夜は異世界で舞う

穂祥 舞

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9 結花

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 サブバッグや買い物を人質ならぬ物質ものじちに取られてしまい、結局晴也は新宿で電車を乗り換えることになった。高円寺の駅前の一番大きなスーパーで、杏露酒とロックアイスとミックスナッツを買い、互いの住まいの家賃の話などをしながら晶のマンションに向かった。
 部屋に着いたらまず着替えようと段取りしていた晴也は、エントランスでサラリーマンらしき男性と顔を合わせて気を引き締めた。晶と二人してこんばんは、と言いながらエレベーターに乗り、先に降りる。
 鼻歌まじりに晶は鍵を出して、扉を開けた。晴也は少し躊躇する。先日見舞いに来た時と同じように、不安なような気持ちにとらわれたからだった。しかしどうぞ、と部屋の主人に言われて、玄関に入ってしまう。晶は鍵とキーチェーンをかけた。カチンと音がして、もう逃げられないと晴也は腹をくくる。
 ブーツを脱いで部屋に上がると、晶は晴也にゴール、と笑顔で言った。晴也は彼の顔を見て、気が抜けた。その場にへたりこみそうになり、咄嗟とっさに支えられる。一瞬、間があった。

「……よく頑張りました」

 晶は言いながら、ぎゅっと晴也を抱きしめた。晴也はびくりとなったが、安堵のあまり、わめこうとも抵抗しようとも思わなかった。彼の身体が温かくて、セーターからいい匂いがするのが心地良い。耳のそばで声がした。

「少し醒めたかな、先にお風呂使う?」
「うん、着替えたい」

 晶は晴也をソファに座らせて、風呂の準備をしに行った。晴也はサブバッグを開け、化粧品や小さく畳んだ着替えを引っぱり出す。
 自分と晴也のコートをハンガーにかける晶を見て、こいつと8時間も一緒にいるのかと晴也は思う。職場の人間とも、朝から晩まで同じ部屋でそれだけの時間を過ごしているのに、何がどう違ってそんな風にしみじみと感じるのだろうか。

「膝……何ともないのか?」

 晴也は晶に尋ねる。彼はえ? と首を傾げた。

「タップは膝に良くないんだろ?」
「ああ……大丈夫、あの道路であの靴じゃタップにならないし」

 晶は晴也の右に座り、笑った。何となく彼の左の膝が気になり、そっと手を伸ばす。指先が触れると、晶がわずかに身体をこわばらせたように思えた。

「あ、ごめん」

 晴也は手を引っ込める。晶は珍しく、やや顔を赤くしていた。

「前触れなく触らないで、どきどきしてちんこちそう」

 晴也はその言葉に鼻白み、晶の左の膝の上を力一杯掴んだ。彼はうあっと叫んで身悶えた。

「やめて、変に感じる……」
「塩擦り込んでやるぞ、感じろほらほら」

 晴也は晶の反応が面白くなり、もう少し上も掴んで揉んでやる。びくりと跳ねた脚は筋肉で硬くて、自分の脚と全く違う。

「ちょっとマジで、どうせなら直接来て」

 晴也は耳まで赤くなって来た晶を見て、笑えたがややひるむ。本当に感じているのかも知れない、あまりやると自分の身が危険に晒されそうだ。
 その時、風呂の沸くチャイムが鳴ったので、晴也は手を離した。晶の溜め息は、幾分残念そうに聞こえた。
 晴也はタオルを借りて、先に風呂場に行った。セパレートで広々していることに驚いて、いいなぁ、と呟く。この部屋は1LDKのようだから、単身仕様の晴也の部屋より何かとランクが上だ。大きな鏡を覗き込み、コンタクトを外した。
 めぎつねのハルは本日は終業である。あまりに目まぐるしく楽しい半日だったので、ちょっと寂しくなった。



 晶はキッチンで杏露酒を飲む準備をしていて、魔法が解けてダサい眼鏡の陰気な男に戻った晴也を、嬉しげな笑顔で迎えた。この新宿2丁目の知る人ぞ知るイケメンダンサーが、自分が女であっても男であっても同じように好意を示してくるのが、改めて晴也は不思議に感じる。

「ぼちぼちやってて、すぐ上がるから」

 言われて晴也は、浴槽が広いからといってどっぷり浸かり、長い時間を他所様の風呂で消費していたことが恥ずかしくなった。
 晴也は物の少ない部屋を見回し、あまり家に居ないのだろうなと思う。部屋の隅の本棚に向かい、並ぶ本の背に目を近づけた。割といろいろ読むようだ。話題になった文芸書、画家の評伝、大会社の合併のノンフィクション。英語のペーパーバックスも数冊あった。そして膝を怪我したアスリートのためのリハビリの本。
 ドライヤーの音がしてきたので、晴也はソファに戻り、今日の新聞をぱらりとめくる。少し前に起きた大阪の雑居ビルでの火災で、死者が出たニュースの続報に目を通した。めぎつねが入っている古いビルは、どの店にも出入口が1か所しか無い。他人事と思えなかった。
 晶は髪をくしゃくしゃにして、銀縁の眼鏡をかけてリビングに入って来た。そのままベッドに入れそうないでたちでも、すらりとして格好いい。晴也は立ち上がって、彼に断りキッチンの冷蔵庫を開ける。ミネラルウォーターと炭酸水が冷やされていた。

「ハルさん、チーズ食べるなら一番上の出して」
「皿借りていい?」

 晴也は曲がりなりにもホステスなので、慣れた手つきで晶の用意したグラスにロックアイスを入れ、杏露酒を注いだ。炭酸割りを作ると、しゅわしゅわとマドラーの動きに合わせて軽い音が立つ。キャンディチーズを小皿に盛って、ミックスナッツと一緒に運び、ソファの前のテーブルに置く。

「あ、すごく美味しそうに見える」

 晶は無邪気に喜んだ。グラスを軽く合わせ、杏露酒を口に含む。その甘さと炭酸が身体に沁みた。
 お互いにあまり話さなかった。晶は晴也が疲れたのだと思っていそうだった。どちらかと言うと、緊張していたのだが。
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