74 / 229
10 暴露
1
しおりを挟む
実家から高田馬場の1DKに戻り、本業の仕事始めを迎えた。晴也は平和だがつまらない日常を取り戻し、年始の仕事に忙殺され気味になって、くそダンサーのことを考える時間が減っていた。晴也としては、それはそれで良かった。あまりこれまで馴染みの無い感情に振り回されるのに、疲れていたからである。
営業部の室内の人口密度が高く、弁当も持参していなかったので、晴也は昼休みの時間を迎えて珍しく外食に出た。向かったのは、客のほぼ全員がおひとりさまで、2人以上座れるテーブルを置いていない定食屋だ。気楽で割に味も良いので、気に入っていた。
晴也は焼き鮭の和定食を一人でゆっくり食べて、静かな昼食時間に満足して店を出た。少しまだ時間があるので、コーヒーを買って帰ろうかと思い、会社のビルから2番目に近いファストなカフェに足を向けた。
「……ハルさん!」
店の前で、背後から声をかけられて、まさかと思いそちらを振り返る。取引先の、銀縁メガネの営業担当だった。
彼がやたらに嬉しそうなのを見て、晴也はどきりとして照れた。それを悟られないよう、彼に頭を下げながら言う。
「あけましておめでとうございます、本年もどうぞよろしくお願いします」
晶も優雅に……おそらくその辺にうろうろしている勤労者にはなし得ない美しい姿勢で頭を下げた。
「あけましておめでとうございます、こちらこそよろしくお願いいたします」
「……昼間はハルさんって呼ぶな」
晴也がやや潜めた声に、晶はマフラーをちょっと下ろしてにっこり笑う。
「久しぶりなのに冷たいですね、コーヒーご馳走します」
晶は晴也に躊躇う時間を与えず、店に入ってしまう。晶から席を取るように指示されて、仕方なく窓際に向かった。
やがて晶が、カフェオレを2つトレーに乗せてやって来る。
「昼食べたのか?」
晴也が訊くと、晶はまた嬉しげに笑った。
「うん、近くに営業に来てて、その会社の人と食べた」
晴也は何となく話題が選べずに、黙ってしまう。晶がコートを脱いで腰を下ろすなり、その左手の指先が晴也の右手の甲に触れて、肩が勝手にぴくんと揺れた。
「会えて嬉しい、もう福原さんが枯渇してました」
こんなところで大胆な。晴也は周りをちらっと見渡すが、別に自分たちを気にしている人はいないので、晶の中指が黒子をなぞるに任せておく。
会いたかった、と言えばいいのだろうか? 晴也は迷う。晶が先に口を切った。
「髪切ったんだ」
「あ、うん……実家の近くに美容院できて」
言って晴也は、晶の眼鏡がよく見ると年末とは少し違うことに気づいた。テンプルが太くなり、直線の柄が入っている。
「眼鏡変えた?」
「だいぶ使ってたしちょっと合わなくなって来てたから……今日は福原さんの睫毛までよく見える」
晶は強い近視で乱視もあるらしかった。コンタクトを長時間使うと目が辛くなるのは、晴也と一緒である。
晴也はようやく話題を見つけて、口を開いた。
「金曜日……ルーチェに妹連れてく」
晶は少し首を傾げ、ありがとう、と言った。
「だから男の姿で行く」
「了解、その辺り優さんと美智生さんに話を合わせて貰うようにしないとね」
「グループLINEでお願いするよ……吉岡さんは……」
「ショウでいいよ」
晴也は晶の顔から視線を外す。今は彼を取引先の担当と認識して話したいと思っているのに、そこは察してくれない。
「……吉岡さんは、家族に自分のことどれくらい話してるの?」
晶の口許から笑みがすっと引いた。
「男が好きだってことは皆知ってる、一番上の兄貴にちょいキモがられてるけど……姉貴が帰省しててさ、福原さんの話をしたら頑張れって言ってくれた」
姉貴とは、ロイヤル・バレエ団の人か。俺の話って、何を言ったんだろう? くすぐったさと不安が同時に湧いた。
晶は問うて来る。
「実家で何かあった?」
「いや、ただ女装してることも吉岡さんと親しくしてることも、言いにくいなって実感して……」
「ちょっときつかったんだ」
晴也は小さく頷く。きつい、とまでは言わないが。
営業部の室内の人口密度が高く、弁当も持参していなかったので、晴也は昼休みの時間を迎えて珍しく外食に出た。向かったのは、客のほぼ全員がおひとりさまで、2人以上座れるテーブルを置いていない定食屋だ。気楽で割に味も良いので、気に入っていた。
晴也は焼き鮭の和定食を一人でゆっくり食べて、静かな昼食時間に満足して店を出た。少しまだ時間があるので、コーヒーを買って帰ろうかと思い、会社のビルから2番目に近いファストなカフェに足を向けた。
「……ハルさん!」
店の前で、背後から声をかけられて、まさかと思いそちらを振り返る。取引先の、銀縁メガネの営業担当だった。
彼がやたらに嬉しそうなのを見て、晴也はどきりとして照れた。それを悟られないよう、彼に頭を下げながら言う。
「あけましておめでとうございます、本年もどうぞよろしくお願いします」
晶も優雅に……おそらくその辺にうろうろしている勤労者にはなし得ない美しい姿勢で頭を下げた。
「あけましておめでとうございます、こちらこそよろしくお願いいたします」
「……昼間はハルさんって呼ぶな」
晴也がやや潜めた声に、晶はマフラーをちょっと下ろしてにっこり笑う。
「久しぶりなのに冷たいですね、コーヒーご馳走します」
晶は晴也に躊躇う時間を与えず、店に入ってしまう。晶から席を取るように指示されて、仕方なく窓際に向かった。
やがて晶が、カフェオレを2つトレーに乗せてやって来る。
「昼食べたのか?」
晴也が訊くと、晶はまた嬉しげに笑った。
「うん、近くに営業に来てて、その会社の人と食べた」
晴也は何となく話題が選べずに、黙ってしまう。晶がコートを脱いで腰を下ろすなり、その左手の指先が晴也の右手の甲に触れて、肩が勝手にぴくんと揺れた。
「会えて嬉しい、もう福原さんが枯渇してました」
こんなところで大胆な。晴也は周りをちらっと見渡すが、別に自分たちを気にしている人はいないので、晶の中指が黒子をなぞるに任せておく。
会いたかった、と言えばいいのだろうか? 晴也は迷う。晶が先に口を切った。
「髪切ったんだ」
「あ、うん……実家の近くに美容院できて」
言って晴也は、晶の眼鏡がよく見ると年末とは少し違うことに気づいた。テンプルが太くなり、直線の柄が入っている。
「眼鏡変えた?」
「だいぶ使ってたしちょっと合わなくなって来てたから……今日は福原さんの睫毛までよく見える」
晶は強い近視で乱視もあるらしかった。コンタクトを長時間使うと目が辛くなるのは、晴也と一緒である。
晴也はようやく話題を見つけて、口を開いた。
「金曜日……ルーチェに妹連れてく」
晶は少し首を傾げ、ありがとう、と言った。
「だから男の姿で行く」
「了解、その辺り優さんと美智生さんに話を合わせて貰うようにしないとね」
「グループLINEでお願いするよ……吉岡さんは……」
「ショウでいいよ」
晴也は晶の顔から視線を外す。今は彼を取引先の担当と認識して話したいと思っているのに、そこは察してくれない。
「……吉岡さんは、家族に自分のことどれくらい話してるの?」
晶の口許から笑みがすっと引いた。
「男が好きだってことは皆知ってる、一番上の兄貴にちょいキモがられてるけど……姉貴が帰省しててさ、福原さんの話をしたら頑張れって言ってくれた」
姉貴とは、ロイヤル・バレエ団の人か。俺の話って、何を言ったんだろう? くすぐったさと不安が同時に湧いた。
晶は問うて来る。
「実家で何かあった?」
「いや、ただ女装してることも吉岡さんと親しくしてることも、言いにくいなって実感して……」
「ちょっときつかったんだ」
晴也は小さく頷く。きつい、とまでは言わないが。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】 男達の性宴
蔵屋
BL
僕が通う高校の学校医望月先生に
今夜8時に来るよう、青山のホテルに
誘われた。
ホテルに来れば会場に案内すると
言われ、会場案内図を渡された。
高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を
早くも社会人扱いする両親。
僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、
東京へ飛ばして行った。
隣のチャラ男くん
木原あざみ
BL
チャラ男おかん×無気力駄目人間。
お隣さん同士の大学生が、お世話されたり嫉妬したり、ごはん食べたりしながら、ゆっくりと進んでいく恋の話です。
第9回BL小説大賞 奨励賞ありがとうございました。
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
寮生活のイジメ【社会人版】
ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説
【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】
全四話
毎週日曜日の正午に一話ずつ公開
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる