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14 万彩
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就業時間を迎えて、いつも通りに晴也が帰り支度をすばやく整えていると、外回りから戻ったばかりの早川に捕まった。どうしても話がしたいと言うので、近くのファストなカフェで待つ(食事はしないとアピールしておく)旨を告げ、会社のビルを出た。
何かと気分がすっきりしている晴也は、早川に対して寛大な気持ちになっている。異動できるのであれば、同じ部署で仕事をするのもあと1ヶ月、4月になれば社内で顔を合わせることも滅多にあるまい。ならば今日少しくらい相手をしたとしても、早川を天敵視する晶だって大目に見てくれるだろうと思う。
早川は10分ほどで店にやって来た。晴也が袋に入ったバウムクーヘンを一緒に買って食べているのを見て、自分もベルギーワッフルをトレーに乗せている。
「時間どれくらい大丈夫なんだ?」
席に着くなり早川が訊いてくる。1時間くらいなら、と晴也は応じた。
「異動願、本当に出したのか」
「はい、部長に直接言って一応認めてもらいました」
早川はコーヒーカップを皿に置き、下を向いて溜め息をついた。晴也は別に彼を慰めようとは思わなかったが、事実として話す。
「遅かれ早かれ異動か転職することになってたと思います、きっかけができただけのことです」
「ほんとに悪かった、でも俺は吉岡さんは福原に相応しくないと思う」
早川が言いたいのはそこのようだ。晴也は苦笑した。
「どうしてですか?」
早川は眉間に皺を寄せて、何が汚らわしいことでも口にするような調子で言う。
「舞台人や芸能人なんてロクな奴がいない、芸の肥やしになるなら誰とでも恋愛ごっこをするし平気で枕営業もする……恋愛観や倫理観が狂った奴ばかりだ、あの人がそうでないと言えるのか?」
「……早川さん……何か芸能人に恨みでもあるんですか?」
晴也は早川の凝り固まった偏見に仰天した。思わず笑いながら言ってしまう。
「まるでそんな芸能人が身近にいたみたいですね」
早川は眉間の皺を深くした。
「……いたとも」
「は?」
「高校の同級生だ、俺の口が穢れるから名前は出さないが、そこそこ売れてる脇役俳優だ……大学生の頃にデビューしてから誰とでも寝るようになった」
晴也はコーヒーカップを手にしたまま、あ然とした。早川の頭の中にはその俳優の顔が浮かんでいるのだろう、苦々しい表情になっていく。
確か早川は、割に偏差値の高い都内の男子校を出たと聞いたことがある。
「……親しい友達だったんですか?」
「……俺は友達のつもりだったがあちらはホモ野郎だ、カムフラージュで結婚なんかしてやがるけど」
えっ、と晴也は今度こそ失語した。早川はやや顔を赤らめながら……まるで教会で懺悔でもするような風情で、俯き気味に告白した。
「演劇部で一緒に芝居をしてた、俺は大根だったけど彼は才能があるって顧問からも期待されて……俺はずっと奴に憧れてた、高校を卒業してからも会いたいと言われて、喜んでつるんでたんだ」
もしや早川は自覚の無いゲイなのではないか? 彼は実は、社内では女性との浮いた噂が無い男である。久保がいつも参加したがるような、相互の出会いを目的とする会社間の宴会をセッティングすることもあるので、彼もそれなりに女と遊んでいるのだと晴也は思っていたのだが、おそらく現在、異性の決まった相手はいない。
もしかすると早川は、晶にその友人の姿をずっと見ていたのかもしれない。それで晶について探るような真似をし、ますます彼が腹立たしい存在になったのではないのか。
早川は続ける。
「あいつがデビューしてしばらくして……ある日告られたんだ、俺はびっくりして、友達以上には思えないと答えた」
晴也はどきどきする胸を宥めつつ、恐る恐る訊く。
「そのかたとは……じゃあ自然消滅したんですか?」
「そうだ、その直後に彼は男女を問わず誰とでも寝ると噂になって、一切連絡が来なくなった……1年くらいしてから2回、電話の着信があったけど……就活が始まって忙しかったから無視した」
早川は意地になり着信を無視したのだろう。同じことを晶にやった晴也にはわかる。
「だから俺は芸事で飯を食うような人間は一切信用しない、俺はおまえが……おまえの年度で唯一営業課に残ってるおまえが大事だから、そういう人種の餌食にされるのを看過できない」
晴也は本能的な危険を一瞬感じる。この人、俺のことがずっと「好き」だったんじゃないのか? 確かに晴也と同期入社した中で、営業課に配属された4人のうち、現在残っているのは晴也だけだ。一年下の、初めてできた後輩だから、可愛いと思うところはあるだろう。しかしこの思い込みの激しさは……晶の「ゲイの勘」が正しかったような気がしてきた。
何かと気分がすっきりしている晴也は、早川に対して寛大な気持ちになっている。異動できるのであれば、同じ部署で仕事をするのもあと1ヶ月、4月になれば社内で顔を合わせることも滅多にあるまい。ならば今日少しくらい相手をしたとしても、早川を天敵視する晶だって大目に見てくれるだろうと思う。
早川は10分ほどで店にやって来た。晴也が袋に入ったバウムクーヘンを一緒に買って食べているのを見て、自分もベルギーワッフルをトレーに乗せている。
「時間どれくらい大丈夫なんだ?」
席に着くなり早川が訊いてくる。1時間くらいなら、と晴也は応じた。
「異動願、本当に出したのか」
「はい、部長に直接言って一応認めてもらいました」
早川はコーヒーカップを皿に置き、下を向いて溜め息をついた。晴也は別に彼を慰めようとは思わなかったが、事実として話す。
「遅かれ早かれ異動か転職することになってたと思います、きっかけができただけのことです」
「ほんとに悪かった、でも俺は吉岡さんは福原に相応しくないと思う」
早川が言いたいのはそこのようだ。晴也は苦笑した。
「どうしてですか?」
早川は眉間に皺を寄せて、何が汚らわしいことでも口にするような調子で言う。
「舞台人や芸能人なんてロクな奴がいない、芸の肥やしになるなら誰とでも恋愛ごっこをするし平気で枕営業もする……恋愛観や倫理観が狂った奴ばかりだ、あの人がそうでないと言えるのか?」
「……早川さん……何か芸能人に恨みでもあるんですか?」
晴也は早川の凝り固まった偏見に仰天した。思わず笑いながら言ってしまう。
「まるでそんな芸能人が身近にいたみたいですね」
早川は眉間の皺を深くした。
「……いたとも」
「は?」
「高校の同級生だ、俺の口が穢れるから名前は出さないが、そこそこ売れてる脇役俳優だ……大学生の頃にデビューしてから誰とでも寝るようになった」
晴也はコーヒーカップを手にしたまま、あ然とした。早川の頭の中にはその俳優の顔が浮かんでいるのだろう、苦々しい表情になっていく。
確か早川は、割に偏差値の高い都内の男子校を出たと聞いたことがある。
「……親しい友達だったんですか?」
「……俺は友達のつもりだったがあちらはホモ野郎だ、カムフラージュで結婚なんかしてやがるけど」
えっ、と晴也は今度こそ失語した。早川はやや顔を赤らめながら……まるで教会で懺悔でもするような風情で、俯き気味に告白した。
「演劇部で一緒に芝居をしてた、俺は大根だったけど彼は才能があるって顧問からも期待されて……俺はずっと奴に憧れてた、高校を卒業してからも会いたいと言われて、喜んでつるんでたんだ」
もしや早川は自覚の無いゲイなのではないか? 彼は実は、社内では女性との浮いた噂が無い男である。久保がいつも参加したがるような、相互の出会いを目的とする会社間の宴会をセッティングすることもあるので、彼もそれなりに女と遊んでいるのだと晴也は思っていたのだが、おそらく現在、異性の決まった相手はいない。
もしかすると早川は、晶にその友人の姿をずっと見ていたのかもしれない。それで晶について探るような真似をし、ますます彼が腹立たしい存在になったのではないのか。
早川は続ける。
「あいつがデビューしてしばらくして……ある日告られたんだ、俺はびっくりして、友達以上には思えないと答えた」
晴也はどきどきする胸を宥めつつ、恐る恐る訊く。
「そのかたとは……じゃあ自然消滅したんですか?」
「そうだ、その直後に彼は男女を問わず誰とでも寝ると噂になって、一切連絡が来なくなった……1年くらいしてから2回、電話の着信があったけど……就活が始まって忙しかったから無視した」
早川は意地になり着信を無視したのだろう。同じことを晶にやった晴也にはわかる。
「だから俺は芸事で飯を食うような人間は一切信用しない、俺はおまえが……おまえの年度で唯一営業課に残ってるおまえが大事だから、そういう人種の餌食にされるのを看過できない」
晴也は本能的な危険を一瞬感じる。この人、俺のことがずっと「好き」だったんじゃないのか? 確かに晴也と同期入社した中で、営業課に配属された4人のうち、現在残っているのは晴也だけだ。一年下の、初めてできた後輩だから、可愛いと思うところはあるだろう。しかしこの思い込みの激しさは……晶の「ゲイの勘」が正しかったような気がしてきた。
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