17 / 99
結婚1
しおりを挟む
秋の風が虫の声を連れてくる頃、真夏の婚儀が決まった。相手は中納言の姫君で、品のある美しさと文才で名高い、優しい姫君だった。
真夏は母の居間へと招かれた。婚礼の贈り物を定める為である。
几帳の内側では女房たちが唐櫃をひとつひとつ開け、絹の重ね、扇、香合、蒔絵の箱など、選りすぐりの品を床に並べていた。
真夏は黙ってそれらを見下ろしていた。
「若君さま。お好みの香りを。……こちらは蘭奢待を染ませたものでございます」
女房がそう言いながら銀の香包みを手に取る。真夏はそれを見たが、顔にはなんの反応も浮かばなかった。その代わりに、傍らの沈香の香木をひとつ無言で指指す。
「では、こちらを」
それは博嗣の薫衣の香りだった。
そして、贈り物を選ぶ指先は止まることはない。
絹の文箱、金蒔絵の硯、香を含ませた檀紙、百人一首の扇、それらをひとつひとつ指し示し、母の助言に頷き、何事もない顔で次を選ぶ。
几帳の外側では女房が和歌の下書きを広げている。
「若君さま。添える御歌はいかがいたしましょう」
その言葉に一瞬だけ手を止めた。そして、何も書かれていない白檀染の檀紙を一枚取り、その余白に一首を記した。
『よそへても 結ぶさだめの 糸なれば たちかへすとも ほどは解けじな』
「かしこまりました」
やがて贈り物一式が整う。唐櫃の中には檜扇、文、香、衣が揃えられ、贈り先の邸へと運ばれることになる。
形式の中に、密やかな記憶を閉じ込めた。
そして、誰にも気づかれぬように、懐の笛にそっと手を添える。
――博嗣さま。どうか夢で、声を聞かせてください
夜。
夢で博嗣に会えることを月に祈りながら眠りについた。そうして訪れた夢の中には岩に座し、月を眺める博嗣の姿があった。
「博嗣さま……」
名を呼ぶ真夏に気づき、こちらに顔を向ける。
「どうした?」
真夏の表情に何かを感じ取ったのだろう。静かに訊ねてくる。真夏は視線を下げ、消え入りそうな声で告げる。
「結婚が決まりました……」
「……そうか」
「相手は中納言の姫君で、美人で文才があるという女性です」
「……決まるのは早かったな」
「はい……」
元服が遅かったから、結婚が決まるのは早かった。いや、元服が遅かったから、それと同時くらいに結婚が決まるケースもある。そう考えると遅いのかもしれないが、普通に元服後半年弱で決まるのは早い方かもしれない。
「結婚など、したくない……」
「そんなことを言うでない」
「でも、相手の姫君に心のひとかけらも動かない。私の心は博嗣さまだけに向いているから……」
「真夏……けれど、貴族の務めだ」
「家を、全てを捨てて山に帰りたい。博嗣さまのお側にいたい」
「右大臣の嫡男なのだろう?」
「はい。……でも、私がいなくなったところで、下には弟がいます。私の代わりはいる。だけど、博嗣さまの代わりはいない」
感情にまかせてそう言うと、博嗣は視線をついとそらせた。
「鬼と一緒にいたいなどと、言うことではないよ」
「博嗣さまは博嗣さまです!」
「私は鬼だ。それは変わらない」
「……」
そらせていた視線を再度真夏に戻し、優しく包容した。
「現では会えない。それでも、こうやって夢通うことができる。夢の中では誰にも邪魔されることはない。こうやって、お前を抱きしめることもできる」
「博嗣さま……」
博嗣の言葉に涙が後から後から落ちてくる。博嗣の衣が濡れてしまうとわかっていても涙を止めることはできなかった。
真夏は母の居間へと招かれた。婚礼の贈り物を定める為である。
几帳の内側では女房たちが唐櫃をひとつひとつ開け、絹の重ね、扇、香合、蒔絵の箱など、選りすぐりの品を床に並べていた。
真夏は黙ってそれらを見下ろしていた。
「若君さま。お好みの香りを。……こちらは蘭奢待を染ませたものでございます」
女房がそう言いながら銀の香包みを手に取る。真夏はそれを見たが、顔にはなんの反応も浮かばなかった。その代わりに、傍らの沈香の香木をひとつ無言で指指す。
「では、こちらを」
それは博嗣の薫衣の香りだった。
そして、贈り物を選ぶ指先は止まることはない。
絹の文箱、金蒔絵の硯、香を含ませた檀紙、百人一首の扇、それらをひとつひとつ指し示し、母の助言に頷き、何事もない顔で次を選ぶ。
几帳の外側では女房が和歌の下書きを広げている。
「若君さま。添える御歌はいかがいたしましょう」
その言葉に一瞬だけ手を止めた。そして、何も書かれていない白檀染の檀紙を一枚取り、その余白に一首を記した。
『よそへても 結ぶさだめの 糸なれば たちかへすとも ほどは解けじな』
「かしこまりました」
やがて贈り物一式が整う。唐櫃の中には檜扇、文、香、衣が揃えられ、贈り先の邸へと運ばれることになる。
形式の中に、密やかな記憶を閉じ込めた。
そして、誰にも気づかれぬように、懐の笛にそっと手を添える。
――博嗣さま。どうか夢で、声を聞かせてください
夜。
夢で博嗣に会えることを月に祈りながら眠りについた。そうして訪れた夢の中には岩に座し、月を眺める博嗣の姿があった。
「博嗣さま……」
名を呼ぶ真夏に気づき、こちらに顔を向ける。
「どうした?」
真夏の表情に何かを感じ取ったのだろう。静かに訊ねてくる。真夏は視線を下げ、消え入りそうな声で告げる。
「結婚が決まりました……」
「……そうか」
「相手は中納言の姫君で、美人で文才があるという女性です」
「……決まるのは早かったな」
「はい……」
元服が遅かったから、結婚が決まるのは早かった。いや、元服が遅かったから、それと同時くらいに結婚が決まるケースもある。そう考えると遅いのかもしれないが、普通に元服後半年弱で決まるのは早い方かもしれない。
「結婚など、したくない……」
「そんなことを言うでない」
「でも、相手の姫君に心のひとかけらも動かない。私の心は博嗣さまだけに向いているから……」
「真夏……けれど、貴族の務めだ」
「家を、全てを捨てて山に帰りたい。博嗣さまのお側にいたい」
「右大臣の嫡男なのだろう?」
「はい。……でも、私がいなくなったところで、下には弟がいます。私の代わりはいる。だけど、博嗣さまの代わりはいない」
感情にまかせてそう言うと、博嗣は視線をついとそらせた。
「鬼と一緒にいたいなどと、言うことではないよ」
「博嗣さまは博嗣さまです!」
「私は鬼だ。それは変わらない」
「……」
そらせていた視線を再度真夏に戻し、優しく包容した。
「現では会えない。それでも、こうやって夢通うことができる。夢の中では誰にも邪魔されることはない。こうやって、お前を抱きしめることもできる」
「博嗣さま……」
博嗣の言葉に涙が後から後から落ちてくる。博嗣の衣が濡れてしまうとわかっていても涙を止めることはできなかった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
全8話
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c
僕の恋人は、超イケメン!!
刃
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?
「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。
キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ!
あらすじ
「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」
貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。
冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。
彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。
「旦那様は俺に無関心」
そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。
バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!?
「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」
怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。
えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの?
実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった!
「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」
「過保護すぎて冒険になりません!!」
Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。
すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。
雪を溶かすように
春野ひつじ
BL
人間と獣人の争いが終わった。
和平の条件で人間の国へ人質としていった獣人国の第八王子、薫(ゆき)。そして、薫を助けた人間国の第一王子、悠(はる)。二人の距離は次第に近づいていくが、実は薫が人間国に行くことになったのには理由があった……。
溺愛・甘々です。
*物語の進み方がゆっくりです。エブリスタにも掲載しています
唇を隠して,それでも君に恋したい。
初恋
BL
同性で親友の敦に恋をする主人公は,性別だけでなく,生まれながらの特殊な体質にも悩まされ,けれどその恋心はなくならない。
大きな弊害に様々な苦難を強いられながらも,たった1人に恋し続ける男の子のお話。
専属バフ師は相棒一人しか強化できません
風
BL
異世界転生した零理(レイリ)の転生特典は仲間にバフをかけられるというもの。
でもその対象は一人だけ!?
特に需要もないので地元の村で大人しく農業補佐をしていたら幼馴染みの無口無表情な相方(唯一の同年代)が上京する!?
一緒に来て欲しいとお願いされて渋々パーティを組むことに!
すると相方強すぎない?
え、バフが強いの?
いや相方以外にはかけられんが!?
最強バフと魔法剣士がおくるBL異世界譚、始まります!
【完結】恋した君は別の誰かが好きだから
花村 ネズリ
BL
本編は完結しました。後日、おまけ&アフターストーリー随筆予定。
青春BLカップ31位。
BETありがとうございました。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
俺が好きになった人は、別の誰かが好きだからーー。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
二つの視点から見た、片思い恋愛模様。
じれきゅん
ギャップ攻め
はじまりの朝
さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。
ある出来事をきっかけに離れてしまう。
中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。
これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。
✳『番外編〜はじまりの裏側で』
『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる