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第四章
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夜の冷気が陽太の傷ついた腕を刺す。バー「黒猫」の裏口から滑り込み、陽太はカウンターの裏で息を整える。傷口から血が滲み、折り畳みナイフには監視犬の血がこびりついている。陽太はメモを握りつぶしたまま、頭の中で昨夜の出来事を反芻する。「裏切り者に気をつけろ」。その言葉が、頭から離れない。誰かが陽太の動きを人民警察に売った。彩花か? 闇の運び屋か? それとも、バーに現れたあの男か?カウンターの奥、薄暗いバックヤードで、陽太はリュックを下ろす。地雷探知機は壊れ、偽造通行証は使い物にならないほど破れている。だが、DMZの地雷配置図だけは無傷だ。陽太は地図を広げ、昨夜の違和感を思い出す。地雷の配置が微妙にずれていた。あの地図は、陽太が2年間命を懸けて更新し続けたものだ。誰かが手を加えたのだ。内通者がいる」陽太の目が鋭く光る。翌日、バーは静まり返っている。陽太は二階の自室で傷の手当てをしながら、闇市場の情報屋に連絡を取る。古い電話の秘匿ダイヤルを回し、低い声で話す。「昨夜のメモ、誰からだ?」。受話器の向こうで、情報屋のハスキーな声が答える。「知らねえよあ。いつものルートだ。メモは闇市場のポストに投げ込まれてた」。陽太は眉をひそめる。「ポスト? 誰でも触れるじゃねえか」。情報屋は笑い声を上げ、電話を切る。陽太はコートのポケットから、昨夜のメモをもう一度取り出す。「裏切り者に気をつけろ」。その筆跡に見覚えがある気がする。陽太の脳裏に、2年前の姉の最後の手紙がよぎる。姉・美咲がDMZで死ぬ前、陽太に宛てた手紙。そこには同じような走り書きで、こう書かれていた。「陽太、気をつけな。誰かが私を売った」。陽太の胸が締め付けられる。あの時も、姉は裏切り者に嵌められた。そして今、陽太自身が同じ罠に足を踏み入れている。
その夜、陽太は闇市場へ向かう。東東京の裏路地、消えかけのネオンとスチームパイプの煙が交錯する市場は、情報と裏取引の巣窟だ。陽太はフードを被り、人混みに紛れる。目的は、メモを投げ込んだ人物の痕跡を追うことだ。市場の片隅、いつもの情報屋の屋台に近づく。屋台の親父は、タバコをくわえながら陽太に目をやる。「よお、黒猫。随分慌ててるな。何かあったか?」陽太はメモを親父の前に叩きつける。「この筆跡、知ってる奴がいるだろ。吐け」。親父はメモを一瞥し、肩をすくめる。「お前、疑り深いな。こんなメモ、毎日何十とポストに入る。追えねえよ」。だが、陽太は親父の目が一瞬泳いだことに気づく。「嘘だ。てめえ、何か隠してる」。陽太はナイフを親父の喉元に突きつける。市場の喧騒が一瞬止まる。親父は汗を浮かべ、声を下げる。「…わかった、黒猫。落ち着け。メモのことは知らねえが、最近、人民警察が妙に動き回ってる。お前の名前が出てるぜ。『黒猫を捕まえろ』ってな」。陽太の目が細まる。「誰が漏らした?」。親父はため息をつき、囁く。「噂じゃ、闇の運び屋の誰かが怪しい。金で動く奴らだ。人民警察に売られたんじゃねえか?」陽太はナイフを下ろし、市場を後にする。闇の運び屋――いつも陽太をDMZ手前まで運ぶあの無口な中年男、田中だ。陽太の胸に怒りと疑念が渦巻く。田中は陽太の命綱だった。2年間、検問を回避し、陽太を安全に運び続けた男だ。だが、もし田中が裏切ったなら…。
翌夜、陽太は田中との接触を決める。場所は東東京から離れた横浜市のとある場所、新幹線高架下の管理道。雨が再び降り始め、陽太はコートの襟を立てる。リュックには新しい地雷探知機と、姉の形見の小さなペンダント。陽太はそれを握りしめ、姉の言葉を思い出す。「自由は命より重いよ」。その言葉が、陽太を前に進ませる。高架下に、田中のトラックが停まる。陽太は荷台に滑り込み、いつものように毛布の下に身を隠す。だが、今日は何か違う。田中の運転がいつもより慎重だ。陽太は毛布の下でナイフを握り、耳を澄ます。トラックが検問を通過する際、田中の声がいつもより緊張している。「…問題ない。荷物だけだ」。陽太の勘が叫ぶ。「こいつ、怪しい」。トラックが静岡県の山間部に到着し、陽太は荷台から降りる。田中が振り返り、いつもの無口な態度で言う。「ここまでだ、黒猫。次は気をつけろよ」。だが、陽太は動かない。ナイフを手に、田中を睨む。「お前、俺を売ったな」。田中の目が一瞬揺れる。「何だ? 頭おかしくなったか?」。陽太は一歩詰め寄る。「地図が改ざんされてた。人民警察が待ち伏せしてた。お前以外に、俺のルートを知る奴はいねえ」。田中は後ずさり、無線機を手に取ろうとする。陽太は瞬時に飛びかかり、田中の腕をひねり上げる。ナイフが田中の喉元に光る。「吐け。誰に売った? 人民警察か?」。田中は顔を歪め、ついに口を開く。「…仕方なかったんだ、黒猫。家族が人質に取られた。人民警察が俺の息子を網走に送ると…」。陽太の目が冷たくなる。「だから、俺を売ったのか」。その瞬間、遠くでエンジン音が響く。人民警察のジープだ。陽太は田中を突き飛ばし、茂みに飛び込む。ジープから降りた人民警察の隊長が叫ぶ。「高本陽太! 逃げ場はない! 逮捕する!」。陽太は歯を食いしばり、煙幕弾を投げる。煙が広がる中、彼はDMZの入口へ走る。田中の裏切りが、陽太の心に深い傷を刻む。「信じた俺がバカだった」。
DMZの霧の中、陽太は単独で地雷原を進む。地雷探知機の音が不規則に鳴り、追跡隊のライトが闇を切り裂く。陽太は姉のペンダントを握りしめ、呟く。「美咲、俺はまだやれる」。裏切り者の正体は田中だった。だが、陽太の戦いは終わらない。人民警察の追跡隊が迫る中、陽太は新たな計画を立てる。田中の無線機を奪い、偽の情報を流す。追跡隊を逆方向に誘導し、再び入り口へと戻る。今回はあの田中はいなくなり、帰りの足がない。仕方なく陽太は東京行きの蒸気機関車へと飛び乗り貨物の中にまぎれ込み、東東京への帰路につく。品川駅の操車場に列車がつくと飛び降りた彼はバー「黒猫」に戻る。カウンターの裏で新しい地雷探知機を手に取る。次の依頼が、闇市場のポストに投げ込まれている。メモにはこう書かれていた。「次は西東京の子供だ。DMZで待つ。裏切り者はまだいる」。陽太の目が鋭く光る。「まだいる…だと?」。雨が再び降り始め、陽太はコートの襟を立てる。姉の笑顔が、霧の向こうで揺れる。「自由は命より重いよ」。その言葉が、陽太を次の戦いへ駆り立てる。(続く)
その夜、陽太は闇市場へ向かう。東東京の裏路地、消えかけのネオンとスチームパイプの煙が交錯する市場は、情報と裏取引の巣窟だ。陽太はフードを被り、人混みに紛れる。目的は、メモを投げ込んだ人物の痕跡を追うことだ。市場の片隅、いつもの情報屋の屋台に近づく。屋台の親父は、タバコをくわえながら陽太に目をやる。「よお、黒猫。随分慌ててるな。何かあったか?」陽太はメモを親父の前に叩きつける。「この筆跡、知ってる奴がいるだろ。吐け」。親父はメモを一瞥し、肩をすくめる。「お前、疑り深いな。こんなメモ、毎日何十とポストに入る。追えねえよ」。だが、陽太は親父の目が一瞬泳いだことに気づく。「嘘だ。てめえ、何か隠してる」。陽太はナイフを親父の喉元に突きつける。市場の喧騒が一瞬止まる。親父は汗を浮かべ、声を下げる。「…わかった、黒猫。落ち着け。メモのことは知らねえが、最近、人民警察が妙に動き回ってる。お前の名前が出てるぜ。『黒猫を捕まえろ』ってな」。陽太の目が細まる。「誰が漏らした?」。親父はため息をつき、囁く。「噂じゃ、闇の運び屋の誰かが怪しい。金で動く奴らだ。人民警察に売られたんじゃねえか?」陽太はナイフを下ろし、市場を後にする。闇の運び屋――いつも陽太をDMZ手前まで運ぶあの無口な中年男、田中だ。陽太の胸に怒りと疑念が渦巻く。田中は陽太の命綱だった。2年間、検問を回避し、陽太を安全に運び続けた男だ。だが、もし田中が裏切ったなら…。
翌夜、陽太は田中との接触を決める。場所は東東京から離れた横浜市のとある場所、新幹線高架下の管理道。雨が再び降り始め、陽太はコートの襟を立てる。リュックには新しい地雷探知機と、姉の形見の小さなペンダント。陽太はそれを握りしめ、姉の言葉を思い出す。「自由は命より重いよ」。その言葉が、陽太を前に進ませる。高架下に、田中のトラックが停まる。陽太は荷台に滑り込み、いつものように毛布の下に身を隠す。だが、今日は何か違う。田中の運転がいつもより慎重だ。陽太は毛布の下でナイフを握り、耳を澄ます。トラックが検問を通過する際、田中の声がいつもより緊張している。「…問題ない。荷物だけだ」。陽太の勘が叫ぶ。「こいつ、怪しい」。トラックが静岡県の山間部に到着し、陽太は荷台から降りる。田中が振り返り、いつもの無口な態度で言う。「ここまでだ、黒猫。次は気をつけろよ」。だが、陽太は動かない。ナイフを手に、田中を睨む。「お前、俺を売ったな」。田中の目が一瞬揺れる。「何だ? 頭おかしくなったか?」。陽太は一歩詰め寄る。「地図が改ざんされてた。人民警察が待ち伏せしてた。お前以外に、俺のルートを知る奴はいねえ」。田中は後ずさり、無線機を手に取ろうとする。陽太は瞬時に飛びかかり、田中の腕をひねり上げる。ナイフが田中の喉元に光る。「吐け。誰に売った? 人民警察か?」。田中は顔を歪め、ついに口を開く。「…仕方なかったんだ、黒猫。家族が人質に取られた。人民警察が俺の息子を網走に送ると…」。陽太の目が冷たくなる。「だから、俺を売ったのか」。その瞬間、遠くでエンジン音が響く。人民警察のジープだ。陽太は田中を突き飛ばし、茂みに飛び込む。ジープから降りた人民警察の隊長が叫ぶ。「高本陽太! 逃げ場はない! 逮捕する!」。陽太は歯を食いしばり、煙幕弾を投げる。煙が広がる中、彼はDMZの入口へ走る。田中の裏切りが、陽太の心に深い傷を刻む。「信じた俺がバカだった」。
DMZの霧の中、陽太は単独で地雷原を進む。地雷探知機の音が不規則に鳴り、追跡隊のライトが闇を切り裂く。陽太は姉のペンダントを握りしめ、呟く。「美咲、俺はまだやれる」。裏切り者の正体は田中だった。だが、陽太の戦いは終わらない。人民警察の追跡隊が迫る中、陽太は新たな計画を立てる。田中の無線機を奪い、偽の情報を流す。追跡隊を逆方向に誘導し、再び入り口へと戻る。今回はあの田中はいなくなり、帰りの足がない。仕方なく陽太は東京行きの蒸気機関車へと飛び乗り貨物の中にまぎれ込み、東東京への帰路につく。品川駅の操車場に列車がつくと飛び降りた彼はバー「黒猫」に戻る。カウンターの裏で新しい地雷探知機を手に取る。次の依頼が、闇市場のポストに投げ込まれている。メモにはこう書かれていた。「次は西東京の子供だ。DMZで待つ。裏切り者はまだいる」。陽太の目が鋭く光る。「まだいる…だと?」。雨が再び降り始め、陽太はコートの襟を立てる。姉の笑顔が、霧の向こうで揺れる。「自由は命より重いよ」。その言葉が、陽太を次の戦いへ駆り立てる。(続く)
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