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第六章
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夜の雨が止み、バー「黒猫」のネオンが静かに点滅する。陽太はカウンターの裏で新たなメモを握りつぶす。「次の仕事。西東京の科学者。DMZで待つ。裏切り者はお前の近くにいる」。情報屋の裏切りを暴いたばかりだが、さらなる裏切り者が陽太の周囲に潜むという警告が、彼の心を締め付ける。だが、それ以上に陽太を苛むのは、別の疑問だ。なぜ、目と鼻の先にある西東京への亡命が、こんなにも命懸けなのか? 東経138度のDMZ、5キロの地雷原をみんな越えたがる理由とは何なのか? 陽太は姉・美咲のペンダントを握りしめ、呟く。「美咲、教えてくれ…壁の向こうに何があるんだ?」陽太は闇市場へ足を運ぶ。情報屋の親父を締め上げるためだ。市場の喧騒の中、陽太はフードを被り、親父の屋台に近づく。だが、屋台はもぬけの殻だ。隣の露店主が囁く。「親父なら、昨夜人民警察に連れていかれたぜ。黒猫、お前も気をつけな。警察がお前の名前を嗅ぎ回ってる」。陽太の目が細まる。「連れていかれた…? 誰に売られた?」。露店主は肩をすくめ、答えを避ける。陽太は舌打ちし、市場を後にする。情報屋の裏切りは終わりではなかった。人民警察の網は、陽太の周りを確実に狭めている。その夜、陽太は新たな依頼の場所へ向かう。東東京の外れ、化学工場の地下室。指定された時間、午前2時。陽太は懐中電灯を手に、錆びた鉄扉をくぐる。そこには、白衣をまとった中年の男が待っていた。東東京の科学者、藤田博士。50歳前後、眼鏡の奥の目は疲れ果てているが、鋭い知性が光る。手に握られた小さな金属ケースが、陽太の注意を引く。「高本陽太だな? 西東京に渡りたい。このケースを届けなければならない」と藤田が言う。陽太は冷たく問う。「そのケース、何だ? また人民警察を血眼にするような物か?」藤田は一瞬目を逸らし、低く答える。「日本の未来を変えるデータだ。東日本の核開発計画…人民農業公社の裏で進む、放射性廃棄物の隠蔽。西側に知られれば、東日本の体制は揺らぐ」。陽太の胸に冷たいものが走る。核開発。東日本の禁忌だ。陽太は姉の死を思い出す。美咲が亡命に失敗した2年前、彼女も「東の秘密」を西に届けようとしていた。陽太は藤田を睨み、問う。「なぜDMZを越える? 西東京はすぐそこだ。壁を登ればいい。なぜ地雷原なんだ?」藤田の目が揺れる。「壁…だと? お前、知らないのか?」。陽太の眉が上がる。「知らないって、何だ?」。藤田は声を潜め、答える。「東経138度の壁は、ただの鉄線やコンクリートじゃない。東日本と西日本の間には、高圧電流とセンサーが張り巡らされた『死の障壁』がある。壁を登ろうとした者は、即座に感電死か、自動迎撃システムで射殺される。DMZの地雷原が、唯一の抜け道なんだ。地雷は危険だが、予測可能だ。壁は…絶対に越えられない」。陽太の脳裏に、姉の最後の手紙がよぎる。「陽太、壁は越えられない。でも、自由は命より重い」。美咲もDMZを選んだ理由が、今ようやくわかった。陽太は拳を握り、呟く。「だから…お前も地雷原を選んだ」。藤田は頷き、金属ケースを握りしめる。「このデータは、西東京で公開されなければならない。東日本の嘘を暴くために」。
二人は闇ルートへ向かう。江戸川区の下水道を抜け、千葉県浦安市で玲奈のトラックに乗り込む。玲奈は陽太を一瞥し、笑う。「また無茶な仕事だな、黒猫。小さい子ならともかく、博士まで連れていくのか?」。陽太は無言で荷台に滑り込み、藤田に目配せする。「黙ってついてこい」。トラックは静岡県の山間部を目指し、夜の田舎道を走る。藤田は荷台の隅でケースを握り、震えている。陽太は彼の緊張を感じながら、頭の中でDMZの地図を反芻する。「裏切り者はお前の近くにいる」。その言葉が、陽太の神経を尖らせる。トラックがDMZ手前の東方限界線に到着。陽太は藤田を連れ、有刺鉄線の抜け穴をくぐる。霧深いDMZが広がり、松の木々が風に揺れる。陽太は地雷探知機を手に、藤田に囁く。「5キロだ。地雷と監視塔に気をつけろ。俺の後ろを離れるな」。藤田は頷き、陽太の背中に続く。1キロ進んだところで、地雷探知機が不規則に鳴る。陽太は足を止め、地図を確認する。配置は正確だが、陽太の勘が警告を発する。「何か…おかしい」。2キロ目で、遠くからライトが動き出す。陽太は藤田を茂みに押し倒し、息を殺す。だが、サーチライトの動きが執拗だ。まるで、陽太の位置をピンポイントで知っているかのように。陽太の胸に、裏切りの匂いが漂う。その瞬間、トラックのエンジン音が遠くで響く。陽太の目が鋭く光る。「玲奈…?」。トラックがDMZの入口に現れ、人民警察のジープが後を追う。陽太は藤田に囁く。「動くな。裏切り者は…あいつだ」。陽太は無線機を手に、玲奈の周波数を捉える。ノイズ混じりの声が漏れる。「…黒猫、DMZ中央。科学者連れ…」。陽太の血が冷える。玲奈が人民警察に陽太の位置を売っていた。陽太は藤田を連れ、獣道を外れて茂みの奥へ逃げる。銃声が響き、地面が弾丸で削れる。陽太は煙幕弾を投げ、サーチライトを撹乱。藤田が震えながら叫ぶ。「高本! どうするんだ!」。陽太は冷たく答える。「インターホンまで走れ。俺が時間を稼ぐ」。藤田は金属ケースを握りしめ、頷く。3キロ地点。陽太は玲奈のトラックが近づく音を聞く。彼女は人民警察と連携し、陽太を追い詰めるつもりだ。陽太は最後の煙幕弾を投げ、茂みに身を潜める。玲奈の声が無線から響く。「黒猫、逃げ場はないよ。人民警察に渡せば、博士もお前も助かる」。陽太は歯を食いしばり、囁く。「てめえが裏切ったな、玲奈」。陽太は藤田に指示を出す。「白い杭まで直進。インターホンを押せ。俺が玲奈を引きつける」。藤田は走り出し、陽太は逆方向へ飛び出す。玲奈のトラックが茂みを突き破り、陽太を追い詰める。陽太はナイフを手に、トラックのタイヤを狙う。一閃。タイヤが破裂し、トラックが横滑りする。玲奈が叫ぶ。「黒猫! 無駄だ!」。だが、陽太は霧に紛れ、姿を消す。藤田は白い杭にたどり着き、それを越えインターホンを押す。ブザー音が響き、西日本軍の声が答える。「日本国警察軍事境界線特別警備隊。身元を明かせ」。藤田は叫ぶ。「藤田だ! 東日本のデータを届ける!」。ジープが霧を切り裂き、憲兵が藤田を引き上げる。「データは無事か? 黒猫はどこだ?」。藤田は振り返るが、陽太の姿はない。
陽太は傷だらけで戻る。またしても貨物列車に紛れ込んだ。玲奈の裏切りが、陽太の心に深い傷を刻む。カウンターの裏で、陽太は姉のペンダントを握りしめる。「美咲…壁の真実を知ったよ。でも、まだ終わらねえ」。新たなメモがポストに投げ込まれている。「次の仕事。西東京の少年。DMZで待つ。裏切り者はお前自身だ」。陽太の目が凍りつく。「俺…自身?」。雨が再び降り始め、陽太はコートの襟を立てる。霧の向こうで、最大の試練が待っている。(続く)
二人は闇ルートへ向かう。江戸川区の下水道を抜け、千葉県浦安市で玲奈のトラックに乗り込む。玲奈は陽太を一瞥し、笑う。「また無茶な仕事だな、黒猫。小さい子ならともかく、博士まで連れていくのか?」。陽太は無言で荷台に滑り込み、藤田に目配せする。「黙ってついてこい」。トラックは静岡県の山間部を目指し、夜の田舎道を走る。藤田は荷台の隅でケースを握り、震えている。陽太は彼の緊張を感じながら、頭の中でDMZの地図を反芻する。「裏切り者はお前の近くにいる」。その言葉が、陽太の神経を尖らせる。トラックがDMZ手前の東方限界線に到着。陽太は藤田を連れ、有刺鉄線の抜け穴をくぐる。霧深いDMZが広がり、松の木々が風に揺れる。陽太は地雷探知機を手に、藤田に囁く。「5キロだ。地雷と監視塔に気をつけろ。俺の後ろを離れるな」。藤田は頷き、陽太の背中に続く。1キロ進んだところで、地雷探知機が不規則に鳴る。陽太は足を止め、地図を確認する。配置は正確だが、陽太の勘が警告を発する。「何か…おかしい」。2キロ目で、遠くからライトが動き出す。陽太は藤田を茂みに押し倒し、息を殺す。だが、サーチライトの動きが執拗だ。まるで、陽太の位置をピンポイントで知っているかのように。陽太の胸に、裏切りの匂いが漂う。その瞬間、トラックのエンジン音が遠くで響く。陽太の目が鋭く光る。「玲奈…?」。トラックがDMZの入口に現れ、人民警察のジープが後を追う。陽太は藤田に囁く。「動くな。裏切り者は…あいつだ」。陽太は無線機を手に、玲奈の周波数を捉える。ノイズ混じりの声が漏れる。「…黒猫、DMZ中央。科学者連れ…」。陽太の血が冷える。玲奈が人民警察に陽太の位置を売っていた。陽太は藤田を連れ、獣道を外れて茂みの奥へ逃げる。銃声が響き、地面が弾丸で削れる。陽太は煙幕弾を投げ、サーチライトを撹乱。藤田が震えながら叫ぶ。「高本! どうするんだ!」。陽太は冷たく答える。「インターホンまで走れ。俺が時間を稼ぐ」。藤田は金属ケースを握りしめ、頷く。3キロ地点。陽太は玲奈のトラックが近づく音を聞く。彼女は人民警察と連携し、陽太を追い詰めるつもりだ。陽太は最後の煙幕弾を投げ、茂みに身を潜める。玲奈の声が無線から響く。「黒猫、逃げ場はないよ。人民警察に渡せば、博士もお前も助かる」。陽太は歯を食いしばり、囁く。「てめえが裏切ったな、玲奈」。陽太は藤田に指示を出す。「白い杭まで直進。インターホンを押せ。俺が玲奈を引きつける」。藤田は走り出し、陽太は逆方向へ飛び出す。玲奈のトラックが茂みを突き破り、陽太を追い詰める。陽太はナイフを手に、トラックのタイヤを狙う。一閃。タイヤが破裂し、トラックが横滑りする。玲奈が叫ぶ。「黒猫! 無駄だ!」。だが、陽太は霧に紛れ、姿を消す。藤田は白い杭にたどり着き、それを越えインターホンを押す。ブザー音が響き、西日本軍の声が答える。「日本国警察軍事境界線特別警備隊。身元を明かせ」。藤田は叫ぶ。「藤田だ! 東日本のデータを届ける!」。ジープが霧を切り裂き、憲兵が藤田を引き上げる。「データは無事か? 黒猫はどこだ?」。藤田は振り返るが、陽太の姿はない。
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