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お父さん
しおりを挟む私をその背に隠すようにレオンが半歩前に出る。
繋いだまま背中に回された手に微かに力がこもった。
その人は穏やかな笑みを浮かべて、私たちから数歩離れたところで立ち止まった。
レオンの背中越しに見えたのは、暖かそうな毛皮のガウンを羽織った40歳くらいの男性だ。緩くウェーブがかかった長めの濃い金髪が肩にかかっている。
一見優しそうな雰囲気なのに、側にいるだけで背筋が伸びるというか、つい視線が引き寄せられるような空気を纏っている人だと思うのと同時に、その整った顔立ちにどことなく既視感を覚えた。
「こんなところで会うとは、これは女神の思し召しかな。」
「・・・顔合わせはもう少し落ち着いてからと話したはずですが?」
「そんな嫌そうな顔をするな。ただの散歩だよ。久方ぶりの晴天に、澄んだ空気が恋しくなるのは何も不思議ではないだろう?」
「早朝に護衛も連れずお一人で?」
「連れてくると何かと喧しい。」
「・・・喧しく言われるような事をなさっている自覚があるのなら、彼らの身にもなってあげてください。」
「細かい男は煙たがられるぞ。」
「ああ、そういえば散歩でしたね。向こうでザリアが見頃でしたよ。そちらに行かれては?」
「私の目には、何よりも美しい花がお前の後ろにいるように見えるが。」
呆れたような声のレオンに対して飄々と返していたその人が、髪をかき上げながら肩越しに顔を覗かせている私を見て口の端を上げる。そのちょっと悪そうな表情がすごく様になっている人だと思った。
この人、もしかして。
斜め上から深いため息が聞こえた。身体をずらしてこちらを見たレオンは少し眉間に皺を寄せている。こんな顔初めて見た。
繋いでいた手を離して私の腰に回すとそっと引き寄せる。左手で目の前の男性を指し示した。
「リリナ、こちらはレヴナント・フォン・ベルンシュタイン。私の父だよ。どうやらリリナと会うのが待ちきれなかったようだ。」
内心、やっぱり!と叫んだ。雰囲気は全然違うけど、顔立ちがそっくりだった。
レオンとは対照的に機嫌良さげなその人を改めて見る。
決して中性的なわけでは無いけど、レオンはいつも優しく微笑んでいる印象があるからか綺麗な男性ってイメージなのに対して、お父さんは無造作に流した髪とか下顎に生えた髭のためかより男性らしさを感じる。髪をかき上げる仕草にも大人の色気を感じて、うちのお父さんも髭を生やしてたけど、物が違うというか、とにかく全然違う。
身長はレオンと同じくらいか少し低いくらいなのに、堂々とした佇まいからか実際よりも大きく感じた。
額に落ちた髪の間から覗く蒼い瞳と目が合ってちょっとドキリとする。
レオンの家族に会えたのはすごく嬉しいけど、どうしよう、急すぎて心構えが・・・!
「ご、ご挨拶が遅くなりました。各務りりなと申します。昨日は泊めていただいてありがとうございました。」
「ようこそアル・ルクレイティアへ。レオニシアスの父親だ。息子は不足なくもてなせているだろうか。」
「はい、とても良くしていただいています。あの、」
「うん?」
「レオンさんから、この世界やご家族の話を聞いていて、ずっとお会いしてみたいと思っていました。なので、こうしてお会いできてとても嬉しいです。」
向こうにいた時、レオンの家族やアル・ルクレイティアの話が出る度に、想像してはこの目で見てみたいと密かに思っていた。レオンと過ごす時間が増えれば増えるほどその気持ちは大きくなっていったけど、一生叶うことはないと思っていたから。
レオンのお父さんはちょっと目を瞬いて、それから嬉しそうに笑った。
「私もレオニシアスから話を聞いていたよ。そんな表情もできるのかと驚いたものだ。こうして見まみえることが出来て嬉しく思う。リリナと呼んでも?」
「はい。」
「突然訪れた息子を受け入れてくれて、父として心から感謝している。」
「いえ!向こうでは普段ひとりで過ごしていたので、レオンさんが来てくれて毎日がとても楽しくて。私にとってとても大切な時間でした。」
「いつも温かく迎え入れてもらいました。あちらでの経験は私にとって全てが得難い物です。リリナ直々の料理も素晴らしかった。」
「ふふ、いつも美味しそうに食べてくれてたもんね。向こうではよく料理を手伝ってくれてたんですよ。」
そう言うとお父さんが意外そうな顔でレオンを見る。
「レオニシアスが?」
「はい、故郷に卵を薄く巻いて作る料理があるんですけど、今では私よりずっと上手に作れるんです。私はたまに端の方を焦がしちゃって。」
「見た目だけで、味はリリナの方が数段上だよ。またいつかリリナの料理を食べたい。」
「そんなことないと思うけどな。キッチン使って大丈夫ならいつでも作るね。」
「それは私もご相伴に預かれるのかな?」
「もちろんです!作る時はお声がけしますね。」
私とレオンのやり取りを興味深そうに聞いていたお父さんに力強く返事する。
レオンが意外と和食好きだから作りたいところだけど、前に食べたことない味だって言ってたからやっぱりこっちにはないのかな。何か似たようなものがないか後で聞いてみよう。意識が逸れているとレオンのお父さんの声に引き戻される。
「話には聞いていたが、随分仲が良いんだな。互いをとても大事に思っているのが伝わってくる。」
その言葉にくすぐったい気持ちになって思わずレオンを見ると、こちらを見下ろす温かい瞳と目が合う。レオンの表情はとても柔らかくて、自然と私も笑みが浮かんだ。
レオンが風で少し乱れた私の髪を耳に掛けてくれる。そのまま頬を包まれて、冷えた頬にレオンの体温がじんわり伝わってきた。思わず頬を寄せるとレオンが小さく笑うのが聞こえた。
「人や物を大切に思う気持ちは尊い物だ。・・・リリナは自分の国が好きか?」
「好き、だと思います。」
「そうか、良いことだ。私も、この国を深く愛しているよ。この街も、遥か昔から今日にかけて輝きを放ち続けられているのも、国が愛されているからこそだ。」
眼科に広がる街並みに目を向ける。先ほどよりも高くなった太陽の光が白壁に反射していた。
「この国の歴史からすれば私が生きてきた日々など微々たる物だが、歴史の一翼を担えていることを誇りに思っている。そしてこの国のことも其方の祖国と同様に好きになってもらえたら、これ以上嬉しいことはない。」
「・・・父上。」
「わかっている。これ以上は言わんよ。」
レオンが静かにお父さんを呼んだ声には少し嗜めるような響きがあった。なんだろうと疑問に思うけど、お父さんに手を差し出されて慌てて私も手を伸ばした。
「国を愛する心がある者に悪い者はいない。そして息子の大事な存在は父である私にとっても等しく大切だ。改めて来訪を歓迎するよ、リリナ。」
その掌に右手を重ねる。
大きな、温かい手だった。
至近距離で見上げたお父さんはさっきのレオンと同じくらい優しい表情をしているから、なんでか私のお父さんを思い出してちょっと涙腺が緩みかける。
ぐっと堪えて笑顔を浮かべた。
うちのお父さんはこんなに格好良くなかったはずなんだけどな。
「そう言っていただけて、とても嬉しいです。私もレオンさんが過ごしたこの国を好きになりたいと思っています。もしご迷惑じゃなければ、お父さんから見たこの国のことを教えてください。」
「勿論だ。一度ゆっくり場を設けて話をしよう。」
「はい!ありがとうございます。」
お礼を言うと、お父さんはじっと私を見つめたあと徐に口を開いた。
「私にはレオニシアスの他に息子が二人いるんだが。」
「弟さんが二人いらっしゃると聞いてます。」
「娘がいたらこんな気持ちになるのかと思うよ。ここで過ごす間はこの世界の父だと思ってくれて構わない、何か困った時はいつでも頼りなさい。」
思いもしてなかった言葉に胸が熱くなった。
日本から遠く離れた、世界も違う場所でこんなに優しく迎え入れてもらえるなんて思わなくて、今度こそ目元が熱くなって視界が滲んだ。
「っ、ありがとう、ございます。」
レオンの家族の一員にしてもらえた気がしてすごく嬉しかった。
お礼を言う声も震えちゃって、さらに微笑ましげに見られる。
すんすん鼻を鳴らしているとレオンにそっと肩を抱き寄せられた。
「素直ないい子だ。思いやりもある。お前が大事に思うのも頷けるな。」
「ええ、可愛いでしょう?」
「だが可愛さ余って行きすぎないようにな。籠の鳥は己の翼の力を知る術がなくなるものだ。」
「私なりにリリナにとっての最善を考えていますので、ご心配には及びません。」
「お前は昔から大事な物ほど囲い込んで自分の手の届く範囲に置きたがる。リリナ、息子に言い辛いことがあるときは遠慮なく私に言いなさい。」
「ご忠告は受け止めますが、そのようなことにはなりませんよ。」
「その慢心が行き違いを生むことに繋がると言ってるんだ。」
「父上に言われたくありません。そろそろ散歩に戻られてはいかがですか?きっと今頃探されていますよ。」
レオンが言い終わるのと同時に、二人揃って後方に顔を向ける。
私も振り向くと遠くから鎧を着た人たちがこっちに早足で向かって来るのが見えた。
「む、話をすればなんとやらだな。では私はここで失礼するよ。会えてよかった、リリナ。」
「はい、私も。」
「ああ、それと。」
一度口を閉じて私をじっと見たあと、私の耳元に視線を止める。
「そのエメラルドの耳飾り、とてもよく似合っている。」
ふっと柔らかく笑うその表情がレオンにそっくりだった。
最後に私の料理の準備ができたら必ず知らせて欲しいと念を押してから、名残惜しげに去って行く後ろ姿を二人で見送る。
やってくる人たちとは逆方向に歩いて行ったけど、待たなくていいのかな。明らかにお父さんを探しにきてると思うんだけど。
横から小さくため息が聞こえた。
「急にすまなかった。」
「ううん。驚いたけど、会えて嬉しかった。すごく元気なお父さんだね。」
「・・・もう少し落ち着いて欲しいところだけれどね。」
「お父さんとは仲良いの?」
「仲は・・・そうだね。良好ではあるんだが、いつまでも彼にとって私は幼いままらしい。」
心外そうな顔をするレオンにくすりと笑う。
そういえば聞いてなかったけど、お父さんってレオンと私のことどこまで知ってるんだろう?
あれ、というかそんなことより。
「ねぇ、今更なんだけど、レオンのお父さんってことは王様ってことだよね・・・?」
「そうなるね。」
やばい、すっかり頭から抜けてた。思わず顔から血の気が引く。
「私、大丈夫だった?失礼とかなかったかな?」
「何も問題ない。いつも通り可愛かったよ。」
そういうことを聞いてるんじゃ無いんだけど。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「ねぇレオン、実は甘い卵焼き苦手だったでしょ?」
「!気付いていたのか?」
「初めて出した時ちょっと微妙な顔してたもん。」
「・・・だから二回目からは味付けが変わっていたのか。」
「ふふ。意外とわかりやすいよね。」
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