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日常

第6話 嫌いなお前

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「……ええぇぇぇ……」
 脱力しきった声が出てしまった。

 突如降って湧いた僥倖に震えたのは、ほんの数日前の出来事だったはずだ。だよな?

 まだまだ元気な息子をどうにか宥めすかして、目の毒な有様で気絶している旭陽の体を極力刺激しないように注意しながら後始末をした。
 少し肌に触れただけでもびくびく震えて甘い苦悶の吐息を溢れさせるものだから、何度も手を止めることになった。
 旭陽の体力はアスリート並だしなと思って、初めてであろう相手に随分と無茶をしてしまった。
 冷静になってみると、例え本当にプロのアスリート相手でもあれは酷かった。
 一歩間違えれば腹上死だ。把握してなかったとはいえ、俺の牙は地球の媚薬どころの効果じゃなかった。

 だから、翌日体調を崩した旭陽に焦って医師の手配をし、起こさず休ませていたのに――


「…………何、この状況……」

 初めて生贄を手元に置くと宣言した俺にざわつく家臣たちを沈め、治療の邪魔にならないよう時々様子を覗くだけにした。
 最初に医師を呼んでから二日だ。
 たった二日の間目を離しただけで、気付けば旭陽を寝かせていたベッドは城に仕える魔族たちに囲まれていた。
 しかも全員威圧的に立ちはだかっているんじゃなく、床に膝を突いてシーツの上に控えめに顎を乗せていたり、ベッドの柱にしな垂れていたりする。

 これは囲まれているというより、あの、どう見ても、侍られている……。

 あまりにも見覚えがありすぎる光景。あああ、かつて毎日のように目撃していた情景とそっくりそのままだ……
 魔族相手でも通用するとか嘘だろ、お前ら人間は須く見下してるんじゃなかったのか……?
 思わず額に手を当てて項垂れれば、俺に気付いた魔族たちがこちらを向いた。

「よォ、晃」
 細い首輪から伸びる鎖でベッドに繋がれた旭陽も俺に顔を向け、にやりと笑って声を掛けてきた。

 首輪と鎖は俺が魔法で作ったものだ。あまり太いと邪魔になるから、強度を上げて質量は減らした。
 重さは俺の思い通りだ。今は旭陽の体調が悪かったのもあって、普通の人間の負担にならない程度。
 といっても、首輪を嵌められて鎖で繋がれている時点で精神的には負担どころの話じゃないと思うんだが……
 見た感じ、全く気にしている様子はない。

 何でだ。お前は人間だろう。いや、魔族であってもそんなことされたらキツいはずなんだが。
 まともな感性はどこにやったんだ、旭陽。
 そりゃお前の感性が狂ってるのは今に始まったことじゃないけど、でもやっぱりこんなのおかしいよ。

「魔王様、この者は人間とは思えぬほど残虐で美しい魔力と思考を持っておりますね!
 何処へもやらず、手元に置いておかれることになさったとか。英断です!」

 いつも俺を馬鹿にしてくるトカゲ頭の臣下が、嬉しそうに声を掛けてきた。初耳だよ、前半。
 人間には魔力を持つ者と持たない者が居るとは聞いてたけど、旭陽は当然のように持つ側だったらしい。
 うわ、魔族でもポジティブな感情で目がきらきら光るって今はじめて知ったわ。
 気付けば、同じ目でこの部屋にいる臣下全員が俺を見ていた。
 人間一人を手放さないって決めただけでこんな簡単に好感度上がる仕様だったの、お前ら……

 賞賛される俺を見ながら、旭陽がにやにやと笑っている。
 あれだけこっ酷く犯されて盛大に熱まで出したくせに、もうぴんぴんしている。こいつも普通の人間だったんだなと反省した俺が馬鹿のようである。
 いっそ犯したことのほうが夢かと思えてくるほどに普段通りだ。
 幾ら薬飲ませたとはいえ、まだ二日だぞ。暫く寝込むと思ってたのに……
 元気すぎないか? アスリートどころじゃないな、こいつの体力と回復力。

 それにしても、前は俺がちょっとでも褒められそうな気配があったら旭陽はすぐ不機嫌に遮ってたはずなんだが。
 むしろ今は何処となく自慢げに見える……? 何の気紛れだ、それは。
 自分が褒め称えられても何を今更当たり前のことをって首傾げるやつだから、俺が褒められてるのがお気に召してるんだろうけど……
 反応がいつもと違いすぎて怖い。

 混乱して固まっている俺を眺めて、旭陽が楽しそうに頬を歪めた。

 あ、嫌な予感。
 そう思ったのと、褐色の腕が伸びたのはほぼ同時。

 手元に一番近い場所で侍っていた臣下に、旭陽の手が触れる。
 ペットを可愛がるみたいに顎の下に触れ、整った形の指の背が擽るように滑り──

「ま、魔王様?」
 驚いた臣下の声で我に返れば、俺はベッドに乗り上げるようにして旭陽の腕を奪い取っていた。

 ぽかんとしている周囲の顔を見ると、今自分がとんでもなく恥ずかしいことをしたような気がしてくる。いや、気がするじゃなくて今のはどう見てもこっ恥ずかしい……
 いやいやいや、そんなことはない。こいつは俺の。俺のための贄。
 俺の許可なく他のやつに勝手に触れちゃいけないに決まってるんだから、今のは何もおかしなことはしていない。

「……お前ら、仕事中だろ。早く戻れよ」
 衝動的な行動をどう言えば良いのか分からず、パワハラ上司のような発言をしてしまう。普通に考えて全員が勤務中に侍ってる訳ないぞ俺。休憩中だろ、多分。
 かなり可笑しなことを言ってしまった自覚はあったが、誰も突っ込んでこなかった。
 それではごゆっくり、と何故か楽しそうに笑って次々に退出していく。
 一人もごねなかったお陰で、すぐに二人きりとなった。


「ンだよ、晃。おれが他のヤツに触れるのはそんなにいやだったか?」
「……うるさい」

 楽しそうに笑って尋ねられる。
 ああ、懐かしい声色だ。この間はそんなことを意識してる余裕はなかったけど。

 旭陽は、俺と話す時には他の奴と話す時よりも少しゆったりとした喋り方をする。
 特に自分を指す一人称の「おれ」と、俺の名前の「あきら」は、音の紡ぎ方が明らかに柔らかくなる。
 そういうところが嫌いで、憎くて、堪らなく――愛おしかった。
 昔も、そして今この時も、馬鹿みたいなこの気持ちは消えてくれない。
 旭陽のわざとらしい特別扱い紛い・・は、翻弄される俺を分かっていてわざと嫌がらせしてきてるんだろうな。

 その声音でこいつは時々、こうやって俺を揶揄ってきた。
 本気なのか、冗談のつもりなのか、こいつの気持ちを図れたことは一度もない。
 もやもやとする胸が気持ち悪くて顔が歪んだ。嫌そうな俺を見て、男がまた喉を鳴らして笑う。

 気に食わない。
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