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[14]ミッション③遂行中(3)
しおりを挟む「本当にお美しい方だ」
カーライル子爵家長男のグレイ様は、ダンスの間中、全身がこそばゆくなるような言葉を吐き続けた。
社交辞令ならもう充分だと、恐縮してしまう。
「もう、からかわないでくださいまし」
「本気ですよ。以前から常々思っておりましたが、アレクセイ殿下の手前、手放しに褒めるわけにはいきませんでしたから。婚約者を横取りする気かと邪推されてはたまりませんからね。けれど今は、遠慮なく貴女を口説ける」
「口説いてらっしゃるの……?」
「気づいていませんでしたか?」
手の甲にキスが落とされた。
彼のエメラルドの目が細められると、何とも言えぬ色気が溢れ出す。アレクの婚約者でいたときには向けられたことのない熱い視線。対応に困ってしまう。
「こういうことは、その……」
「いけませんか?」
『──今夜はネガティブな発言は一切禁止だ。嫌な誘いも『ノー』ではなく『そうですね』とはぐらかせ』
死神の言葉を思い出す。
「……そうですね」
言って、あら?と思う。別に、死神の言うとおりにする必要はなかったのでは? 『命令だ』とは言われなかったもの。それとも、あれもいつもの"命令"のうちなのかしら。
すっかり彼の言いなりになる癖がついてしまっている。
「母も貴女を気に入っているようだ」
見れば、カーライル子爵婦人が満面の笑みでこちらを伺っていた。
その態度は、王子に捨てられた女の新しい恋人が息子になっても構わないと言わんばかりだった。王家が非とした者を是としようだなんて……王家に目をつけられるのが怖くないのかしら。
「貴女には感謝もしているのですよ、フィオリア様」
「感謝?」
「おかげで我が方に軍配が上がりそうだ」
「それはどういう……?」
グレイ様は含み笑う。
「よければもう一曲いかがです?」
踊っていた曲が鳴り止み、グレイ様が提案してくる。
「……そうですね」
正直、もう開放されたい。踊る間中恥ずかしい言葉を囁かれ続けるのは疲れる。
「いえ、次は私とお願いします」
「エンデ伯爵」
グレイ様が一歩引き、礼をとった。
エンデ伯爵。公爵の父から余分な伯爵位をもらい、若くしてエンデ伯爵家の当主となった人。現在、二十代後半かしら。明るいブラウンの髪に、同色の瞳と温和微笑み。文官としても優秀だと聞く。ご結婚はまだだったかしら……?
グレイ様が私の手を離す。視線と指先が、名残惜しいというように、ゆったりと離れていった。
「レディ。お手を」
どうやら二人目のダンスの相手はエンデ伯爵になるようだ。
……
…………
「少し、雰囲気が変わられましたね」
エンデ伯爵は目元の青い仮面の奥、目尻に皺を寄せ、穏やかに微笑みながら言った。
ルルにも言われたことだけど、言う人が違えばこうも印象が違うのね、と驚く。
彼の言葉は、ちゃんと褒め言葉だとわかる。
「こんなことを言うと失礼かもしれませんが、以前の貴女には、人を寄せ付けない雰囲気があったというか……お美しさ故、なのでしょうが。……話してみたいと思うものの、少し話しかけづらかったのです」
お恥ずかしい、とエンデ伯爵は苦笑い。
今夜初めて相対したけれど、エンデ伯爵は正直な人で、好感が持てる。私は微笑んだ。
「今はいかがです?」
問うと、エンデ伯爵は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「いまは、その、もちろん以前同様に見惚れるほどお美しいのですが、柔らかい可愛らしさも加わったというか、その、大人の女性としての落ち着きと奥ゆかしさが──」
「ふふっ」
あまりに必死に言い募るから、思わず笑ってしまった。
エンデ伯爵が目を見開く。と、目尻をくしゃくしゃにして笑った。
「いやぁ、お恥ずかしい。いい歳して、貴女の前では10歳の少年のように緊張してしまう」
「そんなに緊張しなくていいとわかったでしょう? 私は大したことのない人間ですわ。殿下にも捨てられるような───」
「そんなっ!大したことのない人間なわけありません!」
「あら」
立ち止まり、ギュッと両手を握られた。
明るいブラウンの、真剣な瞳に射抜かれる。
「ぼくは、ぼくは、貴女のことがずっと───」
「エンデ伯。曲はとっくに終わっておりますよ。次は私だ」
話に割って入ってきたのは──ああ、貴方ね。くすんだ金髪を襟足長く伸ばし、趣味の悪いカラフルな衣装を着た無駄に派手な男。
「ウィンストン男爵……の、ご子息様。まだエンデ伯爵とのお話の途中でしてよ」
目上のものの会話の途中に割り込むなんて非常識だわ!
非難の視線を向けるも、
「ああ、いいのです。私こそ、長く拘束してしまい、申し訳ない」
エンデ伯爵は苦笑して私に謝る。
いい人すぎるわよ。公爵子息で自身も伯爵である貴方が、男爵家の家督相続権もない息子に遠慮する必要なんてないのに。
「では、また」
「ええ、また」
歩き去るエンデ伯爵の後ろ姿を目で追っていると、
男爵家の男は断りもなく、いきなり私の腰を抱いて踊りだした。
「ちょっと!」
『──ネガティブな発言は一切禁止だ』
慌てて口を噤む。
もう!死神が余計な命令をするから!
「ふん、近くで見ればなかなか美人じゃないか」
男と腰が当たる。
ちょっと、引っ付きすぎじゃない?
不快感を感じながらも、ひたすら押黙る。
「──私の別荘はソナーにありまして、ええ、この国最大の観光地です。我が家は独自の貿易路線を開拓し、それが大当たりしてもうがっぽがっぽ───」
鼻息荒く男が語るのは自慢話ばかり。
うんざりする。別荘へ来ませんかとの誘いには『そうですね』とはぐらかす。
「どのブランドが好きですか。宝石を贈りましょう」
「そうですね」
「ドレスはどうですか。専属のデザイナーがおりまして」
「そうですね」
「我が家には世界中の珍しい動物を集めた牧場がありまして、南国に生息するカンガルーというのがいるんですが、それがまた──」
「そうですね」
はぁ、3人目のダンスの相手は最悪ね。
あと4人もの人と踊らなくてはならないと思うと憂鬱になる。
そういえば、死神はどこに行ったのかしら。会場を見回す。あ、いた。角のテーブルに用意された軽食を美味そうに食べている。
人にこんな苦行を言いつけておいて、自分は気楽に楽しんでるわけ?
恨みがましい視線を送っていると、お面がこちらを向いた。にっと笑われた気がする。
と、ダンスの相手の男の顔がすぐ近くに迫り、慌てて距離をとった。それでもしつこく唇を寄せてくる。キスする気? 初対面で、いきなり? 手をがっちり掴まれていて、逃げられない。嘘でしょ、このままじゃ……!
やだ、
『ネガティブな発言は一切禁止』
怖い。助けなさいよ、死神!!
目の端に映る死神は動かない。とっくにこちらの状況に気づいているはずなのに。
いや!
『ネガティブな発言は一切禁止』
「~~~っ」
涙が滲む。
誰か、助けて。
「やめないか!」
はっと振り向く。
助けに来てくれたのは───死神、
ではなく、先程別れたばかりのエンデ伯爵だった。
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