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1巻
1-2
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食品ロスという言葉をニュースで見た時と同じレベルの恥ずかしさだ。
日本で食べられるのに捨てられている食品の量は、食糧支援を受けている国に送られているものを大きく上回るそうだ。飢えている人がいるのに、日本人は食に関して贅沢すぎでしょ。そう思った私は、買ってしまったものは捨てずに工夫してなんでも食べるようにしている。お金がないのでやっている感もあるけれども……
それを考えると、食糧に困っている人が善意で出してくれた料理にケチをつけるなんてどういうことだ。現地の人が食べているものより明らかにいいものに対して、嫌がらせをされたと思うとか、ありえないよ!!
「ホントにすみませんでした……」
「身分によって食うものが違うのは知っているし、おまえに悪気がないこともわかった。……そもそも、黙ってりゃいいだろうが。おまえが何を感じたかなんて、オレにはわからないんだから」
呆れたように言われる。だけど謝らないと気が済まなかったのだ。
座らされていた長椅子から滑り下りて、そのままぺたんと冷たい寄木細工の床に膝をついた。胸の内にあるのはひたすら罪悪感だけである。
「まことに、まことに申し訳ございませんでした。……勘違いで説教垂れようとかホントバカです」
「え、あ? お、おい」
「知らなかったんです。ごめんなさい。反省してます……!」
「這いつくばるな! おいバカ、こんなところを誰かに見られたらオレがやらせたと思われる!」
肩を掴まれて強制的に土下座を中断させられる。
それではだめだ! 私は額を床にこすりつけて謝りたいと思ってるんだ!
泣きながら抵抗していたら、ガチャリと扉が開かれる。
……そこにいたのは、団長のクリスチャンさんだった。
「――おいユージン、何してんだテメエ」
「ク、クリス、違う! 違うぞ! オレはただ、この女を止めようとだな……おい、おまえもなんとか言え!」
「ううう、なんでもするので許してください」
泣きながら最大限の謝罪の意を示していると、なぜかクリスチャンさんが激高した。
「ユージン貴様ぁ!」
「許す。わかった、許すから、クリスチャンの誤解を解け、このバカが!!」
狼狽えるユージンに頼まれて、怒っているクリスチャンさんに私は涙ながらに懺悔の理由を説明する。クリスチャンさんはそれを聞いた後、ホッとした様子になった。
「いや、よかった。ユージンが泣いている女性を力ずくで押さえ込もうとしているので何事かと……ナノハ様はなんでもするなどとおっしゃっていましたし。ユージンが脅しているのに違いないと思い……」
「そんなわけないだろうが!」
クリスチャンさんの言葉にユージンが叫んだ。クリスチャンさんも半ば冗談だったようで、ユージンを笑顔で見やる。けれどすぐに浮かべていた笑みを引っ込め、キリリと表情を改めて私を見た。
「実際問題、食事については今お出ししているものが最上のものとなりますので、改善は難しく。ナノハ様の身分が貴族だと証明されさえすれば、領主様のもとへ御身をお連れすることができるのですが……」
「お気遣いなく……ごめんなさい」
「今のところは慣れていただくしかない状況です。現在難民も増え、我々も自分たちの予算をはたいて食糧を購入し、分け与えているような始末ですので」
それが騎士団の仕事というわけではないらしい。彼らは、町から放り出してもいい人たちを自分たちの分の食糧を分けて支援しているようだ。この人たち、すごくいい人たちじゃんか……
「本当にもう、私のことは放置しておいていただいて結構なので……慣れるように頑張ります」
「……ナノハ様、そう言っていただけるとありがたく」
私が涙ながらに謝っていると、クリスチャンさんの青い瞳に物言いたげな光が灯った。
不思議に思って問いかけようとする間もなく、性急にクリスチャンさんはユージンに命令を飛ばす。
「ユージン、これから討伐隊を編成するがおまえは残れ。ナノハ様のお傍についてお世話をしろ」
「だが、オレは戦力だぞ!」
「町に戦力を残しておくのも重要なことだ。民を、ナノハ様をお守りしろ。重要な任務だ」
私を見るクリスチャンさんの瞳には妙な光がチラついていて、私はちょっとビクッとした。
獲物に狙いをつけた肉食獣の目――合コンでチャラ男が可愛い子を見る時の目だ!
モテ期! じゃないよね……知ってる。
前に街コンに行った時、獲物を狙う目でチャラ男に見られていると思ったら、私が囲い込んでいた春雨の大皿を狙われているだけだった。あの春雨は美味しかった。
「……わかった。それが命令なら従う」
クリスチャンさんの意味深な目配せを受けて、ユージンも意味ありげに頷いた。
今回も何か、私が囲い込んでいるものが狙われているのだろうか。異世界人である私の持ち物というと、やっぱり携帯かな? たぶん、この人たちが持っているよね。
「ああ、頼んだぞユージン」
「任せておけ」
ユージンは、肩を竦めて命令を受け入れた。
そして再び食事の時間。今は朝だというので、朝ごはんの続きである。
空腹というのは食べないと収まらないものだ。
部屋に戻ると、私は無言で机の上に並ぶ皿を見つめた。難解な数学の問題を前にした時のように神妙な面持ちになる。
そんな私を扉の前に立つユージンが見ていた。
「……おい、熱いうちに食わないと、まずいメシがますますまずくなるぞ」
「ちょっとお願いがあるんだけど、ユージン、食べてみてくれない?」
「はあ? 毒でも疑っているのか?」
ユージンがちょっと驚いた顔で言うが、私は毒という単語に驚く。そんなこと考えてもいなかった。
「そ、そうじゃなくて……! 美味しそうに食べている人を見れば勇気が湧いてくる気がする!」
「まあ、そういうことなら……」
ユージンは頷くと、つかつかと近づいてきて赤紫色の豆をひょいとつまんでパクッと食べた。
「え!? 皮ごと!?」
「ああ? そうだ、これは皮ごと食うんだ」
「か、硬くない? 私、噛みきれなかったけど……」
「そうか?」
ユージンは首を傾げつつ咀嚼する。
バリボリ音がするんだけど、それってやっぱり皮を噛み砕く音だよね?
「さっき中身だけ食べてみたけど、あまり美味しくないよね……皮と一緒に食べないからかな?」
「中身はわりと美味いと思うが」
それはない、と私は思う。
「ス、スープを飲むところも見てみたい! ユージンのカッコいいとこ見てみたい!!」
どこかで聞いたことのあるノリで言ってみる。
もし異世界なんかに来なければ、今ごろ私は合コンでこんな感じのコールが似合うチャラ男と巡り合えていたかもしれない。
ユージンは私の言葉に怪訝な顔をしながらも、スープを一匙掬って飲んだ。
「うん……オレたちに配られるモノより小麦粉が多く、すり身のパヴェに貴重な肉も入ってる、上等じゃないか。何が不満なんだ?」
怒っているというより、心底不思議だという口調で尋ねられる。私は罪悪感に打ちひしがれつつ、正直に答えた。
「まずくて……食べられない」
「そう言われても困るんだが」
「うん、わかってる……」
私はなんとか食べようとスプーンを口に近づけたり、豆を皮ごと噛んだりしてみた。まあ最終的に口から脱出させたけれど。
その後、失礼を承知で鼻をつまんでスープを一口、二口、三口食べた。
喉を滑り落ちていくドロドロとした感覚。のど越し最悪だ。
息を止めたまましばらくした後、鼻から手を離して一呼吸したら、胃から食道から下水道の芳香が――
「う、うえええええ」
「うわあああああ!?」
その場で全部戻した私を見てユージンが叫ぶ。その声を聞き咎めてやってきたクリスチャンさんが「毒か!? 今朝厨房を担当したのは誰だ!」と毒殺未遂を疑い出したので、ものすごい騒ぎになった。
必死に大事にするのはやめてくれと訴えたものの騒ぎは収まらず、私は医務室に運ばれる。厳戒態勢が敷かれ医務室の前には騎士団の人が立つことになった。
罪悪感と羞恥心で死にそうになりながら、毒じゃなくて胃が受け付けないだけだと私は訴えた。けれど、訴える途中でも胃液を吐いていたために信じてもらえない。
「ほんと、違うと……お願いだから放っておいてください……!」
「ナノハ様――ナノハ様のお気持ちに配慮し黙っておりましたが、私どもが御身を見つけた際、靴がほとんど汚れておりませんでした。つまり御身の足であのような場所まで向かわれたのではないということです。これが何を意味するかおわかりになりますでしょうか?」
はい。異世界からトリップしてきたということでしょう。
「……恐らく、ナノハ様は賊に誘拐され、あのような場所に捨ておかれたものと考えられます。魔物の生息域に武器も持たない女性を一人放り出すなど……間違いなく御身の命を狙った者の仕業です」
いえそうではなく、異世界トリップです。
……って、言ったらどうなるんだろう。
そんなこと言う人間がいたら、私だったら頭の病気を疑うだろう。それよりは誘拐のほうが確かにありえる。
頭のおかしい人だと思われて檻に入れられるのは嫌だけれど、嘘をつくのも気が引ける。
私が言おうかどうしようか悩んでいると、ユージンがクリスチャンさんの説に疑問を唱えた。
「クリスチャン。だが、この女の命を狙うのであれば単純に殺せばいいだけの話じゃないか? なぜ、こんなややこしいことを?」
「……恐らく、魔物に殺させることで不幸な事故を装いたかったのではないだろうか?」
「なるほど……であれば、この女にかなり近い人間のたくらみである可能性が高いな」
「それゆえにナノハ様は、ショックで記憶を失われているのかもしれない――」
どんどん私の設定が足されていく。
私が否定しても増えていくんだから困ったもんだ。そろそろ勘弁してもらいたい。
「あのホントに、もう……」
「ええ、お身体の辛いところ、煩わせてしまい申し訳ございません。今夜はもうお休みください」
そういうことじゃなくて騒ぐのをやめてくださいという意味なんだけど伝わらなかった。
クリスチャンさんは「必ずや犯人を捕まえてみせます」と言って医務室から出ていってしまう。
毒殺未遂事件の捜査でもするつもりなんだろうか。迷宮入り間違いなしだ。
万が一、犯人が捕まったら全力で擁護しなくてはならない。
医務室に残ったのは私とユージンだけだった。
部屋に入って右手に観葉植物らしいものが植えられた鉢があって、その隣にベッドが二つ並んでいる。私は奥のベッドに寝かされていた。
床は陶器のタイルで、寄木細工なのは応接室と、応接室と玄関を繋ぐ廊下の床だけみたいだ。
医務室とはいえお医者さんはいない。当番の人が持ち回りで詰めて不測の事態に対応するようだけれど、当番の人は今締め出されている。
向かい側の壁際にある机の上には日誌があった。羽ペンとインクで文字を書いているみたいだ。チラッと見たら知らないはずの文字が読めてしまい怖くなったため、私は見なかったことにした。
明かりはその机の上に置かれている奇妙な形のランプだけだ。光るヨーヨーのような不思議な形をしている。
ガラスの嵌められていない窓の外は、すでに暗い。とても長い一日だったような気がする。
ユージンは廊下に続く扉とは反対側の、庭に続く扉にもたれるようにして立っていた。
「……ごめんなさい」
「気にするな」
ベッドの上で頭を下げて謝ったら、労るような優しい口調で返された。
ユージンは暗い外を睨むみたいに見据えると、床に置かれていた木の板を窓に嵌める。
よかった。虫が入ってくるんじゃないかとちょっと気になっていたのだ。
「あの、ホントにたぶん、まずくて吐いただけなのに、こんな……」
「それがなくとも、おまえの命が狙われている可能性が高いのは事実だ」
「いやー、あの、私が特に歩いた様子もなく、あんな場所にいたっていうのは……」
「何か心当たりがあるのか?」
真剣な顔つきをしたユージンを見上げた。
私はごくっと唾を呑み込む。
頭のおかしい人と思われるかもしれない。でも、それだけならまだいい。怖いのは、この世界で異世界人がどう扱われるかわからないことだ。
ユージンはちょっと目つきが悪いけれど、心根はそんなに悪い人じゃなさそうだし、ここらで一度、この世界の人の反応を見ておきたいと思った。
ヤバイ感じの反応が返ってきたら、冗談だったと言って全力で誤魔化そう。ここにはユージンしかいないし、やってやれないことはない。というか、やるしかない。
「実は……私、異世界から来たんです」
意を決して、私はユージンに打ち明けてみた。
そうしたら、とても可哀想な人を見るような目で見られる。うんまあ、わりとマシな反応だ。
「もう眠るといい……オレがここで見張りをしている。賊がやってくる心配はない」
「いやホント、異世界から来て、だから靴も……あの、聞いてる?」
「聞いている。辛い目に遭ったせいだろう。ゆっくり休めばいい。何も思い出す必要はない」
ダメだ。やっぱりショックで現実逃避していると思われてる。
でもこれで、わかった。異世界人は即討伐! みたいな殺伐とした価値観はないみたいだ。ものすごく嫌われているとか憎まれているとか、そういうこともないだろう。
いくらか安心しつつ、信じてもらうことを諦めて、私はパタリとベッドに横になった。
「……もし本当にただまずいだけだというのなら、それはそれで困った事態だな」
「え?」
「食糧だ。だっておまえ……何も食えないってことだろ」
ユージンにそう言われた瞬間、私のお腹が悲鳴を上げた。
空腹を思い出してしまったのだ。
胃液すら吐いてしまった私のお腹は、空だと言っていい。シーツをはねのけて私は再び起き上がった。
「ちょっとしたお菓子を鞄に入れていたはず……私の荷物、知らない!?」
「荷物? そういえば、何やらよくわからないものがいくつかあったな――」
「どこにあるの!?」
「待っていろ。団長に確認を取って、持ってきてやる」
ユージンは医務室の前に立っていた見張りの顔と名前を確認し、ここから決して離れないようにと厳命して、その場を離れた。そして、五分も経たないうちにリクルートバッグとトートバッグを持って戻ってくる。
「中身を確認させてもらったが、わけのわからないものが多く引き渡しはできない。だが、食糧品ならあまり持たないだろうし、食う分には見逃してやれる。どれが食い物だ?」
荷物が返ってこないことはちょっと不満だったけれど、何も言わないことにした。
私でも異世界から来たなんて言う人の何が入っているかわからない荷物は取り上げてしまいたいし、ちゃんと調べたいと思うに違いない。
「ジャガイモチップス焼き鳥味!」
「ジャガイモチップスヤキトリアジ?」
翻訳がうまくいかなかったらしく、ユージンは小首を傾げる。その手からリクルートバッグを受け取り、小さな袋を引っ張り出した。
普通サイズではなくて、駄菓子屋で売っているような小サイズだ。
ジャガイモのキャラクターが描かれたチープな袋が輝いて見える。
「ちょっとしかない……」
これが、この世界で私でも食べられる食糧のすべてかもしれない。
大事に食べなくてはならないとはいえ、袋を開けたらすぐに食べないと湿気てしまう。それに、お腹がものすごく減っている。
「ま、明日のことは明日考えよ」
ということで、私はパリッと袋を開いた。ユージンが興味津々で覗き込んでくる。よく見るために、机の上に置いていたヨーヨー型ランプを持ってきて翳していた。
「……うん? いい匂いがするな?」
「そうだね、焼き鳥のいい匂い……ユージンもいかが?」
「いや、おまえの貴重な食糧だろうが」
ユージンは遠慮するものの、目がチップスに釘付けだ。
「一枚ぐらいならいいよ」
「なら……」
ギザギザにスライスされて揚げられたジャガイモの上には、焼き鳥味に調整された粉末が振りかけられている。
一枚を口に放り込んだユージンは、目を見開いた。青と緑の瞳がパチパチと瞬く。
私も手にしたチップスを齧った。
軽い音と共に、香ばしいジャガイモのチップスが口の中で心地よく砕けていく。甘じょっぱく懐かしい味が広がった。昨夜、ビールと一緒に心ゆくまで食べるはずだった焼き鳥に似せた味だ。
「な、なんて味だ……奇妙だが、美味い。この食感も、この香りも信じられない。塩だけではなく、何か香辛料をふんだんに使っているな? それを、スライスして上質な油で揚げた食材に振りかけている。塩と香辛料の塩梅も奇跡的な調和だ。ここに至るまでにどれほど調味料の配合を試したのやら――」
食レポをしているユージンの横で、私はあっという間にジャガイモチップスを食べてしまった。
お行儀が悪いかもしれないけれど、指も舐める。するとユージンも同じようにした。
「あー、美味しかった」
「……もうないのか」
ユージンが残念そうに呟いた。私も残念だし泣けてくる。
カスまで食べて、袋は大事に畳んで鞄の中にしまっておいた。御守り代わりに。
袋をしまうついでに、私は中身の確認をする。そして、試しに聞いてみた。
「ユージン……あの、携帯知らない?」
「ケイタイ?」
ユージンはきょとんとした。何かを隠そうという意図は見られない。機械の仕組みを知りたがる様子もなかった。ユージンたちには小さな四角いあの物体が電話をかける機械だとはわからないのかもしれない。
「あの、これぐらいの、四角い、黒の、鉄でできた……よくわからないもの?」
「よくわからないってなんだ?」
ユージンは半ば笑いながら「そんなものはなかったと思うが、なくしたのか?」と心配そうに言った。嘘をついているようにはとても見えない。
鞄の中をもう一度漁ってみたけれど、やっぱりなかった。化粧品やメモ帳、ファイルに仕事のマニュアル、筆記用具はあるけれどミュージックプレイヤーもなくなってる。
ユージンとクリスチャンさんが没収して隠しているんだろうか?
でも、この世界の文明を見る限り、携帯電話やミュージックプレイヤーを見たら、私に説明を求めたくなりそうなものだ。万が一起動できたなら、絶対に聞きに来ると思う。探りを入れられていない今、本当にユージンたちは知らないのかもしれない。
それによく考えると、イヤホンもなかった。あれは没収の必要があるとは考えられない。どうやら、それらは全部トイレに落としてきたようだった。
「えっと、ううん、いいの……もう寝ようっと。ユージンはどうするの?」
「オレは外で立っている。護衛としてな」
「うん? 護衛? まさかずっと起きてるの?」
「護衛だからな。寝てたら意味がないだろ」
それは確かにそうだ。けれど、昼に寝ていたわけでもないのに不寝番をしなきゃならないなんて、過重労働だろう。
「え、ええー……そんな、申し訳ない」
「……おまえは恐らく貴族ではないだろうな。貴族の口から、オレたちのような騎士団にそんな言葉が出てくるわけがない」
この世界の貴族はどうやら傲慢な人が多いらしい。
ユージンはフッと表情を緩めた。とても優しい笑顔だ。ファンタジーイケメンにそんな笑顔をされるとドキリとしてしまう。
「オレはプロだから、一昼夜立ちんぼだろうと問題ないんだ。気にせず休んで、明日に備えろ」
「うーん……そっか。そうだよね。明日からが本格的な戦いの始まりだもんね……」
もう、泥スープと硬い豆を食べられるようになるのは諦めている。
明日からが、私の食糧確保闘争の始まりだ。
力を蓄えるためにも、私はシーツを被った。
(携帯が狙われていたんじゃなかったとしたら、クリスチャンさんが狙ってるのはなんだろう?)
考えてみたものの、疲れていたせいか、一瞬で眠ってしまった。
翌朝、お腹が減ったなあと思いながら目が覚めた。
「起きたか」
私が起きたことに気付いたのか、すぐにユージンが庭から入ってくる。
「寝てる間もずっと腹が鳴っていたぞ、おまえ……」
「うん……どうしよっか、ハハ!」
壁を挟んで外にまで音が響いていたらしい。無理やり明るく笑ってみると、ユージンが複雑そうな面持ちで見下ろしてきた。
「オレのほうでもおまえにも食えるものがないか当たってはみるが……あまり期待はするなよ」
「いえいえホント、迷惑をかけるつもりはないんで」
死ぬほどお腹が減る頃には、なんでも美味しく食べられるようになるかもしれない。
けれど、すでにお腹はかなり減っている。正直、これ以上、辛い思いなんてしたくなかった。
とはいえ、厨房に私のためのパンを焼けとも言えない。貴重らしい塩をたくさん使って味のあるスープを作ってとも頼めなかった。
ここの食糧はギリギリ。なんとか身体に必要な最低限を保てるように薄めて、みんな耐えているとユージンに教えてもらっている。いくら勝手に間違われているからって、傲慢な貴族みたいに振る舞うことはできない。
自分でどうにかするほかなかった。
「町を見て回りたいです副団長! お疲れのところ大変恐縮なのですが、町の案内をお願いできないでしょうか!!」
「動いたら余計に腹が減ると思うぞ?」
初め私を警戒していたユージンだったが、今はすっかり心配そうに私を見ている。
「座して死を待つことなどできない! 私は戦う!」
「やけに含蓄のある言葉だが、意味は酷いな」
なんとでも言えばいい。これは、私にとってはまさしく戦いである。美味しい食事に親しむ私の舌を守るための戦いなのだ。
勝利条件はただ一つ、自力で美味しい食糧を見つけること。
しかし、よく考えると、魔物に追われて逃げてきた人たちが食糧を求めている状況なのだから、すでに食べられそうなものは食べてみているはずだ。
そこで私は、文化の間隙を狙うことにする。
文化の違いで食べられるものだと認識されていないような、そんなアンラッキーな食材は古くは地球にも存在した。
例えば、トマトとか。以前プチトマトをベランダ栽培するためにネットで育て方を調べていた時、昔はトマトには毒があると思われていて、観賞用だったという小話を読んだ。
「ごめんなさい、ユージン。忙しいと思うけどお願いします!」
両手を合わせて拝んだら、「わかったわかった」とユージンは私の手を押さえた。
「ありがとう! それでは、いざゆかん! 未知なる食材を求めて!!」
「それでおまえの気が済むのなら……よほど腹が空けば覚悟も決まるだろうよ」
ちらりと胡乱な目で見られる。
……その可能性も十二分に検討しているところです。
その後、一度部屋に戻って身づくろいをさせていただくことになった。服などは彼らが用意してくれたようだ。ユージンたちの服装を見るに、スーツ姿では悪目立ちしそうだからありがたい。
医務室の両隣には部屋があり、片方が昨日ちょっと入った応接室、もう片方は厨房みたいだった。厨房はものすごくうるさくて、怒号が響いている。
「みんな、ごはんが食べられて羨ましい……!」
「おまえに出されたものよりずっと質素な料理ばかりだがな」
「わかってる……わかってる……!」
食堂の前を通って二階へ続く階段を上がり、部屋に戻った。
ユージンに用意してもらった洗面器の水で顔を洗い、持ってきてもらったワンピースに着替えたら、現地の人のようになる。何に使うのかわからない布類や革の帯が残ったけれど、あまり気にしないことにした。
日本で食べられるのに捨てられている食品の量は、食糧支援を受けている国に送られているものを大きく上回るそうだ。飢えている人がいるのに、日本人は食に関して贅沢すぎでしょ。そう思った私は、買ってしまったものは捨てずに工夫してなんでも食べるようにしている。お金がないのでやっている感もあるけれども……
それを考えると、食糧に困っている人が善意で出してくれた料理にケチをつけるなんてどういうことだ。現地の人が食べているものより明らかにいいものに対して、嫌がらせをされたと思うとか、ありえないよ!!
「ホントにすみませんでした……」
「身分によって食うものが違うのは知っているし、おまえに悪気がないこともわかった。……そもそも、黙ってりゃいいだろうが。おまえが何を感じたかなんて、オレにはわからないんだから」
呆れたように言われる。だけど謝らないと気が済まなかったのだ。
座らされていた長椅子から滑り下りて、そのままぺたんと冷たい寄木細工の床に膝をついた。胸の内にあるのはひたすら罪悪感だけである。
「まことに、まことに申し訳ございませんでした。……勘違いで説教垂れようとかホントバカです」
「え、あ? お、おい」
「知らなかったんです。ごめんなさい。反省してます……!」
「這いつくばるな! おいバカ、こんなところを誰かに見られたらオレがやらせたと思われる!」
肩を掴まれて強制的に土下座を中断させられる。
それではだめだ! 私は額を床にこすりつけて謝りたいと思ってるんだ!
泣きながら抵抗していたら、ガチャリと扉が開かれる。
……そこにいたのは、団長のクリスチャンさんだった。
「――おいユージン、何してんだテメエ」
「ク、クリス、違う! 違うぞ! オレはただ、この女を止めようとだな……おい、おまえもなんとか言え!」
「ううう、なんでもするので許してください」
泣きながら最大限の謝罪の意を示していると、なぜかクリスチャンさんが激高した。
「ユージン貴様ぁ!」
「許す。わかった、許すから、クリスチャンの誤解を解け、このバカが!!」
狼狽えるユージンに頼まれて、怒っているクリスチャンさんに私は涙ながらに懺悔の理由を説明する。クリスチャンさんはそれを聞いた後、ホッとした様子になった。
「いや、よかった。ユージンが泣いている女性を力ずくで押さえ込もうとしているので何事かと……ナノハ様はなんでもするなどとおっしゃっていましたし。ユージンが脅しているのに違いないと思い……」
「そんなわけないだろうが!」
クリスチャンさんの言葉にユージンが叫んだ。クリスチャンさんも半ば冗談だったようで、ユージンを笑顔で見やる。けれどすぐに浮かべていた笑みを引っ込め、キリリと表情を改めて私を見た。
「実際問題、食事については今お出ししているものが最上のものとなりますので、改善は難しく。ナノハ様の身分が貴族だと証明されさえすれば、領主様のもとへ御身をお連れすることができるのですが……」
「お気遣いなく……ごめんなさい」
「今のところは慣れていただくしかない状況です。現在難民も増え、我々も自分たちの予算をはたいて食糧を購入し、分け与えているような始末ですので」
それが騎士団の仕事というわけではないらしい。彼らは、町から放り出してもいい人たちを自分たちの分の食糧を分けて支援しているようだ。この人たち、すごくいい人たちじゃんか……
「本当にもう、私のことは放置しておいていただいて結構なので……慣れるように頑張ります」
「……ナノハ様、そう言っていただけるとありがたく」
私が涙ながらに謝っていると、クリスチャンさんの青い瞳に物言いたげな光が灯った。
不思議に思って問いかけようとする間もなく、性急にクリスチャンさんはユージンに命令を飛ばす。
「ユージン、これから討伐隊を編成するがおまえは残れ。ナノハ様のお傍についてお世話をしろ」
「だが、オレは戦力だぞ!」
「町に戦力を残しておくのも重要なことだ。民を、ナノハ様をお守りしろ。重要な任務だ」
私を見るクリスチャンさんの瞳には妙な光がチラついていて、私はちょっとビクッとした。
獲物に狙いをつけた肉食獣の目――合コンでチャラ男が可愛い子を見る時の目だ!
モテ期! じゃないよね……知ってる。
前に街コンに行った時、獲物を狙う目でチャラ男に見られていると思ったら、私が囲い込んでいた春雨の大皿を狙われているだけだった。あの春雨は美味しかった。
「……わかった。それが命令なら従う」
クリスチャンさんの意味深な目配せを受けて、ユージンも意味ありげに頷いた。
今回も何か、私が囲い込んでいるものが狙われているのだろうか。異世界人である私の持ち物というと、やっぱり携帯かな? たぶん、この人たちが持っているよね。
「ああ、頼んだぞユージン」
「任せておけ」
ユージンは、肩を竦めて命令を受け入れた。
そして再び食事の時間。今は朝だというので、朝ごはんの続きである。
空腹というのは食べないと収まらないものだ。
部屋に戻ると、私は無言で机の上に並ぶ皿を見つめた。難解な数学の問題を前にした時のように神妙な面持ちになる。
そんな私を扉の前に立つユージンが見ていた。
「……おい、熱いうちに食わないと、まずいメシがますますまずくなるぞ」
「ちょっとお願いがあるんだけど、ユージン、食べてみてくれない?」
「はあ? 毒でも疑っているのか?」
ユージンがちょっと驚いた顔で言うが、私は毒という単語に驚く。そんなこと考えてもいなかった。
「そ、そうじゃなくて……! 美味しそうに食べている人を見れば勇気が湧いてくる気がする!」
「まあ、そういうことなら……」
ユージンは頷くと、つかつかと近づいてきて赤紫色の豆をひょいとつまんでパクッと食べた。
「え!? 皮ごと!?」
「ああ? そうだ、これは皮ごと食うんだ」
「か、硬くない? 私、噛みきれなかったけど……」
「そうか?」
ユージンは首を傾げつつ咀嚼する。
バリボリ音がするんだけど、それってやっぱり皮を噛み砕く音だよね?
「さっき中身だけ食べてみたけど、あまり美味しくないよね……皮と一緒に食べないからかな?」
「中身はわりと美味いと思うが」
それはない、と私は思う。
「ス、スープを飲むところも見てみたい! ユージンのカッコいいとこ見てみたい!!」
どこかで聞いたことのあるノリで言ってみる。
もし異世界なんかに来なければ、今ごろ私は合コンでこんな感じのコールが似合うチャラ男と巡り合えていたかもしれない。
ユージンは私の言葉に怪訝な顔をしながらも、スープを一匙掬って飲んだ。
「うん……オレたちに配られるモノより小麦粉が多く、すり身のパヴェに貴重な肉も入ってる、上等じゃないか。何が不満なんだ?」
怒っているというより、心底不思議だという口調で尋ねられる。私は罪悪感に打ちひしがれつつ、正直に答えた。
「まずくて……食べられない」
「そう言われても困るんだが」
「うん、わかってる……」
私はなんとか食べようとスプーンを口に近づけたり、豆を皮ごと噛んだりしてみた。まあ最終的に口から脱出させたけれど。
その後、失礼を承知で鼻をつまんでスープを一口、二口、三口食べた。
喉を滑り落ちていくドロドロとした感覚。のど越し最悪だ。
息を止めたまましばらくした後、鼻から手を離して一呼吸したら、胃から食道から下水道の芳香が――
「う、うえええええ」
「うわあああああ!?」
その場で全部戻した私を見てユージンが叫ぶ。その声を聞き咎めてやってきたクリスチャンさんが「毒か!? 今朝厨房を担当したのは誰だ!」と毒殺未遂を疑い出したので、ものすごい騒ぎになった。
必死に大事にするのはやめてくれと訴えたものの騒ぎは収まらず、私は医務室に運ばれる。厳戒態勢が敷かれ医務室の前には騎士団の人が立つことになった。
罪悪感と羞恥心で死にそうになりながら、毒じゃなくて胃が受け付けないだけだと私は訴えた。けれど、訴える途中でも胃液を吐いていたために信じてもらえない。
「ほんと、違うと……お願いだから放っておいてください……!」
「ナノハ様――ナノハ様のお気持ちに配慮し黙っておりましたが、私どもが御身を見つけた際、靴がほとんど汚れておりませんでした。つまり御身の足であのような場所まで向かわれたのではないということです。これが何を意味するかおわかりになりますでしょうか?」
はい。異世界からトリップしてきたということでしょう。
「……恐らく、ナノハ様は賊に誘拐され、あのような場所に捨ておかれたものと考えられます。魔物の生息域に武器も持たない女性を一人放り出すなど……間違いなく御身の命を狙った者の仕業です」
いえそうではなく、異世界トリップです。
……って、言ったらどうなるんだろう。
そんなこと言う人間がいたら、私だったら頭の病気を疑うだろう。それよりは誘拐のほうが確かにありえる。
頭のおかしい人だと思われて檻に入れられるのは嫌だけれど、嘘をつくのも気が引ける。
私が言おうかどうしようか悩んでいると、ユージンがクリスチャンさんの説に疑問を唱えた。
「クリスチャン。だが、この女の命を狙うのであれば単純に殺せばいいだけの話じゃないか? なぜ、こんなややこしいことを?」
「……恐らく、魔物に殺させることで不幸な事故を装いたかったのではないだろうか?」
「なるほど……であれば、この女にかなり近い人間のたくらみである可能性が高いな」
「それゆえにナノハ様は、ショックで記憶を失われているのかもしれない――」
どんどん私の設定が足されていく。
私が否定しても増えていくんだから困ったもんだ。そろそろ勘弁してもらいたい。
「あのホントに、もう……」
「ええ、お身体の辛いところ、煩わせてしまい申し訳ございません。今夜はもうお休みください」
そういうことじゃなくて騒ぐのをやめてくださいという意味なんだけど伝わらなかった。
クリスチャンさんは「必ずや犯人を捕まえてみせます」と言って医務室から出ていってしまう。
毒殺未遂事件の捜査でもするつもりなんだろうか。迷宮入り間違いなしだ。
万が一、犯人が捕まったら全力で擁護しなくてはならない。
医務室に残ったのは私とユージンだけだった。
部屋に入って右手に観葉植物らしいものが植えられた鉢があって、その隣にベッドが二つ並んでいる。私は奥のベッドに寝かされていた。
床は陶器のタイルで、寄木細工なのは応接室と、応接室と玄関を繋ぐ廊下の床だけみたいだ。
医務室とはいえお医者さんはいない。当番の人が持ち回りで詰めて不測の事態に対応するようだけれど、当番の人は今締め出されている。
向かい側の壁際にある机の上には日誌があった。羽ペンとインクで文字を書いているみたいだ。チラッと見たら知らないはずの文字が読めてしまい怖くなったため、私は見なかったことにした。
明かりはその机の上に置かれている奇妙な形のランプだけだ。光るヨーヨーのような不思議な形をしている。
ガラスの嵌められていない窓の外は、すでに暗い。とても長い一日だったような気がする。
ユージンは廊下に続く扉とは反対側の、庭に続く扉にもたれるようにして立っていた。
「……ごめんなさい」
「気にするな」
ベッドの上で頭を下げて謝ったら、労るような優しい口調で返された。
ユージンは暗い外を睨むみたいに見据えると、床に置かれていた木の板を窓に嵌める。
よかった。虫が入ってくるんじゃないかとちょっと気になっていたのだ。
「あの、ホントにたぶん、まずくて吐いただけなのに、こんな……」
「それがなくとも、おまえの命が狙われている可能性が高いのは事実だ」
「いやー、あの、私が特に歩いた様子もなく、あんな場所にいたっていうのは……」
「何か心当たりがあるのか?」
真剣な顔つきをしたユージンを見上げた。
私はごくっと唾を呑み込む。
頭のおかしい人と思われるかもしれない。でも、それだけならまだいい。怖いのは、この世界で異世界人がどう扱われるかわからないことだ。
ユージンはちょっと目つきが悪いけれど、心根はそんなに悪い人じゃなさそうだし、ここらで一度、この世界の人の反応を見ておきたいと思った。
ヤバイ感じの反応が返ってきたら、冗談だったと言って全力で誤魔化そう。ここにはユージンしかいないし、やってやれないことはない。というか、やるしかない。
「実は……私、異世界から来たんです」
意を決して、私はユージンに打ち明けてみた。
そうしたら、とても可哀想な人を見るような目で見られる。うんまあ、わりとマシな反応だ。
「もう眠るといい……オレがここで見張りをしている。賊がやってくる心配はない」
「いやホント、異世界から来て、だから靴も……あの、聞いてる?」
「聞いている。辛い目に遭ったせいだろう。ゆっくり休めばいい。何も思い出す必要はない」
ダメだ。やっぱりショックで現実逃避していると思われてる。
でもこれで、わかった。異世界人は即討伐! みたいな殺伐とした価値観はないみたいだ。ものすごく嫌われているとか憎まれているとか、そういうこともないだろう。
いくらか安心しつつ、信じてもらうことを諦めて、私はパタリとベッドに横になった。
「……もし本当にただまずいだけだというのなら、それはそれで困った事態だな」
「え?」
「食糧だ。だっておまえ……何も食えないってことだろ」
ユージンにそう言われた瞬間、私のお腹が悲鳴を上げた。
空腹を思い出してしまったのだ。
胃液すら吐いてしまった私のお腹は、空だと言っていい。シーツをはねのけて私は再び起き上がった。
「ちょっとしたお菓子を鞄に入れていたはず……私の荷物、知らない!?」
「荷物? そういえば、何やらよくわからないものがいくつかあったな――」
「どこにあるの!?」
「待っていろ。団長に確認を取って、持ってきてやる」
ユージンは医務室の前に立っていた見張りの顔と名前を確認し、ここから決して離れないようにと厳命して、その場を離れた。そして、五分も経たないうちにリクルートバッグとトートバッグを持って戻ってくる。
「中身を確認させてもらったが、わけのわからないものが多く引き渡しはできない。だが、食糧品ならあまり持たないだろうし、食う分には見逃してやれる。どれが食い物だ?」
荷物が返ってこないことはちょっと不満だったけれど、何も言わないことにした。
私でも異世界から来たなんて言う人の何が入っているかわからない荷物は取り上げてしまいたいし、ちゃんと調べたいと思うに違いない。
「ジャガイモチップス焼き鳥味!」
「ジャガイモチップスヤキトリアジ?」
翻訳がうまくいかなかったらしく、ユージンは小首を傾げる。その手からリクルートバッグを受け取り、小さな袋を引っ張り出した。
普通サイズではなくて、駄菓子屋で売っているような小サイズだ。
ジャガイモのキャラクターが描かれたチープな袋が輝いて見える。
「ちょっとしかない……」
これが、この世界で私でも食べられる食糧のすべてかもしれない。
大事に食べなくてはならないとはいえ、袋を開けたらすぐに食べないと湿気てしまう。それに、お腹がものすごく減っている。
「ま、明日のことは明日考えよ」
ということで、私はパリッと袋を開いた。ユージンが興味津々で覗き込んでくる。よく見るために、机の上に置いていたヨーヨー型ランプを持ってきて翳していた。
「……うん? いい匂いがするな?」
「そうだね、焼き鳥のいい匂い……ユージンもいかが?」
「いや、おまえの貴重な食糧だろうが」
ユージンは遠慮するものの、目がチップスに釘付けだ。
「一枚ぐらいならいいよ」
「なら……」
ギザギザにスライスされて揚げられたジャガイモの上には、焼き鳥味に調整された粉末が振りかけられている。
一枚を口に放り込んだユージンは、目を見開いた。青と緑の瞳がパチパチと瞬く。
私も手にしたチップスを齧った。
軽い音と共に、香ばしいジャガイモのチップスが口の中で心地よく砕けていく。甘じょっぱく懐かしい味が広がった。昨夜、ビールと一緒に心ゆくまで食べるはずだった焼き鳥に似せた味だ。
「な、なんて味だ……奇妙だが、美味い。この食感も、この香りも信じられない。塩だけではなく、何か香辛料をふんだんに使っているな? それを、スライスして上質な油で揚げた食材に振りかけている。塩と香辛料の塩梅も奇跡的な調和だ。ここに至るまでにどれほど調味料の配合を試したのやら――」
食レポをしているユージンの横で、私はあっという間にジャガイモチップスを食べてしまった。
お行儀が悪いかもしれないけれど、指も舐める。するとユージンも同じようにした。
「あー、美味しかった」
「……もうないのか」
ユージンが残念そうに呟いた。私も残念だし泣けてくる。
カスまで食べて、袋は大事に畳んで鞄の中にしまっておいた。御守り代わりに。
袋をしまうついでに、私は中身の確認をする。そして、試しに聞いてみた。
「ユージン……あの、携帯知らない?」
「ケイタイ?」
ユージンはきょとんとした。何かを隠そうという意図は見られない。機械の仕組みを知りたがる様子もなかった。ユージンたちには小さな四角いあの物体が電話をかける機械だとはわからないのかもしれない。
「あの、これぐらいの、四角い、黒の、鉄でできた……よくわからないもの?」
「よくわからないってなんだ?」
ユージンは半ば笑いながら「そんなものはなかったと思うが、なくしたのか?」と心配そうに言った。嘘をついているようにはとても見えない。
鞄の中をもう一度漁ってみたけれど、やっぱりなかった。化粧品やメモ帳、ファイルに仕事のマニュアル、筆記用具はあるけれどミュージックプレイヤーもなくなってる。
ユージンとクリスチャンさんが没収して隠しているんだろうか?
でも、この世界の文明を見る限り、携帯電話やミュージックプレイヤーを見たら、私に説明を求めたくなりそうなものだ。万が一起動できたなら、絶対に聞きに来ると思う。探りを入れられていない今、本当にユージンたちは知らないのかもしれない。
それによく考えると、イヤホンもなかった。あれは没収の必要があるとは考えられない。どうやら、それらは全部トイレに落としてきたようだった。
「えっと、ううん、いいの……もう寝ようっと。ユージンはどうするの?」
「オレは外で立っている。護衛としてな」
「うん? 護衛? まさかずっと起きてるの?」
「護衛だからな。寝てたら意味がないだろ」
それは確かにそうだ。けれど、昼に寝ていたわけでもないのに不寝番をしなきゃならないなんて、過重労働だろう。
「え、ええー……そんな、申し訳ない」
「……おまえは恐らく貴族ではないだろうな。貴族の口から、オレたちのような騎士団にそんな言葉が出てくるわけがない」
この世界の貴族はどうやら傲慢な人が多いらしい。
ユージンはフッと表情を緩めた。とても優しい笑顔だ。ファンタジーイケメンにそんな笑顔をされるとドキリとしてしまう。
「オレはプロだから、一昼夜立ちんぼだろうと問題ないんだ。気にせず休んで、明日に備えろ」
「うーん……そっか。そうだよね。明日からが本格的な戦いの始まりだもんね……」
もう、泥スープと硬い豆を食べられるようになるのは諦めている。
明日からが、私の食糧確保闘争の始まりだ。
力を蓄えるためにも、私はシーツを被った。
(携帯が狙われていたんじゃなかったとしたら、クリスチャンさんが狙ってるのはなんだろう?)
考えてみたものの、疲れていたせいか、一瞬で眠ってしまった。
翌朝、お腹が減ったなあと思いながら目が覚めた。
「起きたか」
私が起きたことに気付いたのか、すぐにユージンが庭から入ってくる。
「寝てる間もずっと腹が鳴っていたぞ、おまえ……」
「うん……どうしよっか、ハハ!」
壁を挟んで外にまで音が響いていたらしい。無理やり明るく笑ってみると、ユージンが複雑そうな面持ちで見下ろしてきた。
「オレのほうでもおまえにも食えるものがないか当たってはみるが……あまり期待はするなよ」
「いえいえホント、迷惑をかけるつもりはないんで」
死ぬほどお腹が減る頃には、なんでも美味しく食べられるようになるかもしれない。
けれど、すでにお腹はかなり減っている。正直、これ以上、辛い思いなんてしたくなかった。
とはいえ、厨房に私のためのパンを焼けとも言えない。貴重らしい塩をたくさん使って味のあるスープを作ってとも頼めなかった。
ここの食糧はギリギリ。なんとか身体に必要な最低限を保てるように薄めて、みんな耐えているとユージンに教えてもらっている。いくら勝手に間違われているからって、傲慢な貴族みたいに振る舞うことはできない。
自分でどうにかするほかなかった。
「町を見て回りたいです副団長! お疲れのところ大変恐縮なのですが、町の案内をお願いできないでしょうか!!」
「動いたら余計に腹が減ると思うぞ?」
初め私を警戒していたユージンだったが、今はすっかり心配そうに私を見ている。
「座して死を待つことなどできない! 私は戦う!」
「やけに含蓄のある言葉だが、意味は酷いな」
なんとでも言えばいい。これは、私にとってはまさしく戦いである。美味しい食事に親しむ私の舌を守るための戦いなのだ。
勝利条件はただ一つ、自力で美味しい食糧を見つけること。
しかし、よく考えると、魔物に追われて逃げてきた人たちが食糧を求めている状況なのだから、すでに食べられそうなものは食べてみているはずだ。
そこで私は、文化の間隙を狙うことにする。
文化の違いで食べられるものだと認識されていないような、そんなアンラッキーな食材は古くは地球にも存在した。
例えば、トマトとか。以前プチトマトをベランダ栽培するためにネットで育て方を調べていた時、昔はトマトには毒があると思われていて、観賞用だったという小話を読んだ。
「ごめんなさい、ユージン。忙しいと思うけどお願いします!」
両手を合わせて拝んだら、「わかったわかった」とユージンは私の手を押さえた。
「ありがとう! それでは、いざゆかん! 未知なる食材を求めて!!」
「それでおまえの気が済むのなら……よほど腹が空けば覚悟も決まるだろうよ」
ちらりと胡乱な目で見られる。
……その可能性も十二分に検討しているところです。
その後、一度部屋に戻って身づくろいをさせていただくことになった。服などは彼らが用意してくれたようだ。ユージンたちの服装を見るに、スーツ姿では悪目立ちしそうだからありがたい。
医務室の両隣には部屋があり、片方が昨日ちょっと入った応接室、もう片方は厨房みたいだった。厨房はものすごくうるさくて、怒号が響いている。
「みんな、ごはんが食べられて羨ましい……!」
「おまえに出されたものよりずっと質素な料理ばかりだがな」
「わかってる……わかってる……!」
食堂の前を通って二階へ続く階段を上がり、部屋に戻った。
ユージンに用意してもらった洗面器の水で顔を洗い、持ってきてもらったワンピースに着替えたら、現地の人のようになる。何に使うのかわからない布類や革の帯が残ったけれど、あまり気にしないことにした。
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