3 / 17
1巻
1-3
しおりを挟む
誤魔化そうか悩んだが、ロゼッタは正直に言った。
ステラを虐めようとしたのは本当だ。いたぶろうとした。
自分が幼い頃にされたように、やり方は実体験でよく知っていた。
前世の記憶を思い出さなければ自分が何をしでかしたかと思うと恐ろしい。
だから、ヴェルナーに止められても仕方ないと思える。
だが、ヴェルナーはロゼッタの震える拳にそっと触れて言った。
「ご案内いたしますとも、ロゼッタ様。あなた様はステラお嬢様の母君でございます」
「……母親というには私は若くてよ」
「ですがステラお嬢様を想うお気持ちは、ご立派な母君でございます」
果たしてそうだろうか、とロゼッタは疑問に思う。
ゲームの通りに進めば、ステラには輝く栄光の未来が約束されている。
バッドエンドになる可能性はあるけれども、この国でもっとも敬愛される六人の男のうちの誰かと結ばれる確率は高い。それどころか、隣の大帝国の皇帝と結ばれることさえある。
だがそれは、恐ろしい苦難を乗り越えた先にある未来。
この世界はもうゲームではないのだ。セーブもリセットもできない。
大好きな推しヒロインがたった一つの命を懸けて危険な道を進んでいくのが嫌だという、ロゼッタの我が儘にすぎないのではないか。
「私めはロゼッタ様に協力させていただきます」
「ヴェルナー、助かるけれど……いいの?」
「ステラお嬢様の平凡なお幸せのために、旦那様が神から賜った警告を頼りに、恐ろしい未来を回避いたしましょう」
天啓を、神が指し示した指針と受け取るか、避けるべき警告と受け取るか、解釈は受け取り手に委ねられる。
天啓を受けたピーターを余所に警告だと受け取ってくれたヴェルナーに案内され、ロゼッタはステラの部屋に辿り着いた。
暗いその部屋に、燭台を掲げて入っていく。
最初、天蓋付きのベッドの上に姿のないステラに焦ったが、すぐにベッドの側にうずくまっているのを見つけた。ベッドから落ちてしまったのか、それとも広いベッドに慣れていないのか。
ロゼッタは燭台を机に置いて、ステラをそっと抱き上げる。
決して力の強くないロゼッタでも抱き上げられるくらい、その体は軽い。骨と皮しかないのだ。
ここに来る前は孤児院で虐待されていたと、ロゼッタは知っている。
「こんなに小さかったなんて……」
前世の自分が頼り、縋り、助けを求めた明るく美しく優しい少女。
この少女に助けてもらおうと、大の男であるはずの攻略対象者達が、王国中の大人達が、群がるのかと思うとゾッとする。
「もう誰のことも助けなくていいわ、ステラ」
ロゼッタはステラをベッドに寝かせ、温かな毛布をそっとかけてやった。
「あなたはただ守られ、愛されて、幸せになるだけでいいのよ」
もちろんステラが自ら救世主になりたいと望むのなら、断腸の思いで応援しよう。
だが、そう望まないように育ててみせる。
ロゼッタが部屋に戻ると、マヌエラが本当に起きて待っていた。
ロゼッタのためにお湯を用意して、それでロゼッタの体を清めながら言う。
「窓際のコスモスはステラお嬢様がロゼッタ様のお見舞いにと持ってきた花なのですよ」
「まあ、そうなの?」
「はい。倒れられたロゼッタ様を心配して、昼間にいらしてくださいました」
「まあ……」
ロゼッタは言葉を失い、星明かりに照らされるコスモスを見つめた。
「あのコスモスがしおれてきたら、枯れないうちに押し花にするわ。だから決して捨ててはだめよ。いいわね?」
「かしこまりました、ロゼッタ様」
含み笑いするマヌエラを照れから睨めつけたのも束の間、ロゼッタは眠りにつくまでの間、目を細めてコスモスを見つめ続けた。
○ ● ○
「はじめまして! わたし、ステラです! 昨日はびっくりさせちゃってごめんなさい……」
遅い朝食を取るために向かった食堂で顔を合わせたステラは、ロゼッタのもとまで駆け寄ってくると、元気に自己紹介したあとにしょんぼりとうなだれた。
ロゼッタがステラに驚いて気絶したと思っているらしい。
きっと、そうとしか見えなかったろうし、ヴェルナーも説明のしようがなかったのだろう。
「はじめまして、ステラ。わたしはロゼッタよ。あなたが謝ることなんて何もないの。長旅でとっても疲れていて、倒れただけなのよ」
「でも、わたしの顔を見て、びっくりしてましたよね……?」
「こんなに可愛い子が私の娘になってくれるの!? って、びっくりしちゃったのは確かね」
ロゼッタが大げさに身ぶり手ぶりを付けて言うと、ステラはきょとんとしたあと照れたようにはにかんだ。
「そんな、わたしなんて……藁色の髪ですし」
そう言われたことがすでにあるらしい。
ロゼッタ自身も一瞬とはいえ思ったことではあるものの、憤慨する。
「あなたの髪は月の色をしているのよ。失礼なことを言う人がいるものね」
「えーっ、そんなにきれいじゃないですよ!」
「今は雲がかかっていてよく見えないだけよ。これからうんとお手入れすれば輝く月色になるわ」
「ほんとに?」
「ええ、絶対に」
「うわぁ……」
ゲームでそう表現されていたから、確信を持って請け合える。
自分の髪の毛を撫でながら感嘆するステラに、ロゼッタは目を細めた。
「これ、もしよかったら受け取ってくれる?」
「えっ! これって……」
「コスモスのお礼よ。小さくて悪いけど」
そう言ってロゼッタが渡したのは、昨晩聖園から摘んできたシロツメクサで作った小さな花冠だ。
元々、花冠にしようとも思っていなかったし、量が少なすぎてステラの頭にも小さいだろう。
それなのに、ステラは花冠に目を輝かせた。
「ほんとうに、わたしがもらってもいいんですか!?」
「あなたのために作ったのよ? ステラ」
ぱっと笑みを浮かべ、さっそく頭に花冠を被る。ロゼッタは目を細めた。
「可愛いお姫様だわ」
「えへへ」
ステラがはにかんで笑った時、食堂の入り口付近にいた使用人達がざわめいた。
「おはよう、ステラ……ロゼッタ」
「お父さんっ!?」
ステラは途端に花冠そっちのけになり、跳ねるような足取りで父親に駆け寄り、飛びついた。
九歳の子どもの遠慮のない飛びつきを、ピーターは難なく受け止める。
ロゼッタは落ちた花冠を拾いあげた。
「もう病気は治ったの!?」
「あはは。どうだろうな。だが、今日は気分がいい」
「えーっ、絶対治ったんだよ。お父さん、元気な顔してるもん!」
「ははは、そうだといいんだがね」
ステラを呼び寄せたのは最近のはずなのに、随分と懐かれている。
血の繋がる父親だからなのか、それとも人徳か。
羨ましさに花冠を握りつつロゼッタが唇を尖らせていると、ステラを椅子に座らせたピーターが近づいてくる。その足取りは確かで、昨晩まで寝たきりだった男のものとは思えない。
「エリクシルを飲んだようね?」
「ああ、君の考えに賛同するよ」
近づいた彼にロゼッタが囁くと、そう返ってくる。
実の父親がそばにいて愛情を注いでくれるなら、ロゼッタの役目などほとんど終わったようなものだ。
寂しさを覚えつつもほっと息を吐くロゼッタに、ピーターは続けた。
「だが……すまない。私の寿命は変わらないようだ」
「なっ……!?」
「あとで話そう、ロゼッタ」
ステラの前ではやめようと言外に言う彼に、ロゼッタは唇を引き結んでうなずいた。
自分の寿命は残りわずかだと打ち明けたピーターのほうが申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「さあ、みんなで昼食にしよう」
「やったー! 一人じゃないの、嬉しいな!」
「あらあら、旦那様はこれまでステラに寂しい思いをさせていたようね? 悪い人」
「まったくロゼッタの言う通りだ。すまないな、ステラ」
「これからは一緒に食べてくれればいいよっ」
元気に言うステラに、ピーターとロゼッタは顔を見合わせてうなずき合った。
これからはステラと一緒に食事をとろう。
終わりがあるというのなら、その日までだけでも、毎日。
はしゃぐステラと昼食を食べ、庭で遊び、夜ご飯を食べ、寝る前に髪の毛を梳かしてやり、寝かしつけるまで二人はそばにいた。
ステラが眠りについたあと、ロゼッタとピーターは夜の庭園を歩く。
「あれは確かにエリクシルなのだろう。まるで全盛期のような体力、気力が戻ってきている。……だが、寿命が近いのがわかるのだよ。いかな神の祝福でも、人の寿命はどうにもできないということだろう」
「あとどれぐらい生きられるのですか?」
ロゼッタが単刀直入に聞くと、嫌な顔もせず、ピーターは星を見上げながら答えた。
まるで、そこに答えが書いてあるかのように。
「およそ一ヶ月くらいだろうか」
「それまでの間に、ステラのしたいことを全部しますよ」
「ああ、そうしよう」
「あなたには悪いですけど、完全にステラが優先ですわ」
「私にとってもそのほうがありがたい」
「家族の肖像画を描いてもらいましょう」
「それはいい考えだね」
「……あなた、何も聞かないのね」
きっとロゼッタに対して疑問に思うことは一つや二つではないだろう。
それなのに、ピーターは何も聞いてこない。
「君が言いたいのなら話を聞こう。だが、そうではないのなら聞かないよ」
「こんなに怪しいのに? ステラのためにも警戒くらいはしておいてくださる?」
「あはは! 私は素晴らしい妻を選んだようだ!」
笑いながら、ピーターはロゼッタの頭を撫でた。
「子ども扱いしないでいただけるかしら」
「君も私の子どものような年齢だ……すまない。余裕がなく、そのことをすっかり失念していた」
神からもたらされた天啓だけを頼りに、ロゼッタを妻に求めたのだろう。
成金男爵がなりふり構わず金に飽かせて手に入れた幼妻。
ロゼッタの目に自分がどう見えているのかも考えなかったらしい。
「ステラの母親とは恋人でね……いずれ迎えに行くと約束していたのに、気づいた時には行方知れずになっていた。いつか再会できた時のためにと男爵位を手に入れ、屋敷を購入し、いい生活ができるように色々と揃えていたが……病に倒れて天啓を受けるまで、ステラの存在すら知らなかったんだ」
天啓を受けて、自分には娘がいることを知ったらしい。
そして、ロゼッタという未来の継母の存在を知った。
「私は悪い父親だ。だが、君ならきっといい母親になれるだろう」
「私がろくでもない継母になった未来をきっと見ているでしょうに」
「たとえ私がそんな未来を見ていたとしても、君なら運命を変えてくれるだろう?」
「もちろん」
ロゼッタはきっぱりと断言する。
「たとえ世界を滅ぼす本物の悪となろうとも、ステラの幸せを優先しますわ」
「頼もしい限りだ」
ピーターが快活に笑う。その笑顔がステラと似ている。
この一ヶ月で、あと何個ステラと似ているところを見つけることになるだろう。
それをほんの少し恐ろしく思いながら、ロゼッタは夜空に浮かぶ星を見上げた。
狐の恩返し
「お父さあん、おとうさあああああん! うわああああんっ」
ピーターは天啓に教えてもらったという日に、眠るように亡くなった。
前日まで死ぬだなんて思えないくらい元気だったのは、エリクシルの恩恵だろうか。
葬儀を終え、ステラが棺に伏せて泣いている声が教会の聖堂に痛ましく響く。
「ほら……あそこにいるのが、例の」
「ピーターさんも、最後に若い女に引っかかっちゃってねえ」
「私はあの女狐が金を持って逃げるに賭けるよ」
「ステラ嬢も、気の毒に」
葬儀の参列者の言葉に、ロゼッタは黒いヴェールの下で唇を噛んだ。
悪意のある陰口が耳に届くと、相変わらず胸に近い場所が痛む。ステラに関すること以外は全部無視すればいいだけだと頭では理解できているのに、どうしても体が思い通りに反応してくれない。
「ロゼッタ様、少々よろしいでしょうか?」
ヴェルナーが困り果てた顔でやってきたので、ロゼッタは立ち上がった。
ついていくと、参列者の男数人のもとへ連れていかれる。
身なりからして平民の富裕層だろう。高価な生地と仕立てのいい服に、微妙にマナーを外れた宝飾品――控えめな微笑みを浮かべて値踏みしながらロゼッタは彼らに近づいていく。
三人の男達はロゼッタを笑顔で迎えて言った。
「この度は御愁傷様です、ロゼッタ様」
「ピーターはいい奴でした。お悔やみ申し上げますよ」
「……ピーター様のお仕事仲間の方々でございます、ロゼッタ様」
「夫が生前お世話になったのね」
ヴェルナーの耳打ちにロゼッタが相槌を打つと、彼らは口々に自己紹介した。
ピーターの口からも話を聞いたことのある名前だった。
気のいい仲間達、という文脈で話を聞いたはずだったが、どうも違和感のある雰囲気だ。
「先程ヴェルナーとも話していたのですが、ピーターの仕事は膨大かつ広範で、王都から嫁いで一ヶ月のロゼッタ様には複雑怪奇極まりないでしょう?」
「特に帝国は税制がややこしいですからねえ」
「そこで、我々がピーターの仕事の整理を手伝って差し上げることにしたのですよ。元々、共に事業も立ち上げた仲間ですからね。それで、さっそくピーターの執務室に案内してもらおうとしていたところだったんです」
「ヴェルナー、わざわざロゼッタ様をお呼びして煩わせることなどないだろうに」
ヴェルナーが困った顔でロゼッタを呼ぶわけである。
この男達、現在シャイン男爵家の女当主となったロゼッタの了解も得ずに、男爵家の事業に手を付けようとしていたのだ。財産を盗もうとしていたようにしか見えない。
だが、ピーターは『困ったことがあれば彼らに頼るように』と言っていた。
類は友を呼ぶという。ピーター似の本物のお人好しの可能性もある。
ロゼッタは愛想よく言った。
「お気づかいいただき感謝しますわ。ですが――」
「遠慮される必要はないですよ、ロゼッタ様」
やんわりと断ろうとしたロゼッタの肩を乱暴に抱いて、男は無理やり彼女の言葉を中断させた。
「さあ、執務室に向かいましょう」
「重要な書類をしまってある棚には鍵が掛かっているだろう? 鍵を用意しておいてくれたまえ、ヴェルナー」
「離してくださる? ちょっと!」
強くもがいているのに、男達はビクともせずにロゼッタを連れていこうとする。たとえ親切心であろうとも、このような扱いには我慢ならない。
ロゼッタは扇子を逆手に持ち替えて男の顔に振りかざした。男は慌てて避けて、彼女の腕を掴む。
「うわっ! 何をなさる!」
「何をするのかと聞きたいのは私のほうよ! 夫を亡くしたばかりの寡婦の体に許可なく触れるなど常識がないの!? 離しなさい!!」
「声を荒らげるなんてみっともないですよ、ロゼッタ様」
「そうですよ、みんな見てます」
そう言われてぎくりと体がこわばり、ロゼッタは奥歯を噛みしめた。
貴族の女が悪目立ちを嫌うことを、このニヤニヤと笑う男達はよくわかっているのだ。
何が気のいい人よ、とロゼッタは亡きピーターに内心毒づいた。
「しかし、あの人のいいピーターが妻にした女性がこれほど簡単に暴力をふるおうとするとは思いませんでしたよ!」
「この調子じゃあ、いつステラ嬢に扇子を振りかざすかわかったものではないな!」
男達はわざと声を張りあげて、周りの人々にも聞かせている。
周囲の人々が、『ああ、やっぱり』と言いたげな眼差しを向けてくる。
ゲームの中の継母もこうやって追い詰められていったのだろうか。
黒いレースの手袋の中の指先が冷たくて、油断すると扇子を落としてしまいそうだ。
ゲームの自分もこういう連中に追いこまれて、そのストレスをステラにぶつけたのだとしたら――同情しかけた自分に、ロゼッタは吐き気がした。
その時だった。
「ロゼッタ様を虐めないでください!」
聖堂に響いた甲高い声に、はっと顔を上げる。
「ステラちゃん、我々はむしろステラちゃんを助けようとしているところなんだよ」
「そんなふうには見えませんでした」
ステラは目を真っ赤に腫らしながら、男達に食ってかかった。
ロゼッタが男達に絡まれていることに気づき、涙を拭って駆けつけてくれたのだ。
相手は大の男三人。小さなステラからすれば、恐ろしいだろうに。
「本当はステラちゃんが受け取るはずのピーターの財産を、彼女が独り占めしようとしているのを、我々は止めようとしているんだよ」
「ロゼッタ様は、そんなことするような人じゃないです!」
「ロゼッタ様、ねえ。母と呼ぶなと言われているんだろう? 彼女が君を娘として認めておらず、大事にしていない証拠だよ」
「そ、それは……」
ステラが怯んだ。
ロゼッタは何度か母と呼ぶように言ってみたが、ステラは頑なにロゼッタ様と呼び続けている。
ステラに『母』と呼ばれればロゼッタは嬉しい。
だが、年齢が近すぎて言いづらいのだろうかと思い、ロゼッタは無理強いしなかった。
「ステラちゃんの財産は、お兄さん達が守るから安心しなさい」
「これは大人同士の話し合いだから、ステラちゃんはあっちに行っていようね」
「ロ、ロゼッタ様……!」
ステラに危害を加える気はないようで、男達が丁重にステラを追いやる。慌てた様子でロゼッタを振り返るステラに、ロゼッタは笑みで応えた。
ステラが目を丸くする。心配させるわけにはいかないと、ますますロゼッタは笑みを深めた。
泣かないようにする努力も必要だ。
ステラは小さな体でロゼッタを守ろうとしてくれた。その事実に涙腺が緩んで仕方ないけれど、今泣いたらステラを心配させてしまう。
そんな必要はもうないのに。今、ロゼッタはステラに勇気をもらったのだから。
ロゼッタは目を潤ませながらも決して涙を流さずに笑った。
「助けにきてくれてありがとう、ステラ」
前世、ゲームのヒロインならこういう時にきっと助けてくれる、と何度も想像した。
そんな想像だけで辛い出来事を乗りこえられたのに、本当にステラは助けに来てくれた。
ピーターを亡くしたばかりで、自分のことしか考えられなくても不思議ではないのに、ロゼッタを想ってくれたのだ。
それだけで、ロゼッタにはもう十分だった。震える指先に熱が戻り、体に力が湧いてくる。
背筋を伸ばし、ロゼッタは男達をまっすぐに見すえた。
「あなた達の助けなどいらなくてよ。とっととお帰りくださるかしら?」
堂々と言うと、中心にいた青髪の男が前に進み出る。
ブルーノと名乗った男だった。三人の中のリーダー的な存在だ。
「我々が助けようとしているのはピーターとステラ嬢、シャイン男爵家であって、厳密にはあなたではありません」
「私こそがシャイン男爵家の現当主代理よ。私の許可も得ずに当家の財産をどうこうしようだなんて、寝言はどうぞ寝ておっしゃって? ヴェルナー、お客様がお帰りよ。お見送りして」
「ヴェルナー! ピーターの友人である我々の厚意が君にならわかるはずだろう!」
「私はシャイン男爵家に仕える執事でございます。男爵夫人であらせられるロゼッタ様のご命令ですので、どうか皆様、お引き取りくださいませ」
ヴェルナーを懐柔できないと悟ると、再びブルーノはロゼッタを見やった。
「帝国は実力主義で、帝国の法に詳しくない異国の者に対して情け容赦いたしません。財産の相続にあたって帝国の法に詳しい者の助けがなければ、あなた方はピーターが築き上げた財産を失いかねないというのは厳然とした事実ですよ」
ロゼッタは眉をひそめた。これはおそらく事実だ。ピーターも生前は随分心配していた。
一ヶ月で十分な引き継ぎができるわけもなく、ロゼッタもヴェルナーもそんなことのために最期の時間を使うなと、仕事をしようとするピーターをたしなめたので、恐れてはいた。
「だから我々が助けようと名乗りを上げただけだというのにこの仕打ち、本来なら見捨ててやりたいところですが、恩あるピーターの娘であるステラ嬢のためを想って言っているのです」
他の二人の男よりも誠実に見える出で立ちで、ブルーノは真剣な顔つきで言う。
「我々ほどピーターの事業に詳しい者も、帝国の事業に詳しい者もおりません。謝罪をして、助けを乞うなら今のうちですよ、ロゼッタ様?」
これもまた、事実なのだろう。ピーターも何かあればこの男達に助けを求めるように、ロゼッタとヴェルナーに言っていたのだから。
だが、その手を取ることを、湧き出る嫌悪感が邪魔をした。
ロゼッタがいいと言っていないのに体に触れ、許可を出していないのに財産の整理に関与しようとした。
それはロゼッタを蔑ろにしただけで、ステラのことなら大事にしてくれるのかもしれない。
ステラのためなら我慢して、彼らの提案を受け入れるべきなのだろうか。
自分を蔑ろにされることくらい、目を瞑るべきなのか――
葛藤するロゼッタに、急に影が差す。
「帝国の商売についてでしたら、私がお力になれますよぉ!」
ロゼッタが驚いて振り返ると、そこにはヒューが立っていた。
「ロゼッタ様にお会いしたいと訪ねていらしたので、私の判断でご案内いたしました」
「マヌエラ……そう、ありがとう」
先日の聖園で、ロゼッタが懇願するヒューを聖園に入れてあげた時、マヌエラもその場にいた。
葬式に現れたヒューを、ロゼッタの知人だと判断したのだろう。
「シャイン男爵夫人、この度はお悔やみ申し上げます」
ヒューが礼儀正しくお辞儀するのを見て、ロゼッタはピーターの友人だという平民の商売人達が、自分を『ロゼッタ様』と馴れ馴れしく呼んでいたことに気がついた。使用人やステラ、俗世のしがらみを捨てた聖職者ならともかく、許可を与えていないのに、男爵夫人ではなく名を呼ぶのは礼儀に反する。
肩を抱くなど、論外だ。
軽んじられたロゼッタの側が謝ることなど、やはり何一つない。
ロゼッタはヒューに微笑みかけた。
「来てくれてありがとう。葬儀は終わってしまったけれど、気にかけてくれたことが嬉しいわ」
そう前置きして、ロゼッタは本題に入った。
「ところで、力になれるとはどういう意味かしら?」
「私は帝国出身の商人ですから、帝国での商売に詳しいです。帝国にある遺産の整理ならお任せを! 恩返しする機会をいただければ働きますともっ」
「まあ、心強い」
ここぞとばかりに聖園での恩ともつかない恩を返そうとしているらしい。
こんなところでせっかく皇帝に取りつけた恩を返されるのはもったいない気もしたが、ステラの財産が目減りするよりはいいとロゼッタは諦めた。
「私ならば彼らのようにシャイン商会を乗っ取ろうともしておりません」
「乗っ取るですって?」
ヒューの唐突だが聞き捨てならない台詞に、ロゼッタは眉をひそめた。
「な、何をいきなり!?」
「無礼だぞ! 横からしゃしゃり出てきておいて、おまえは一体何者だ!?」
ロゼッタを余所に、男達が慌てて言いつのる。
ヒューは殊更、恭しくお辞儀した。王国貴族のお辞儀として完璧な所作であるにもかかわらず、見る者を煽る不思議な力を宿していて、男達が顔を真っ赤にした。
「私はヒュー。帝国の行商人あがりの商人でございます。分野は手広くやっておりまして、この度王都にも販路を広げようと思って参りました次第です」
「ロゼッタ様! ピーターと旧知の我々を差し置いて、どこの馬の骨ともわからぬ男の言葉を聞くのですか!」
ブルーノが喚いたが、ロゼッタはそちらにしらっとした視線を向けた。
ステラを虐めようとしたのは本当だ。いたぶろうとした。
自分が幼い頃にされたように、やり方は実体験でよく知っていた。
前世の記憶を思い出さなければ自分が何をしでかしたかと思うと恐ろしい。
だから、ヴェルナーに止められても仕方ないと思える。
だが、ヴェルナーはロゼッタの震える拳にそっと触れて言った。
「ご案内いたしますとも、ロゼッタ様。あなた様はステラお嬢様の母君でございます」
「……母親というには私は若くてよ」
「ですがステラお嬢様を想うお気持ちは、ご立派な母君でございます」
果たしてそうだろうか、とロゼッタは疑問に思う。
ゲームの通りに進めば、ステラには輝く栄光の未来が約束されている。
バッドエンドになる可能性はあるけれども、この国でもっとも敬愛される六人の男のうちの誰かと結ばれる確率は高い。それどころか、隣の大帝国の皇帝と結ばれることさえある。
だがそれは、恐ろしい苦難を乗り越えた先にある未来。
この世界はもうゲームではないのだ。セーブもリセットもできない。
大好きな推しヒロインがたった一つの命を懸けて危険な道を進んでいくのが嫌だという、ロゼッタの我が儘にすぎないのではないか。
「私めはロゼッタ様に協力させていただきます」
「ヴェルナー、助かるけれど……いいの?」
「ステラお嬢様の平凡なお幸せのために、旦那様が神から賜った警告を頼りに、恐ろしい未来を回避いたしましょう」
天啓を、神が指し示した指針と受け取るか、避けるべき警告と受け取るか、解釈は受け取り手に委ねられる。
天啓を受けたピーターを余所に警告だと受け取ってくれたヴェルナーに案内され、ロゼッタはステラの部屋に辿り着いた。
暗いその部屋に、燭台を掲げて入っていく。
最初、天蓋付きのベッドの上に姿のないステラに焦ったが、すぐにベッドの側にうずくまっているのを見つけた。ベッドから落ちてしまったのか、それとも広いベッドに慣れていないのか。
ロゼッタは燭台を机に置いて、ステラをそっと抱き上げる。
決して力の強くないロゼッタでも抱き上げられるくらい、その体は軽い。骨と皮しかないのだ。
ここに来る前は孤児院で虐待されていたと、ロゼッタは知っている。
「こんなに小さかったなんて……」
前世の自分が頼り、縋り、助けを求めた明るく美しく優しい少女。
この少女に助けてもらおうと、大の男であるはずの攻略対象者達が、王国中の大人達が、群がるのかと思うとゾッとする。
「もう誰のことも助けなくていいわ、ステラ」
ロゼッタはステラをベッドに寝かせ、温かな毛布をそっとかけてやった。
「あなたはただ守られ、愛されて、幸せになるだけでいいのよ」
もちろんステラが自ら救世主になりたいと望むのなら、断腸の思いで応援しよう。
だが、そう望まないように育ててみせる。
ロゼッタが部屋に戻ると、マヌエラが本当に起きて待っていた。
ロゼッタのためにお湯を用意して、それでロゼッタの体を清めながら言う。
「窓際のコスモスはステラお嬢様がロゼッタ様のお見舞いにと持ってきた花なのですよ」
「まあ、そうなの?」
「はい。倒れられたロゼッタ様を心配して、昼間にいらしてくださいました」
「まあ……」
ロゼッタは言葉を失い、星明かりに照らされるコスモスを見つめた。
「あのコスモスがしおれてきたら、枯れないうちに押し花にするわ。だから決して捨ててはだめよ。いいわね?」
「かしこまりました、ロゼッタ様」
含み笑いするマヌエラを照れから睨めつけたのも束の間、ロゼッタは眠りにつくまでの間、目を細めてコスモスを見つめ続けた。
○ ● ○
「はじめまして! わたし、ステラです! 昨日はびっくりさせちゃってごめんなさい……」
遅い朝食を取るために向かった食堂で顔を合わせたステラは、ロゼッタのもとまで駆け寄ってくると、元気に自己紹介したあとにしょんぼりとうなだれた。
ロゼッタがステラに驚いて気絶したと思っているらしい。
きっと、そうとしか見えなかったろうし、ヴェルナーも説明のしようがなかったのだろう。
「はじめまして、ステラ。わたしはロゼッタよ。あなたが謝ることなんて何もないの。長旅でとっても疲れていて、倒れただけなのよ」
「でも、わたしの顔を見て、びっくりしてましたよね……?」
「こんなに可愛い子が私の娘になってくれるの!? って、びっくりしちゃったのは確かね」
ロゼッタが大げさに身ぶり手ぶりを付けて言うと、ステラはきょとんとしたあと照れたようにはにかんだ。
「そんな、わたしなんて……藁色の髪ですし」
そう言われたことがすでにあるらしい。
ロゼッタ自身も一瞬とはいえ思ったことではあるものの、憤慨する。
「あなたの髪は月の色をしているのよ。失礼なことを言う人がいるものね」
「えーっ、そんなにきれいじゃないですよ!」
「今は雲がかかっていてよく見えないだけよ。これからうんとお手入れすれば輝く月色になるわ」
「ほんとに?」
「ええ、絶対に」
「うわぁ……」
ゲームでそう表現されていたから、確信を持って請け合える。
自分の髪の毛を撫でながら感嘆するステラに、ロゼッタは目を細めた。
「これ、もしよかったら受け取ってくれる?」
「えっ! これって……」
「コスモスのお礼よ。小さくて悪いけど」
そう言ってロゼッタが渡したのは、昨晩聖園から摘んできたシロツメクサで作った小さな花冠だ。
元々、花冠にしようとも思っていなかったし、量が少なすぎてステラの頭にも小さいだろう。
それなのに、ステラは花冠に目を輝かせた。
「ほんとうに、わたしがもらってもいいんですか!?」
「あなたのために作ったのよ? ステラ」
ぱっと笑みを浮かべ、さっそく頭に花冠を被る。ロゼッタは目を細めた。
「可愛いお姫様だわ」
「えへへ」
ステラがはにかんで笑った時、食堂の入り口付近にいた使用人達がざわめいた。
「おはよう、ステラ……ロゼッタ」
「お父さんっ!?」
ステラは途端に花冠そっちのけになり、跳ねるような足取りで父親に駆け寄り、飛びついた。
九歳の子どもの遠慮のない飛びつきを、ピーターは難なく受け止める。
ロゼッタは落ちた花冠を拾いあげた。
「もう病気は治ったの!?」
「あはは。どうだろうな。だが、今日は気分がいい」
「えーっ、絶対治ったんだよ。お父さん、元気な顔してるもん!」
「ははは、そうだといいんだがね」
ステラを呼び寄せたのは最近のはずなのに、随分と懐かれている。
血の繋がる父親だからなのか、それとも人徳か。
羨ましさに花冠を握りつつロゼッタが唇を尖らせていると、ステラを椅子に座らせたピーターが近づいてくる。その足取りは確かで、昨晩まで寝たきりだった男のものとは思えない。
「エリクシルを飲んだようね?」
「ああ、君の考えに賛同するよ」
近づいた彼にロゼッタが囁くと、そう返ってくる。
実の父親がそばにいて愛情を注いでくれるなら、ロゼッタの役目などほとんど終わったようなものだ。
寂しさを覚えつつもほっと息を吐くロゼッタに、ピーターは続けた。
「だが……すまない。私の寿命は変わらないようだ」
「なっ……!?」
「あとで話そう、ロゼッタ」
ステラの前ではやめようと言外に言う彼に、ロゼッタは唇を引き結んでうなずいた。
自分の寿命は残りわずかだと打ち明けたピーターのほうが申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「さあ、みんなで昼食にしよう」
「やったー! 一人じゃないの、嬉しいな!」
「あらあら、旦那様はこれまでステラに寂しい思いをさせていたようね? 悪い人」
「まったくロゼッタの言う通りだ。すまないな、ステラ」
「これからは一緒に食べてくれればいいよっ」
元気に言うステラに、ピーターとロゼッタは顔を見合わせてうなずき合った。
これからはステラと一緒に食事をとろう。
終わりがあるというのなら、その日までだけでも、毎日。
はしゃぐステラと昼食を食べ、庭で遊び、夜ご飯を食べ、寝る前に髪の毛を梳かしてやり、寝かしつけるまで二人はそばにいた。
ステラが眠りについたあと、ロゼッタとピーターは夜の庭園を歩く。
「あれは確かにエリクシルなのだろう。まるで全盛期のような体力、気力が戻ってきている。……だが、寿命が近いのがわかるのだよ。いかな神の祝福でも、人の寿命はどうにもできないということだろう」
「あとどれぐらい生きられるのですか?」
ロゼッタが単刀直入に聞くと、嫌な顔もせず、ピーターは星を見上げながら答えた。
まるで、そこに答えが書いてあるかのように。
「およそ一ヶ月くらいだろうか」
「それまでの間に、ステラのしたいことを全部しますよ」
「ああ、そうしよう」
「あなたには悪いですけど、完全にステラが優先ですわ」
「私にとってもそのほうがありがたい」
「家族の肖像画を描いてもらいましょう」
「それはいい考えだね」
「……あなた、何も聞かないのね」
きっとロゼッタに対して疑問に思うことは一つや二つではないだろう。
それなのに、ピーターは何も聞いてこない。
「君が言いたいのなら話を聞こう。だが、そうではないのなら聞かないよ」
「こんなに怪しいのに? ステラのためにも警戒くらいはしておいてくださる?」
「あはは! 私は素晴らしい妻を選んだようだ!」
笑いながら、ピーターはロゼッタの頭を撫でた。
「子ども扱いしないでいただけるかしら」
「君も私の子どものような年齢だ……すまない。余裕がなく、そのことをすっかり失念していた」
神からもたらされた天啓だけを頼りに、ロゼッタを妻に求めたのだろう。
成金男爵がなりふり構わず金に飽かせて手に入れた幼妻。
ロゼッタの目に自分がどう見えているのかも考えなかったらしい。
「ステラの母親とは恋人でね……いずれ迎えに行くと約束していたのに、気づいた時には行方知れずになっていた。いつか再会できた時のためにと男爵位を手に入れ、屋敷を購入し、いい生活ができるように色々と揃えていたが……病に倒れて天啓を受けるまで、ステラの存在すら知らなかったんだ」
天啓を受けて、自分には娘がいることを知ったらしい。
そして、ロゼッタという未来の継母の存在を知った。
「私は悪い父親だ。だが、君ならきっといい母親になれるだろう」
「私がろくでもない継母になった未来をきっと見ているでしょうに」
「たとえ私がそんな未来を見ていたとしても、君なら運命を変えてくれるだろう?」
「もちろん」
ロゼッタはきっぱりと断言する。
「たとえ世界を滅ぼす本物の悪となろうとも、ステラの幸せを優先しますわ」
「頼もしい限りだ」
ピーターが快活に笑う。その笑顔がステラと似ている。
この一ヶ月で、あと何個ステラと似ているところを見つけることになるだろう。
それをほんの少し恐ろしく思いながら、ロゼッタは夜空に浮かぶ星を見上げた。
狐の恩返し
「お父さあん、おとうさあああああん! うわああああんっ」
ピーターは天啓に教えてもらったという日に、眠るように亡くなった。
前日まで死ぬだなんて思えないくらい元気だったのは、エリクシルの恩恵だろうか。
葬儀を終え、ステラが棺に伏せて泣いている声が教会の聖堂に痛ましく響く。
「ほら……あそこにいるのが、例の」
「ピーターさんも、最後に若い女に引っかかっちゃってねえ」
「私はあの女狐が金を持って逃げるに賭けるよ」
「ステラ嬢も、気の毒に」
葬儀の参列者の言葉に、ロゼッタは黒いヴェールの下で唇を噛んだ。
悪意のある陰口が耳に届くと、相変わらず胸に近い場所が痛む。ステラに関すること以外は全部無視すればいいだけだと頭では理解できているのに、どうしても体が思い通りに反応してくれない。
「ロゼッタ様、少々よろしいでしょうか?」
ヴェルナーが困り果てた顔でやってきたので、ロゼッタは立ち上がった。
ついていくと、参列者の男数人のもとへ連れていかれる。
身なりからして平民の富裕層だろう。高価な生地と仕立てのいい服に、微妙にマナーを外れた宝飾品――控えめな微笑みを浮かべて値踏みしながらロゼッタは彼らに近づいていく。
三人の男達はロゼッタを笑顔で迎えて言った。
「この度は御愁傷様です、ロゼッタ様」
「ピーターはいい奴でした。お悔やみ申し上げますよ」
「……ピーター様のお仕事仲間の方々でございます、ロゼッタ様」
「夫が生前お世話になったのね」
ヴェルナーの耳打ちにロゼッタが相槌を打つと、彼らは口々に自己紹介した。
ピーターの口からも話を聞いたことのある名前だった。
気のいい仲間達、という文脈で話を聞いたはずだったが、どうも違和感のある雰囲気だ。
「先程ヴェルナーとも話していたのですが、ピーターの仕事は膨大かつ広範で、王都から嫁いで一ヶ月のロゼッタ様には複雑怪奇極まりないでしょう?」
「特に帝国は税制がややこしいですからねえ」
「そこで、我々がピーターの仕事の整理を手伝って差し上げることにしたのですよ。元々、共に事業も立ち上げた仲間ですからね。それで、さっそくピーターの執務室に案内してもらおうとしていたところだったんです」
「ヴェルナー、わざわざロゼッタ様をお呼びして煩わせることなどないだろうに」
ヴェルナーが困った顔でロゼッタを呼ぶわけである。
この男達、現在シャイン男爵家の女当主となったロゼッタの了解も得ずに、男爵家の事業に手を付けようとしていたのだ。財産を盗もうとしていたようにしか見えない。
だが、ピーターは『困ったことがあれば彼らに頼るように』と言っていた。
類は友を呼ぶという。ピーター似の本物のお人好しの可能性もある。
ロゼッタは愛想よく言った。
「お気づかいいただき感謝しますわ。ですが――」
「遠慮される必要はないですよ、ロゼッタ様」
やんわりと断ろうとしたロゼッタの肩を乱暴に抱いて、男は無理やり彼女の言葉を中断させた。
「さあ、執務室に向かいましょう」
「重要な書類をしまってある棚には鍵が掛かっているだろう? 鍵を用意しておいてくれたまえ、ヴェルナー」
「離してくださる? ちょっと!」
強くもがいているのに、男達はビクともせずにロゼッタを連れていこうとする。たとえ親切心であろうとも、このような扱いには我慢ならない。
ロゼッタは扇子を逆手に持ち替えて男の顔に振りかざした。男は慌てて避けて、彼女の腕を掴む。
「うわっ! 何をなさる!」
「何をするのかと聞きたいのは私のほうよ! 夫を亡くしたばかりの寡婦の体に許可なく触れるなど常識がないの!? 離しなさい!!」
「声を荒らげるなんてみっともないですよ、ロゼッタ様」
「そうですよ、みんな見てます」
そう言われてぎくりと体がこわばり、ロゼッタは奥歯を噛みしめた。
貴族の女が悪目立ちを嫌うことを、このニヤニヤと笑う男達はよくわかっているのだ。
何が気のいい人よ、とロゼッタは亡きピーターに内心毒づいた。
「しかし、あの人のいいピーターが妻にした女性がこれほど簡単に暴力をふるおうとするとは思いませんでしたよ!」
「この調子じゃあ、いつステラ嬢に扇子を振りかざすかわかったものではないな!」
男達はわざと声を張りあげて、周りの人々にも聞かせている。
周囲の人々が、『ああ、やっぱり』と言いたげな眼差しを向けてくる。
ゲームの中の継母もこうやって追い詰められていったのだろうか。
黒いレースの手袋の中の指先が冷たくて、油断すると扇子を落としてしまいそうだ。
ゲームの自分もこういう連中に追いこまれて、そのストレスをステラにぶつけたのだとしたら――同情しかけた自分に、ロゼッタは吐き気がした。
その時だった。
「ロゼッタ様を虐めないでください!」
聖堂に響いた甲高い声に、はっと顔を上げる。
「ステラちゃん、我々はむしろステラちゃんを助けようとしているところなんだよ」
「そんなふうには見えませんでした」
ステラは目を真っ赤に腫らしながら、男達に食ってかかった。
ロゼッタが男達に絡まれていることに気づき、涙を拭って駆けつけてくれたのだ。
相手は大の男三人。小さなステラからすれば、恐ろしいだろうに。
「本当はステラちゃんが受け取るはずのピーターの財産を、彼女が独り占めしようとしているのを、我々は止めようとしているんだよ」
「ロゼッタ様は、そんなことするような人じゃないです!」
「ロゼッタ様、ねえ。母と呼ぶなと言われているんだろう? 彼女が君を娘として認めておらず、大事にしていない証拠だよ」
「そ、それは……」
ステラが怯んだ。
ロゼッタは何度か母と呼ぶように言ってみたが、ステラは頑なにロゼッタ様と呼び続けている。
ステラに『母』と呼ばれればロゼッタは嬉しい。
だが、年齢が近すぎて言いづらいのだろうかと思い、ロゼッタは無理強いしなかった。
「ステラちゃんの財産は、お兄さん達が守るから安心しなさい」
「これは大人同士の話し合いだから、ステラちゃんはあっちに行っていようね」
「ロ、ロゼッタ様……!」
ステラに危害を加える気はないようで、男達が丁重にステラを追いやる。慌てた様子でロゼッタを振り返るステラに、ロゼッタは笑みで応えた。
ステラが目を丸くする。心配させるわけにはいかないと、ますますロゼッタは笑みを深めた。
泣かないようにする努力も必要だ。
ステラは小さな体でロゼッタを守ろうとしてくれた。その事実に涙腺が緩んで仕方ないけれど、今泣いたらステラを心配させてしまう。
そんな必要はもうないのに。今、ロゼッタはステラに勇気をもらったのだから。
ロゼッタは目を潤ませながらも決して涙を流さずに笑った。
「助けにきてくれてありがとう、ステラ」
前世、ゲームのヒロインならこういう時にきっと助けてくれる、と何度も想像した。
そんな想像だけで辛い出来事を乗りこえられたのに、本当にステラは助けに来てくれた。
ピーターを亡くしたばかりで、自分のことしか考えられなくても不思議ではないのに、ロゼッタを想ってくれたのだ。
それだけで、ロゼッタにはもう十分だった。震える指先に熱が戻り、体に力が湧いてくる。
背筋を伸ばし、ロゼッタは男達をまっすぐに見すえた。
「あなた達の助けなどいらなくてよ。とっととお帰りくださるかしら?」
堂々と言うと、中心にいた青髪の男が前に進み出る。
ブルーノと名乗った男だった。三人の中のリーダー的な存在だ。
「我々が助けようとしているのはピーターとステラ嬢、シャイン男爵家であって、厳密にはあなたではありません」
「私こそがシャイン男爵家の現当主代理よ。私の許可も得ずに当家の財産をどうこうしようだなんて、寝言はどうぞ寝ておっしゃって? ヴェルナー、お客様がお帰りよ。お見送りして」
「ヴェルナー! ピーターの友人である我々の厚意が君にならわかるはずだろう!」
「私はシャイン男爵家に仕える執事でございます。男爵夫人であらせられるロゼッタ様のご命令ですので、どうか皆様、お引き取りくださいませ」
ヴェルナーを懐柔できないと悟ると、再びブルーノはロゼッタを見やった。
「帝国は実力主義で、帝国の法に詳しくない異国の者に対して情け容赦いたしません。財産の相続にあたって帝国の法に詳しい者の助けがなければ、あなた方はピーターが築き上げた財産を失いかねないというのは厳然とした事実ですよ」
ロゼッタは眉をひそめた。これはおそらく事実だ。ピーターも生前は随分心配していた。
一ヶ月で十分な引き継ぎができるわけもなく、ロゼッタもヴェルナーもそんなことのために最期の時間を使うなと、仕事をしようとするピーターをたしなめたので、恐れてはいた。
「だから我々が助けようと名乗りを上げただけだというのにこの仕打ち、本来なら見捨ててやりたいところですが、恩あるピーターの娘であるステラ嬢のためを想って言っているのです」
他の二人の男よりも誠実に見える出で立ちで、ブルーノは真剣な顔つきで言う。
「我々ほどピーターの事業に詳しい者も、帝国の事業に詳しい者もおりません。謝罪をして、助けを乞うなら今のうちですよ、ロゼッタ様?」
これもまた、事実なのだろう。ピーターも何かあればこの男達に助けを求めるように、ロゼッタとヴェルナーに言っていたのだから。
だが、その手を取ることを、湧き出る嫌悪感が邪魔をした。
ロゼッタがいいと言っていないのに体に触れ、許可を出していないのに財産の整理に関与しようとした。
それはロゼッタを蔑ろにしただけで、ステラのことなら大事にしてくれるのかもしれない。
ステラのためなら我慢して、彼らの提案を受け入れるべきなのだろうか。
自分を蔑ろにされることくらい、目を瞑るべきなのか――
葛藤するロゼッタに、急に影が差す。
「帝国の商売についてでしたら、私がお力になれますよぉ!」
ロゼッタが驚いて振り返ると、そこにはヒューが立っていた。
「ロゼッタ様にお会いしたいと訪ねていらしたので、私の判断でご案内いたしました」
「マヌエラ……そう、ありがとう」
先日の聖園で、ロゼッタが懇願するヒューを聖園に入れてあげた時、マヌエラもその場にいた。
葬式に現れたヒューを、ロゼッタの知人だと判断したのだろう。
「シャイン男爵夫人、この度はお悔やみ申し上げます」
ヒューが礼儀正しくお辞儀するのを見て、ロゼッタはピーターの友人だという平民の商売人達が、自分を『ロゼッタ様』と馴れ馴れしく呼んでいたことに気がついた。使用人やステラ、俗世のしがらみを捨てた聖職者ならともかく、許可を与えていないのに、男爵夫人ではなく名を呼ぶのは礼儀に反する。
肩を抱くなど、論外だ。
軽んじられたロゼッタの側が謝ることなど、やはり何一つない。
ロゼッタはヒューに微笑みかけた。
「来てくれてありがとう。葬儀は終わってしまったけれど、気にかけてくれたことが嬉しいわ」
そう前置きして、ロゼッタは本題に入った。
「ところで、力になれるとはどういう意味かしら?」
「私は帝国出身の商人ですから、帝国での商売に詳しいです。帝国にある遺産の整理ならお任せを! 恩返しする機会をいただければ働きますともっ」
「まあ、心強い」
ここぞとばかりに聖園での恩ともつかない恩を返そうとしているらしい。
こんなところでせっかく皇帝に取りつけた恩を返されるのはもったいない気もしたが、ステラの財産が目減りするよりはいいとロゼッタは諦めた。
「私ならば彼らのようにシャイン商会を乗っ取ろうともしておりません」
「乗っ取るですって?」
ヒューの唐突だが聞き捨てならない台詞に、ロゼッタは眉をひそめた。
「な、何をいきなり!?」
「無礼だぞ! 横からしゃしゃり出てきておいて、おまえは一体何者だ!?」
ロゼッタを余所に、男達が慌てて言いつのる。
ヒューは殊更、恭しくお辞儀した。王国貴族のお辞儀として完璧な所作であるにもかかわらず、見る者を煽る不思議な力を宿していて、男達が顔を真っ赤にした。
「私はヒュー。帝国の行商人あがりの商人でございます。分野は手広くやっておりまして、この度王都にも販路を広げようと思って参りました次第です」
「ロゼッタ様! ピーターと旧知の我々を差し置いて、どこの馬の骨ともわからぬ男の言葉を聞くのですか!」
ブルーノが喚いたが、ロゼッタはそちらにしらっとした視線を向けた。
633
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】父が再婚。義母には連れ子がいて一つ下の妹になるそうですが……ちょうだい癖のある義妹に寮生活は無理なのでは?
つくも茄子
ファンタジー
父が再婚をしました。お相手は男爵夫人。
平民の我が家でいいのですか?
疑問に思うものの、よくよく聞けば、相手も再婚で、娘が一人いるとのこと。
義妹はそれは美しい少女でした。義母に似たのでしょう。父も実娘をそっちのけで義妹にメロメロです。ですが、この新しい義妹には悪癖があるようで、人の物を欲しがるのです。「お義姉様、ちょうだい!」が口癖。あまりに煩いので快く渡しています。何故かって?もうすぐ、学園での寮生活に入るからです。少しの間だけ我慢すれば済むこと。
学園では煩い家族がいない分、のびのびと過ごせていたのですが、義妹が入学してきました。
必ずしも入学しなければならない、というわけではありません。
勉強嫌いの義妹。
この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。
両親に駄々をこねているようです。
私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。
しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。
なろう、カクヨム、にも公開中。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~
空色蜻蛉
恋愛
「令嬢であるお前は、身の周りのことは従者なしに何もできまい」
氷薔薇姫の異名で知られるネーヴェは、王子に婚約破棄され、辺境の地モンタルチーノに追放された。
「私が何も出来ない箱入り娘だと、勘違いしているのね。私から見れば、聖女様の方がよっぽど箱入りだけど」
ネーヴェは自分で屋敷を掃除したり美味しい料理を作ったり、自由な生活を満喫する。
成り行きで、葡萄畑作りで泥だらけになっている男と仲良くなるが、実は彼の正体は伝説の・・であった。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました
kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」
王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。