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9 結花
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晴也はカーラーで巻いた前髪の形が少し気に入らなかったが、時間が無いので触るのをやめた。洗面所の鏡の前で一周し、よし、と独りごちて玄関に向かった。コートを羽織り、マフラーの形を整える。昨日履いたのとは別の、少しこなれたブーツにタイツの足を入れ、ショルダーバッグとサブバッグを持つ。
今日の外出は晴也の女装人生を賭けた戦闘である。昨日より出発が早く、夜陰に紛れることはできないし、今日の目的地は、女装男子であるとバレてもそんなに奇異と見做されない新宿2丁目ではなく、本物のオシャレな女子がひしめく華やかな都会(というのが晴也のイメージである)・渋谷だ。
晶とは新宿で合流出来るが、面倒くさいので渋谷のハチ公口で待ち合わせている。晴也はやや緊張しながら山手線に乗り、ほとんど降りたことのない駅で戸惑いを隠しつつ歩いた。
約束の時刻の5分前だったが、くそダンサーはハチ公像から2メートルほど離れた場所に立っていた。今日は彼は眼鏡をかけていない。晴也共々、コンタクトで夜のお仕事モードということらしい。ロングコートとブーツですらりと立つ姿は、割に目立つ。
「おはよう、ハルさん」
午後2時だが業界挨拶をして来た晶は、晴也に気づいて笑顔になった。爽やかなイケメンぶりに苛立ちと照れを同時に覚えた。彼は晴也の持つサブバッグにすぐに目を移す。
「……着替え?」
晴也が黙って頷くと、彼はサブバッグを晴也の手から引き取った。
「あ、いいから……」
「いいよ、行こう」
スクランブル交差点を進む自分たちに、前から来る若いカップルが視線を送ってくる。もうゲームオーバーかと晴也はひやりとした。
「え、モデル?」
すれ違い様にカップルの女の子の声が聞こえた。ああ、ショウさんを見てたのか。
「モデルだったらも少し身長あるんじゃね?」
「でも2人ともめちゃスラッとしてた」
丸聞こえの会話に晴也は思わず笑う。晶も苦笑を見せた。
「……自覚無さそうだから言うけど、女になるとハルさんは何故か目立つんだよな」
「……やっぱりどっか普通じゃないんだろうな」
「あの子らの話を聞く限り、そういう意味では無さそうだけど」
晶が言い終わると、信号が点滅した。横断歩道を渡り切るべく足を早める。彼のストライドが大きくて、晴也は小走りになってしまう。
普段往き来している場所よりも、いろんな人が歩いているなと晴也は思いつつ、晶について映画館を目指す。道玄坂を登り横道に入ったところのビルの中に、その映画館はあった。晴也がきょろきょろしている間に晶は入場券を買っていて、デートらしくエスコートしてくれた。映画館など大学生の時以来来ていない。みだりに食べ物を売っていない、今時のシネコンではない館内が懐かしかった。
「何処で見るのが好き?」
晶に訊かれて、後ろの真ん中の席を目指す。席は思ったより埋まっていて、ど真ん中には座れなかったが、良い位置取りに晴也は満足した。
上映時間になれば辺りが暗くなるので、晴也はコートを膝にかけて脚を楽にして座る。ブーツも脱いで足の指を握ったり開いたりしていると、それに気づいた晶がくすっと笑った。
「女の靴は先が細いんだよ! こんなの履いてるからみんな外反母趾になるんだ」
晴也は二つ右の席に座るカップルに聞こえないよう、小声で言った。晶が応じる。
「確かにな……後で気持ちいい解し方教えてあげる」
「……足の指以外は解していらないからな」
「何考えてるの? エロいニュアンス?」
晴也は晶の二の腕をつねる。筋肉が硬くてつまみにくかったが、晶は身体をよじった。
何かと納得いかないデートではあるが、映画は文句無しに面白かった。ジーン・ケリーは別にイケメンではないがとにかく芸達者で魅せてくれるし、デビー・レイノルズが美しい。吹き替え女優に甘んじていたキャシーのサクセス・ストーリーでもあるのだなと、晴也は映画の新しい一面を発見した。
「優弥さんのダンスって、ちょっとジーン・ケリーっぽいよね」
晴也は映画の後に買ったパンフレットを鞄に入れながら言った。晶はなるほど、と言う。
「仕草とか表情とか? でもタップは俺のほうが得意だよ」
晴也はふっ、と笑ってやった。
「対抗意識出してくるのか、小さい男だな」
「いやいや、客観的な話だけど?」
「じゃあ来年タップやれよ」
リクエストはあるんだけどな、と晶は言った。
「あまりやりたくないかも」
晴也はへ? と言って彼を覗き込む。
「タップの練習し過ぎたのも膝壊した一因だったから」
あ、と晴也は声を落とした。素敵だったね、と言いながら、若い3人の女の子が晴也たちを追い抜かして映画館を出て行く。
「喉渇いただろ、お茶飲もう」
晶はさらりと言って晴也の先に立つ。すぐ近くの穴場っぽい喫茶店に導かれた。内装がカントリー風なのと、小さくジャズが流れているのがシックで洒落ている。コーヒーが売りの様子だったが、紅茶もいけると晶は言い、ケーキセットを頼む。
「順調に化けてらっしゃいますね、お嬢様」
「見事なものだろう、吉岡?」
何処の執事だと思いながら晴也は椅子にふんぞり返る。晶はくくっと笑った。隣の席に親子らしき女性の2人連れが来たので、晴也は姿勢を改め、ポーチ片手にトイレに向かう。
トイレ問題は切実だ。さっき映画館で行こうと思ったのだが、男女に分かれていると、今日の晴也はどちらにも入れない(女子トイレに入るのは論外である)。所謂多機能トイレを使うと、もし車椅子の人などが来たら申し訳ないし、こういった喫茶店のトイレが最も使いやすいのだ。
軽くファンデーションを直してトイレを出ると、ちょうど紅茶のポットとケーキを、店員が運んで来ていた。昨日空想していた光景が早くも現実化したことを、晴也は不思議に思う。
今日の外出は晴也の女装人生を賭けた戦闘である。昨日より出発が早く、夜陰に紛れることはできないし、今日の目的地は、女装男子であるとバレてもそんなに奇異と見做されない新宿2丁目ではなく、本物のオシャレな女子がひしめく華やかな都会(というのが晴也のイメージである)・渋谷だ。
晶とは新宿で合流出来るが、面倒くさいので渋谷のハチ公口で待ち合わせている。晴也はやや緊張しながら山手線に乗り、ほとんど降りたことのない駅で戸惑いを隠しつつ歩いた。
約束の時刻の5分前だったが、くそダンサーはハチ公像から2メートルほど離れた場所に立っていた。今日は彼は眼鏡をかけていない。晴也共々、コンタクトで夜のお仕事モードということらしい。ロングコートとブーツですらりと立つ姿は、割に目立つ。
「おはよう、ハルさん」
午後2時だが業界挨拶をして来た晶は、晴也に気づいて笑顔になった。爽やかなイケメンぶりに苛立ちと照れを同時に覚えた。彼は晴也の持つサブバッグにすぐに目を移す。
「……着替え?」
晴也が黙って頷くと、彼はサブバッグを晴也の手から引き取った。
「あ、いいから……」
「いいよ、行こう」
スクランブル交差点を進む自分たちに、前から来る若いカップルが視線を送ってくる。もうゲームオーバーかと晴也はひやりとした。
「え、モデル?」
すれ違い様にカップルの女の子の声が聞こえた。ああ、ショウさんを見てたのか。
「モデルだったらも少し身長あるんじゃね?」
「でも2人ともめちゃスラッとしてた」
丸聞こえの会話に晴也は思わず笑う。晶も苦笑を見せた。
「……自覚無さそうだから言うけど、女になるとハルさんは何故か目立つんだよな」
「……やっぱりどっか普通じゃないんだろうな」
「あの子らの話を聞く限り、そういう意味では無さそうだけど」
晶が言い終わると、信号が点滅した。横断歩道を渡り切るべく足を早める。彼のストライドが大きくて、晴也は小走りになってしまう。
普段往き来している場所よりも、いろんな人が歩いているなと晴也は思いつつ、晶について映画館を目指す。道玄坂を登り横道に入ったところのビルの中に、その映画館はあった。晴也がきょろきょろしている間に晶は入場券を買っていて、デートらしくエスコートしてくれた。映画館など大学生の時以来来ていない。みだりに食べ物を売っていない、今時のシネコンではない館内が懐かしかった。
「何処で見るのが好き?」
晶に訊かれて、後ろの真ん中の席を目指す。席は思ったより埋まっていて、ど真ん中には座れなかったが、良い位置取りに晴也は満足した。
上映時間になれば辺りが暗くなるので、晴也はコートを膝にかけて脚を楽にして座る。ブーツも脱いで足の指を握ったり開いたりしていると、それに気づいた晶がくすっと笑った。
「女の靴は先が細いんだよ! こんなの履いてるからみんな外反母趾になるんだ」
晴也は二つ右の席に座るカップルに聞こえないよう、小声で言った。晶が応じる。
「確かにな……後で気持ちいい解し方教えてあげる」
「……足の指以外は解していらないからな」
「何考えてるの? エロいニュアンス?」
晴也は晶の二の腕をつねる。筋肉が硬くてつまみにくかったが、晶は身体をよじった。
何かと納得いかないデートではあるが、映画は文句無しに面白かった。ジーン・ケリーは別にイケメンではないがとにかく芸達者で魅せてくれるし、デビー・レイノルズが美しい。吹き替え女優に甘んじていたキャシーのサクセス・ストーリーでもあるのだなと、晴也は映画の新しい一面を発見した。
「優弥さんのダンスって、ちょっとジーン・ケリーっぽいよね」
晴也は映画の後に買ったパンフレットを鞄に入れながら言った。晶はなるほど、と言う。
「仕草とか表情とか? でもタップは俺のほうが得意だよ」
晴也はふっ、と笑ってやった。
「対抗意識出してくるのか、小さい男だな」
「いやいや、客観的な話だけど?」
「じゃあ来年タップやれよ」
リクエストはあるんだけどな、と晶は言った。
「あまりやりたくないかも」
晴也はへ? と言って彼を覗き込む。
「タップの練習し過ぎたのも膝壊した一因だったから」
あ、と晴也は声を落とした。素敵だったね、と言いながら、若い3人の女の子が晴也たちを追い抜かして映画館を出て行く。
「喉渇いただろ、お茶飲もう」
晶はさらりと言って晴也の先に立つ。すぐ近くの穴場っぽい喫茶店に導かれた。内装がカントリー風なのと、小さくジャズが流れているのがシックで洒落ている。コーヒーが売りの様子だったが、紅茶もいけると晶は言い、ケーキセットを頼む。
「順調に化けてらっしゃいますね、お嬢様」
「見事なものだろう、吉岡?」
何処の執事だと思いながら晴也は椅子にふんぞり返る。晶はくくっと笑った。隣の席に親子らしき女性の2人連れが来たので、晴也は姿勢を改め、ポーチ片手にトイレに向かう。
トイレ問題は切実だ。さっき映画館で行こうと思ったのだが、男女に分かれていると、今日の晴也はどちらにも入れない(女子トイレに入るのは論外である)。所謂多機能トイレを使うと、もし車椅子の人などが来たら申し訳ないし、こういった喫茶店のトイレが最も使いやすいのだ。
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