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1 ゴーシュ・ガイルは一匹狼
12 痛み 注:血が出ます
しおりを挟む臭いジュリアが支社長に向かって、口をつんと尖らせる。
明らかに意図的な動きを見ても、違和感しか感じないのはゴーシュだけなのか。
こんなに不自然なのに。
「お兄ちゃんったら、化け物じゃなくって、人狼だってば」
「へえ、見せてみろよ」
普段、ほとんど動かないゴーシュの表情が、引きつっているのが面白いのか。
ゴーシュよりも下にある上司の頭が、見上げるのに見下すという器用な真似をしてみせた。
「……」
ここで社長の名前を出すことは簡単だ。
しかしゴーシュは迷っていた。
ボス(仮)に迷惑をかけたくない。
人狼ではないのに、忙しい合間をぬって海外の人狼の情報を取り寄せて、生態を調べてくれる社長。
ゴーシュが望むなら、群れを探す手伝いもしてやる、と言われている。
義務教育しか終えていないのに、本社勤務の社長付きになれたのは、社長が声をかけてくれたからだ。
返しきれない恩がある。
迷惑ばかりかけてきた。
「どうしたんだよデカブツ、とっとと化け物の姿になれよ!」
部外者もいるロビーで、支社長が副支社長を恫喝する。
それが本社にどれだけ悪影響を与えるのか、こいつは考えもしないのだ。
社長が守って育ててきた会社を、崩壊させようとする若いオス。
反乱だ。
本当の反乱は悪くない。
歳をとって弱くなったボスが負けて、世代交代する事はおかしくない。
だが、ここは本来の群れでは無い。
本当に次のボスになりたいのなら、社長に噛みつくはずだ。
つまり、こいつは敵なのだ。
ボスになる気もないのに、群れを壊す病巣だ。
殺さなくてはいけない。
群れから追放しなくてはいけない。
じわり、とゴーシュの瞳孔が広がる。
獲物を狙い、その喉笛に食らいつくために。
逃さないために。
周囲の景色が遅くなる。
音が聞こえなくなる。
強い怒りのせいで、人のままのゴーシュの姿が膨らんだように錯覚して、周囲の人々は恐れを抱いた。
「ガイルさんだめっ、だめでっっっ!?」
かけられた声よりも、誰かが近づいてきたことに反応した。
戦闘態勢に入った意識は、飛び出してきた人物を〝敵〟だと認識してしまった。
かろうじて人の姿でも、人狼の怪力は健在だ。
「ふっ」
吐息と共にゴーシュが雑に振り払った腕に当たった人物は、車にでもはねられたように数メートルを吹き飛んだ。
「っぐうっっ!」
勢いよく壁に叩きつけられてから床に落ちて、苦痛の声が響く。
「愛子さんっ!」
「……え、愛子?」
思いも寄らない言葉を聞いて、呆然とゴーシュが呟いた。
人を殴り飛ばした衝撃で、一瞬だけ意識が戻った。
伸ばした腕には、細い骨をへし折る感触が生々しく残っている。
指先には、鉤爪が伸びていた。
なぜこの人がここにいるのか。
どうして、おれを止めようとしたのか。
混乱したゴーシュは、怒りを忘れて呆然と立ち尽くした。
「人殺しの化け物だっ」
「いやああ、きゃああっ」
まだ何もされていないのに、上司が叫んで逃げようとする。
臭いジュリアが、聞き苦しい悲鳴をあげる。
周囲で観覧を決め込んでいた人々も青ざめて、腰が引けている。
腕を振っただけで、人を数メートルも吹き飛ばしたゴーシュを見る人々の目は、恐怖に満ちていた。
周囲の人々の鼓動が早まる。
恐慌が聞こえる。
周囲の人々から恐怖の匂いがする。
ゴーシュを化け物だと思ったのだろうか。
……どうして。
どうしておれは人狼なんだ。
胃が痛い。
痛い。
痛いっ。
幼い頃にも味わったことのある激痛に、ゴーシュは体を折った。
床に膝をつくと同時に強烈な吐き気を感じて、ごぼごぼと音を立てながら大量の血を吐いた。
床についた手が、赤く染まる。
鉤爪は消えて人の手になっていた。
息ができない、目の前が暗くなる。
血の匂いがする。
痛い。
いやだ。
もう、いやだ。
「ガイルさんっ」
襲い来る激痛に意識を手放す直前、愛子(仮)に名前を呼ばれた気がした。
◆
耳が、かすかなざわめきを捉えた。
鼻が、消毒の匂いを嗅いだ。
ゆっくりと目を開く。
焦点があわないぼやけた視界でも、目の前にあるのが白い天井だと分かった。
どこだ?
いいや、どこの病院だ?
ゴーシュが幼い頃の一番強烈な記憶。
血を吐いて、激痛の中で倒れたこと。
両親の力になりたくて、変身を制御しようとした。
負担が大きすぎる、と知っていた。
それでもやりとげた。
もう少しで死ぬところだったと、泣きながら病床のゴーシュを褒めてくれた両親に言われた。
ゴーシュは両親の本意が「無理をしてほしくない」だと知っていた。
それでも両親は褒めてくれた。
ゴーシュの両親は、愛情深い人狼だった。
だからこそ、血反吐を吐いてまで変身を制御したゴーシュを叱らなかった。
とても叱れなかった。
人の中で生きていくことしかできないから。
幼いゴーシュの努力を、無駄にしたくなかったから。
親である自分たちの不甲斐なさを、息子に押し付けたくなくて。
両親はゴーシュを褒めてくれた。
泣きながら。
頼りない自分たちに憤りながら。
幼い自分が下した判断は間違いではなかった。
今でもゴーシュはそう思っている。
両親の力になりたかった。
自分も群れのために何かできると証明したかった。
しかし、一度重症化したからなのか、ゴーシュはストレスが体調不良に直結するようになってしまった。
いつも胃薬を持ち歩くなんて、人狼らしくない。
自分の格好悪さなんて、誰よりも知っている。
本物の化け物になれない、情けなくて中途半端な存在だ。
とんとんとんとノック音がして、少し扉が開かれた。
「失礼します」
知っている男性の声。
視線を向けて待っていると、静かな足音がして、ゴーシュが見知った顔が現れた。
「気が付かれていたのですね」
線の細い壮年の男性。
社長の右腕であり、本社専務の〝泉 偉大〟は、ゴーシュを見て息をついた。
ベッドの側まできて、折り畳み椅子を広げて座ると、泉はぼんやりしているゴーシュに微笑みを向けた。
「ゴーシュくん、調子はどうです、痛いですか?」
「……うん」
腹が痛い。
たぶん、手術をしたのだろう。
血を吐いたのは覚えている。
点滴がスタンドにぶら下がっているのが見えている。
「無事に麻酔が抜けたようですね、ひどく痛むならナースコールをしますよ」
「……」
社長が言っていた言葉を、ゴーシュは思い出した。
『泉は信用できるよ』
色白の細い顔には本心からの優しさを感じる。
ゴーシュはいつも社長のそばにいた。
そして泉も一緒にいた。
懐刀と右腕が揃っていれば、社長はいつも「全力で戦える」と口にして笑っていた。
「泉さん」
「はい」
「おれ、人狼なんだ」
「そうですか」
「人を殺したことはないよ」
「ええ、信じますよ」
「食いたいって思ったこともないよ」
「なるほど」
「それでも……おれって化け物なのかな」
「いいえ」
あっさりと即答されたので、ゴーシュは思わず泉を見つめてしまった。
「化け物は、自分は化け物かもなんて考えません」
にっこりと笑顔で断言されて、ゴーシュは目の前がぼやけるのを感じた。
慌てて瞬きをしても、涙があふれそうになる。
「ゴーシュくんが倒れたと聞いて、三箭が全ての予定を投げました。
明日には来ますよ、説教される覚悟をしておいてくださいね」
「うげぇっっ!」
ほほに流れる前に涙が引っ込んだ。
「我慢しすぎて胃に穴をあけるなんて、そんな人を化け物とは言いません、大人しく叱られなさい」
「そんなぁ」
別の意味で涙が浮いてきた。
泉はゆっくりと手を伸ばして、ゴーシュの目の近くにかかっていた前髪を避けて、さらに続ける。
以前から感じていたけれど、泉からは社長の香が漂う。
まるで、番の匂いを纏いあっていた両親のように。
「心配しなくても、支社の件は片付きましたよ、ゴーシュくんのお手柄です。
長期休暇がとれるように有給を調整しますから、三箭の相手を頑張るように」
「……はーい」
ゴーシュは、気が付いた。
社長と泉は番だ。
人の男性同士であるけれど。
そして、以前からゴーシュが人ではないことを、泉は知っていたのだ。
社長が教えたのではなく、自分で勘付いたのだ。
知りながら問い詰めてくることなく、職務外でゴーシュを子供扱いすることで、緊張をほぐしてくれている。
ゴーシュ・ガイル。
人狼、三十歳。
思春期真っ盛り。
お人好し。
ストレスに弱い。
まだまだ子供扱いされたいけれど、大人になりたい背伸びの時期でもある。
◆
1章おしまいです
明日から章間を3話挟んで2章に入り、ようやく〝愛子〟と仲良くなれそうな???
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