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第二章 少年期編
第三十七話 本物の無気力は誘拐される(3)
しおりを挟むたった一人でワイバーンと対等に戦っていた皇后はふわりと感じる甘い香りに足を止めた。
すかさずワイバーンが足を振り上げる。
しかしその攻撃が皇后に辿り着くことはなかった。
見守っていたはずの一介の騎士が足を斬り落としたからだ。
「「「えーーー!?」」」
突然の覚醒に斬った本人も驚愕している。
「久しぶりにじゃじゃ馬が出たな」
いつの間にか立ち上がっていた皇帝が皇后を背後から抱き寄せた。
「陛下が待たせるからですよ」
「すまない。これだけの人数がいるとさすがに骨が折れる」
異変が起きているのはここだけではない。
別のワイバーンと対峙していた騎士達の身体が勝手に後ろに下がる。
タイミングよく貴族が魔法を発動しワイバーンに直撃した。
当然それだけでは倒せない。
すぐに姿勢を立て直して向かってくる。
が、いつの間にか背後に回り込んでいた騎士がワイバーンの手足に剣を突き刺し、次は魔法が双眸を焼いた。
他の場所ではワイバーンが空中から勢いよく下りてくる。
数人の神官が協力して結界でそれを受け止め、再び空へ昇ろうと翼を振り上げた瞬間同時に消した。
貴族達は一斉に魔法を放ち近距離で大量の攻撃を受けたワイバーンは地面に落ちる。
そうしてあちこちで完璧な連携が成功し魔物を討ち取っていった。
指令者もいなければ声掛けもない。
まるで誰かがチェスの駒を動かしているかのような淡々とした勝利だった。
「………桃惑香ね」
ハンカチでエドワルドの傷口を押さえていたルシアは安堵の声を漏らす。
皇族のみが扱えるこの魔法は魔物には効かないが不安と焦りに駆られた民の心を治めれば勝機も見えてくるはずだ。
それにしてもこれだけの広範囲に完全に動きを乗っ取れるほど濃い香りを放てるなんてゼオンの言う通り皇帝になるべくして生まれてきたとしか思えない。
「ルシオン様、」
「動かないで。神聖力を使い切ったんでしょう」
普通神官は無意識に自己治癒を行っている。
だから神官は無病息災。流行り病にもかからない。
しかしそれは神聖力があればの話だ。
エドワルドはここ数日屋敷に高度な結界を張り続けていた。
その時点でかなり疲弊していたはずなのに無理に遠方に結界を張ったりすれば上級に匹敵する量の神聖力であっても干からびてしまう。
エドワルドの傷は一向に治癒されずどれだけ押さえてもドクドクと血が流れ出ていく。
それでも何かに突き動かされるように立ち上がろうとするエワルドにルシアは声を荒げた。
「動かないでってば!ルシオンが帰って来た時にエドがいなかったら誰があの子を診てくれるの!?」
「………っ」
エドワルドの動きが止まる。
同時に一帯が淡い光に包まれた。
天から降り注いだ聖なる光とはまったく別の、地面から湧き上がる癒しの光だ。
「神聖魔法だ!怪我が治った!」
「良かった………このまま目を覚まさないかと思ったのよっ」
「大神官様ー!ありがとうございます!」
あちこちから感嘆の声が聞こえてくる。
エドワルドの傷もみるみるうちに治っていき疲れが出たのかそのまま眠ってしまった。
ルシアも胸を撫で下ろす。
光の正体は祈念場全体に広がった魔法陣だ。
神聖力ではこんな真似はできない。
これは神聖力による治癒ではなく魔力による再生だった。
今の大神官………即ちゲイレンは貴族の生まれでありこの世界で唯一の神聖魔法の使い手なのだ。
「つっかれたぁ!この会場広すぎでしょ!まじでありえないんだけど!」
折角の感動を吹き飛ばす軽薄な声が聞こえてきた気がするが幻聴ということにしておこう。
「あのー、その人死なないですよね?」
ほっとしたのも束の間一人の少年が心配そうに近づいてくる。
「ハクくん、よね?眠っているだけだから大丈夫よ。
さっきは守ってくれてありがとう」
「いえ。僕はルシオンを守っただけなので」
守る。守護者が発するその言葉の意味をルシアは誰より知っていた。
彼等が守ろうとしてくれるのは聖人の命。それから心だ。
ハクはまだ自分が守護者だと知らない筈なのに無意識に自分の役割を理解しているようだった。
ルシアの胸がツキンと痛む。
心の中で夫に向かって呟いた。
(はやく言わないと取り返しのつかないことになってしまうわよ)
「ところであの人どうしますか?急に動かなくなっちゃったんですけど」
ハクの指の先にはエドワルドを刺した騎士がいた。
ハクの蹴りを受けても立ち上がり今の今までハクと戦っていたのだ。
しかし今は膝をついて虚ろな目をしている。
桃惑香が効いているようだ。
「あの人は放っておきましょう。この人を移動させたいの。手伝ってもらえるかしら?」
ルシアは笑顔を浮かべてエドワルドとハクとともに祈念場を出る。
途中壇上にいるゼオンと目が合って必死に作った笑顔が崩れそうになった。
『必ず守る』
口の形だけで伝わったその言葉がいつだってルシアの折れそうな心を守ってくれるのだ。
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