【R18】A pot of gold at the end of the black rainbow

Cleyera

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03 口吸い

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 がさがさに乾いて、皮がむけて、ひび割れている唇が、おれの口に触れた。
 かさぶたが当たって、ちくりと痛む。

 ぺろりと舐められて、慌てて開いたままだった目を閉じた。

 ふ、ふ、と触れるだけの唇。

「子をもうける時は本性でむつみあう必要があるが、今は仮の姿でよかろう」

 かさついた声。
 おれよりも小さな体。

 近づかれると鼻の穴しか見えなくなる巨体が、どうやって人の姿をとっているのか。
 その疑問を口にする余裕は、すぐになくなった。

「我の本性では、其方ソナタの口は吸えぬからの」

 触れるだけだった口付けが、ちゅ、と音を立てるようになり、常に触れ続けるようになるまで、時は必要なかった。

 文字通り口を吸われている。
 触れて、かすめて、時折は優しく癒すように、なでるように。

 おれの両ほほに添えられている指先はしわだらけで割れて、皮膚がむけて、爪も剥がれているようなのに、痛みを感じていないのか。

 口と口で言葉もなく、ただ繋がりあう。
 静かに、けれど確かに。
 寝床でまどろんでいる時のように、ひどく穏やかな気持ちになった。

 ちゅ、と微かな音だけが、聞こえる。

 苦しみと悲しみが癒やされる。
 覚えていないのに、おれは苦しくて悲しかったのか。

「良いか、其方はこの時より我の唯一無二である、他の者に情を向けるでないぞ」

 どうやら、ペルディディ・コル・メウムは、かなり独占欲が強いらしい。

 あれ、いいや、違うな。
 独占欲じゃない。

 唐突に思い出した。
 頭の中に記憶を叩き込まれた、というのが正しいのか。

 〝龍は本能的に番を専有しようとする〟

 ……りゅう?
 龍!?
 龍の番って……つまり、人で言うところの伴侶のことか?

 驚いた。
 どうしておれはペルディディ・コル・メウムが龍だということすら、気がつかなかったのか。

 ぼろぼろでも美しい姿をずっと見ていた、一目で龍だと気が付いたはずなのに。

 いくらなんでも忘れすぎだ。
 どうして、思い出せないんだ。

 返事として小さく頷く。
 口付けを受けているのに、声を出して良いのか分からなくて。

「楽しみにしておるが良い、我の傷が癒えたら、其方の望みを叶えてやろう」

 ぼろぼろの顔で、ペルディディ・コル・メウムは無邪気に笑った。

 初めて見た笑顔は、正面から見られないほど尊く見えた。
 儚くて力強い、相反する美しさだ。

 その姿は不確かで、子供とも老人とも見えるのに。

 おれは何も知らないのに、龍が尊い存在だと知っている。
 この御方オカタに近づいて良いのかと不安になる。

 ぼろぼろの龍。
 傷だらけで歪んでいるのに。

「慈しんでやろう、おいで」

 おれの目の前にいるのが、傷だらけの死にかけている存在だと理解しているのに、逆らえない。
 美しくて醜い、おれの龍。

 おれだけの龍。





 触れるだけの口付けで疲れてしまったのか、次に気がついたら寝床に横になっていた。
 ペルディディ・コル・メウムはいない。

 体を起こして、ようやく持ち上げられるようになった腕を、指先から肩口まで調べる。
 時々、忘れているのに引っかかりを覚える。

 ここに傷跡があったはず。
 折れた骨が、皮膚の外に出てしまった跡がない。
 何度も折られて、骨が歪んでいたはずなのに。

 記憶にないのに思い出す。
 なぜ傷を負ったのか思い出せないのに、傷があったことだけを。

 気持ち悪いなと思いながら、両腕の検分を終える。
 そして理解した。

 記憶にない過去のおれの腕は、傷だらけだったようだ。

 今、目の前にある腕はつるんとしている。
 もちろん体毛はあるし、筋肉も関節も男だけれど、傷は一つもない。

 問題は、自分の腕がどう見ても戦う男の腕には見えないことだ。
 ひょろっとした、筋肉の少ない腕。

 それなのに傷だらけ?

 過去の自分が何者だったのか。
 分からなくて怖い。

「起きたか」
「あ、おはよう」
「ふむ、馴染んだな」

 会話をするようになって気がついたけれど、ペルディディ・コル・メウムには明らかな欠点がある。

 圧倒的に説明が足りない。
 勝手に理解して、進めようとする。
 今のところ、それでお互いに被害が出ていないので、指摘したことはないけれど。

 口数が少ないと言うより、言葉が足りない……のか?

「なにが馴染んだって?」
「番となり、お互いの痛みと傷を埋めあっているのだ」

 すとん、と柔らかな寝床に降り立った姿は、いつのまにか人の形になっていた。

「……ぁ」

 声にならなかった。

 白と灰色の混ざっていた髪は、いつのまにか濃い灰色になっていた。
 ぼさぼさで長さの不揃いな髪は、まだぱさついているけれど、龍の姿の時のひげのように、風もないのにふわふわとなびいている。

 濁った瞳からは、曇りが少し消えたようだ。
 それでもまだ、元の瞳の色は見えない。

 ぼろぼろだった肌は血色を濃くして、皮膚を失い肉の見えていた箇所が減っている。
 それでも、まだ、年齢も性別もわからない。

「数千の年月を経ても治らなんだのに、番を得たことで痛みは失せた、全て其方のおかげだな」

 ゆったりとした笑みと泰然とした様子が、本心から喜んでいることを教えてくれた。
 その言葉から、老人なのかな、と思った。

「やっぱり痛かったのか、早く聞けばよかったな」
「其方がセキを負うことではない」
「それでも、ずっと痛そうだなと思ってた」

 姿を見るたびに、どうして全身が打ち砕かれたようにぼろぼろなのか、と思っていた。
 おれが眠たかったことと、痛がる様子がなかったから、聞けなかっただけで。

「さすがに折れた尾ばかりは、痛くてのぅ」
「……そうなんだ」

 低空を飛ぶ時に、ずるずると引きずっていた長い尾は、人の姿では生えていなくて、どうなっているのか分からない。
 痛みがあったのか、と思うと胸がちくりと痛んだ。

 それなら、おれがここに落ちた時に、すぐに番とかいうものにすれば良かったのに、と思ったことを見抜かれたようだ。

 初めて見た時から、惹かれていた。
 きっと、断らなかった。

「四肢を失い、胴体に穴が空いた其方を、どうして番にできよう。
 我は心穏やかになった其方から、求められたかったのだ」

 その言葉に、血の気が下がった。
 くらくらする感覚の中で、幸せだと思っていた気持ちが凍りつくようだった。

 おれは呑気に、ずっと眠って起きてと過ごしていたけれど、ペルディディ・コル・メウムは違ったのだ。
 優しくしてくれたのは、期待していたからなのか。

「其方を掌中之珠にと望んでも、我ができることは少ない。
 現世ウツシヨでは、死に損ないであるからの」
「おれがペルディディ・コル・メウムの傷を癒せるなら、もっとはや」
「いいや」

 言葉を遮られる。
 濁った瞳に見つめられた。
 おれの口元へ伸ばしてきた指先は、まだ痛々しくひびわれていた。

「常世を出られぬ深き傷を我が魂に与えたのは、嘘をついた番である。
 表向きだけ番になることを望みし悲しき者により、我が魂は引き裂かれた」

 よく分からない。
 番というのは伴侶ではないのか。

「一方的な想いを募らせても傷つけるだけ、我が其方を望むように、其方にも我を望んで欲しい。
 そのために待つ日々であれば、甘露でしかあるまいて」
「ペルディディ・コル・メウム」
「……其方の口を吸うて良いだろうか」

 濁った瞳がゆっくりと細められて、口元が笑みになる。
 小さな体躯が、おれの上に覆い被さった。

 
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