。ショウこと、吉岡晶だった。前髪を軽く上げ、コートの下からセーターとジーンズが覗いている。銀縁の眼鏡を除けば、彼は営業担当の吉岡ではなく、ショウとしてやって来たということらしかった。
「おっ、ほんとに来てくれたんだ、いらっしゃい」
ミチルが彼に声をかけ、常連の男性と話していたナツミがそちらに目をやった。
「こんばんは、みちおさんロングヘア似合いますね」
ショウは感じの良い笑顔で言う。みちおって呼ぶな、とミチルが突っ込んでいるのを見ながら、晴也は何処かに隠れたい気持ちになった。
予約席の扱いで、ミチルが彼をカウンター席に導いた。ママも笑顔になる。
「あなたがミチルとハルちゃんの贔屓のダンサーさん? うちの子たちが世話になります」
「ショウです、よろしくお願いします……ミチルさんの贔屓はうちのリーダーです、私がハルさん推しかな」
ショウがカウンターの中に引っ込もうとする晴也に視線を送りながら言う。晴也はママに作り笑いを向けて、顔に血が昇ってくるのを意志の力で抑え込もうと必死になった。
「あーらら、ハルちゃん恥ずかしがってる、結構おぼこいからからかわないでやってよ」
晴也はママの笑い混じりの言葉につい憮然となる。何でそういうことになるんだ。
ビールサーバーを扱ったり、ハイボールを作ったりするのには慣れた。晴也はショウに胸の内で毒づきながらビールをグラスに注ぐ。おまえ、余計なこと言ったら道連れってこと忘れんなよ。
ショウはカウンターからビールを出す晴也の手に視線を送る。黒子を見ているのだと気づき、手を引っ込めた。彼は何でもないように話を始める。
「ハルさんはここで仕事を始めてどれくらいなんですか?」
「……もうすぐ8ヶ月です」
「週2日って言ってましたよね、実質3ヶ月半ってことか」
ママがミックスナッツを小皿に移しながら、豪快に笑った。
「ショウさんの発想、サラリーマンだなぁ……ミチルもあっちのナツミも週3だから、うちの子は皆のんびり成長なんだ」
「基本サラリーマンですから……私も舞台は週3です」
「そうなんだ、3日ともあそこ?」
「あっちが2日で別のとこで1日です」
ミチルは余計な気遣いを見せて、他の常連客に水割りを運んだついでにそこに落ち着いていた。ナツミもカウンターに来たかと思うと、用事を済ませてとっととその場を離れてしまう。
遂に頼みのママまでがグループ客に呼ばれてしまい、晴也がショウの相手をせざるを得ない状況に陥る。
「福原さん、何か怒ってます?」
ショウは小声で言った。晴也はママが見たら怒りそうなほど、口をへの字に曲げる。
「福原って呼ぶな」
「ごめんなさいハルさん、あー昼も夜も可愛いなあ……どんなパラダイスなんだこれ」
何言ってんだよこいつは。晴也は必要以上に冷ややかに言ってしまう。
「もう酔いましたか? 酒弱いんですね」
「まさか、ハルさん飲まない? 何ならボトル入れてもいい勢いなんだけど」
調子の良いショウに持って行かれそうで怖い。だいぶ店での接客にも慣れたが、元がコミュ障気味の上、口説く気で接してくる相手をあしらう術など、知らない。
晴也は酒には強い。潰してお持ち帰りなんかさせねぇからな、と考え、お持ち帰りって何なんだと勝手に恥じ入った。
「今日いきなり入れて二度と来ないようなことになったら、もったいないですよ」
晴也の返事に、ショウは目を見開き、突っ伏して肩を揺する。笑っているとわかり、晴也はまた憮然とした。
「ショウさんのために言ってんだけど?」
「ボトル入れさせないバーなんて初体験」
「気紛れに金を使うなって言ってやってるんだよ」
このバーのホステスは女言葉を原則使わない。それ以上に晴也の口調はやや雑になっていて、ショウは何故かそれに受けた。
そこにママが戻って来て、やたらに楽しげな新規客と膨れっ面の新人を見比べる。
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「いやママ、ボトル入れよっかって言ったら、気紛れにそんなことするなって叱られました」
ショウの言葉にママまで笑う。
「ハルちゃん、客の気紛れは大いに利用しよう……入れてもらって飲ませてもらえよ」
晴也ははい、と小さく応じて、パウチされた酒のリストをショウに渡した。リストを少し顔に近づける辺り、近眼のようだ。晴也が店に出る時と同じように、踊る時はコンタクトに換えているのだろうか。
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