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5 急転
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「防犯カメラの映像を警察に出すぞっ」
「たぶん写ってない」
右上を見て、晴也は自分たちがカメラの死角に立っていることを知り絶望した。行き先ボタンを押してください、と、エレベーターが無機質な声で催促してきた。
「このエレベーターゆっくりだから、1階に着くまでこうしていようよ」
晶は左腕で晴也を締め上げ、右腕を伸ばして1のボタンを押す。エレベーターはもったりと下降し始めた。誰か乗ってきてくれ。晴也は祈ったが、昼休みが終わった直後なので、あまり期待できない。
「福原さん定時上がり?」
「だったら何なんだよ!」
「めぎつねに出るまでにお茶飲む時間無い?」
「無いっ、化粧に時間がかかるからっ」
晴也は半ば叫びながら、自分を拘束している男からふわりといい匂いがするのに気づく。ややオリエンタルで、控えめに主張してくるそれは、香水ではない。スーツに香を焚きしめているのか。
「……まあいいか、今日は少し話せた」
「抱きついてるだろ、十分だっ」
耳のそばで話されるのを頭で避けながら、晴也は言う。息が上がってきて、頭がぼんやりする。他人の体温や息遣いをこんな距離で感じたことが無い晴也には、現状が困惑と羞恥の種でしかない。
しかしこいつの身体、あったかいな。もっと筋肉でガチガチなのかと思ったけど、案外柔らかいような。
思っているうちに、エレベーターが1階に着いた。晶の腕の拘束が緩む。晴也はほんの一瞬、もう終わりかと残念なような気持ちになったが、大急ぎでその思いを全否定した。ドアが開くと、腕を振り払い走って外に飛び出して、冷たい空気を何度も肺に入れた。
悠然とエレベーターから出てきた晶は、何事も無かったように晴也に並ぶ。身体をこちらに向けて、優雅に頭を下げた。
「本日はありがとうございました、これからもご指導ご鞭撻よろしくお願いいたします」
あ、はい、こちらこそ、と晴也は吃りながら応えた。人目が無ければ殴りたいところだった。
「福原さん」
晶は眼鏡の奥の目を少し細めて言う。
「仕事でのご厚情も嬉しいんだけど、プライベートで俺とお茶してメシ食って、映画館と遊園地と水族館に行ってセックスしてくれますか?」
さらりと言われて晴也は目を剥いた。また顔に血が昇って来る。大声が出そうになるのを、必死で堪えた。
「……セックスはしない、あんたとは友達だ」
拒否のつもりなのに、平凡なスーツを身につけたダンサーは笑顔になった。
「あっ友達に昇格してくれるんだ、抱き合うのアリの友達って認識でいいんですね?」
「さっきのはあんたの強要だ、調子に乗るな」
晶は晴也の攻撃を完全に面白がっていた。
「おかげで俺今夜一晩中抜けますよ」
最近別の人間の口から同じ言葉を聞いた気がしたが、下品な返しにますます晴也の頭に血が昇る。
「……ちんこがずる剥けになるまで抜きやがれ、くそ野郎」
晶は楽しげに口の端を上げて、異様に目を輝かせる。
「そうなったら手当てしてくれる?」
「塩を擦り込んでやるよ」
変態じゃないのか、こいつ。何でこんな嬉しげな顔してるんだ。
「楽しみにしてる」
晴也は遂に舌打ちした。我慢の限界である。
「塩1トン用意して待っててやる」
というか今こいつに塩撒きたい。晶はじゃ、と爽やかに言って、大きなストライドでビルを出て行った。ムカつく! 晴也は肩で息をしながら、怒りと羞恥を鎮めようとした。このまま部屋に戻ると、誰に何を突っ込まれるかわからない。
何でこんなやり取りになったんだ? 晴也は口をへの字にし、エレベーターに乗って、4階に戻る。案の定、早川が晴也を待ち構えていた。
「遅かったな、何かややこしい話でも出たのか?」
「いいえ、吉岡さん割とおしゃべりなんでアガタさんの話を伺ってました」
晴也は、ちんこがどうこうという下劣な会話を脳内で打ち消しながら嘘を並べた。
「アガタ?」
「前回吉岡さんといらした、インドネシア人の女性社員です」
早川はふうん、と呟く。彼は晶の会社の案件に興味があったようだった。課長が自ら担当を務め、営業事務の晴也が交渉の代行(今日は単なる雑談だが)をしているのが、やや不満らしい。
「おまえあの人とは随分打ち解けてるんだな」
早川に言われて晴也はどきっとしたが、気持ちの揺れを隠す自信はあった。
「そうですか? 確かにあの人、接してて気持ちいいんですよ、俺がコミュ障でも馬鹿にする態度を取らないし」
「おまえはそもそもコミュ障じゃないだろうが」
早川のやや強い口調に違和感があったが、晴也はコミュ障らしく会話を打ち切る。隣の席の久保は外回りの準備をしていたが、不思議なものでも見るような目をこちらに向けている。何だよ、という無言の圧力を視線に籠めて、晴也は生意気な後輩をじろりと見た。
「福原さんこっわ、睨まれた……」
久保は言いながらその場を離れたが、いつものヘラヘラ笑いは姿を消していた。早川まで自分を変な目で見ている。
晴也はようやく、自分が「無愛想で最低限の仕事しかしない存在感の薄い社員」を演じ切れていないことに気づいた。もう退勤まで誰とも口はきくまいと決めて、晶の置いて帰った紙袋を手に、隣の総務部の部屋に向かった。
今日は晶は舞台があるから、めぎつねにはやって来ないだろう。ひと息つけそうではあるが、美智生がいろいろ言って来そうだ。これも対策を練る必要がありそうだった。
「たぶん写ってない」
右上を見て、晴也は自分たちがカメラの死角に立っていることを知り絶望した。行き先ボタンを押してください、と、エレベーターが無機質な声で催促してきた。
「このエレベーターゆっくりだから、1階に着くまでこうしていようよ」
晶は左腕で晴也を締め上げ、右腕を伸ばして1のボタンを押す。エレベーターはもったりと下降し始めた。誰か乗ってきてくれ。晴也は祈ったが、昼休みが終わった直後なので、あまり期待できない。
「福原さん定時上がり?」
「だったら何なんだよ!」
「めぎつねに出るまでにお茶飲む時間無い?」
「無いっ、化粧に時間がかかるからっ」
晴也は半ば叫びながら、自分を拘束している男からふわりといい匂いがするのに気づく。ややオリエンタルで、控えめに主張してくるそれは、香水ではない。スーツに香を焚きしめているのか。
「……まあいいか、今日は少し話せた」
「抱きついてるだろ、十分だっ」
耳のそばで話されるのを頭で避けながら、晴也は言う。息が上がってきて、頭がぼんやりする。他人の体温や息遣いをこんな距離で感じたことが無い晴也には、現状が困惑と羞恥の種でしかない。
しかしこいつの身体、あったかいな。もっと筋肉でガチガチなのかと思ったけど、案外柔らかいような。
思っているうちに、エレベーターが1階に着いた。晶の腕の拘束が緩む。晴也はほんの一瞬、もう終わりかと残念なような気持ちになったが、大急ぎでその思いを全否定した。ドアが開くと、腕を振り払い走って外に飛び出して、冷たい空気を何度も肺に入れた。
悠然とエレベーターから出てきた晶は、何事も無かったように晴也に並ぶ。身体をこちらに向けて、優雅に頭を下げた。
「本日はありがとうございました、これからもご指導ご鞭撻よろしくお願いいたします」
あ、はい、こちらこそ、と晴也は吃りながら応えた。人目が無ければ殴りたいところだった。
「福原さん」
晶は眼鏡の奥の目を少し細めて言う。
「仕事でのご厚情も嬉しいんだけど、プライベートで俺とお茶してメシ食って、映画館と遊園地と水族館に行ってセックスしてくれますか?」
さらりと言われて晴也は目を剥いた。また顔に血が昇って来る。大声が出そうになるのを、必死で堪えた。
「……セックスはしない、あんたとは友達だ」
拒否のつもりなのに、平凡なスーツを身につけたダンサーは笑顔になった。
「あっ友達に昇格してくれるんだ、抱き合うのアリの友達って認識でいいんですね?」
「さっきのはあんたの強要だ、調子に乗るな」
晶は晴也の攻撃を完全に面白がっていた。
「おかげで俺今夜一晩中抜けますよ」
最近別の人間の口から同じ言葉を聞いた気がしたが、下品な返しにますます晴也の頭に血が昇る。
「……ちんこがずる剥けになるまで抜きやがれ、くそ野郎」
晶は楽しげに口の端を上げて、異様に目を輝かせる。
「そうなったら手当てしてくれる?」
「塩を擦り込んでやるよ」
変態じゃないのか、こいつ。何でこんな嬉しげな顔してるんだ。
「楽しみにしてる」
晴也は遂に舌打ちした。我慢の限界である。
「塩1トン用意して待っててやる」
というか今こいつに塩撒きたい。晶はじゃ、と爽やかに言って、大きなストライドでビルを出て行った。ムカつく! 晴也は肩で息をしながら、怒りと羞恥を鎮めようとした。このまま部屋に戻ると、誰に何を突っ込まれるかわからない。
何でこんなやり取りになったんだ? 晴也は口をへの字にし、エレベーターに乗って、4階に戻る。案の定、早川が晴也を待ち構えていた。
「遅かったな、何かややこしい話でも出たのか?」
「いいえ、吉岡さん割とおしゃべりなんでアガタさんの話を伺ってました」
晴也は、ちんこがどうこうという下劣な会話を脳内で打ち消しながら嘘を並べた。
「アガタ?」
「前回吉岡さんといらした、インドネシア人の女性社員です」
早川はふうん、と呟く。彼は晶の会社の案件に興味があったようだった。課長が自ら担当を務め、営業事務の晴也が交渉の代行(今日は単なる雑談だが)をしているのが、やや不満らしい。
「おまえあの人とは随分打ち解けてるんだな」
早川に言われて晴也はどきっとしたが、気持ちの揺れを隠す自信はあった。
「そうですか? 確かにあの人、接してて気持ちいいんですよ、俺がコミュ障でも馬鹿にする態度を取らないし」
「おまえはそもそもコミュ障じゃないだろうが」
早川のやや強い口調に違和感があったが、晴也はコミュ障らしく会話を打ち切る。隣の席の久保は外回りの準備をしていたが、不思議なものでも見るような目をこちらに向けている。何だよ、という無言の圧力を視線に籠めて、晴也は生意気な後輩をじろりと見た。
「福原さんこっわ、睨まれた……」
久保は言いながらその場を離れたが、いつものヘラヘラ笑いは姿を消していた。早川まで自分を変な目で見ている。
晴也はようやく、自分が「無愛想で最低限の仕事しかしない存在感の薄い社員」を演じ切れていないことに気づいた。もう退勤まで誰とも口はきくまいと決めて、晶の置いて帰った紙袋を手に、隣の総務部の部屋に向かった。
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