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[71]新しい一日《あと6日》
しおりを挟むヴィから全てを打ち明けられ、二人の間にあった壁が消えた。私の心は春の日のように穏やかだった。夜、ティナに追い立てられて、ヴィが私の部屋を出ていってしまっても、不思議と不安にはならなかった。朝になればまた、ヴィが来てくれると、当たり前のように信じられた。早ければ、ティナが寝静まった夜中にでも……
そう、私の心は満たされていて、たぶん、100歳のおばあさんにも負けないくらい、落ち着いていた。だから、早朝、やってきたヴィにこれほど驚かされるなんて、思ってもみなかった。
「フィオリア、街へ出かけよう!」
勢いよく部屋に入ってきた彼を見て、唖然としてしまった。
「ヴィ……なの?」
確信が持てなかったのも、仕方ない。だって、彼の髪と瞳が、まったく別物に変わっていたんだもの……!
ヴィは栗色になった髪を、得意げにかき上げてみせた。細めた瞳は、空を映しこんだような、青。
「こいつのおかげだ」
ヴィが掲げた腕には、金のブレスレットが相変わらずはまっている。
ヴィが言うには、ブレスレットに魔法の原動力となる"魔力"を封印されてしまったせいで、髪と瞳に溜まった"魔力"が消えてしまったらしい。信じられないことに、"魔力"はその保有量により髪と瞳の色を、様々に変えるという。"魔力"が一時的に消えた今、栗色の髪に青い瞳という、ヴィ本来の色が現れたのだ。栗色の髪は、王妃様に、そして、青い瞳は陛下に、とてもよく似ている。───皮肉なものね。この青い瞳を、あの決断の夜に陛下が見ていれば───あるいは今の状況も変わっていたかもしれない。
「ともあれ、これは嬉しい誤算だ。このまま外に出られるぞ!」
ヴィは顔を輝かせて言った。彼はいままで、ローブやお面をつけなければ外に出られなかった。煩わしいそれらが必要ないとなれば、喜ぶ彼の気持ちもわかった。とはいえ、ヴィの美しさが消えたわけではない。怪しく神秘的な美しさから、健全な、天使のようは美しさに変化しただけ。そこの所を、この男は分かっているのかしら。このまま外に出てしまったら、ある意味いつもより目立つに決まってる。
だけどヴィは、私に意見を提示させる隙を与えなかった。お前は変装が必要だと、衣装部屋だという天幕に押し込まれてしまったのだ。
「もう!ぜんぜん話を聞かないんだから───」
一人残され、不満を口にしながら振り向いたところで、驚いて息が止まった。
「あなたは……」
「ラミ」
「ええ、覚えてるわ」
そこに居たのは、全身にまんべんなく青い薔薇のタトゥーを入れたあの女性。今日も、下着のように布の面積が少ない、目のやり場に困る格好をしている。
「あの、薔薇のタトゥー、すごく綺麗ね」
いくつか布を広げながら作業するラミに声をかけると、顔を上げた彼女は不機嫌そうに眉を寄せた。
「言っとくけど」
焦げ茶色の、あちこちに跳ねた短い髪が、揺れる。
「あたしは、あんたと仲良くする気なんてないから。ヴィに頼まれたから、最低限の仕事はしてやる。けど、それだけだ」
私はびっくりして固まってしまった。とても、険悪な声音だった。今まで、彼女のように自立した外の女性とまともに会話した事がないから、どう接したものか、戸惑ってしまう。
「でも、私は貴女と仲良くなりたいわ」
「はぁ?」
ラミは布を放ると、腰に手を当てた。私を睨み据える。
「あんたの気持ちなんて、どうでもいいんだよ」
少しのやり取りで、私が彼女にどうしようもなく嫌われてるんだってことは、わかった。
だけど、仕事は確かなもので、ラミはテキパキと私に服を着せ、メイクをし、"変装"させた。
私の銀の髪は、今では胸下まである麻色の髪に覆われている。"ウィッグ"なんて、初めて。ラミはそれを、みつ編みにしていく。鮮やかな手付きだった。最後に白い三角巾をつければ、私はもう立派な町娘だ。
と、着せてもらった薄茶のワンピースのスカート部分に、白糸で細かな刺繍がしてあることに気づいた。幾重にも蔦が絡みついたような模様。相当、凝ってる。
「すごいわ、この刺繍……ラミがしたの?」
「………ああ、ここにある服はぜんぶあたしが作ってる」
「ええっ、ここの、ぜんぶ……?」
ラミはぶっきらぼうな口調だけれど、ちゃんと答えてくれる。ほっとして、それに、嬉しくなった。
「そう言ってるだろ」
ここには、見えているだけで何十着もの服がある。男性用も、女性用も、色使いから形まで様々で………これを、一人でなんてびっくり。
「本当にすごいわ。刺繍も細かくて、素敵だし。この模様なんて、他で見たこともないわ。こんな芸当、ディンバードのお針子だってできないわよ。これを、私が着てもいいの?」
「大げさだろ……」
「そんなことない。貴族の女性たちが大金を積んでも手に入れたがる代物よ」
むっつり黙ってしまったラミの顔を覗き込む。
「あら」と、思わず声を上げてしまった。彼女の顔は真っ赤になっていた。
「褒めたって、あんたを気に入ったり、しないんだからな!」
真っ赤な顔をしたまま、ラミは天幕を出ていってしまった。彼女の後を追って外に出ると、彼女の姿はもう、どこにもなかった。
「難しいわね……」
「やめときなよ」
すぐ近くで、声がした。十代半ばくらいの少年が、私を見ていた。あの焦げ茶色の髪、ラミにそっくりだわ。
「ヴィがあんたのものである限り、仲良くなんて、できっこないんだからさ」
「え?」
やめときなよ、は私に向けられた言葉だったのだと、そこで気づいた。慌てて自己紹介しようとして、だけど、それより早く少年から何かを手渡され、反射的に受け取ってしまう。これは……日傘?
「何かあったら、これで顔を隠してね。尖ったほうを向ければ武器にもなるから」
「あ、えっと……ありがとう」
武器、という強い言葉に目を瞬く。そんな物騒な使い方をする機会が、来ないといいけれど……
そういえばこの子、さっき何と言っていたかしら。たしか、ラミについて───
そっと腰が抱かれ、思考が中断した。ヴィだった。視線が合うと、彼は片方の口角だけをきゅっと上げて、優美に微笑んだ。───ああ、危険だわ。彼の笑みには、本気で私の心臓を止める力があるから。
「ヴィ、あんまり遠くに行くなよ。力が不安定なんだ。何かあっても、僕が近くにいないと対応できない」
少年が、ヴィに言った。不機嫌そうに寄せられた眉に、やはりラミの面影を感じる。
「わかってる」
「ヴィ、大丈夫なの?」
ヴィは平気そうにしているけれど、髪や瞳の色を変えるような大きな変化が、彼の体に起こっている。体調に影響が出ていても、おかしくない。そう考えると、一気に不安になる。
「"ラニ"は心配しすぎなんだ」
ラニ、と呼ばれた少年は、もういなくなっていた。
「"ラニ"………ラミと似た名前ね」
「ああ、あの二人は双子だから」
「双子!? たしかに似ているけど……ラミの方が、いくつか歳上に見えるわ」
「どっちも15だ」
「えぇっ、私より3つも歳下なの!?」
ラミはずいぶんお姉さんに見えていたのに………たぶん、ラミも私が歳上とは思っていないと思う。
私が子供っぽいのかしら。ショックだわ。
「じゃあ───」
「続きの質問には、あとで答えるよ」
それより、とヴィは私の腰をぐっと引き寄せた。彼の顔が急に迫ってきて、心臓が跳ねた。いつもと違う、長いまつげに縁取られた青い瞳が、熱くとろけている。どうしたの?そう聞こうとしたところで、ぎゅうっと、抱きしめられた。
「あー……可愛い」
その一言で、私はたちまち石になる。ヴィがみつ編みを持ち上げ、長い指で弄んだ。
「みつ編みにしてもらったのか。銀の髪が見れないのは残念だけど、これはこれで……」
低い唸りが、耳の奥をくすぐる。
「妄想が掻き立てられるな」
にやりと笑うヴィは、自信に溢れていた。
顔が熱くなっていくのがわかる。恥ずかしくて、だんだんと怒りが湧いてきた。こんなの、話が違うじゃない。
「ちょっと、そういう"イタズラ"っぽいところは、ビッキーの真似をしてただけなんでしょ。わかってるんだから、もう、いいのよ」
「どうだろうな」
ヴィが私の指先に、音を立ててキスを落とした。
「答え合わせは、これからゆっくりしていけばいい。だろう?」
体を震わせた私を、ヴィが忍び笑った。
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