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12 憂惧
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「まあウィルウィンとうちで互いに漏れたらまずいことなんか今のところ無いんだけどな」
「吉岡さんも副業に関しては木許さんに話しておくと言っていました、会社に損害を与えるようなことは私も吉岡さんもしていません」
晴也は崎岡が比較的自分に対して好意的であると思うからこそ、強気に出ることができた。晴也の計算通り、崎岡は表情を緩める。
「吉岡さんがきちんとした人だというのは俺もわかってるつもりだ……朝から早川が怖い顔で、吉岡さんが福原を誑かしてなんて言うから、何事かと思ったよ」
舌打ちしたいのを堪えて、晴也は困惑の表情をつくる。
「早川さんがいつも私を後輩として気遣ってくれるのはいいんですが、たまにこういう勘違いというか、先走りというか……」
ああ、と崎岡が同意の声を上げた。そんなところが、早川の仕事ぶりにも滲み出ているので、彼の評価が上がらないのだ。
崎岡はそちらに背中を向けているので気づいていない様子だが、入れ替わりに営業課の社員が応接セットのほうを伺いながら通り過ぎる。変な噂がさらに広まるのは仕方がないなと、晴也は腹を括る。
「来月俺を含めて管理職が、その……性的少数者というのか、研修があるんだが……福原は対象に当たるということか?」
だとしたらどう扱えばいいんだと言いたげに、崎岡は訊いてきた。晴也はさらりと答えた。
「私が女装をするのは単なる趣味です、やりたいからやってるだけです」
「吉岡さんはどうなんだ?」
「さあ……というか、知っていたとしても、人様の性的指向については私からは答えることができません」
あ、なるほど、と崎岡は呟いた。こんな場所でそのような話を始めてしまう辺り、崎岡も意識は高くないということが察された。まあこの会社全体が、マイノリティへの関心も配慮も薄いのだから、仕方がない。
「ああ、福原の副業の話は俺からは何も言わないつもりだが……経済的な事情でしているなら人事に報告しておくとややこしくないぞ」
崎岡の言葉に、晴也は礼を述べた。女装バーに勤めているなどと自分から言うつもりは無いが、いつの間に人事はそんなに寛大になったのだろうか。
話が一段落したので、晴也は自分のデスクに戻った。諸悪の根源である早川は、外回りに行ってしまったようだ。晴也はやはり周囲からちらちらと好奇の視線を投げかけられながら、無言でキーボードを叩き続けた。
昼休みに入ってすぐに、晶からLINEが来た。社長と話して、本業に差し支えないようにするという条件で、踊って収入を得ることを許してもらったようだ。
木許はきっと晶のこれまでについてよく知っているのだろう。晶が本来の姿を取り戻すことに、もしかすると木許が経営者として引っかかっているかも知れないと晴也は思った。もし今の仕事とダンスとを天秤にかけないといけない時が来たら、晶はダンスを選ぶに違いないから。
晴也は誰の視線も浴びたくなかったので、会社のビルから少し離れた蕎麦屋に向かった。麺類の店は長居しにくいが、すぐ傍に落ち着いた喫茶店があり、時間ぎりぎりまでそこで過ごそうと考える。
果たして晴也の予定通り、山菜の入った蕎麦を手早く胃袋に入れて移動すると、静かな喫茶店に空席を見つけることができた。この店は雑誌類を沢山置いていて、自分では買わないような本に目を通すことができる。舞台芸術のマニアックな専門誌に目が行き、晴也はそれを手にとってコーヒーを頼む。
その雑誌の中ほどに、晶の知人のサイラスらしき人物の記事があった。出演者のほとんどがオーディションで選ばれた劇団が、シェイクスピアの三大悲劇の連続上演を予定しており、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーで演出も手掛けるスコットランド人俳優を演技指導のために招聘する。その演出家・俳優、サイラス・マクグレイブが1月末に来日予定だと書かれていた。
明里ならこの劇団やサイラスのことを知っているかも知れない。晴也は情報を脳裏に刻みつけた。
金曜の夜、サイラスはラフな恰好で場末のショーパブに座っていたが、大した人物のようである。晶が自分とは違うフィールドに生きる人間であることをまた思い知らされて、晴也の胸の中がじわりと痛んだ。その痛みは、久しぶりに嗅いだこの店のコーヒーの香りだけでは、癒されそうになかった。
「吉岡さんも副業に関しては木許さんに話しておくと言っていました、会社に損害を与えるようなことは私も吉岡さんもしていません」
晴也は崎岡が比較的自分に対して好意的であると思うからこそ、強気に出ることができた。晴也の計算通り、崎岡は表情を緩める。
「吉岡さんがきちんとした人だというのは俺もわかってるつもりだ……朝から早川が怖い顔で、吉岡さんが福原を誑かしてなんて言うから、何事かと思ったよ」
舌打ちしたいのを堪えて、晴也は困惑の表情をつくる。
「早川さんがいつも私を後輩として気遣ってくれるのはいいんですが、たまにこういう勘違いというか、先走りというか……」
ああ、と崎岡が同意の声を上げた。そんなところが、早川の仕事ぶりにも滲み出ているので、彼の評価が上がらないのだ。
崎岡はそちらに背中を向けているので気づいていない様子だが、入れ替わりに営業課の社員が応接セットのほうを伺いながら通り過ぎる。変な噂がさらに広まるのは仕方がないなと、晴也は腹を括る。
「来月俺を含めて管理職が、その……性的少数者というのか、研修があるんだが……福原は対象に当たるということか?」
だとしたらどう扱えばいいんだと言いたげに、崎岡は訊いてきた。晴也はさらりと答えた。
「私が女装をするのは単なる趣味です、やりたいからやってるだけです」
「吉岡さんはどうなんだ?」
「さあ……というか、知っていたとしても、人様の性的指向については私からは答えることができません」
あ、なるほど、と崎岡は呟いた。こんな場所でそのような話を始めてしまう辺り、崎岡も意識は高くないということが察された。まあこの会社全体が、マイノリティへの関心も配慮も薄いのだから、仕方がない。
「ああ、福原の副業の話は俺からは何も言わないつもりだが……経済的な事情でしているなら人事に報告しておくとややこしくないぞ」
崎岡の言葉に、晴也は礼を述べた。女装バーに勤めているなどと自分から言うつもりは無いが、いつの間に人事はそんなに寛大になったのだろうか。
話が一段落したので、晴也は自分のデスクに戻った。諸悪の根源である早川は、外回りに行ってしまったようだ。晴也はやはり周囲からちらちらと好奇の視線を投げかけられながら、無言でキーボードを叩き続けた。
昼休みに入ってすぐに、晶からLINEが来た。社長と話して、本業に差し支えないようにするという条件で、踊って収入を得ることを許してもらったようだ。
木許はきっと晶のこれまでについてよく知っているのだろう。晶が本来の姿を取り戻すことに、もしかすると木許が経営者として引っかかっているかも知れないと晴也は思った。もし今の仕事とダンスとを天秤にかけないといけない時が来たら、晶はダンスを選ぶに違いないから。
晴也は誰の視線も浴びたくなかったので、会社のビルから少し離れた蕎麦屋に向かった。麺類の店は長居しにくいが、すぐ傍に落ち着いた喫茶店があり、時間ぎりぎりまでそこで過ごそうと考える。
果たして晴也の予定通り、山菜の入った蕎麦を手早く胃袋に入れて移動すると、静かな喫茶店に空席を見つけることができた。この店は雑誌類を沢山置いていて、自分では買わないような本に目を通すことができる。舞台芸術のマニアックな専門誌に目が行き、晴也はそれを手にとってコーヒーを頼む。
その雑誌の中ほどに、晶の知人のサイラスらしき人物の記事があった。出演者のほとんどがオーディションで選ばれた劇団が、シェイクスピアの三大悲劇の連続上演を予定しており、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーで演出も手掛けるスコットランド人俳優を演技指導のために招聘する。その演出家・俳優、サイラス・マクグレイブが1月末に来日予定だと書かれていた。
明里ならこの劇団やサイラスのことを知っているかも知れない。晴也は情報を脳裏に刻みつけた。
金曜の夜、サイラスはラフな恰好で場末のショーパブに座っていたが、大した人物のようである。晶が自分とは違うフィールドに生きる人間であることをまた思い知らされて、晴也の胸の中がじわりと痛んだ。その痛みは、久しぶりに嗅いだこの店のコーヒーの香りだけでは、癒されそうになかった。
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