松書房、ハイセンス大衆雑誌編集者、林檎君の備忘録。

中谷 獏天

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第32章 先生と物語と僕。

1 記者と山神。

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『林檎君、ちょっと良いか』

「はい?」
『報道部の荒又だ』

「あぁ、どうも」

 僕に声を掛けて来たのは、報道部の荒又先輩。
 主に地方へ取材に出掛ける方だ、と以前に報道部の大河内部長から、空いた座席の事を尋ねた際にお伺いした事は有ったんですが。

『少し、君に話したい事が有るんだ』

「あの」
『出来れば、その、神宮寺さんにもご相談したい事なんだ』

 神宮寺さんと言えば、心霊怪奇専門、と。
 もうすっかり、社内にも知れ渡っているのですが。

「その、念の為に、先ずは概要をお聞かせ願えますか?」

『あぁ』



 昨今の安易な登山、山登りに対して、マタギに話を聞こうと思い。
 山奥の、マタギの多い村まで行ったんだ。 

「あー、良い事を聞きに来て下さいました」
《俺達もよ、文句って言うか、思う所が有ってよ》
『けどなほら、俺ら田舎者の事を聞いてくれんのかって、どうにもモヤモヤしててな』
『ありがとうございます、色々とお聞かせ下さい』

 俺ともう1人、山岸ってカメラ小僧と取材に行ったんだ。

《いやー、良い場所ですね本当に》
『あぁ、空気も米も水も美味い』

《おまけに五月蠅くも無い》
『あぁ、そうだな』

《僕、都会育ちで、こんな田舎が有ったらなって思ってたんです》
『そうか、存分に味わえよ』

《はい》

 山岸は新人だが、カメラの腕は良かった。
 元から趣味だったらしく、仕事用とは別に持って来てもいた。

 仕事熱心なヤツで。
 村の人間にも好かれてた。

 だが、三日目の事だった。
 ガバっと起き上がった山岸が、真っ青になって固まってたんだ。

『どうした』

《荒又さん、聞こえないんですか》
『何がだ』

《女の啜り泣く声ですよ!!》

 山岸はワッと騒ぐと布団を被り、ガタガタと震えてた。
 けどな、朝だったんだ、良い天気の日でよ。

『分かった分かった、休んでろ』
《置いて行かないで下さいよ!》

『けどお前、今日はサボりたいんだろう』
《違いますって!行きます、行きますから待ってて下さい》

 少し甘ったれた小僧で、起こしてやらなきゃ起きないヤツだったんだが。
 実家暮らしってのはこうだと思ってな。

 珍しく自分で起きて。
 何か悪夢でも見たんだろう、そう思ってたんだよ。

『また、今度はどうした』

 その日は村の祠に案内して貰う日で。
 俺は、そのせいで怯えてんのかと思ったんだ。

 都会のは、意外と迷信を恐れるだろ。

《白い、女の人が。皆さん、見えてますよね》

 俺には全く見えなかったんだが。

「あぁ、はい、それが何かどうしましたか?」

《なん、何で、あんな所に》
「女が山に入る時は、あの白装束なんですよ、見付け易い様に」

 俺は村長の言葉に合わせた。
 こんな取材の途中で逃げ出されても困る、単なる実家暮らしの甘えん坊が、慣れない場所で参ってるだけだろうってな。

『確かに見付け易い』
「でしょう、さ、もう少しですよ」

 村長は怯えるでも無く、寧ろ慣れた態度で。
 俺はそう悪いもんでも無いんだろうな、と。

 そこで祠に参った後、俺だけで村長に尋ねたんだが。
 どうやら、見えたらマズいものだったらしい。



『アレは、何だったんですかね』

「昔々、亡くなった女の霊です」

 村に病が流行り、女の数が少なくなってしまった時代の事です。
 村では器量良しが長者の家に迎えられ、仕事が1番に出来るのは同じく仕事が出来る家に、そして愛想の良い娘は気の良い男の家に行った。

 ですが、気の良い男は、単に気が良いフリをした悪党でした。

 一男一女を設けた後。
 夜な夜な妻を振る舞い、村の男達の機嫌を取り、時に金銭を受け取っていた。

 妻は酷く酒に弱く。
 酒を飲まされ後は、全く起きもしない。

 その事に気付いた男は、寝酒後の妻を振る舞った。

 そうして子宝に恵まれたなら、その家に子を渡した。
 ウチにはもう十分なのだから、と。

 妻も納得した。

 家は一男一女を食わせてやれる程度。
 ましてや村には女が少ない、仕方なの無い事だ、と手放した。

 だが、3人目を手放して暫くの事。
 暫く出稼ぎに行っていた長者の家の男が、似る筈の無い子に驚き、夫の居ない隙に妻を問い詰めた。

 だが、妻は気のせいだ、と。

 男は納得しなかったが、引き下がった。
 性根も愛想も良い女、きっと自分の思い違いだろう、と。

 そうして妻は、不思議な事を尋ねられたと言い、夫は直ぐに勘付かれたと気付き。

 妻に全てを話した。
 そう、全て。

 泣き叫び暴れ狂った妻を、夫は放っておいた。
 急に可笑しくなった、きっと狐憑きだろう、と。

 男達は口裏を合わせた。
 だが、女達は怪しんだ。

 似ている、似過ぎている、と。

 そうした事が尋ねた男の耳に入ると、男は猛省した。
 迂闊に尋ねてしまったからこそ、女が狂ってしまったのだ、と。

 そして女達にその妻へと酒を飲ませ、大人しくさせた。
 するとどうした事か、どんなにしようとも動かない。

 女達も、どうなったかが、やっと分かった。
 そのまま殺しに行こうとした者も居たが、男が止め、ある呪いを行う様に指示した。

 丑の刻参り。

 同じ時刻、同じ白装束で、男手だけの家に藁人形を打ち付けさせた。
 毎晩、毎晩。

 すると男達は長者の家に白状しに来る様になった。

 1回だけだ、3回した。
 我慢がならなかった、何も知らずに老いさらばえたく無かった、と。

 だが、子を持った家の者だけは、決して来なかった。
 既に家ぐるみで隠し通すつもりなのだろうと、それは女達も、長者の家の者も分かっていた。

 コレから、じわじわと口減らしを口実に破滅させてやろう。
 そう企んでいたが。

 隙を見て逃げ出した女は、油を被り、死んだ。

 皆が悲しんだ。
 誰もが、どうしようも無かったと、慰め合った。

 そうして初七日を終え、山奥の祠の近くに埋める事となった。
 その事に夫も文句は言わなかった、言えなかった。

 言い伝え通り。
 昔からの事。

 どんなに祟りを恐れようとも、決して止められないのですから。

『その、言い伝え、とは』
「悪さをしていなければ、山神様と一緒になり、益を齎してくれる神様となる」

 だが、もし亡骸が恨んでいたなら。
 悪人だけを懲らしめる、死神様となる、と。



《死神様、ですか》
『あぁ、元はイザナミ神の信仰が枝分かれしたモノ、ヨモツヒサメ神を祀る信仰が有り。その例の祠も、ヨモツヒサメ神と共に、久那土神が祀られていたんだ』

《久那土神が加具土命と同一視された地域、ですか》
『あぁ、そしてイザナミ神へ投げた櫛や冠は葡萄となり、竹となり桃となった』

《死の神は、同時に豊穣の神の側面を持つ、だから死神様ですか》
『あぁ、流石梓巫女さんだ、アンタそうなんだろう』

《まぁ、恩師はそうですが》
『でだ、まだ続きが有るんだが、もう既に分かっているだろう』

 神話や民話が変形する事は良く有る事。
 地方、山奥なら特にだ。

《善悪どちらか分からない者が亡くなった場合、そうして埋葬し、村の平穏を守っていた》
『そして、案の定、裁きが下った』

 罪を白状しなかった者達の家に、白装束の女が現れる様になった。
 だが、家の周囲に酒を撒けば、家の中に入って来る事は無くなったが。

 田畑や家畜が荒らされる様になり。
 とうとう、全ての者が白状し。

 毎日、死ぬまで祠への参拝を行う。
 そうして死者への弔いとし、災いを沈める。

《3家族ともなれば、村の良い働き手になったでしょうね》
『あぁ、一生許されない、つまりは悪しき血も途絶える』

《ですけど、お子さんが3人居られたのでは》
『その事を伝えず、代わりに神事から省き、結局は独り身で亡くなったらしい』

《では、残された子供は》
『知る者同士婚姻を果たし、今は村長の家と、仕事の出来る家に血が入っているそうだ』

《だから正確な伝承が伝わり続けているんですね》
『あぁ、自戒も込めてな』

《それで》
『あぁ、その伝承を聞いた後だ』



 山岸の所に戻ったんだが、どうやら車で帰ったらしく。
 ココで撮った写真と機材だけ残して、消えちまった。

《何かよ、止めたんだけど、車で帰っちまってよ》
『どうするよアンタ、帰るってなら車で駅舎まで送るけども』
『いえ、折角ですし残りますよ。社に連絡したいので、電話をお借りしたいのですが』

《あぁ、使ってくれて構わねぇよ》
『大変だなぁ、良く有る事かい』
『まぁ、偶に、ですね』

 どの業界でも、新人が逃げ出す事は良く有る事。
 アイツもきっと、何か嫌になったか、若しくは後ろ暗い事が有って怖くなったか。

 だが、俺にはどちらでも良かった。
 取材の本番はコレからだったんだ、山岸の事は社に任せ、俺はそのまま取材を続け。

 社に戻ったのは数日前。
 山岸の事を聞いたのは、その時だった。
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