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[43]ミッション⑧遂行中?(1)
しおりを挟む「あの男は危険です。今すぐ離れてください」
青年に連れられ喫茶店へと入り、席に着くなり開口一番、彼はそう言った。
組んだ手に顎を乗せ、じっと私を見る。不思議な瞳の色。灰色のような、けれど光の当たり具合によっては青にも紫にも赤にも見える。ちょうど、ビクターが私にくれた月光石のピアスのよう。
………それで、彼は何と言ったのだったかしら?
なんだかぼんやりして、紅茶の上に立つ湯気を前にしても、まるで現実感がなくふわふわする。
まばらな客も、店員も、私が全身びしょ濡れで席に着いているというのに、まるで気にする様子がない。そのことも現実味を見いだせない原因に思えた。
「ちょっと、話聞いてます?」
「あの……貴方は?」
焦れたように口をすぼめる青年に、かろうじてそれだけ口にする。
私達はまだ自己紹介すらしていなかった。
すると青年はジャケットの胸元から取り出した小さなカードを手渡してきた。そこには、
「死神情報……管理局……第一監査室……?」
簡素な文字でそう書かれていた。
「ええ。アシュリーと申します。滅多に下界には降りてきませんが、一応、死神です」
「死神……やっぱり、そうなのね」
彼、アシュリーが人間じゃないことは初めからわかっていた。だって、アシュリーが纏う空気はビクターと似ているもの。
「死神と名乗っても驚きませんか。いやはや、肝が座ったお嬢さんですね」
癪に触る物言いだったけれど、それに対して怒る気力はない。雨の中、あれだけ泣き叫び続けたのだ。疲れが上限に達していた。ため息を一つして、話を進める。
「───それで、死神情報管理局?の方が私に何の御用かしら」
「貴方の魂を救いに来ました」
アシュリーは間髪入れず、得意げに言い放った。
『お前を幸せにして、魂を美味しく──』
ビクターは私にそう言ったのだった。
だけど───、
今後、ビクターが私を拒絶し続ける限り、私が幸せになる未来は決して訪れない。
ビクターは気づいているかしら?
アシュリーを睨む。もう面倒ごとはこりごり。振り回される相手はビクターだけで十分だ。
「死神なら間に合っておりますわ。どうぞご心配なく」
「その死神が危険なんです。今すぐ離れないと、貴女の魂が変質してしまう!」
発狂せんばかりの絶叫に当てられて、きんと耳が痛んだ。おかげで、ふわふわとしていた意識がにわかに現実に引き戻された。魂が、変質。その言葉が持つ不穏な気配を敏感に察知する。
「貴女の魂を美味しくするために、貴女を幸せにすると、そう、あの男は言いましたよね? いいですか、魂はね、自然な状態で育ち、終わりを迎えるからこそ良きものになるのです。第三者が介入して、出来上がる魂の質を変えちゃダメなんだ!その大原則をあの男は無理やり捻じ曲げている……!魂への冒涜だ!許せない!」
よくよく話を聞いても、頭の中は疑問符だらけ。
ただ、一つだけわかったことは、死神界ではビクターの行動は批判されるべきものだということ。
「──失礼。取り乱しました」
いつの間にか腰を浮かせていたアシュリーが椅子に座り直す。
「貴方たちは、ビクターの行動を許可していなかったの……?」
「当たり前じゃないですか!」
つまり、ビクターは組織のルールを破って独断で私の元へやってきた……?
──そんなに美味しい魂を狩りたかったわけ? まったく、どこまで利己的なのかしら。ビクターらしいといえば、らしいけれど。死神である彼が、魂が変質する可能性を知らないはずはない。それでも私欲のため、私の人生に介入した。騙されたと怒る? まさか。可笑しくて笑ってしまう。そのお陰で、私達は出会えた。
「あの男の行動を把握したのもつい数日前のことです。死神手帳に記載された貴女の死因が短期間でコロコロと変わるものですから。普通はあり得ないんですよ。それで、これは何か大変なことが起きてるって。貴女に会いに行ってみれば、あの男が側にいるじゃありませんか!あの時の驚きったらないですよ……! ピンときました。あの男が貴女の人生に介入して好き勝手に運命をイジってるせいで、死因がコロコロと変わってるんだって。運命の流れが変われば、魂の質が変わる。そして、魂の質が変われば、輪廻転生の輪をうまく回れなくなってしまう可能性があるんです。あの男の身勝手な行為で、貴女の魂はいま、変質しつつある。このままではとても危険だ」
輪廻転生……まるで教会の説教を聞いている気分だわ。あまりに壮大な話にまた、一気に現実味が遠くなる。
「それで、どうしましょうか」
「……なにを?」
「だから、どうやってあの男から離れるかですよ。計画を立てないと。もう時間がない」
は───?
離れる? ビクターから?
「何を言ってるの……? 離れる気はないわ。冗談じゃない! 嫌よ、絶対に。私はビクターの側にいたいの」
「な、ちゃんと話を聞いていましたか? 転生できなくなるかもしれないんですよ!良いんですか!」
たしかに、そういう話だった。私欲のため、私の魂を変質させようとしているビクターは危険だから離れろ。そう、よくわかった。だから何?
「そんなの、どうでもいい。私が生きているのは今だもの。死んだあとにどうなるかなんて興味ないわ」
それよりも、あと20日程の人生でも、ビクターの側にいられる方がよっぽど大切。
「なんと、いう……!」
「ビクターに言えばいいじゃない。私から離れろって。私に付きまとっているのは彼の方よ」
ビクターならば、アシュリーに言われたくらいで私の魂を諦めないだろうことはわかってる。死神のルールを無視してまで、これほど執着しているのだもの。だからこそ言えた強気な提案だった。
「だ、無理です無理です!だって怖いんだもん!文句を言おうものなら、俺なんてゴミクズのように消されそう。いや、たぶん、確実に消される。そんなの嫌だよぉ」
子どものように駄々をこねるアシュリーに、心はすっと冷めていく。ビクターと私を引き離そうとする彼は敵だ。もはや話すことはない。
それにいい加減、濡れたままでいるのも気持ちが悪い。
「……ごめんなさい、私、疲れているの。これで失礼するわ」
「待って! お願い、俺を見捨てないで。このまま帰ったら確実に殺されるよ」
立ち上がると、スカートに縋りつかれる。必死な形相に思わず歩みを止めてしまった。
「貴方って、敵が多いのね」
「ねぇ、お願い。わかった、じゃあこうしよう!あの男の動向を逐一俺に報告してよ!ほら、これで俺を呼び出して」
手渡されたものは……貝殻のネックレス? 白い貝殻が銀のチェーンに通されている。
「いらないわ。報告するようなことは何もないもの」
「待って待って待って。わかった、わかったからさ、報告はなし。でも、ほら、また俺に会いたくなることがあるかもしれないじゃない? だからこれは持っててよ。お願い、ホントに。俺を助けると思って」
ああ、帰って眠りたい。深く、深く、そのまま永遠にベッドに沈むの。
だからこれは、帰るため。
「………持っておくだけよ」
「うん!それでいいから!ありがと!ごめんね、時間とっちゃって。あ、ちゃんと家まで送ってってあげるから心配しないでね!」
ああ、どうしてアシュリーに付いて来てしまったのかしら。まったく知らない相手だったのに、警戒心も抱かずのこのこと。
………面倒なことにならないといいけど。
またひとつ、ため息をつく。
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