松書房、ハイセンス大衆雑誌編集者、林檎君の備忘録。

中谷 獏天

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第29章 青少年と病院と。

2 嫌われモノの病院。

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 賭け駒は、意外にも早くコチラへ来たらしい。

「先生、僕はおかしいのでしょうか」

 こう尋ねて来る者が多いが。
 大半はおかしくない、と言われたい事が殆ど。

 だが、稀に悪戯心から来る者、国家分断工作を行おうとする間者も。

 なんと嘆かわしい時代の移ろいだろうか。
 なんと愚かな行為だろうか。

『ふむ、結果を見るに、そうだろうね』
「ですけど先生、中には詐病、誤診と言った」

『あぁ、偽る病も有る事は確かだが、そうした事も汲んでの事。とは思わないだろうか』

 あの時と、一言一句違わぬ言葉。
 彼が男を差し向けた者、だろうか。

「確かに嘘は幾つか吐きましたが、僕は正気です」

 正気とは、何か。
 一体、どうした状態が正気なのか。

 是れには幾ばくか要項が有るのだが。

 少なくとも彼は、正気であって正気では無い。
 所謂、狂気に満ちている。

『では、君の要望は何だろうか』
「僕は正気ですが、入院させて下さい。穏やかで静かな場所で、幾ばくか過ごしたいのです、どうかお願いします先生」

『そうか』
「はい」

『では先ず、君の誤解を解く事から、始めるとしよう』



 病院とは、特に神経に関する病院は、静かだろう。

 それは誤解だ。
 酷い誤解だ。

《ぎゃぁああああああー!!人殺しー!!》
「あぁ、大丈夫よ、大丈夫。あの方は新しい患者さん、アナタを殺しに来た者じゃないわ」

《私を睨んだわ!!》
「後ろを見て、眩しいでしょう、きっと眩しかったのよ」

《あの光は、仏様の後光》
「そうね、私にもそう見えるわ」

 ココには変化なるモノが、実に少ない。
 変化こそ、患者を煩わせるモノの1つ。

 だからこそ、ココは実に不変に近い場所となっている。

「ふむ、彼が新しい患者かね」
『そうなのだよ、東条君。だが君に見せる前に、先ずは院内を見回って頂こうかと思っていてね、なんせ初めてだそうだから』

「成程、君は実に気が利く男だ」
『ありがとう、では東条君には、引き続き患者の記録を。いつもご苦労様で御座います、さぞ大変でしょう、ココ1番の難しい仕事ですから』

「だからこそ、私が勤め上げるべき事。君は気にせず、いつも通りの仕事をしたまえ」
『はい、では、失礼致します』

「うむ」

 まるで輪廻の輪の様に、同じ刻が流れる。
 そして周囲の安定は、患者の変化を生む。

 ココは安全なのだと理解して初めて、患者は輪廻の紐を自ら解き始める。

「嘘がお上手なんですね」
『患者の為なら、私は大概の事はする男、なのだよ』

 安心とは、命に関わる事。
 その乱れに過敏だと言う事は、寧ろ集団への安全の貢献となる。

 だが昨今は個別主義となり、過敏さが疎まれる事も。



「何故、さっきの方はココへ来られたのでしょうか」
『彼には蟲が見えていたのだよ、すっかり女嫌いになった父親に、女に触れれば毒蟲が穴と言う穴から入り込み。瞬く間に取り憑かれ、もう決して、体から追い出す事は出来ぬ。そう言われ、すっかり蟲が見える様になってしまっていたのだよ』

「患者の情報を、そうバラしても良いのですか」
『コレが嘘か真実か、君に判断が出来る、若しくは分かると言うのだろうか』

「では嘘なんですね」
『かも知れない、若しくは違うかも知れないが、君は誰にも君の事を知られたく無いのだろうか』

「いえ、知って欲しいです、全て」

 彼には、あの男とは別種の狂気が存在している。

『国にも、君の思う事を知られたい、そう言う事だろうか』

「はい」

『ふむ、その先に有る望みとは、何だろうか』
「勿論、平和です」

『成程、では特に知るべき事、とは何だろうか』

「僕の中に鬼が居るんです、人を殺す鬼が居るんです」
『ほう、何時からだね』

「6才の頃には既に、覚えている限りはその頃です」



 きっと、初めての折檻なのだと思います。
 私が何か悪い事をしたのでしょう、母は酷く私を詰り、手が腫れ上がる程に叩きました。

《お前って子はっ!》
「ごめんなさい!ごめんなさい!」

 それ以来、些細な事でも直ぐに母は激怒し、折檻は酷くなりました。

《何で!お前って子はっ!》
「ごめんなさい!ごめんなさい!」

 何度も何度も、謝りました。
 ですが、母の気が収まるまで、折檻は終わりません。

 それは母が亡くなるまで、続きました。

 そして直ぐに、父は再婚しました。
 母よりも優しい継母でしたが、直ぐに母の様になり。

 父は、相変わらず無関心でした。

『お前って子はっ!!』
「ごめんなさい!ごめんなさい!」

 継母が出て行くまで、折檻は続きました。

 そして父は、僕を捨てました。
 山奥へと捨てました。



『だが、今はココに居る』
「はい、幸いにも直ぐに助けられ、再び家に戻りました。そして、父も亡くなりました」

『親戚筋は居るのかね』
「はい、ですが疎遠でして、縁は特に無いです」

『だが、生活には困っていない』
「はい、父が遺した財産で何とか」

『だが、生きる事に疲れたのだろうか』
「はい」

 嘘を嘘と見抜く事は、専門家の私でも難しい場合が有る。
 そして、時には本人も。

『一体、最初の折檻は何をし、行われたのだろうか』

「分かりません」
『では毎度の折檻の原因はどうだね』

「覚えていませんが、些細な事なのは間違い無いです」

『ふむ、例えば何だろうかね』

 長い長い沈黙だが。
 彼は目を閉じ、見開くと。

《あの女が、私の髪を切ろうとしたから、だから私はあの女の髪を切ってやったの》

『ほう』
《この子に嫌な事を聞いても無駄、直ぐに私を押し出して眠っちゃうのよ》

『だが君が下がっている間は、彼と私の事を見聞きしていた、と言う事で言いのだろうか』
《いいえ》

『では何故、君はココに居る事や、私に対して驚かないのだろうか』
《計画を全て知っているからよ、彼の人生の計画、全て》

『ほう、どの様に知ったのだね』
《もう燃やされてしまったけれど、年表が有ったの、そして詳細に行動の予定が書かれていた》

『君は彼の何なのだろうか』
《守らされているもの》

『他に居るのだろうかね』
《鬼よ、その鬼を退治する為、ココへ来たの》

『ほう、鬼を退治する為』
《最初は居なかったのよ、けれど人を殺す鬼が現れた、鬼さえ消えたたら私達は帰るわ》

『では、我々の役目は何だね』
《鬼は暴れたり自らを害そうとするの、それを止めて、好きに動けないと知らしめて欲しいの》

『その鬼が生まれたのはいつだね』

「あの、先生。すみません、何処まで話していましたでしょうか」

『毎度の折檻の原因についてだが、過去を掘り返す事が得策では無い場合も有る。どうだろうか、先ずは入院をするかどうか』
「はい、宜しくお願いします」



「痛い!痛い痛い痛い!!」
『物語では、鎮静剤を用いているらしい。だが実際の殆どは、この痛みで抑制するのが殆どだ』

「何故ですか!」
『鎮静剤を求め、敢えて暴れる者が居たのだよ。以来切り替えたが、患者の殆どは、暴れる事は無くなった』

「だからってこんなに痛め付けるなんて!まるで家畜じゃないですか!!」
『いや素直に鎮静剤を求めたなら、状態によっては与える、その点は大いに家畜の扱いとは違う筈だ』

「そう薬漬けにして」
『常に減らす努力は両者で行っている。ココが不便に出来ているのは、出て生活がしたい、そう思って頂く為の事なのだよ』

「もう分かりましたから」
『残念だが、その痛みは君が見た通り、生薬由来の痛み。治療には蜜蝋を使うが、それでも痛みが残る事が有るだろう』

「何でそんな!」
『暴れる事の有用性を無くす為だ!鎮静剤と言う利を無くし、患者を無力化する、コレが今の医科学の限界なのだよ』

「だからって!誰にでも」
『処方は人其々だが、少なくとも、専門家として不適切に扱った事は無い』

《酷いじゃない!私達にまで》
『なら鬼を引き摺り出しなさい、幾らでもイラクサは有る』

《そんなに簡単に》
『では簡単に引き摺り出せる様にしておく事だ、質問は以上かね』

《治療しなさいよ!》
『もし!痛みから鬼が出ぬのなら、痛みを与え続けるしか無い。私は、そう思うが、どうだろうか』

《人でなし!》
『鬼相手なら、人でなし結構、鬼で結構』

 体の病に心の病にも、家族歴と言うモノは必須。

 心の臓の弱い家系なら、先ずは心の臓を疑う。
 そして酷い状態ならば、先ずは家族を疑う。



『残念ですが、彼は本命では有りませんでした』
『では、賭けは継続かね』

『ですね』

 彼の親は生きていました。
 母親に捨てられ、継母にも捨てられ父親にも捨てられた、ただそれだけの男。

 自らの歪みを、他者により塗り替えられた男。

『ふむ、やはり高度な洗脳者が居る、と言う事かも知れんのだね』

『若しくは、本物の狂気』

 何も、悪しき心根から他者を追い詰める者、だけでは無い。
 良かれと思い、手を差し伸べる様に突き落とす、そうした者も居る。

 それは狂気の中の善意。
 ソレは、純粋な善意からの行い。

『ふむ』
『それで、彼の目的は何だったのでしょう』

『どうやら、国の足を引っ張る患者を、殺そうとしたらしい』
『まぁ、下を切り上げては、いずれ苦しむと言うのに』

『全く、それにだ、彼ら彼女達は柵の中ならば安全。だが、知れぬと言う事は、こうした軋轢を生むのも事実』
『いずれ、理解される時が来ますわ、必ず』

『うむ、信じているよ八重子君』

 いつか、人は病を深く知る事になる。
 けれど、全ての者には。
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