推しヒロインの悪役継母に転生したけど娘が可愛すぎます

山梨ネコ

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1巻

1-2

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「もしや、その……何か……婚姻の手続きに不備がありましたでしょうか?」
「不備も何もないわよ。用意されていた書類にサインしただけだから」
「そ、そうでございますよね……」
「ただ、そうね。心を落ちつけるために教会で神と向き合いたいの。昼間の婚姻式はものの数秒で終わってしまったから」

 ロゼッタがとってつけた理由にマヌエラは気まずげに口をつぐむと、着替えを手伝いはじめた。
 ロゼッタが行きたいと言った場所が、今日、彼女があまりにもないがしろな扱いを受けた場所であるからだろうか。無念が残っていると思われても不思議ではない。
 ヴェルナーもいたたまれない様子ではあったので、この屋敷の人達はロゼッタにひどいことをしているという自覚はあるらしい。

「ところでそれ、夕食かしら? 出かける前に腹ごしらえがしたかったのよ。ありがたくいただくわ」
「……ロゼッタ様がお食事をなさっている間に、馬車の用意をさせていただきます」

 ロゼッタが命じる前に、マヌエラはあきらめたように言って下がっていった。
 用意されたむぎがゆきこむと、ロゼッタは立ち上がる。

「本当にここがゲームの世界なのか、確かめないと」

『星女神の乙女と星の騎士たち』は乙女ゲームだ。
 ヒロインの少女が十五歳の成人を迎えた日に家から追い出されるところからはじまる。
 乙女ゲームなので最終目標は攻略対象を攻略することだけれど、同時にダンジョンを攻略してこの国を救うこともまた目標の一つだ。
 攻略対象の攻略を進めつつ、レベルを上げてダンジョンを攻略しないといけない。
 そうしないとダンジョンのある町が滅んでいく。一つや二つくらい町が滅んでもゴールインできる攻略対象もいるけれど、そうではない攻略対象もいる。すべての町が滅んだら強制的にバッドエンドだ。
 つまりここが乙女ゲームの世界なら、この町もまた滅びることになるだろう。
 星女神の乙女が命をかけてダンジョンを攻略しない限りは。
 馬車で教会に向かったロゼッタを出迎えたのは、今日の婚姻式で彼女がサインするのを見守ってくれた司祭だった。
 青黒い髪に青い目をした青年で、人のよさそうな顔をしている。
 ロゼッタは彼の名も忘れていたのに、司祭のほうはロゼッタを覚えていたようで、気遣わしげな微笑ほほえみを見せた。

「どのようなご用件でしょうか? 私にできることがあればなんなりとお申し付けくださいませ」

 聖職者はまず修行者となり、師匠について神学を学ぶ。
 認められると司祭となり、司祭として修行を積んで司教となる。
 若い司祭なら経歴は浅いだろうに、そんな人間の目から見てもロゼッタの婚姻式は異様なものだったのだろう。
 いくら教会は二十四時間開放されているとはいえ、夜の訪問だというのに、迷惑そうな顔の一つもしない。
 ロゼッタはわざとはかなげに微笑ほほえんで答えた。

「聖園を見てみたいと思って参りました」
「聖園でございますか。本来は寄付を納めていただいた貴族の方のための待合所なのですが……」

 待合所というのは建前で、寄付を納めた貴族だけが入れる美しい庭園である。
 神の加護のある教会で育てられる樹木や草花は季節に関わらず咲き誇り、それを見られるのは貴族だけのステータスなのだ。
 前世やったゲームのヒロインも、貴族になったあとでやっとこの聖園に入れるようになる。
 ヒロインは男爵令嬢だ。にもかかわらず、何故なぜ貴族ではなかったかと言えば……ままははいじめられて家を追い出されたからだ。
 ゲームを進めていくうちに、ままははからすべてを取り戻す復讐イベントが発生する。
 これをクリアしないと貴族に返り咲けないし、攻略できない攻略対象が出てくる。
 そして、あるまでに復讐イベントをクリアできないと、手に入らないアイテムがこの聖園には存在するのだ。

「ロゼッタ様は本日婚姻式をされましたので、その手続きに不備がないか私のほうで確認させていただければと思います。その間、どうぞ聖園でお待ちくださいませ」
「ありがとうございます、司祭様」

 方便で受け入れてくれた司祭ににこやかに礼を言い、ロゼッタは聖園に招き入れられた。

「では、ご自由にご覧ください。もしお心のなぐさめになる花がありましたら摘んでいただいて構いません。誰かに何か言われましたら、司祭のアラリコの名をお出しください」
「ご親切にありがとうございます」

 アラリコはロゼッタに哀れみの目を向けつつ、お辞儀をして去っていく。

「マヌエラ、あなたはここで待っていてくれる? あなたも庭園を見てみたいでしょうけれど、私、今は一人になりたいのよ」
「私のことはお気遣いなく。どうぞロゼッタ様の心ゆくまでご覧くださいませ……神のお恵みによりロゼッタ様のお心が少しでも安らぎますように」

 マヌエラもまたロゼッタを哀れと思っているらしく、同情的に見送った。
 どいつもこいつもなかなか、ロゼッタをみじめな気分にさせてくれる。
 だが今のロゼッタは、それを利用してでも確かめたいことがあり、そのために嫌な気持ちにとらわれずに済んだ。

「マップの左上だから……」

 流れこんできた記憶はまるで昨日体験したかのように真新しい。
 ロゼッタはその記憶を頼りに、ゲームのマップ上の目的地に向かって歩いていく。
 庭園の一番奥に位置しているその場所には、シロツメクサの花畑があった。

「このあたり……? どこかしら……」

 シロツメクサの花畑に座りこみ、ロゼッタは手で探る。
 手もドレスも土で汚れる。でも、探し物の重要さを思えば気にならなかった。
 注意深く観察していると、シロツメクサの花畑の真ん中にぽっかりと空いた空間があり、ロゼッタはその場所の土を手で払った。
 そして、そこに埋まっていた瓶を見つける。
 土に汚れていてもキラキラと輝く薄い水色の瓶。黄金のふた
 中には青色の透きとおる液体が入っている。

「本当にエリクシルがあったわ」

 エリクシルとは、ゲームにおいて使用すると体力と魔力が全回復する最高の回復薬である。
 この世界では伝説上の魔法薬で、ありとあらゆる怪我ややまいを治す万能薬だと言われている。

「きれい……」

 夜の庭園には明かりが点々と灯っているが、あたりは暗い。
 なのにロゼッタの手の中にあるエリクシルだけは、どこから取りこんだ光なのか、虹色の彩光を放っている。
 しばしうっとりと見とれたあと、ロゼッタはエリクシルの瓶をドレスの胸元に押しこんだ。
 ゲームではこの場所にエリクシルがあった。
 探してみたら、本当にあった。

「ゲームの知識、使えるじゃない」

 ロゼッタはほくそ笑むと、エリクシルを掘り返した土を埋め、土で汚れた手を誤魔化すために花を摘む。

「問題は、この町が滅びるのも事実だってことだわ。どうしようかしら」

 戻ると、入り口でトラブルが起きていた。


   ○ ● ○


「確かに、確かに貴族ではありゃしませんけど! いいじゃないですかあ~、たっくさん寄付をしましたでしょ? 入れてくださいよぉ~ねっ? お願いっ」
「こちらは貴族の方向けの待合室となっておりますので、平民の方をお入れするわけにはまいりません。どうぞご遠慮くださいませ」
「評判の庭園を一目見てみたいだけなんですよぉ! まるで神様のご威光をそのままあらわしたかのようなすんばらしい庭園だって聞きました! かつては大聖女が晩年を過ごされていた場所だとか! 大聖女の遺物が今も庭園のどこかに眠っているとか!?」
「どうぞお引き取りくださいませ」

 案内の信徒がうんざりしたように言う。

「地上にけんげんする天界の景色をめいの土産にしたいんですよぉ~!」

 平民が聖園に入りたいと駄々だだをこねているらしい。それだけならどこでもありそうなトラブルだが、ロゼッタはその声に妙に聞き覚えがある気がして、鼓動が速くなる。

「あっ、そこのお嬢様! たっぷりのお代をお支払いしますので、この私めを従者として聖園に入れていただけませんか!?」

 自分を呼び止めた男に、動揺を見せないように彼女は全神経を集中した。

「私はお嬢様ではなくってよ」
「おやっ、これは失敬。とてもお若くお美しくていらっしゃったので」

 そう言ってをする糸目の男。
 金髪にもみあげを長く垂らした、きつねがおさんくさげな商人だ。

「あなたの名前は?」
「ヒューと申します、奥様!」

 この男の名前はヒューレート・レガリア。
 レガリア帝国の皇帝だが、今は帝国から流れてきた平民あがりの商人に身をやつしている。
 ゲームの中でこの男はまずさんくさい商人として登場し、戦うヒロインを陰に日向ひなたにサポートする。
 一週目ではこの男は攻略できない。
 一度、バッドエンドを見る必要があるのだ。
 帝国からの救援を受けてかろうじて存続するグラン王国が属国となったエンドで登場する皇帝ヒューレートのスチルを見ることによって、はじめてこの男の攻略ルートが解放される。
 通常、糸目のさんくさい男だが、皇帝として現れる時にはこの目を見開く。
 その目を開かせれば血のように赤い瞳があるだろう。
 鋭く冷酷な眼差まなざしで、滅びの危機に瀕するグラン王国の行く末を見守っている男。
 ロゼッタはそれを知っているそぶりを見せないように表情を固めてたずねた。

「ふうん、ヒュー。どうしてあなたは聖園に入りたいの?」
「それはもう、こちらの聖園は王国でも有数の美しさで有名でございますからね! 帝国にいた時から見てみたかったのですよぉ~」
「さっき、大聖女の遺物がどうこうと言っていたけれど、それはなんの話?」
「ここだけの話ですけれどもね、かつて晩年をこちらで過ごして亡くなった大聖女様が神よりたまわった奇跡の魔道具が、この聖園に眠っているという噂がございまして」

 なるほど、とロゼッタは得心した。
 やくたいもない噂話というていで話すヒューだが、これはおそらく事実だろう。
 皇帝の情報網で手に入れた情報で――奇跡の魔道具というのはエリクシルだ。
 この男もまたエリクシル目当てで聖園に入ろうとしているのだ。
 多分、彼がこのまま聖園に入れないのが正史だ。何故なぜなら今は十歳かそこらのヒロインが十五歳になった時にも、ここにはエリクシルが存在するから。
 でも、ある時点でエリクシルはなくなってしまう。それはこの男が商人として活躍を認められたとかで、貴族の爵位を取得したタイミングだったのかもしれない、とロゼッタは独りごちた。

「私の従者として入れてあげてもいいわよ」
「ほんっとうですか!?」
「でも、お金はいらないわ。夫がお金持ちだからもうお金はいらないのよね。ただこのことを恩に着てほしいの」
「……恩、ですか?」
「そうよ」

 ロゼッタは紅をいていなくとも赤いその唇に、にっこりと笑みを浮かべる。

「昨日こちらに来て結婚したばかりなのよ。知り合いが一人もいなくて心細かったの。できるだけ多くの人に恩を売っておけば、生きやすくなりそうでしょう?」

 内容はなんであれ、帝国の皇帝に恩を売っておけばいずれ役に立つだろう。
 ゲーム的に、ヒロインが攻略しなければここグラン王国はいずれ滅びる。
 その時の逃げ先はレガリア帝国一択なのである。
 ヒューの探索はどうせ無駄骨だけれども、それを知っているのはロゼッタだけだ。

「祖国に誓っていずれ恩返ししてちょうだい」

 レガリア帝国の皇帝は祖国に誓った言葉を裏切らないことを、前世でゲームのプレイヤーだったロゼッタだけが知っている。
 ロゼッタに正体を知られていないと思っているヒューからしてみたら、家名を持たない平民に対して当然の誓いを要求しているようにしか見えないだろう。
 目を細めるロゼッタに、ヒューはにっこりと笑った。

「誓う誓う~! ちっかいまーす! やったー! 聖園に入れる!」
「うふふ。そういうわけでこの男は私の使いの者として入れてあげてちょうだい」
「その方が問題を起こしたら、ロゼッタ様に責任が発生してしまいますが……」
「構わなくてよ。そこまで頭の悪い馬鹿には見えないし」
「出会ったばかりの私をそこまで信じてくださるなんて……!」

 糸目をキラキラ輝かせるという器用なことをやっているヒュー。
 人なつこい演技、ご苦労様なことだ。

「じゃあ、私は先に帰るわね」
「ありがとうございます、ロゼッタ様!」

 キュピン、とでも擬音の付きそうな仕草で胸に手を置くヒュー。
 すでにロゼッタに回収されたエリクシルを探して聖園を歩き回るのだろう彼の健闘を祈り、ロゼッタは摘んだシロツメクサで顔を隠してひらひらと手を振った。



   宝さがし 【ヒューレート視点】


 帝国の巫女みこが神眼で覗き見た場所は、白いシロツメクサの花畑。
 そこにかつて大聖女と呼ばれた聖女が何かを埋める姿を見たという。
 神に愛されし聖女。最後は静かに暮らしたいと、いんとん生活を送っていた。
 別のものを探している最中だが、せっかくならばと寄り道のためにやってきたのに、貴族でないと中には入れられないときた。
 どうなることかと思ったが、親切な貴族の女が入れてくれた。
 ヒューレートは男前なので、女に優しくしてされるのはよくあることだ。
 特に疑問にも思わず、ありがたく目的の場所に辿たどく。
 だが、まさに今しがた踏み荒らされたばかりの花畑がそこにあった。
 シロツメクサの花畑の中心に、掘り返されたばかりの色をした土がある。
 ヒューレートをここに入れた女が、シロツメクサの花束を持っていた。どこにでも咲いている花だからと気にも留めなかったが、この聖園の他のどこにもシロツメクサは生えていない。
 祖国に誓って恩に着ろと言ってきた、高慢そうな貴族の女。

「……ロゼッタ、か」

 ヒューレートは顔を上げると、目を見開いて信徒が口にしていた女の名を口ずさんだ。

「星女神の乙女探し、さっそく面白くなってきたな」

 そう言って、ヒューレートはにんまりと笑った。



   最後の時間


「ロゼッタ様、お帰りなさいませ」
「まだ起きていたの? ヴェルナー。私のせいなら悪かったわね。すぐに部屋に戻るからもう眠って結構よ」

 てんせいを回っているのに出迎えたヴェルナーにロゼッタはそう言うが、彼は立ち去ることなく申し訳なさそうに首を垂れた。

「旦那様がお呼びでございます。お疲れのところ大変恐縮ではございますが……旦那様が起きていられる時間は日々短くなってきておりますので、どうかお出でいただけないでしょうか」
「いいわよ。私もちょうど用があったところだから」

 ロゼッタは相変わらずすまなそうな顔をしているヴェルナーにうなずき、マヌエラを見やった。

「マヌエラ、洗面器一杯分のお湯だけ用意しておいてちょうだい。それを終えたらあなたは寝ていいわよ」
「お先に眠ることなどできません。ロゼッタ様にお供させてくださいませ」
「あなたがそれでいいならいいけれど、それなら明日起きる時間をいつもより遅くしなさいね」

 これまでなら使用人の都合など考えたこともない。それが貴族にとって普通だからだ。
 だが、前世の記憶を思い出したことで平民の思考回路を知ってしまった。
 彼らにも心がある。あまり不当な扱いをして恨まれても困る。
 それくらいの気持ちで言ったロゼッタに、マヌエラがほうっと息を吐いた。

「私のような使用人にまでお心遣いいただき、ありがとうございます。ロゼッタ様はなんとお優しい方なのでしょう」

 こんなことで優しいと思われる貴族って……
 ロゼッタは呆れてグラン王国衰退の理由の一部を悟った。
 こんなだから、星女神の乙女という存在なしにはこの国は滅びる運命にあるのだ。

「ロゼッタ様、こちらでございます」

 ヴェルナーに案内されてロゼッタはまだ構造のわからない屋敷の中を歩いた。
 辿たどいたのは薬臭い部屋だ。

「旦那様、ロゼッタ様をお連れいたしました」

 そう言うと、ヴェルナーは返事を待たずに入っていく。
 返事を待たなかった理由は中に入ってすぐにわかった。
 ベッドに、死にかけの男が青ざめた顔で横たわっている。

「はじめまして、旦那様」

 ベッドの前まで進み、ロゼッタはうやうやしくドレスのすそをつまんだ。

「ロゼッタと申します」

 金で男爵位を、そして妻を買った、シャイン男爵ピーターの妻となった女のあいさつに、ピーターはかんまんな動作でうなずく。

「君にはすまないことをした……ステラについて事前に知らせなかったこと、申し訳なく思う……君がショックを受けて倒れたと聞いた……」
「確かにショックを受けたのは事実ですわ。でも、気持ちを切り替えましたので、もうお気になさらずともよろしくてよ」

 そう言いながら、ロゼッタはピーターを観察した。
 その容姿にはステラに似たところはまったくない。灰色の髪に、緑の瞳、せこけた青白い顔。
 ステラはかつてロゼッタがわらいろ、としたような小麦色の金髪だし、瞳はのうこんの夜空に金の星が散ったような色をしている。
 でも、間違いなくロゼッタが愛したあのヒロインは、この男の娘なのだ。

「君にはきちんと対価を支払う……君にも財産を分与すると遺言状を書いた……ヴェルナー……」
「こちらでございます、ロゼッタ様」
「まあ」

 ロゼッタは差し出された遺言状を見て片眉を跳ね上げた。
 そこには、自分の死後、妻であるロゼッタに財産の半分を分け与え、なおかつステラが成人するまでステラの財産の管理をすべてたくすと書かれている。
 こんな遺言状があったからこそ、ゲームのヒロインは十五歳の成人までにすべての財産を奪われて、家を追い出されて苦労したのかと、ロゼッタはためいききたくなった。

「これでは……足りないだろうか……?」

 ピーターが気遣わしげにロゼッタを見上げる。
 この男とゲームのヒロインの似たところを見つけて、ロゼッタは更にためいききたくなる。

「あなたは甘いお人ですわね」
「はは……よく言われるよ……」

 そういうところが攻略対象者達を次々と救い続け、やがてはグラン王国までをも救うために戦ったヒロインによく似ていた。
 ロゼッタには迷っていたことがある。
 だが、推しヒロインとピーターの共通点を見つけてしまったので、心を決めた。
 ロゼッタが自身の胸元に手を突っこむと、ピーターもヴェルナーもぎょっとした顔になる。それに構わず、ロゼッタは胸元に埋めたアイテムを取り出す。
 薄暗い部屋の中でも七色の光を放つのは、神の祝福宿りし魔法の薬だ。

「エリクシルよ。飲みなさい」
「ロゼッタ……?」
「本当にエリクシルなのかとか、どうしてそんなものを私が持っているのかとか、気になることはいくらでもおありでしょうけれど、そんなことを気にしている場合じゃないの、おわかりよね? 死にたくなかったら今すぐ飲みなさい、ピーター。ヴェルナー、飲ませなさい」
「か、かしこまりました……!」

 ゲームをしていた時から思っていたことがある。
 この父親さえいなくならなければ、ヒロインの前半の苦労はほとんどなくなる。もしもこの男さえ生存していれば、ヒロインはごく普通の令嬢として幸せに生きていたのではないか、と。
 ろくでもない男なら見捨てようかと思ったが、推しヒロイン似の甘い男だと知ってしまった以上は、ロゼッタには見捨てようがない。

「いや、ヴェルナー……私にそれは、必要ない」
「ふん。私が毒を盛るとでもお思いなの? そんなことをしなくても旦那様は死にかけていらっしゃるわ。私がそんな危ない橋を渡るとでも?」
「そうではないよ、ロゼッタ……実は、天啓があったのだ」
「……天啓?」

 ピーターの言葉に、ロゼッタは眉をひそめた。


 天啓とは、神がもたらすものである。
 それは助言であったり、警告であったり、過去や未来であったりする。
 神に愛された者――たとえば聖女や聖者、帝国で言うところの巫女みこや神官、星女神の乙女、あとは死に際の善人にもたらされることもある。
 ゲームには『次は○○をしよう!』というガイドが出るものがあるが、『星女神の乙女と星の騎士たち』の中でそれは『天啓!』というアイコンと共に現れていた。

「天啓を受けたから死が近いとあきらめていらっしゃるの? 案外、あなたは聖者に選ばれたのかもしれなくてよ。人がよくていらっしゃるもの。出会ったばかりの私にもわかってよ」
「ステラは……神に選ばれてしまった子なのだ……」

 今度こそ、ロゼッタは眉間にしわをよせた。

「なんですって?」
「だから……いずれステラに苦難の時が訪れる際まで……それは、とっておいてくれ……」

 そう言ってロゼッタに微笑ほほえむピーターを見て、ロゼッタはあることに気がついて息をんだ。
 この人のいい男が、どうしてロゼッタのような十八歳の娘をステラの母親代わりになど選んだのか。性欲が理由ではありえない。
 もっと年のいっている、子育てに慣れた女などいくらでもいただろうに。

「まさか……私を妻に選んだのも天啓で?」
「ああ……君を見た……」
「どうして私を選んだの!? 私はいいままははにはならないでしょう!」
「君も天啓を受けたのかい……?」
「違うわ! 私は私自身のことをよく知っているだけよ」

 ロゼッタは前世の記憶を思い出しただけだ。天啓などではない。
 天啓は、神に愛されるような善良なお人好しにしか降りないのだ。
 神に近づく修行をした司教の中には神の視界を借りる『神眼』という能力を持つ者もいるという。
 だが、ロゼッタは人がよくもなければ、神に近づく修行をしたこともない。
 神に祈ったってなんにもならないと、何年も前から祈りの日課さえ放棄している不良信徒だ。

「だが君を妻として迎えた先の未来で……ステラは、笑っていたから……」

 神はこの男に未来を見せたらしい。
 笑っていたということは、バッドエンドルートではないのだろう。

「……あなた、馬鹿なんじゃないの?」

 ロゼッタはもっと痛烈にとうしたい気持ちをなんとか唇を噛みしめてこらえた。

「可愛い娘に苦難の時が訪れる未来が待っていると予告されたなら、その運命を回避するために努力するのが親のすることでしょう!」
「だが……ステラが戦わなければ……」
「あの小さな娘が戦わないと滅ぶ世界なら、滅びればいいわ」

 困惑顔をしていたピーターが押し黙る。
 この国が滅んでしまうとでも言おうとしたのだろうが、この国どころか世界が滅べばいいと言い放ったロゼッタに先を続けるのははばかられたらしい。

「エリクシルを飲みなさい、旦那様……もしも私の意見に賛同してくださるのなら」
「ロゼッタ……だが……」
「ステラが戦うことを望むなら仕方ないわ。だけど、それ以外に道がないとばかりに追いこまれて戦わざるを得なくなると知っていて、その運命から娘を救わないのはぎゃくたいではなくって? 娘を救うつもりがないのなら、飲まなくて結構」

 台詞ぜりふを吐くと、エリクシルを置いてロゼッタは部屋を出た。ヴェルナーがあとを追ってくる。

「ロゼッタ様、あのエリクシルは、本当に……?」
「エリクシルであることは間違いなくてよ、ヴェルナー。……ステラの部屋はどこかしら? あの子の顔を見たいのだけど……まあ、私はショックのあまりステラをいじめかけたから、会わせるのが不安なら無理にとは言わないけれども」


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