夜は異世界で舞う

穂祥 舞

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10 暴露

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 内勤の営業部社員の間を睡魔が歩き回る時間帯に、晴也たちのデスクのそばで不愉快な声がした。久保が新入社員の岡野に向かって、何か言っている。

「ちょっと考えたらわかるだろ、11月に似たような案件あったじゃん」
「ありましたけど数が全然違います、だから確認してるんです」

 岡野は書類を手に、先輩に懸命に言う。先月、久保が同じような言い方をして、それに従った岡野が何かやらかしたという話は、晴也も耳にしていた。
 久保は伝達や引き継ぎがいい加減だ。晴也も2度ほど、久保の曖昧な話のせいで痛い目に遭った。以来晴也は、久保が主担当の案件であっても、久保以外の人間に確認と申し送りをすることにしていた。

「そんなんでいつまでも誰かにOK貰って仕事してたらさぁ、いつまでも一人立ちできねぇぞ、ただでさえおまえトロいんだからさ」

 晴也はちらっと2人を見る。いじめ気質のある久保は、こうして特定の人間に絡むのである。

「僕がトロいことはわかってるつもりです、だからこうして確認してるんじゃないですか」

 いつも引いてしまう岡野が頑張っていた。誰か助け舟を出してやればいいのに。崎岡は電話中だから仕方がないとして、他の連中も、新人を教える能力や責任感が久保に無いことは、十分理解している筈なのに。

「おまえそれ取引先に同じこと言うの? ちょっと考えればわかることを、どうしましょうって訊く訳?」

 久保のへらへらした喋り方に晴也はイライラしてきた。

「うん、じゃあ取引先に訊けばいいんじゃね? こんだけほんとに持って行きますか? まさか間違いじゃないですよね? 俺どうなっても知らな……」
「うるさい」

 久保のまくし立てを断ち切る晴也の声に、部屋の空気が一瞬にして冷えた。岡野と久保が目を丸くして見ているだけでなく、部屋にいる全員の視線が晴也に集中する。しかし晴也は自分でも驚くくらい落ち着いていた。

「そんな説明で分かる訳ねぇだろ」

 晴也の低い声に、久保が唇を歪める。

「え? 福原さん何言ってんの?」

 晴也は眼鏡越しに久保を睨みつけた。

「おまえの説明じゃ岡野が納得出来ないって言ってんの、おまえが新入社員なら岡野より理解できないところじゃね?」

 崎岡が受話器を置き、話を終えたようだったが、場のおかしな空気を察したのか、首を伸ばしてこちらを見ている。

「ちょ……」

 久保が引きつり笑いを見せたので、晴也は彼の言いそうなことを先回りして言ってやる。

「福原さんのくせに生意気だよなぁ? ちなみにな、おまえが常日頃いい加減なこと言ってるせいで、営業部だけでなく経理や総務も迷惑してんぞ」
「なっ……てめぇっ!」

 俺のほうが先輩だろう、クソが。晴也は憮然として久保の眉が吊り上がるのを見る。
 久保が逆上する様子を見せたので、崎岡が何だ、と言いながら間に入って来た。晴也は呆然としている岡野に目配せした。岡野はその意味を察して、崎岡にすかさず書類を差し出し、話しかける。

「課長すみません、先日のこれなんですけれど、数が当初聞いていた3倍なんです、どう処理したらいいですか……」

 崎岡は書類を手に取り、うーん、と唸る。

「久保、おまえ何か聞いてるか?」
「いいえ」
「日付け年内じゃないか! おまえが先方に訊いておけよ、今日まで放置してたのか?」

 崎岡の声に苛立ちが混じり、今度は久保がピンチに陥ったらしかった。晴也は自分のパソコンに向き直り、キーボードを叩く作業を再開した。周りから忍び笑いが洩れる。何に対する笑いなのかわからず、晴也はまた少しイラッとした。
 3時になると、岡野がわざわざビルの外まで出て、コンビニのカップコーヒーを買ってご馳走してくれた。奢って貰う理由がないので晴也は困惑したが、要らないと言うのもどうかと思って受け取った。
 それを見ていた久保が、いまいましげに舌打ちして部屋を出て行く。晴也はふと、この気の弱そうな新入社員は、久保への当てつけで、今コーヒーを買って自分に持ってきたのかも知れないと思った。だとしたら岡野もなかなかのタマだ。久保はおもちゃにする対象を、完全に誤っていることになる。
 晴也は岡野が席に戻ってからコーヒーの蓋を開け、その香りを楽しんだ。何にせよ、コーヒーに罪は無い。今日は2杯も茶をご馳走になってラッキーだと晴也は思った。
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