5 / 11
第五章
しおりを挟む
バー「黒猫」のネオンが濡れた路面に滲む。陽太はカウンターの裏で新しいメモを握りしめる。「次は西東京の子供だ。DMZで待つ。裏切り者はまだいる」。その言葉が、陽太の胸に重く響く。田中の裏切りで傷ついた信頼はまだ癒えないが、陽太には立ち止まる選択肢はない。姉・美咲の声が脳裏に響く。「自由は命より重いよ」。陽太は新しい地雷探知機をリュックに詰め、折り畳みナイフをコートの内ポケットに滑り込ませる。時計は午前0時30分。次の仕事が待っている。指定された場所は、東東京の外れ、荒れ果てた工場地帯の廃倉庫だ。陽太はコートの襟を立て、霧深い路地を抜ける。人民警察の監視カメラが点滅する中、陽太は裏道を縫って進む。廃倉庫の暗がりに、小さな人影が震えていた。依頼人の子供――林優奈、12歳。やせ細った体に、ボロボロのコートを羽織り、怯えた目で陽太を見つめる。手に握られた小さな布袋には、西東京にいる母親への手紙が入っているという。「高本…陽太、だよね? お母さんに会いたい…」。優奈の声は震え、涙が頬を伝う。陽太は一瞬、姉の幼い頃の笑顔を思い出す。だが、すぐに表情を硬くする。「泣くな。俺の後ろにつけ。一歩間違えたら終わりだ」。優奈は小さく頷き、陽太の背中にしがみつくように従う。陽太の頭には、メモの最後の一文がこびりついている。「裏切り者はまだいる」。田中が人民警察に売ったことは確実だったが、陽太のルートを知る者は他にもいる。闇市場の情報屋か? バー「黒猫」の常連か? それとも、陽太自身が気づかぬうちに尾行されていたのか? 疑念が陽太の神経を尖らせるが、優奈の小さな手を握る感触が、彼を現実に引き戻す。「まず、検問を抜けるぞ」。二人はいつもの闇ルートへ向かう。江戸川区の下水道を抜け、千葉県浦安市で新たな運び屋のトラックに乗り込む。田中の裏切りを知った陽太は、今回は別の運び屋を手配していた。運転手は若い女、名前は玲奈。短い髪と鋭い目つき、革のグローブをはめた手でハンドルを握る。「黒猫、随分小さい客だな。DMZで子供を運ぶなんて無茶だろ」と玲奈が笑う。陽太は無表情で答える。「お前の仕事は運ぶだけだ。余計な口は出すな」。トラックは検問の少ない田舎道を走り、静岡県の山間部を目指す。優奈は荷台の隅で膝を抱え、布袋を胸に押し当てる。陽太は彼女を一瞥し、低く問う。「お前の母親、なんで西にいる?」。優奈は震える声で答える。「お父さんが…人民警察に捕まって、網走に送られた。お母さんは私を連れて西に逃げたけど、私、途中で捕まって…」。陽太の目が細まる。網走の政治犯収容所。そこに送られた者は二度と戻らない。「…わかった。必ず届ける」と陽太は呟く。トラックがDMZ手前の東方限界線に到着。陽太は優奈を連れ、有刺鉄線の秘密の抜け穴をくぐる。霧が濃く、松の木々が不気味に揺れるDMZが広がる。陽太は地雷探知機を手に、優奈に囁く。「ここから5キロ。地雷と監視塔が相手だ。俺の後ろを離れるな。絶対にだ」。優奈は小さく頷き、陽太のコートの裾を握る。
1キロ進んだところで、地雷探知機が警告音を鳴らす。陽太は足を止め、地図を確認する。前回の改ざんの記憶がよぎるが、今回は地図に異常はない。陽太は慎重に獣道を進む。優奈の小さな足音が背後で響く。2キロ目で、遠くから巡察のライトが動き出す。陽太は優奈を茂みに押し倒し、息を殺す。だが、サーチライトの動きがいつもと異なる。まるで、陽太の位置を正確に把握しているかのように、執拗に二人を追いかける。「…また売られた」。陽太の胸に冷たい確信が走る。優奈が震えながら囁く。「高本さん…怖いよ…」。陽太は彼女の手を強く握り、答える。「怖くても動け。お前の母親が待ってる」。陽太は煙幕弾を投げ、サーチライトを撹乱する。だが、背後から複数の足音が迫る。人民警察の追跡隊だ。陽太は優奈を抱え、獣道を外れて茂みの奥へ飛び込む。茂みの中で、陽太は無線機のノイズをキャッチする。盗んだ田中の無線機だ。断続的な声が聞こえる。「…黒猫…DMZ中央…子供連れ…」。陽太の目が鋭く光る。無線の声は、聞き覚えがある。闇市場の情報屋、親父の声だ。「やっぱり、お前か…」。陽太は無線を握りつぶし、優奈に囁く。「計画変更だ。インターホンまで直進。俺が後ろを守る」。3キロ地点。銃声が響き、地面が弾丸で削れる。陽太は優奈を前に押し出し、煙幕弾をもう一つ投げる。霧と煙が混ざり、視界がほぼゼロになる中、陽太は追跡隊の動きを逆算する。人民警察の隊長が叫ぶ。「黒猫! 子供を渡せ! 抵抗は無意味だ!」。陽太はナイフを握り、茂みに身を潜める。追跡隊の兵士が近づく。陽太は一瞬の隙をつき、兵士の背後に回り、ナイフで無線機を切り裂く。兵士が振り返るが、陽太は足を払い、気絶させる。優奈は白い杭の軍事境界線を目指し、必死で走る。陽太は彼女の背中を見ながら、追跡隊を引きつける。「お前は行け! インターホンを押せ!」。優奈は涙を流しながら走り、境界線を越えインターホンの前にたどり着く。震える手でボタンを押すと、ブザー音が響く。「日本国警察軍事境界線特別警備隊だ。」優奈は叫ぶ。「林優奈! お母さんに会いたい!」。西日本軍のジープが霧を切り裂き、憲兵が優奈を引き上げる。「よくやった、子供。母親が待ってるぞ」。陽太は茂みの中で、追跡隊の動きを観察する。人民警察の隊長が無線で叫ぶ。「情報屋の親父が正しかった! 黒猫はここだ!」。陽太の胸に怒りが燃える。裏切り者の正体は、闇市場の情報屋だった。陽太は最後の煙幕弾を投げ、追跡隊を撹乱。霧に紛れ、DMZの奥へ逃げる。優奈が西側に渡ったことを確認し、陽太は一瞬だけ安堵する。だが、人民警察の追跡は止まらない。
バー「黒猫」。陽太はまた傷だらけで戻る。カウンターの裏で、情報屋の親父の顔を思い出す。あの笑い声、泳ぐ目。陽太は拳を握りつぶす。「次はお前だ」。だが、その前に、陽太は新たなメモを見つける。闇市場のポストに投げ込まれたものだ。「次の仕事。西東京の科学者。DMZで待つ。裏切り者はお前の近くにいる」。陽太の目が凍りつく。「まだ…近くにいる?」。情報屋の裏切りは終わりではなかった。陽太の周囲に、さらなる裏切り者が潜んでいる。雨が再び降り始め、陽太はコートの襟を立てる。姉のペンダントを握りしめ、呟く。「美咲、俺はまだやれる」。霧の向こうで、次の戦いが待っている。(続く)
1キロ進んだところで、地雷探知機が警告音を鳴らす。陽太は足を止め、地図を確認する。前回の改ざんの記憶がよぎるが、今回は地図に異常はない。陽太は慎重に獣道を進む。優奈の小さな足音が背後で響く。2キロ目で、遠くから巡察のライトが動き出す。陽太は優奈を茂みに押し倒し、息を殺す。だが、サーチライトの動きがいつもと異なる。まるで、陽太の位置を正確に把握しているかのように、執拗に二人を追いかける。「…また売られた」。陽太の胸に冷たい確信が走る。優奈が震えながら囁く。「高本さん…怖いよ…」。陽太は彼女の手を強く握り、答える。「怖くても動け。お前の母親が待ってる」。陽太は煙幕弾を投げ、サーチライトを撹乱する。だが、背後から複数の足音が迫る。人民警察の追跡隊だ。陽太は優奈を抱え、獣道を外れて茂みの奥へ飛び込む。茂みの中で、陽太は無線機のノイズをキャッチする。盗んだ田中の無線機だ。断続的な声が聞こえる。「…黒猫…DMZ中央…子供連れ…」。陽太の目が鋭く光る。無線の声は、聞き覚えがある。闇市場の情報屋、親父の声だ。「やっぱり、お前か…」。陽太は無線を握りつぶし、優奈に囁く。「計画変更だ。インターホンまで直進。俺が後ろを守る」。3キロ地点。銃声が響き、地面が弾丸で削れる。陽太は優奈を前に押し出し、煙幕弾をもう一つ投げる。霧と煙が混ざり、視界がほぼゼロになる中、陽太は追跡隊の動きを逆算する。人民警察の隊長が叫ぶ。「黒猫! 子供を渡せ! 抵抗は無意味だ!」。陽太はナイフを握り、茂みに身を潜める。追跡隊の兵士が近づく。陽太は一瞬の隙をつき、兵士の背後に回り、ナイフで無線機を切り裂く。兵士が振り返るが、陽太は足を払い、気絶させる。優奈は白い杭の軍事境界線を目指し、必死で走る。陽太は彼女の背中を見ながら、追跡隊を引きつける。「お前は行け! インターホンを押せ!」。優奈は涙を流しながら走り、境界線を越えインターホンの前にたどり着く。震える手でボタンを押すと、ブザー音が響く。「日本国警察軍事境界線特別警備隊だ。」優奈は叫ぶ。「林優奈! お母さんに会いたい!」。西日本軍のジープが霧を切り裂き、憲兵が優奈を引き上げる。「よくやった、子供。母親が待ってるぞ」。陽太は茂みの中で、追跡隊の動きを観察する。人民警察の隊長が無線で叫ぶ。「情報屋の親父が正しかった! 黒猫はここだ!」。陽太の胸に怒りが燃える。裏切り者の正体は、闇市場の情報屋だった。陽太は最後の煙幕弾を投げ、追跡隊を撹乱。霧に紛れ、DMZの奥へ逃げる。優奈が西側に渡ったことを確認し、陽太は一瞬だけ安堵する。だが、人民警察の追跡は止まらない。
バー「黒猫」。陽太はまた傷だらけで戻る。カウンターの裏で、情報屋の親父の顔を思い出す。あの笑い声、泳ぐ目。陽太は拳を握りつぶす。「次はお前だ」。だが、その前に、陽太は新たなメモを見つける。闇市場のポストに投げ込まれたものだ。「次の仕事。西東京の科学者。DMZで待つ。裏切り者はお前の近くにいる」。陽太の目が凍りつく。「まだ…近くにいる?」。情報屋の裏切りは終わりではなかった。陽太の周囲に、さらなる裏切り者が潜んでいる。雨が再び降り始め、陽太はコートの襟を立てる。姉のペンダントを握りしめ、呟く。「美咲、俺はまだやれる」。霧の向こうで、次の戦いが待っている。(続く)
0
あなたにおすすめの小説
小日本帝国
ypaaaaaaa
歴史・時代
日露戦争で判定勝ちを得た日本は韓国などを併合することなく独立させ経済的な植民地とした。これは直接的な併合を主張した大日本主義の対局であるから小日本主義と呼称された。
大日本帝国ならぬ小日本帝国はこうして経済を盤石としてさらなる高みを目指していく…
戦線拡大が甚だしいですが、何卒!
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー
黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた!
あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。
さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。
この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。
さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。
痩せたがりの姫言(ひめごと)
エフ=宝泉薫
青春
ヒロインは痩せ姫。
姫自身、あるいは周囲の人たちが密かな本音をつぶやきます。
だから「姫言」と書いてひめごと。
別サイト(カクヨム)で書いている「隠し部屋のシルフィーたち」もテイストが似ているので、混ぜることにしました。
語り手も、語られる対象も、作品ごとに異なります。
偽夫婦お家騒動始末記
紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】
故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。
紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。
隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。
江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。
そして、拾った陰間、紫音の正体は。
活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!???
そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる