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僕と彼女とその一夜④
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腕の中の温もりが身動きする気配を感じとって、僕の意識はまどろみから浮上した。
「――そっか、昨日オミくんと……」
ぼそぼそと聞こえるのは多分、頼子さんの独り言。
彼女の声で目覚めることができるなんて、なんという贅沢。
シーツにくるまったままの僕は、目を閉じてぼんやりとその声に聞き入っていた。
「オミくん、昨日の私をどう思ったかな。これからどっちの態度で接したらいいんだろ……」
耳にした内容にどうも引っ掛かりを覚え、寝ぼけていた僕の頭は徐々に覚醒していく。
どっちというのは、普段のきちんとした頼子さんと、昨日のゆるゆるな頼子さん?
「――そもそも、どっちの頼子さんが本当なんですか?」
「……っ、起きてたの?」
起き上がりながら問いかけると、ベッドに腰掛けた彼女が驚いて振り返った。
「ちょっと前に起きたんです。で、どっち?」
手をついてにじり寄ると、すごくためらいがちに「ゆるゆるなほう……」と教えてくれた。意外な答えに僕は目を見開く。
「昨日は酔いでふらふらしてた部分ももちろんあったけど、もとは結構のほほんとした性格なの」
自分でもその表現が似合わない自覚があるのか、頼子さんは決まり悪そうだった。
「じゃあ、会社でのクールな頼子さんは?」
「あれは……自衛みたいなもの」
「自衛?」
そう、と頼子さんは頷く。
「私って人を疑うことがあんまり得意じゃないみたいで、すぐ親身になりすぎるから……寄ってきやすいのよ。変な人が」
つまり、生来のおっとりした性格が危ない人間を引き寄せてしまうから、やむなく表向きはしっかり者のクールな女性として振舞っているということらしい。大袈裟なようにも思えるが、実際に痴漢や変質者やストーカーに絡まれたことが多々あるというのだから深刻だ。
「一度信用したら、警戒心が完全になくなっちゃうから、気を許すのは本当の本当に信じられる人だけって決めてるの」
「なるほど……」
それがあの踏み込みにくいフラットな態度につながっていたのだ。
冷たくするわけにはいかないから、気を配ったり優しくしたりはするけれど、誰に対しても徹底的に平等。義理のラインは絶対に越えない。
強気の押しに弱いのは、作り上げたバリアを乗り越えられると、途端にどうしていいか分からなくなるから。
警戒するかしないか、その間がないからこそ苦肉の策だったということだ。案外不器用な人だったんだな、と苦笑まじりに思う。
「てことは僕も、やっぱり信用されてなかったんですね……」
一貫した冷静な態度も、お酒をセーブするのも、ガードを緩めてはいけない相手だと認識されていたからこそ。
半ば予想していた事実だけれど、昨夜あれだけ睦みあったあとだから落胆が大きい。
しかし頼子さんは、大きく首を横に振る。
「違うよ。オミくんはそれとは全然違うの。その……」
口ごもって、不安げにこちらをうかがう。僕は促すように首を傾げた。
「なんですか?」
「……オミくんって、会社での私を好きになったんでしょう? クールじゃない私を見せたら、がっかりされないか、心配で……」
「それこそありえないでしょう」
僕は当然のごとく否定するが、唇を結んだ彼女は納得いかない様子だ。
「だって、あんなに何度も告白したのに」
「好意が大きいほど、理想と違ったときの反動も大きいものなの」
なんてネガティブな……という感想を抱いたが、ストーカーの被害に遭ったこともあるなら、そう感じても仕方がないのかもしれない。
「だったら僕のことは、本当に好き?」
気を取り直して訊ねると、頼子さんは恥じらうように視線を逸らした。
「……昨日言ったでしょう」
「昨日はお酒を飲んでたので。もう一度確かめさせてください」
途端に彼女は眉を下げて狼狽えた顔をする。
確かにこういう表情は、仕事中には絶対にしないし、絶対にしてほしくない。
だって可愛いのだ。いじめたくなるくらい。
「頼子さん……」
軽率に煽られた僕は、彼女の腕を引き寄せてベッドに引き込み、唇を重ねようとする。しかしそれは、すかさず割り込んできた手のひらによって阻まれた。
「いいじゃないですか、少しくらい」
くぐもった声で不満をこぼすけれど、頼子さんは「だめ」とばっさり切り捨てた。
「もう準備しないと、会社に行く時間だから」
「え?」と僕は時計を見やるが、まだ全然遅刻する時間ではない。立ち上がってその様子を眺めていた頼子さんは呆れたように苦笑する。
「遅刻ギリギリに行って、あたふた仕事を始めるなんて、避けたいでしょう?」
そう口にする表情は、僕にとっては見慣れたクールな頼子さんだ。
なんだかそれで、いろいろ分かってしまった。
しっかり者は表向きだけだと頼子さんは言うけれど、きっとそれももう、彼女の一部。昨夜、巧みな手技で僕を虜にした彼女には、普段の大人な振る舞いに通じるものが確かにあった。クールさと無防備さという相反するギャップは僕を惹き付けてやまない。
とはいえ、冷静さを取り戻した頼子さんにはとても敵う気がしないので、僕はキスを諦め、しぶしぶベッドから降りることにした。
二人で朝食を食べている際、ふと思いついて聞いてみた。
「そういえば昨日はなんであんなに飲んでたんですか?」
「あれは……っ、オミくんとどうやって仲直りしたらいいか相談したら、もういっそ酔っ払った素の姿を見てもらえばって半ば強引に……」
「先輩に感謝しないといけないですね……」
もとをたどれば、行き違いのきっかけも先輩から聞いた話だった。結果として頼子さんとの仲はこうして深まったわけだから、先輩が恋のキューピッドだったのは間違いない。
ようやく普通のカップルになれた僕たちは、次の週末に家飲みをやり直そうと約束した。可愛らしく酔う彼女をそばで眺められる日が、僕は今から待ち遠しくてしかたがない。
Fin.
「――そっか、昨日オミくんと……」
ぼそぼそと聞こえるのは多分、頼子さんの独り言。
彼女の声で目覚めることができるなんて、なんという贅沢。
シーツにくるまったままの僕は、目を閉じてぼんやりとその声に聞き入っていた。
「オミくん、昨日の私をどう思ったかな。これからどっちの態度で接したらいいんだろ……」
耳にした内容にどうも引っ掛かりを覚え、寝ぼけていた僕の頭は徐々に覚醒していく。
どっちというのは、普段のきちんとした頼子さんと、昨日のゆるゆるな頼子さん?
「――そもそも、どっちの頼子さんが本当なんですか?」
「……っ、起きてたの?」
起き上がりながら問いかけると、ベッドに腰掛けた彼女が驚いて振り返った。
「ちょっと前に起きたんです。で、どっち?」
手をついてにじり寄ると、すごくためらいがちに「ゆるゆるなほう……」と教えてくれた。意外な答えに僕は目を見開く。
「昨日は酔いでふらふらしてた部分ももちろんあったけど、もとは結構のほほんとした性格なの」
自分でもその表現が似合わない自覚があるのか、頼子さんは決まり悪そうだった。
「じゃあ、会社でのクールな頼子さんは?」
「あれは……自衛みたいなもの」
「自衛?」
そう、と頼子さんは頷く。
「私って人を疑うことがあんまり得意じゃないみたいで、すぐ親身になりすぎるから……寄ってきやすいのよ。変な人が」
つまり、生来のおっとりした性格が危ない人間を引き寄せてしまうから、やむなく表向きはしっかり者のクールな女性として振舞っているということらしい。大袈裟なようにも思えるが、実際に痴漢や変質者やストーカーに絡まれたことが多々あるというのだから深刻だ。
「一度信用したら、警戒心が完全になくなっちゃうから、気を許すのは本当の本当に信じられる人だけって決めてるの」
「なるほど……」
それがあの踏み込みにくいフラットな態度につながっていたのだ。
冷たくするわけにはいかないから、気を配ったり優しくしたりはするけれど、誰に対しても徹底的に平等。義理のラインは絶対に越えない。
強気の押しに弱いのは、作り上げたバリアを乗り越えられると、途端にどうしていいか分からなくなるから。
警戒するかしないか、その間がないからこそ苦肉の策だったということだ。案外不器用な人だったんだな、と苦笑まじりに思う。
「てことは僕も、やっぱり信用されてなかったんですね……」
一貫した冷静な態度も、お酒をセーブするのも、ガードを緩めてはいけない相手だと認識されていたからこそ。
半ば予想していた事実だけれど、昨夜あれだけ睦みあったあとだから落胆が大きい。
しかし頼子さんは、大きく首を横に振る。
「違うよ。オミくんはそれとは全然違うの。その……」
口ごもって、不安げにこちらをうかがう。僕は促すように首を傾げた。
「なんですか?」
「……オミくんって、会社での私を好きになったんでしょう? クールじゃない私を見せたら、がっかりされないか、心配で……」
「それこそありえないでしょう」
僕は当然のごとく否定するが、唇を結んだ彼女は納得いかない様子だ。
「だって、あんなに何度も告白したのに」
「好意が大きいほど、理想と違ったときの反動も大きいものなの」
なんてネガティブな……という感想を抱いたが、ストーカーの被害に遭ったこともあるなら、そう感じても仕方がないのかもしれない。
「だったら僕のことは、本当に好き?」
気を取り直して訊ねると、頼子さんは恥じらうように視線を逸らした。
「……昨日言ったでしょう」
「昨日はお酒を飲んでたので。もう一度確かめさせてください」
途端に彼女は眉を下げて狼狽えた顔をする。
確かにこういう表情は、仕事中には絶対にしないし、絶対にしてほしくない。
だって可愛いのだ。いじめたくなるくらい。
「頼子さん……」
軽率に煽られた僕は、彼女の腕を引き寄せてベッドに引き込み、唇を重ねようとする。しかしそれは、すかさず割り込んできた手のひらによって阻まれた。
「いいじゃないですか、少しくらい」
くぐもった声で不満をこぼすけれど、頼子さんは「だめ」とばっさり切り捨てた。
「もう準備しないと、会社に行く時間だから」
「え?」と僕は時計を見やるが、まだ全然遅刻する時間ではない。立ち上がってその様子を眺めていた頼子さんは呆れたように苦笑する。
「遅刻ギリギリに行って、あたふた仕事を始めるなんて、避けたいでしょう?」
そう口にする表情は、僕にとっては見慣れたクールな頼子さんだ。
なんだかそれで、いろいろ分かってしまった。
しっかり者は表向きだけだと頼子さんは言うけれど、きっとそれももう、彼女の一部。昨夜、巧みな手技で僕を虜にした彼女には、普段の大人な振る舞いに通じるものが確かにあった。クールさと無防備さという相反するギャップは僕を惹き付けてやまない。
とはいえ、冷静さを取り戻した頼子さんにはとても敵う気がしないので、僕はキスを諦め、しぶしぶベッドから降りることにした。
二人で朝食を食べている際、ふと思いついて聞いてみた。
「そういえば昨日はなんであんなに飲んでたんですか?」
「あれは……っ、オミくんとどうやって仲直りしたらいいか相談したら、もういっそ酔っ払った素の姿を見てもらえばって半ば強引に……」
「先輩に感謝しないといけないですね……」
もとをたどれば、行き違いのきっかけも先輩から聞いた話だった。結果として頼子さんとの仲はこうして深まったわけだから、先輩が恋のキューピッドだったのは間違いない。
ようやく普通のカップルになれた僕たちは、次の週末に家飲みをやり直そうと約束した。可愛らしく酔う彼女をそばで眺められる日が、僕は今から待ち遠しくてしかたがない。
Fin.
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