松書房、ハイセンス大衆雑誌編集者、林檎君の備忘録。

中谷 獏天

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第32章 先生と物語と僕。

巫女と小豆鬼。

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 1つの家に災いが起きた。

『ひっ』

 その家の戸は、ピッタリと戸を閉めなければならない。
 万が一、少しでも隙間が有ったなら。

 その戸はカタカタと鳴り始め、その隙間からは責める様にびっしりと目が並ぶと、真っ赤に血走った目がギョロギョロとコチラを責める様に見続ける。
 そして、自分の無作法を謝りながら閉めなければ。

 その戸は薄っすらと再び開き。

   「あやまれ」     「謝れ」
 「無作法を詫びろ」  「わびろ」
  「死んで詫びるか」  「詫びながら死ぬか」

『す、すみません、すみませんでした』

 家の者にだけ起きた災いだったが。
 果ては使用人達にまで見聞きされる様になり、家には人が寄り付かなくなった。

『どうにか、どうにかお願い致します』
《どうか、この家を救って下さい。お願いします、お願いします》

 家は商家。
 しかも家具を売る店。

 職人は勿論、売り子も客もすっかり恐れをなし、近寄らなくなった。

「構いませんが、高いですよ」

 男が呈示した額は、家の資産の半分程。

『こ、こんなに』
《こんなに、掛かるのですか》

「はい」

 幽霊騒動が収まったとて、家に客が戻るかどうかは運次第。
 家の者は渋りました。

 跡継ぎも居ないこの家に、この額は難しい、と。

『用立てには、その、時間が掛かりますので』
《あの、もう少し》
「他を探して頂いても構いませんよ、お待ちするのはタダですから、では」

《アナタ、やっぱりあの子に》
『五月蠅い!アイツの事は口に出すな!良いな!!』

 家には、本当なら後継ぎが居ました。
 ですが今は仲違いをし、縁を切ってしまっていた。

《なら、もういっそ》
『五月蠅い、何とか、あんな事さえ収まれば』



 そうして夫婦は他の霊媒師や、祓いが行える者を探しましたが。
 何処も、快く受けてはくれませんでした。

《どうにか、お願い出来ませんか》

『構いませんが、全財産、差し出せますか』
『全財産、だと』

『そこまでお困りで無いなら、無理です、余所を当たって下さい』

 そんな時。

《構いませんよ》
《本当ですか》

《まぁ、様子を伺ってみなければハッキリとした事は言えませんが、お受けしましょう》
《ありがとうございます》
『是非、宜しくお願い致します』

 そうして1人の梓巫女が家へ。
 だが。

《あぁ、恨まれていますね、相当》

『恨み、ですか』
《心当たりは御座いませんか》

 夫は見当も付かない、と言った様子だったが。

《やっぱり、あの子が》
『俺達が恨めどアイツが恨む道理は無いだろう!!』
《その調子では、幾ら祓っても無理かと。すみませんが、ご助力は出来ませんね》

『待って下さい、何か、方法が』
《ご供養とは、時に生者が反省し、行うモノ。時には悪霊であれ何であれ、謝らなければならない事も有る、それが出来ねば無理ですよ》

『だとしても、出来る事と出来無い事が有るだろう!!』
《そうですか、では、他をお探し下さい》



 とうとう、夫婦は遠くにまで祓える者を探しに行った。
 だが、その道中でも。

  「隙間が有る!」  「何故しっかりと閉めない」
 「謝れ」  「詫びろ!」 「死ぬまで詫びろ」

 怒鳴り声とヒソヒソと囁く声が、方々から響き。
 天井には大小様々な血走った眼が、ビッシリと敷き詰められ。
 ギョロギョロギョロと、コチラを見つめ続け。
 
 『詫びろ』 《詫びろ》  「詫びろ」

 そう責め立て。
 夫婦を責め立てた。

《もう、嫌っ!!》
『ま、待てお前っ!!』

 仮宿ですら、その奇怪な事は収まらず。
 とうとう、奥方は逃げ出し。

 主人は男に泣き付いた。

「高いですよ」

『あぁ、だがもうアナタにしか頼めない』
「分かりました、では」

 男が柏手を打つと、もう終わったと一言。

『あの』
「あぁ、ご心配なら一緒にご確認をしましょうか、今晩寝泊まりさせて頂きますよ」

『は、はい』

 そして本当に、隙間が有っても何も起こる事は無かった。
 そこで主人は大人しく金を払い、妻を迎えに行った。

《本当に》
『あぁ、本当だ。さ、家に帰ろう』



 そうして何事も無く三日三晩が過ぎたが。
 店には客足が戻る事も無く、職人も売り子も、誰も戻っては来なかった。

《畳みましょう》

『何を』
《なら離縁をお願いします、このままでは飢え死にです、お願いします》

『まだ奇怪な事が収まって、たった』
《新しく入る品物も無ければ、客も売り子も来ない、このままでは飢え死ぬだけです》

『まだ、蓄えは』
《いずれ尽きます、店を畳むか離縁か、子供に頭を下げるか。もう、それ以外の道は無いんですよ》

『俺に、頭を下げろと』
《では、離縁ですね、さようなら》

 主人は、どうしても息子に頭を下げる事が出来ませんでした。
 自分が見繕った相手と添い遂げ様ともせず、剰え職人の女を選んだ。

 良い腕の似た年の女か。
 片や年増の好色女。

 仕方無し、と主人が諦めれば良かったものを。

 店の主人は絶縁を言い渡し。
 息子は出て行った。

 だが職人は恩も有り、品物を相変わらず卸していたが。
 主人が難癖を付け始めた。

 やれ締まりが悪い。
 やれ隙間が有る。

 お前が息子を誑かしたのだろう。
 謝れ、詫びろ、と。

 流石の職人も手を引いた。
 その事を聞いた職人も手を引き、売り子も手を引き。

 そうして客も、手を引いた。



「あの家の家具を置くと、性根が悪くなりそうなんでね」
《全くだよ、一緒に働いて、あんな意固地が移っても困るしね》
『本当に、さっさと謝れば良いものを』

「どうせ、職人を見下してるに違いねぇ」
《そんな所に、誰が卸すかよ》
『幽霊だなんだって無かったってな、誰が行くかってんだよ』

 そうして男がすっかり弱った頃、やっと、町の名手が説得へと向かい。
 店は新たに名を変え、代替わりをし。

 やっと、事は収まりました。

『あの、どうかお代を、どうにかお受け取りになって頂けませんでしょうか』
「いえいえ、美味い飯も出してくれたんですし。何より、良い家具を親戚に送ってくれたんですから、それで十分ですよ」
《そんな事だけで、本当に良いのかい?このまま続けても、いずれ食いっぱぐれちまうだろうに》

『そうですよ、父から巻き上げた金も、結局は』
「僕に服も日用品も買い与えてくれて、風呂も布団も。十分です、十分ですよ」
《そんな、座敷童みたいな事を。せめて、次の場所への駄賃位は受け取ってくれないと、私らの寝覚めが悪くなっちまうよ》

「では、コレだけで。じゃあ、どうかお達者で」

 そう言うと、男は幾ばくかの金銭を受け取り、駅舎へと向かった。
 上等な鞄と、上等な靴と帽子、それと上等な着物を着て。

《何だったんだろうね、梓巫女さんも手を出せなかった災いってのは》

『生き霊だったそうだよ』
《確かに恨んだけれど、頑固爺ってのは親方の代から知っていたんだ、しかも仕事ばかりしていたってのに》

『僕の恨みかも知れないよ』

《そりゃ怖い、私も精々恨まれない様にしないとね》
『あぁ、僕も、あまり意固地にはならない様にしないとね』



 主人が弱ったのには、理由が有りました。
 今度は違うモノが、見える様になってしまったからです。

『ひっ』

 《意固地な爺だ》  『離縁された意固地爺』 「可哀想な爺だ」
  「見える様になった爺だ」  《意固地な爺》 「可哀想な爺だ」

 お天道様の明るい時でも。
 人の多い往来でも。

 すっかり、見聞き出来る様になってしまったのです。

『すまない、すまなかった、すまない』
《アナタ、ほら、小豆を上げて》

『あぁ、すまない、本当にすまなかった』

 老人は常に小豆を持ち、小鬼や怪異に小豆を与える。
 小豆鬼、と呼ばれる様になりました。
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