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本編
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しおりを挟む「悠莉、大丈夫か?」
欠伸をかみ殺していると、腕を組んで隣を歩く兄の悠翔が心配そうな顔で覗き込んできた。
あの後、終電の時間が過ぎても抱き合っていた。終電で帰るより1時間ほど遅かったけど、大雅はきちんと送ってくれた。……車の中でも……だったけどね。
軽く痛む顎をさすりながら、昨夜の事を思い出しそうになって、悠莉は慌てて悠翔に買ってもらったフラペチーノを飲み込んだ。
「うん、大丈夫だよ」
悠莉が今朝家族に言った、バイトが長引いたという言い訳を疑わずに信じている兄の顔が見れない。
兄の悠翔は七つも年の離れた兄で家族の中で誰よりも悠莉を過保護で大切にしてくれる良い兄だ。妹の贔屓目を抜きにしても見た目がとても良く、背も高くて頭も良いハイスペックで自慢な兄。付き合っている女性がいるような気配は感じるけど、聞いてもはぐらかされる。彼の予定のない休日は二人でデートと称して街をぶらぶらしているから……彼女はいないのかな?
今日は、悠莉の誕生日なのでケーキ屋さんにバースデーケーキを受け取りに行くという予定がだいぶ前から決まっていた。メインはケーキの受け取りで夕方までに帰ればいいから、それまでに買い物とランチをしようと昼前から悠翔とのデートを楽しんでいた。
15時のおやつと称して、悠翔に買ってもらった新作のフラペチーノを片手に歩いていると、前から大雅に似ている人が歩いてきた。立ち止まってスマホをいじる彼の腕に可愛い女の子がくっついている。邪魔なのか引きはがそうと彼の手が女の子に触れた。
タイガが可愛い女の子を連れていることに心臓が痛くなる。
大雅のあの手は数時間前まで悠莉に触れていたし、あの腕は悠莉を離さないと抱きしめていた。あの視線は悠莉を……。
見つめすぎていたのか、大雅が顔を上げて悠莉に気づき目が合った。それだけで時間が止まったように感じるのに、その視線に悠莉の心臓が痛いほど跳ねる。
その子じゃなく私に触れて――
「悠莉?やっぱり疲れてる?」
「え?…あ…そうだね。ちょっと疲れたかも」
悠莉の額に触れる手に驚いて、心配する悠翔の顔に弱々しく笑った。上手く笑えているといい。
彼女でも何でもないのに嫉妬してしまった自分が浅ましく思えて、自分の中にある黒いモノが纏わりついて気持ち悪い。
「ちょっと早いけど帰ろうか」
「うん……」
大雅の前を通り過ぎて、交差点を渡ったところでスマホが鳴った。バッグから取り出せば、スマホの画面には彼からのメッセージ。
急いでメッセージを確認して、その内容に手が震えた。
『もう会うのを終わりにしよう』
「悠莉?顔色が悪いよ」
立ち止まって私の頬に触れる手が温かくて泣きそうになった。
「大丈夫だよ。早く帰ろ?」
今いるこの場所からは、まだ大雅が見えるかもしれない。あのメッセージにこんなにも動揺しているのを知られたくなくて、歩くのを促せば悠翔は嘆息して歩きだす。
悠莉と大雅の関係は、彼氏彼女の関係ではない。時間が合えば抱き合う関係。恋人のような甘さはなく、お互いの欲を発散させるために会い絡み合う、それだけの関係。
初めて大雅と出会ったのは2年前。大学の新歓の飲み会の帰りに会った。
悠莉は、ノンアルの飲み物と間違えてアルコールを飲んで気持ち悪くなっていた時に、一緒に飲んでいた男性の先輩が半ば強引にホテルへ連れ込もうとしていたところを大雅が助けてくれたというよくある話。
悪い男を蹴散らしてくれたことに安心したのか、気持ち悪さが増して路上に吐いた。それを嫌そうに介抱してくれて、仕方なくホテルに入って休ませてくれた。悠莉はしばらくはトイレから離れることはできず、吐くものがなくなると疲れたとトイレに倒れこんだ彼女を、大雅が抱き上げてベッドに寝かせてくれた。
そこでムフフなことが出来るのかと問われれば否だ。
頭は割れそうなくらい痛いし、まだムカムカする。口の中はベトベトで気持ち悪い。差し出された水を受け取って飲む。その水は冷たくなくて少し温かい。電気ポットで沸かしたお湯を水を入れて冷ましてくれたと分かったのは少し眠った後だった。
少し眠ったおかげで割れるくらいに痛かった頭は、少し痛むくらいまで治まってくれた。寝て起きたばかりの口の中は気持ち悪くて、ベッドから這い出て洗面台までよろよろと歩き、アメニティの中にあった歯ブラシで歯を磨く。
「酔って起きたら隣に男が寝てたってなったら、驚くのが普通じゃね?」
ふらふらしながら歯を磨く悠莉の後ろから声を掛けられて、歯を磨きながら振り向けば背の高い目つきが鋭いイケメンが眠そうな顔で立っていた。イケメン度は兄の悠翔と良い勝負かもしれない。
ひと通り歯を磨き、口をゆすぐ。口の中はサッパリ爽やかになった。
「昨夜はお世話になりました。酔っぱらって醜態をさらしましたが、記憶はバッチリ残ってます。見ず知らずの私を助けていただいただけではなく介抱までしていただきまして、本当にありがとうございます」
寝起きで清々しい恰好とはいえないけど、手櫛で髪を直して昨夜から世話をしてもらったお礼を言った。
「あんた可愛いし、下心満載だとは思わないわけ?」
「うーん……そこについては……まだ頭が痛いので始発まで休みたいです。なので出来るなら後日、日を改めてと思うのですが……」
「また俺に会いたいの?」
「はい、万全な体制でお礼したいとは思ってます」
「万全ねぇ……。とりあえず、始発が動くまで休んでよ」
何もしないから、っていう彼の言葉に私は素直に目を瞑る。
その後に、始発が動く時間になり彼と自己紹介をして連絡先を交換して別れた。
彼の名前はタイガ。自分は悠莉と名乗ったけど、ユリならリリィだな、とあだ名を付けられた。
その日の夜に、会う約束を取り付けた。社交辞令で面倒くさいと断られるのを望んだのだが、彼はあっさりと会うことを承諾してくれた。
その彼と会う日は土曜日で、悠莉が指定した駅前で昼前に待ち合わせをし、悠莉が案内したお店でランチを食べ終わって一息ついた頃に、悠莉は改めてもう一度お世話になったお礼を言った。
「他にも何かお礼、してくれんの?」
「はい、もちろん。でも――」
彼の色を含んだ秘めた言い方に苦笑する。
あの日、連絡先を交換しているときに、付き合っている人はいるかと訊いた。彼は、不特定な子なら何人かいると答えた。……クズだな、素直に思った。でも、こういう人はある特定の人物を避ける傾向にある。まぁ、中にはその特定の人物が好物という人もいるのだけど、彼は後腐れがない方が良いのだろうと踏んだ。
「でも、私、処女ですよ。処女はお嫌いですよね?」
ちょっとだけ勝ち誇った顔をしてしまったかもしれない。彼の綺麗で物事には動じなさそうな顔が虚を突かれたようで、今までで一番大きな目をしていた。
「処女って、あなたの中では手を出したくない相手の部類に入りますよね?」
「……」
大雅は口元に手を当てて考え込む感じになっている。
悠莉は更に続けた。
「なので、私のお礼は、このランチをご馳走することのみです。助けていただいて、ありがとうございました」
素早く伝票を取り、バッグを持って軽く頭を下げて席を立った。彼が悩んでいるうちにお会計を終わらせよう。
ランチ代といっても、ワンプレートとかではなく、コース料理にしたから案外高い。それでも、昨日初のバイト代が入ったばかりなので支払いに余裕がある。さっさと支払ってダッシュで帰る。これで、もし処女でもOKってなっても去った後だ。
レジのディスプレイに映った金額を確認して、財布からお金を取り出して受け皿に置けば、店員さんが現金を受け取ろうとして手を出したところにクレジットカードが横から現れた。
「支払いはカードで」
悠莉の後ろに立った人物は、声ですぐに誰なのか分かった。
彼は受け皿にある現金を悠莉に渡してきた。彼女は黙ってその現金を受け取り、財布に入れて財布はバッグにしまう。その動作を待っていたのか、バッグに財布を入れたのを見て、大雅は左手で悠莉の右腕を掴み、不敵に笑う。
不穏な笑顔の彼と、チベットスナギツネのような顔をした彼女。そんな二人を目の前で見ているが素知らぬふりで清算している店員さんは、どう思っただろうか。……処女は面倒くさいですよー、店員さんの前では言えないので心の中で訴えかけてみる。聞こえたのかは分からないけど彼に片眉がピクリと動いた気がした。
清算後のクレジットカードを財布に入れるときは右腕を離してくれたけど、それも済めば再び右腕を掴まれて店の外に出た。
大雅はタクシーを停め、悠莉に乗るように促して、自分も乗る。今度は左手。指を絡ませる感じの繋ぎ方はまるで恋人のよう。そんな甘さは、彼の顔を窺ってもその表情からは何も読めない。
タクシーはシティホテルで停まった。
悠莉の左手を掴んだままタクシーを降り、ホテルの中に入りフロントで宿泊の手続きをして、カードキーを受け取り、エレベーターに乗って部屋へと向かう。着いた部屋の前でカードキーを使って部屋の扉を開けて、先に入れと押されて部屋に入ると、彼は扉を閉めてカギを掛けた途端に、私を壁ドンした。迫りくる彼の顔を空いている右手で押さえる。
「処女はお嫌いなのでは?」
ランチをしたお店の店員さんの前でも、タクシーの運転手さんの後ろでも、ホテルのフロントでも恥ずかしくて言えなかった言葉を口にする。
「どちらかと言えば、大好物かなぁ」
なにーーーー!!!という悠莉の叫びは、大雅の唇に塞がれて声に出すことが出来なかった。
予想外の身体の相性の良さに、会えば最後はホテルで締めくくるような関係が2年ほど続いた。
連絡を取り合わなければ成り立たない関係。
どちらも恋も愛も囁かない関係。
どちらかに特定の相手が出来れば終わる諸刃な関係。
どちらかが愛を告げれば、恐らく――砕け散る関係――。
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