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第一章 幼少期編
第四十三話 主治医エドワルド(5)
しおりを挟む元々薬に馴染みのない国だ。完成した薬を世に広めるのに必要な許可や手続きはない。
とはいえやはり安全性を確かめる試験は実施しておきたかった。残念ながらエドワルドは備えられた神聖力のせいで病にかかることはなく、どう試用するかが問題だった。
「じゃーん!わざと感染してみたよ!それじゃあ今から薬を飲みまーす」
「クソ、頭いてぇ…」
「よし。これで明日には熱も下がって三日後には湿疹も綺麗さっぱり消えるはず!まあ僕は毒に慣れちゃってるからあんまり当てにならないけどねー。その代わり頼りになる助っ人を呼んだよ!」
躊躇いを知らない変人ほど怖いものはない。心配するのも馬鹿らしいので大人しく実験台になってもらおう。
「失礼する」
ラーセンを無理矢理ベッドに寝かせていると次の被験体がやって来た。
「ラーセン、俺にも薬をくれ」
フードを脱ぎながら髪と目、ついでに顔から首までをも湿疹で真っ赤にして現れたのは皇太子付きの護衛だ。
「おお。ゼオンくんも無事症状が出たみたいだね。君は丈夫だから菌にも勝っちゃうと思ったんだけどな~。はい薬」
「悪いな。
あ、お前。エドワルドと言ったか?ルシア様には俺が感染したことは秘密にしておいてくれ。彼女は怒ると手が付けられな………」
「ゼオン~???誰に秘密にするつもりかしら~?」
「え、あ、ちょ、ルシア様!?すみません!すみませんでした!!」
背後霊のようにゼオンの後ろから現れた聖女は勇ましいことに騎士の耳を掴んで引き摺っていく。
人は見た目に寄らないということを分かりやすく表した光景だった。
「失礼するよ。ラーセン、僕にも薬をくれ」
「あれ?殿下もかかっちゃったんですか?」
「うん。ついうっかり」
「………」
「エドワルド、顔色が悪いな。君は病にはかからないんじゃなかったか?」
「いえ………単なる頭痛です。殿下、そちらのベッドをお使いください。神聖力で治癒を………」
「しようものなら不敬罪で今すぐ処刑だね」
「………どうぞ薬をお飲みください」
エドワルドの頭痛は悪化したが、幸い三人とも三日後には完全に回復して全員で帝都への帰路を辿った。
皇太子と騎士は秘密裏に動いている身のようで帝都に着く少し前に別れることにする。
ラーセンも殿下の庇護下で薬の量産に臨むため二人について行った。
皇太子の立位置は非常に複雑で、その立場に相応しい権力を得ていないことは周知の事実だ。
とはいえエドワルドが直接会った皇太子殿下は噂と異なりその座に相応しい威厳と情を持っていた。
今後事態は快方に向かうだろうとエドワルドは信じて疑わなかった。
「長旅ご苦労だった。見ない間に背が伸びたようだな」
神殿に戻るなり一息つく間もなくエドワルドは大神官に呼び出されていた。聖女ではなく自分だけが呼ばれたことに違和感を覚える。
その上指定されたのは執務室ではなく聖堂だ。神の像が見守るこの場所で大神官は一体何の話をするつもりなのだろう。
「そうでしょうか。自分ではあまり分からないものですね」
女神の像の目の前に立っている大神官はわざとらしい笑顔とともにエドワルドを出迎えた。エドワルドは扉の側で足を止め、妙な胸騒ぎに身体を強張らせる。
「それに、どうやら期待以上の成果をあげてくれたようだ」
ズキズキとこめかみが痛む。
薬はまだあの三人以外の誰にも使っていない。
神を深く信仰している皇帝に阻まれるのを防ぐためにも十分な量の薬を確保するまで敢えて伏せておくというのが五人が出した結論だった。
それなのに何故この男が知っているのだ。
ある意味では皇帝以上に厄介な男だというのに。
「そんなに警戒しないでくれたまえ。虐めているみたいじゃないか。
仕方ないだろう?未来の大神官候補と聖女を二人だけで旅させる訳にはいかなかったんだ」
「誰かにつけさせていたということでしょうか」
「そんな言い方はよしてくれ。神の力を持つ子を守るのも私の役目なんだ」
大神官はゆっくりとした足取りで距離を詰めてくる。反射的に後退りしたものの、直ぐに背中が壁に当たった。
「エドワルドくん。私と取り引きをしよう」
「取り引き…?」
「安心しなさい。悩むことなどない。簡単な取り引きだ。
名前も知らない他人とたった一人の家族。比べる必要もないだろう?」
うまく空気が吸えない。
妹とは神殿に来てから手紙のやり取りをするだけでただの一度も会っていなかった。
帝都からかなり遠い山にある孤立した村には病すらやって来ない。
聖女と旅に出る前に届いた最後の手紙にも元気にしていると書いてあった。村人からも同じ内容の手紙が届いていたので間違いはないはずだ。
「残酷なこともあるものだ。君の住んでいた村でも感染者が出たらしい。必ずしも死に至るものではないが………君の妹は身体が弱いんだったね」
神は何故この男に力を与えたのだろう。
目の前にいる生物は人間というにはあまりにも醜く悪魔にすら見える。
「妹の元に私の信頼する神官を向かわせておいた。君が取り引きに応じてくれるなら通信魔道具を使って今すぐ治癒するように指示しよう」
「私に何をしろと言うのですか」
「簡単なことだ。フードの男達の正体と居場所を教えてくれればいい」
どうやら皇太子一行の顔は割れていないらしい。認識阻害の魔法でも使っていたのだろう。
「そんなことを知ってどうするおつもりですか」
「神の力を冒涜する愚か者を処分するだけだ」
これで確信した。
大神官はこの病が終息することを望んでいないのだ。彼等を亡き者にして薬の存在ごと抹消しようとしている。
聖女ではなくエドワルドを呼んだのは彼女には脅しに使える家族がいないからだろう。
「………」
エドワルドは血が滲むほど強く拳を握りしめた。
病の発症から半年以上経つというのに帝都の外には未だに病で苦しんでいる者が数多く存在している。
ルシアとエドワルドも立ち寄れる場所にはなるべく立ち寄ったが、ただでさえ広い帝国の半分以上の地に蔓延してしまった病をたった二人の神官で収めるのは不可能だ。今この瞬間も誰かが感染して命を落としている。
外の様子を見たからこそ言い切れる。薬がなければ何れは帝国どころか世界が崩壊する。
「神を冒涜しているのはお前の方だろ。神の作った世界を自分の手で壊すつもりか?」
「ははっ、これは面白い。怒ると人格が変わるんだな」
「悪いが元々こういう性格なんだよ。安心しろ、テメェほど腹は黒くねぇから」
「落ち着きなさいみっともない。そんな風に攻撃しても、君は結局私の言葉に従わざるを得ないんだ。大切な妹を失うわけにはいかないだろう?」
別れ際の妹の笑顔が脳裏に浮かぶ。
自分のために寂しさを隠して笑っていたことには気づいていた。
あの子は強い。身体が弱く体調を崩しがちであったが、いつも大丈夫だと言って平気なフリをしていた。魔力や神聖力を持たずとも人を救えるのはきっとああいう子なのだろう。
だからこそ、誤った選択をするわけにはいかなかった。
「………クソッ」
エドワルドは聖堂を飛び出して先ほど返したばかりの馬を取りに走る。息を切らしながら神殿の門を潜ると丁度目の前に立派な軍馬が現れた。
「はやく乗れ!俺の馬の方が速い!」
見知ったローブの男はエドワルドの腕を迷いなく引き上げた。
「アンタ何で………」
ローブで特徴的な赤は隠れているが体格で直ぐに見分けがついた。これまで経験したことがない速度で馬を走らせながらゼオンは応える。
「帰りに襲撃に合ったんだ。それもただの賊とは違う、かなり腕のたつ魔法使だった」
「魔法使…」
神官とは違い魔力は貴族にしか与えられない。その上神聖力と魔力を併せ持つことはないため相手は神殿の人間では無いということだ。
だとしたら一体誰が…?
普通なら皇太子を狙ったと考えるのが妥当だが、大神官の話を鑑みると薬の配布を防ぐためとしか考えられない。
そもそもエドワルドを脅迫するのは大神官にとってもリスクが大きい選択だったはずだ。
襲撃に失敗したため第二の手段としてエドワルドに取り引きを持ちかけたというなら辻褄が合う。
「殿下が君達の方にも何か仕掛けられているかもしれないと言うから様子を見に来たんだ。そしたら案の定顔を真っ青にした君が出てきた」
「あの、今何処に向って………」
「君が昔住んでた村に行けばいいんだろう?
悪いが君のことは一通り調べてある。大神官が付け入るとしたら唯一の家族である妹だろうと思った」
「そ………その通りです」
てっきり筋肉にしか興味がないのだと思い込んでいたのが申し訳なくなるくらい的確な読みだった。
二人の間にそれ以上会話はない。
ただ、自分達のために休まず馬を走らせてくれている男の存在が有り難くて胸が詰まった。
✽✽✽
そこで映像は止まり、意識が浮上していくのを感じる。
続きを見なくとも結果は知っている。寧ろ見なくて済んだことに安心している自分がいた。
人の過去を覗き見るというのはあまり心地良いものじゃないな。
エド先生が話したがらなかったことを踏まえても今見たことは忘れた方がいいのがしれない。
とないえ神様に会ってから不思議と鮮明になり始めた前世の記憶のせいで忘れる前にやらねばならないことが出来てしまった。
「………」
目を覚ますとやわらかなものに顔が埋まっていた。
かなり上質な感触だ。このまま寝てしまいたい。とは思いつつ窒息する危険を感じたのでモゾモゾと重たい身体を動かして圧迫から解放された。
俺を抱き締めて眠っている母さん。
こうして見ると領地にいた頃よりかなり痩せたな。顔色も悪い。
不調の原因には俺が神子に選ばれたことも含まれているんだろうか?そうだとしたらなんだが複雑だ。
起こさないように慎重に母さんの腕から抜け出す。
そのままベッドを降りようとしたが身体が動かなかった。だって寝起きだし。おまけにちゃんと寝てたわけじゃないし。
「リッテー」
蟻さんの声で名前を呼ぶ。
「はい!お呼びでしょうか!」
これでも一応優秀な世話係のリッツェは足音一つ立てずにやはり蟻さんの声で返事をしながら風の如くやって来た。
「だっこ」
両手を伸ばすなり即座に身体が浮いてリッツェの腕の中に収まる。リッツェは俺の額を凝視するとホッと息をこぼした。
「よかった。紋様は消えてますね。苦しいところはないですか?」
「ねむい」
「健康体ですね。やっぱり坊ちゃまはこうでなくちゃ!」
おいこら。眠いって言ってんだろ。何処が健康体なんだよ。
「そうだ!元気になったってエド先生に伝えに行かないと!坊ちゃま、僕ちょっと先生のところに行ってくるので奥様と一緒におねんねしててください」
「おれもいく」
「え?だ、駄目ですよ。寝ていてください」
「いく」
「駄目ですって。ほーら、良い子ですからおんりしましょうねー」
「エドしぇんしぇ、どこいうの」
リッツェはどうしても俺を連れて行きたくないようだ。場所を問うと困ったように眉尻を下げる。
ったく。分かりやすい奴だな。
リッツェを一人で行かせれば面倒なことになるのは目に見えているし、何より俺もやらねばならないことをさっさと終わらせて快眠を手に入れるためにはついて行くのが一番だ。
「迎えにいくの」
「坊ちゃまも眠いって言ってたじゃないですか。病み上がりなんですからワガママ言わないで………」
「リッテ。おねがい」
真っ直ぐ目を見て懇願する。リッツェは目を大きく開いたり固く瞑ったり、歯を食いしばったり頰を膨らませたり百面相した後潔く敗北を宣言した。
「はあ、僕って坊ちゃまに甘いよなー。でも可愛いんだもんなー。もー、後で絶対旦那様とエド先生に怒られるよぉ」
「よちよち」
「は!坊ちゃまに撫で撫でされた!!元気十億倍!」
どうやら神子の手には人を十億倍元気にする力が宿っているらしい。これぞまさしくゴッドハンド。
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