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春風と出会いの音
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春が来た。町を走る通学路にも、薄紅の桜の花びらが吹雪のように舞う季節。悠真はいつものように、朝の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んで、自転車のサドルに跨がっていた。
「寒っ…」
吐く息が白く、頬がひんやりとする。だが、それさえ気持ちよく感じるのは、目の前に見える桜並木のトンネルがあるからだろう。淡いピンク色の花びらは、そっと大地に降り注ぎ、地面に絨毯を敷いたように敷き詰められていた。
通学ラッシュといっても、地方の中学校にはそれほど人はいない。同じ時間帯に、自転車や歩きで通う生徒たちがぼちぼち集まり始めるだけだ。悠真は無意識に速度を緩めた。風景を味わいたくて。桜の香りに包まれるように。
そのときだった。向こうから軽やかなベルの音とともに、自転車の影がゆっくりと近づいてきた。その子だ。淡いベージュのコートの裾から顔をのぞかせた、栗色の髪。風にそよぎ、桜の花びらが絡まっている。彼女は視線を前に集中させて、ペダルを踏みながらもまっすぐに進む。その姿が、まるで映画のワンシーンのように悠真の心に焼きついた。
「お…」
思わずつぶやいた。だが視線を外してはいけないような、そんな気持ちだった。目が合わないまま、でも自然と視界の中心になる存在──。彼女は紗希。クラスメイトではあるが、話したことは一度もない。淡々と、でもどこか温かみを持つその雰囲気は、教室でも授業中でも、悠真の心をそっと揺らしていた。
二人がすれ違う――その一瞬の時間。鼻先をかすめる桜の匂い、袖がすれるような風圧、締め付けられた制服と制服同士の距離。それだけで、胸がキュンと高鳴る。「今、心臓、持ったかな?」と本気で思うほど。
だが、何も言えない。会釈さえできず、ただ無言で通り過ぎる。紗希もまた、さっと目を逸らし、何事もないように行ってしまう。まるで毎朝のルーティンのように。
悠真は、不意に傍らの側道に自転車ごと寄せた。心が揺れすぎて、走り続けるのがもったいなくなったのだ。呼吸を整えながら、スマホで時計を確認する。まだ数分ある。けれどその間に、紗希のことを思い浮かべ、彼女の髪、制服、笑顔の記憶を追う。それだけで、春の空気がずっと続いてほしいと思う。
そうして毎朝の桜のトンネルを抜けたとき、ようやく自分が呼吸を取り戻したように感じた。それからはついスピードを落とせず、いつもより少しだけ急いで学校へ向かう。遅刻はしない程度に。
教室のドアを開けると、そこにはいつもと同じ光景。人の話し声、先生の黒板を使った説明、まわる扇風機の音…。だが、悠真の心の中では、たった今の「すれ違い」の記憶が、何度も再生されている。休み時間になると、スマホに昨夜撮った自転車通学路の写真を眺めては、あの瞬間に戻りたくなる。
友達に「最近機嫌いいな」とか言われるが、別に特別なことはない。いや、たった一つあるのだ。紗希とすれ違う時間。それさえあれば、朝が楽しみになる。そんな自分に戸惑いながらも、心がじんわり温かくなるのを止められない。
「寒っ…」
吐く息が白く、頬がひんやりとする。だが、それさえ気持ちよく感じるのは、目の前に見える桜並木のトンネルがあるからだろう。淡いピンク色の花びらは、そっと大地に降り注ぎ、地面に絨毯を敷いたように敷き詰められていた。
通学ラッシュといっても、地方の中学校にはそれほど人はいない。同じ時間帯に、自転車や歩きで通う生徒たちがぼちぼち集まり始めるだけだ。悠真は無意識に速度を緩めた。風景を味わいたくて。桜の香りに包まれるように。
そのときだった。向こうから軽やかなベルの音とともに、自転車の影がゆっくりと近づいてきた。その子だ。淡いベージュのコートの裾から顔をのぞかせた、栗色の髪。風にそよぎ、桜の花びらが絡まっている。彼女は視線を前に集中させて、ペダルを踏みながらもまっすぐに進む。その姿が、まるで映画のワンシーンのように悠真の心に焼きついた。
「お…」
思わずつぶやいた。だが視線を外してはいけないような、そんな気持ちだった。目が合わないまま、でも自然と視界の中心になる存在──。彼女は紗希。クラスメイトではあるが、話したことは一度もない。淡々と、でもどこか温かみを持つその雰囲気は、教室でも授業中でも、悠真の心をそっと揺らしていた。
二人がすれ違う――その一瞬の時間。鼻先をかすめる桜の匂い、袖がすれるような風圧、締め付けられた制服と制服同士の距離。それだけで、胸がキュンと高鳴る。「今、心臓、持ったかな?」と本気で思うほど。
だが、何も言えない。会釈さえできず、ただ無言で通り過ぎる。紗希もまた、さっと目を逸らし、何事もないように行ってしまう。まるで毎朝のルーティンのように。
悠真は、不意に傍らの側道に自転車ごと寄せた。心が揺れすぎて、走り続けるのがもったいなくなったのだ。呼吸を整えながら、スマホで時計を確認する。まだ数分ある。けれどその間に、紗希のことを思い浮かべ、彼女の髪、制服、笑顔の記憶を追う。それだけで、春の空気がずっと続いてほしいと思う。
そうして毎朝の桜のトンネルを抜けたとき、ようやく自分が呼吸を取り戻したように感じた。それからはついスピードを落とせず、いつもより少しだけ急いで学校へ向かう。遅刻はしない程度に。
教室のドアを開けると、そこにはいつもと同じ光景。人の話し声、先生の黒板を使った説明、まわる扇風機の音…。だが、悠真の心の中では、たった今の「すれ違い」の記憶が、何度も再生されている。休み時間になると、スマホに昨夜撮った自転車通学路の写真を眺めては、あの瞬間に戻りたくなる。
友達に「最近機嫌いいな」とか言われるが、別に特別なことはない。いや、たった一つあるのだ。紗希とすれ違う時間。それさえあれば、朝が楽しみになる。そんな自分に戸惑いながらも、心がじんわり温かくなるのを止められない。
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