死神は悪役令嬢を幸せにしたい

灰羽アリス

文字の大きさ
15 / 80

[15]ミッション③コンプリート?

しおりを挟む

 エンデ伯爵は穏やかな雰囲気を消し去り、男爵家の男をキッと睨んでいた。

「な、んだよ」

 男は狼狽えながらも、私の手を離さない。むしろ強く握られ、手首が痛んだ。

「嫌がる淑女を無理やり手籠にしようとは、貴族の風上にもおけんやつだ」

「なっ。なんだと、おっさん」

 おっさんって………誰に向かって言ってるの。
 貴方の首、これで飛んだわね。物理的に。

「さ、行こう。フィオリアさん」

 エンデ伯爵は、男には取り合わず、私の背に手を添える。だけど私は動けない。男がどうしても手を離してくれないから。
 それでも振りほどこうとすると、男が悪態をついた。

「ったく、お高く止まりやがって。王子に使い捨てられたお前のような傷物を、わざわざ相手にしてやったというのに」

 ピシッと、張り詰めた音が聞こえるように、場の空気が凍った。

 使い捨て、との表現は、すでに私が王子と体の関係があったにも関わらず捨てられた、と言っているようなものだ。
 私だけでなく、婚姻前の性交渉を禁ずる王家をも侮辱した発言だ。
 
 だけど、傷物、というのは当たっている。王子から婚約破棄された私は、その価値を大きく傷つけられた。今後、良縁は絶対に望めない。
 とっくにわかっていたことだから、言われても特に気にならなかった。
 けれど、エンデ伯爵は違ったようだ。
 おっさん、と自身を馬鹿にされても淡々としていた彼は今、真っ赤な顔で男爵家の男に掴みかかった。
 様子を見ていたのだろう、至るところで悲鳴が上がる。
 だめ、止めなきゃ!『やめて』と叫ぼうとした、まさにその瞬間だった。

「ちっ、勝手にしやがれ!」

 男の手が離れたと思うと、そのまま私は突き飛ばされた。「あっ」とエンデ伯爵の叫び声を聞いた気がする。
 靴が滑り、体が後ろ向きに倒れていく。後ろにはシャンパンタワー。グラスが天高く並べられている。妙にゆっくりと流れる時間の中、グラスに突っ込み、割れた破片で血だらけになる自分と、びしょ濡れのドレスと髪を想像する。切りどころが悪ければ、死ぬかもしれないわね。でなくても、名実ともに私は"傷物"になるわけだ。そうなればアレクどころか、もう二度と、誰からも愛されなくなるでしょう。

 ああ、なんてひどい結末。これもすべて、死神のせいよ。

 ガシャン、とグラスの割れる大きな音。
 そして───

 背中に感じる温もり。
 後ろを振り向く。泣き顔と笑い顔、半分ずつの珍妙なお面。死神だった。
 ───助けに、来てくれた。

 床にはいくつかのガラス片。シャンパンタワーは片側の少しだけが崩れたのみだった。

「大丈夫か?」

 問われ、泣きそうになる。死神のせいでこんなひどい目にあったというのに。彼の声が、温もりが、何より私に安心感を与えてくれた。
 死神の胸に顔をうずめ、ジャケットを握る。
手が震えていた。助けに来てくれるのが遅いのよ。
 死神にそっと、背を撫でられる。

 見れば、男爵家の男は呆然と立ちすくんでいた。こんな大事になるとは思わなかったのだろう。悲鳴に罵倒、周囲は男に非難の視線を浴びせる。死神が来てくれなかったら、もっと酷いことになっていただろうけど。

「使い捨てに、傷物だと?」

 私の背を撫でる優しい手付きとは裏腹に、低く唸るような、恐ろしい声が死神から漏れた。頭上で響く死神の声に、鳥肌が立つ。──激しい、憎悪。お面は、立ちすくむ男に向いている。

「言ったのはその口か?」

 ひっと、男が後退あとずさる。

「冗談じゃない。こいつはな、王子に捨てられたくらいで傷の付く女じゃねぇんだよ!」

 その怒声に、男はとうとう腰を抜かした。
 あわあわと口を震わせたかと思うと、そのまま白目を向いて失神した。そして、ズボンに染みが広がり……慌てて目を背ける。

 死神が怒るところを初めて見た。
 打っても響かない、いつも飄々としたこの男が、私のために怒ってくれている。
 嬉しい──と、思ってしまった。彼の上着を握る手に、力がこもる。

 と、頭上からポタポタと雫が落ちてくるのに気づいた。ドレスに落ちた雫は、茶色いシミを広げる。
 雫は、死神の髪から落ちていた。

 大変、グラスが頭に落ちたんだわ……!

「ビクター!」
 初めて、呼びかけた。死神のお面がはっとし、こちらを向く。

「頭にグラスが落ちたのでしょう? どうしよう、怪我はない?」

 焦って髪に触れようとすると、死神はバッと私から離れた。彼が自身の髪に手を沈め、確認した手の平は、茶色く汚れていた。
 血……?──違う。そんな感じじゃない。
 
「ビクター、貴方髪が……」

 濡れた毛先が、黒く変色していた。
 ──ううん、こちらが本当の色? 茶色は、もしかして、染料?

 私が次の言葉を発する前に、死神はツカツカと、エンデ伯爵に大股で歩み寄った。

「エンデ伯爵、すまないが、帰りは彼女を馬車で自宅まで送り届けていただけないだろうか」

「え、ええ。それはもちろん、いいですよ」

「ありがとう。急用を思い出してしまった。私はこれで失礼する」

 そう言うと、死神は声をかける間もなく会場を出ていってしまった。
 あっという間の出来事だった。
 遅れて、周囲の喧騒が戻る。

 ………

 え……

 ちょっと……!

 私は置いてきぼり……!?

しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

王子の片思いに気付いたので、悪役令嬢になって婚約破棄に協力しようとしてるのに、なぜ執着するんですか?

いりん
恋愛
婚約者の王子が好きだったが、 たまたま付き人と、 「婚約者のことが好きなわけじゃないー 王族なんて恋愛して結婚なんてできないだろう」 と話ながら切なそうに聖女を見つめている王子を見て、王子の片思いに気付いた。 私が悪役令嬢になれば、聖女と王子は結婚できるはず!と婚約破棄を目指してたのに…、 「僕と婚約破棄して、あいつと結婚するつもり?許さないよ」 なんで執着するんてすか?? 策略家王子×天然令嬢の両片思いストーリー 基本的に悪い人が出てこないほのぼのした話です。 他小説サイトにも投稿しています。

【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。 復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。 やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、 勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。 過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。 魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、 四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。 輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。 けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、 やがて――“本当の自分”を見つけていく――。 そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。 ※本作の章構成:  第一章:アカデミー&聖女覚醒編  第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編  第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編 ※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位) ※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。

【完結】仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

悪役令嬢のビフォーアフター

すけさん
恋愛
婚約者に断罪され修道院に行く途中に山賊に襲われた悪役令嬢だが、何故か死ぬことはなく、気がつくと断罪から3年前の自分に逆行していた。 腹黒ヒロインと戦う逆行の転生悪役令嬢カナ! とりあえずダイエットしなきゃ! そんな中、 あれ?婚約者も何か昔と態度が違う気がするんだけど・・・ そんな私に新たに出会いが!! 婚約者さん何気に嫉妬してない?

処理中です...