松書房、ハイセンス大衆雑誌編集者、林檎君の備忘録。

中谷 獏天

文字の大きさ
165 / 215
第28章 外の者と内の者。

2 雀のお宿。

しおりを挟む
『成程、コチラの手紙が外部に漏れ、どうしてか宿に泊まれなかったと言う事で宜しいですね』
【あぁ、どうなっとるんだね君の会社は!】

『大変申し訳御座いませんが、我が社は元々、相応の機関にお手紙を共有する。と雑誌の方にも明記しておりまして、その事をもしや、ご存知では無かったのでしょうか』

 電話口ですら、絶句が伝わっていますが。

 昨今はウチを真似、何処もかしこも、既にそうした注意事項を大々的に宣伝しており。
 かなりの、下らない粗野で下卑ただけのお手紙が減っている、そうした世になっている筈なんですが。

 一体、どの時代からお越しの方なのか。

【そ、そんな事は】
『雑誌をお読みにならない方には、確かに周知が幾ばくか足りないかも知れませんが、確かに全ての雑誌及び刊行する本全てに記載が御座いますし。弊社にお越し頂ければ、先ずは受付下に大きく張り紙をしているのですが、ご存知無かったですか』

【い、行った事は無いんだ、そんな事】
『では、お読みで無い、と』

【あ、当たり前だ、御社の様な低俗な大衆雑誌を】
『ですが、大衆雑誌宛てに書かれたのですよね』

【ひ、評判と言うものが】
『確かに、評判は良い事だけでは無いですが。そうですね、では裁判を起こして頂ければ宜しいかと、そうして頂ければお手紙を返還する事は可能ですが。生憎と弁済等は出来かねます』

【だが、御社の】
『コチラの不手際だ、と言う証拠が御座いましたら、是非持参して頂けると助かります。昨今は脅迫は勿論、郵便物の不配達や盗難、紛失事件も御座いますから。是非、お手持ちで来て頂ければ、相応の対応をさせて頂きます』

【なんと不誠実な!!】
『いえいえ、ではご自宅にお伺いさせて頂いても宜しいのでしたら、是非』

【待ち合わせで構わんだろう!!】
『もし、全く証拠も何も無い場合、営業妨害で訴える他に無いのですが。本当に、宜しいのですね』

 再び絶句していますが。
 彼は一体、何者なのでしょうか。

 法や理屈を捻じ曲げられるだろう、と思える程の大物か。
 若しくは、馬鹿で阿呆で粗野で野暮で下品で幼稚な、単なる男なのか。

【それで、何処の大学に渡したと言うのかね】
『はい、国立の、帝京大学で御座います』

 再び、絶句ですか。
 天丼とは、あまり何度も繰り返されると飽きるんですが。

 全く。

【そ、その】
『元杉勇次郎先生です、専用のお電話番号が御座いますが、生憎と身分不詳の方にお伝えする事が出来ませんので。お名前とご自宅のお電話番号を、あぁ、切れてしまいましたね』

 何と下賤の者なのだろうか。
 どうせ、職業や地位により聞く態度を変える、浅ましくも悲しい男なのでしょうね。

 ですが、細君が居ると仰って。
 いえ、きっと過去の事になるでしょう。

 こうして名も住処も明かせないのが良い証拠、ですからね。

《あの、お疲れ様で御座います》
『いえいえ、初めてこうした方を応対されたでしょう。お疲れ様でした、後で詳細を面白おかしく先生方が書いて下さる筈ですから、楽しみに待っていて下さいね』

《はい》



 何故、どうして。
 あの有名で厳格な大学の、有名な教授に。

《アナタ》
『今は仕事の事で頭がいっぱいなんだ、後にしてくれ』

 一体、何故、どうして。

《嘘》

『何だと』
《もうアナタの不誠実な嘘には、ほとほと愛想が尽きました。宿は別に取って頂きましたから、どうぞ、以降はお1人でお過ごしなさって下さい》

『一体何を拗ねているんだ』
《はぁ、全く。全く拗ねてもいませんし、そう察しの悪い所も、不誠実な噓つきなのも無理なんです。では、さようなら》

『待て』
《幸いにも、雲雀亭さんは、私だけなら泊めて下さるそうです。しかも、先程の事も有り、安くお貸ししてくれるそうで。アナタ、一体何をなさったんですかね》

『俺は、何も』
《ほら、また嘘。流石に分かるんですよ、嫌でも、長年連れ添っていれば》

 妻の迫力に俺は思わず尻込みし、見送ってしまった。
 何故なんだ。

 一体、何故、どうしてこんな事に。



『あぁ、ふむふむ。それで一体君は、どうしたいと言うのかね』
【ですから、手紙を】

『であるなら、裁判をしてくれ、と言っているんだがね』
【ですから、裁判なんぞはしませんから】

『せねば出せんのだよ、この大学の決まりでね』

 ふむ、電話口での絶句はもう飽きているんだがね。
 どうにも、こうした分類に分けられる者に、様々な行動を取るのはやはり難しいらしい。

【ですが、どうにか】
『君の手紙を改めて読み返しているんだがね、正義感に満ち溢れ、コレこそが正しい行いだと信じてやまん様に見えるが。一体、何が困ると言うのかね』

【ですから、他所様に】
『相当に重要な手紙でも有るまいよ、ましてや重要だとて、相応の送り方をしておらんじゃないか』

【それは、まさか】
『少なくとも、コチラに来た段階で、既に松書房にて開封済みだ。但し、厳密には既に開封されているかどうかまでは、調べてはおらんかも知れん。つまりだ、君の手紙が他で盗み見みられてしまった証拠を、出せるかどうかだろうね』

【先生は、松書房を庇い立てするんですか】
『いやいや、裁判になるなら、だよ。訴え出る者はされた証を、訴えられた者はしていない証を出さねばならんのだ。先ずはだな、その宿でどんな文言で断られたか等、証拠を集め裁判所へ訴え出る。そこで初めて、松書房や我々がしていない証を示し、どちらが真実だろうと思われるかを裁定頂くワケだ』

【そんな事をすれば、公に】
『あぁ、非公開裁判も勿論可能だとも。けれどね、全く名を残さない、と言うのは流石に難しいだろう。相当な事由、若しくは被害で有る、としない限りはだ』

 コレは熟考の沈黙、か。
 それなりの頭は有ったとて、どうなるか、までは考えが及ばんとは。

 やはり、こうした分類の者は先を考える力が、弱いらしい。

 嘆かわしい、実に嘆かわしい限りだ。
 所詮、子は親の背を見て育つ。

 そうして幾ら素養が良くとも、こうした浅慮が自然と身に付いてしまう。

 あぁ、細君はそうした苦労が先に見えてしまったのだろう。
 やはり、女性と言う者の先見たるや、やはり侮ってはいけないのだ。

【弁護士に、相談させて頂きます】
『あぁ、是非是非、相談してくれ給えよ』

 もし、万が一にも酷い被害が有ったなら。
 もし、それらが事実だとするなら。

 我々とて血の通った人間。
 杓子定規に物事を動かさず、直ぐにも救済措置を施す。

 だが、単なる浅慮な者の、一体何を救済すれば良い。

 馬鹿に付ける薬は無い。
 馬鹿は死んでも治らないのなら、一体我々に、何が出来ると言うのだろうか。

 神でも無い仏でも無い我々に、何が出来ると言うのだろうか。



「如何でしたか」
《はい、お陰様でゆっくりと、はい》

「それは良かった、では、コチラが代金となります」
《あの、元の代金通りに払わせて下さい、ウチの夫がご迷惑を》

「いえ、半ばコチラの都合ですし、小雨と言えどお客様を雨に晒してしまいました。ですから、次に、今度はより楽しく過ごせる方と一緒にお泊り下さい」

《はい》

 ココは雀のお宿。
 良き者には良き事を、悪しき者には天罰を。

『はぁ、今の方は、つまりは頼れる実家が有ると言う事ですよね』
「そうですね、そう独り身での離縁は、流石に難しいですし。そう追い詰められた方、には見えませんでしたしね」

『生憎と、未だに素直に喜べなくて、すみませんね』
「良いんですよ、恵まれている者、恵まれなかった者の違いは有りますから」

 つづらを持たぬ者、捨てられた者、捨てさせられた者。
 そうした者達が働く、雀のお宿。

『絶対、次こそは幸せになってやるんですからね』
「その意気ですよ、さ、お掃除をお願いしますね」

『はい』



 ココは雀のお宿。
 痛みを知り、苦しみを良く知る者達が働く、雀のお宿。

《後は何か》
『いえ、ありがとうございます』

《では、失礼致します》

 彼女達には家が無い。

 元から無かった者、捨てられた者、捨てさせられた者。
 そうした者達を集め、先代が築き上げたのは、雲雀亭。

 彼女達に葛籠いえは無い。
 だからこそ、こうして勤勉に真面目に働き、ココは最も安心安全な宿となっている。

 あぁ、この戸の叩き方は。

『何、お兄様』

 ココには壁に電話が取り付けられており、戸の向こうと会話が出来る。

【八重子、話しがしたい】
『処女かどうか気になさっているのですか』

 この沈黙は、当たりと言う事。

【一体、何処の】
『では先ず、お兄様から、お願いしますね』

 もう、全て知っているのだけれど、ね。

【その男と、結婚を】
『ではお兄様は、その女性といずれ結婚なさるの?』

【俺は】
『未遂だった、なら、私も行為はしていないかも知れませんね。何も、ソレだけ、で処女を失うとは限らないんですから』

 あぁ、こんな顔は誰にも見せられない。
 真方にも、誰にも。

【出直す】
『はい、では』

「良い顔をしますね」
『あら、つい出てしまいました、失礼』

「いえいえ、女性らしい、良い顔でらっしゃいましたよ」

『そう』
「さ、続きをしましょうか」

『えぇ、そうね』

 ココは雀のお宿。
 雀が齎すモノは数知れず。

 アナタが望むモノとは、一体何なのでしょう。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

服を脱いで妹に食べられにいく兄

スローン
恋愛
貞操観念ってのが逆転してる世界らしいです。

妻の遺品を整理していたら

家紋武範
恋愛
妻の遺品整理。 片づけていくとそこには彼女の名前が記入済みの離婚届があった。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

痩せたがりの姫言(ひめごと)

エフ=宝泉薫
青春
ヒロインは痩せ姫。 姫自身、あるいは周囲の人たちが密かな本音をつぶやきます。 だから「姫言」と書いてひめごと。 別サイト(カクヨム)で書いている「隠し部屋のシルフィーたち」もテイストが似ているので、混ぜることにしました。 語り手も、語られる対象も、作品ごとに異なります。

処理中です...