分断のその先へ 東日本から脱出せよ!

RIKUTO

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第三章

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雨が降り続く夜、バー「黒猫」のカウンターに陽太は戻っていた。ネオンの明かりが薄暗い店内に揺れ、労働者たちのざわめきが響き、タバコの煙が立ちこめる。陽太はグラスを拭きながら、客の会話を聞き流す。日本海の佐渡島沖で、西日本軍からの攻撃がありそれを撃退したとのニュースがテレビで流れている。だが実際には東日本海軍の演習弾20発が西側の海域に着水しそれを西日本海軍が同じ数だけ打ち返したのだ。そんなねつ造されたニュースが流れる。人民警察の検問強化や、DMZや壁を越えようとした亡命失敗者の噂。いつもの雑音だ。だが、今夜は何か違う。カウンターの隅に座る見知らぬ男が、陽太をちらちらと窺っている。黒い人民警察の制服ではないが、その視線には異様な重さがある。陽太は無表情で男を観察する。30代半ば、瘦せた体に安物のスーツ、だが靴だけが妙に磨かれている。人民警察の内通者か、闇市場の情報屋か。陽太の勘が警告を発する。「まずいな…こいつ、ただの客じゃねえ」。ポケットの折り畳みナイフを握り、陽太は次の行動を計算する。だが、男は静かに立ち上がり、カウンターにコンドームの包みを滑らせて寄越す。「これ、預かってくれ。後で取りに来る」とだけ言い、店を出ていく。陽太は包みを手に取るが、すぐに違和感に気づく。軽すぎる。中に紙が詰められている。カウンターの下でそっと開くと、折り畳まれたメモが出てくる。そこには走り書きでこう書かれていた。「次のお前の仕事。山本彩花、24歳。国営放送勤務。DMZで待つ。明日、午前2時。裏切り者に気をつけろ」陽太の目が細まる。「裏切り者? 誰のことだ…」。メモにはいつもの依頼人のサインがない。いつもなら「黒猫の依頼人」と記された暗号が書かれているはずだが、これは違う。陽太の胸に不穏な予感が広がる。だが、依頼を無視する選択肢はない。姉の言葉が脳裏に響く。「誰かがやらなきゃ、誰も救えねえ」。


午前1時。陽太は再び東東京の路地に立つ。リュックにはいつもの装備――地雷探知機、偽造通行証、折り畳みナイフ、そしてDMZの地雷配置図。コートの襟を立て、陽太は指定された廃墟の倉庫へ向かう。霧が濃く、街灯の光すら滲む。倉庫の暗がりに、細い人影が待っていた。山本彩花だ。ショートカットの髪、鋭い目つき、革のジャケットに身を包んだ若い女。陽太の前に立ち、落ち着いた声で言う。「高本陽太だな? 依頼を受けてきた。西東京に渡りたい」陽太は彩花を一瞥し、彼女の動きを観察する。緊張しているが、怯えていない。普通の亡命希望者とは違う雰囲気だ。「ジャーナリストだと聞いた。何を運ぶ? 西に何を伝えたい?」陽太の声は冷たい。彩花は一瞬目を逸らし、答える。「東日本の真実だ。人民農業公社の裏帳簿。政府が隠す汚職の証拠」陽太の眉がわずかに動く。危険な荷物だ。人民警察が血眼で追う類のもの。だが、彩花の目は揺るがない。「わかった。ルールは守れ。俺の後ろを離れるな。一歩間違えれば死ぬ」。彩花は頷き、陽太の背中に続く。二人はいつもの闇ルートを進む。江戸川区の下水道を抜け、千葉県浦安市で闇の運び屋のトラックに乗り込む。運転手はいつもと同じ無口な中年男だ。「まただな、黒猫。」と呟くが、陽太は無言で荷台に滑り込む。トラックは静岡県のDMZ手前を目指し、夜の田舎道を走る。彩花は荷台の隅で膝を抱え、書類の詰まった小さなバッグを握りしめている。陽太は彼女を観察しながら考える。「裏切り者ってのは誰だ? この女か? それとも…」。トラックが静岡の山間部に到着し、陽太と彩花は降りる。東方限界線の有刺鉄線をくぐり、DMZの入口へ。霧が深く、松の木々が不気味に揺れる。陽太は地雷探知機を手に、彩花に囁く。「ここから5キロ。地雷と監視塔が相手だ。俺の言う通りに動け」。彩花は無言で頷き、陽太の背後にピタリとついていく。1キロ進んだところで、地雷探知機が不規則に鳴る。陽太は足を止め、地図を確認する。だが、違和感がある。地雷の配置が、いつもと微妙に異なる。「…誰かが地図をいじった?」。陽太の背筋に冷たいものが走る。彩花が後ろで囁く。「どうした? 何か変か?」。陽太は振り返らず、低く答える。「黙れ。集中してる」。2キロ目で、事態は急変する。遠くで監視犬の吠え声が響き、サーチライトが異常な速さで動き出す。陽太は彩花を茂みに押し倒し、息を殺す。だが、犬の吠え声が近づく。陽太の耳に、複数の足音が混じる。「…待ち伏せだ」。陽太はナイフを握り、彩花に鋭く言う。「お前、誰かに売られたな。誰だ? 依頼人は誰だ?」彩花の目が揺れる。「わからない…闇市場の情報屋からメモを受け取っただけだ」。陽太は歯を食いしばる。メモの「裏切り者に気をつけろ」が頭をよぎる。だが、考える時間はない。監視犬が茂みに飛び込み、陽太は咄嗟にナイフを振り上げる。犬が唸り声を上げ、陽太の腕をかすめる。血が滲むが、陽太は犬の首を押さえつけ、ナイフで仕留める。だが、その瞬間、サーチライトが二人を捉える。「そこにいるのは誰だ! 動くな!」人民警察の声が響く。陽太は彩花の手を引き、走り出す。「走れ! 地雷を避けろ!」。地雷探知機がけたたましく鳴り、陽太は記憶を頼りに獣道を突き進む。彩花が叫ぶ。「高本! 地図が間違ってるなら、どうやって進むんだ!」。陽太は息を切らしながら答える。「俺の勘だ。信じろ!」3キロ地点。監視塔の銃声が響き、地面が弾丸で削れる。陽太は彩花を盾にするように茂みに隠れ、地雷探知機を投げ捨てる。「もう使えねえ。目視で進む」。彩花の息が荒い。「高本…お前、なんでこんな仕事してる?」。陽太は一瞬、姉の笑顔を思い出す。「自由は命より重い。誰かがやらなきゃ、誰も救えねえ」。彩花は目を細め、呟く。「…お前、いい奴だな」。軍事境界線まであと1キロ。陽太は煙幕弾を投げ、監視塔の視線をそらす。だが、背後から新たな足音が迫る。人民警察の追跡隊だ。陽太は彩花に囁く。「インターホンまで走れ。俺が時間を稼ぐ」。彩花が叫ぶ。「高本! お前が死ぬぞ!」。陽太は冷たく笑う。「死なねえよ。俺は黒猫だ」。陽太は別の方向へ走り、追跡隊を引きつける。彩花は白い杭を目指し、全力で走る。境界線を越え、西側に入る。インターホンの前にたどり着き、ボタンを押す。ブザー音が響き、西日本軍の声が答える。「日本国警察軍事境界線特別警備隊。身元を明かせ」。彩花は叫ぶ。「山本彩花! 亡命希望者だ! 書類を持ってる!」。ジープのヘッドライトが霧を切り裂き、西日本憲兵が現れる。陽太は茂みに身を潜め、追跡隊の動きを観察する。人民警察の隊長が無線で叫ぶ。「黒猫の陽太だ! 生け捕りにしろ!」。陽太の目が鋭く光る。「知られてる…誰が漏らした?」。追跡隊が近づく中、陽太は最後の煙幕弾を投げ、霧に紛れてDMZの奥へ消える。
陽太は傷だらけで戻る。カウンターの裏で、メモを握りつぶす。「裏切り者…誰だ」。バーにいたあの男か? 彩花か? それとも、いつも陽太を運ぶ闇の運び屋? 陽太の胸に疑念が渦巻く。だが、休息はない。次の依頼が、霧の向こうで待っている。陽太はコートの襟を立て、雨の路地へ踏み出す。姉の声が響く。「自由は命より重いよ」。その言葉が、彼を闇に縛り続ける。(続く)



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