35 / 44
3 つがいと過ごす日々
05 キスの意味
しおりを挟む額にキスをされたゴーシュは、とても幸せそうに微笑んだ。
胸の奥から幸福があふれでてくる気がして、裕壬はゴーシュをじっと見た。
いつもは鋭い琥珀の瞳が柔らかく細められて、頬骨の高い凛々しい顔立ちはゆるんでいる。
嫌ではなさそうだから続けよう、と裕壬は少し顔を傾けて、今度はほほに唇を寄せた。
西洋絵画の流れを学ぶ講義は、宗教画が多かった。
そして、キスの絵が出てくる。
宗教画なのに。
教授にキスの場所には意味がある、と言われた裕壬は、興味から調べたことがあった。
油絵で宗教画を描く日は来なくても、鑑賞は趣味だ。
そして近代以前の絵にはかなりの確率で、絵の中になんらかの意図と意味が込められている。
権力者の肖像画にすら。
知ればもっと理解できる、自分ももっと良い絵が描ける。
そう思っていたのは、裕壬が自分の才能では絵で生きていくのは無理だ、と思い知るまで。
こんな無駄な知識が役に立つ日が来るなんて、とゴーシュのほほをなでてから、内心で苦笑いした。
「ほっぺは親愛、ゴーシュさんともっと親しくなりたいから」
「いっしょにすむ!?」
「それは私が卒業してから、ってゴーシュさんが言ったでしょ」
「……ごめんなさい」
わふわふ!、と言い出しそうな勢いで興奮してしまったゴーシュを言いくるめるのが簡単すぎて、裕壬はなんだか気持ち良くなってきた。
可愛いのだ。
こんなに厳つくて強面で大柄な男性の姿をしているのに。
猟犬の血を引く大型犬の子犬になつかれるって、こんな感じだろうか。
今までに感じたことのない、不思議な満たされる感覚。
征服欲でもなく、支配欲でもない。
自分より強い存在に愛されているという満足感。
これまでほとんど常に無表情だったゴーシュの、幸せそうなゆるんだ表情を見ると、心から満たされた。
私はゴーシュの笑顔が見たかったのか、と裕壬は気がついた。
きっとそれは人狼だからではない。
昨日、ゴーシュの家で剃ったのかもしれないけれど、日焼けしたほほには、ひげが生えていない。
ひげが生える前のように、色の薄い産毛は生えているのに。
「ゴーシュさん、ひげは?」
「ひげ、まだはえないけど?」
「そうなんだ」
きょとんとされて、裕壬はやっぱりゴーシュは若いんだ、と納得した。
何度もそう思っていたけれど、間違いなく若い。
それも、おそらく、二十一歳の裕壬より。
コーカソイドの彫りの深い顔立ちと、仕事の時はきっちりと作り込まれたポンパドールヘアや、ダークカラーのスーツで誤魔化されているだけで。
人狼の三十歳は、人の何歳になるんだろう。
考えながら、形の良いあごに唇を落とす。
男らしくしっかりと張っているのに、つるりと若々しい肌をしているな、と思わずキスしてしまったのだ。
「あごは……恥じらい、強引なのは恥ずかしい、困る」
「……はい」
キスする場所の意味を思い出しながら、裕壬はしょぼんと落ち込んだゴーシュの姿に笑みを浮かべた。
やっぱり、可愛い、と。
形の良い高い鼻先に唇で触れると、落ち込んでいたゴーシュが瞳を輝かせた。
「鼻は愛玩、ゴーシュさんは可愛い」
「……かわいい?」
一瞬喜んだゴーシュが、がっくり、と音がしそうな勢いで肩を落とした。
見た目が強面だから、言われなれていないのかと推測した裕壬は、伏せられているゴーシュのまぶたへ、そっと触れるだけのキスをする。
「まぶたは憧れ、人狼のゴーシュさんは、きっとずっとこの先、私の憧れだから」
ぎゅん!、と音がしそうな勢いでゴーシュの顔が裕壬へむけられる。
琥珀の瞳はきらきらと光り輝いて、すごく嬉しい、と思っていることが、言葉にしなくても伝わってくる。
きっと尻尾があったら、千切れそうな勢いで振られていただろう。
見てみたいかも。
あれ、狼も尻尾って振るのかな?
裕壬はそう思ったけれど、人の姿のゴーシュには尻尾がない。
確かめようがないので、また今度、と考え直す。
また今度があるのだ。
これから先、裕壬が望めばゴーシュはいつでも駆けつけると言った。
耳触りの良い言葉を、完全に信じたりはしない。
ゴーシュの肩書きは社長秘書室室長だ。
これまでのゴーシュの態度を見て、仕事を途中で放り投げるような無責任な人ではない、と知っている。
明らかに嫌だな、という顔をしながらモデルをしてくれた。
迷惑だと言いながら、二度目も受けてくれた。
周囲に気を遣う優しい人なのだ。
人狼だから、なのかもしれない。
「ユージン?」
「ゴーシュさん、唇へのキスは愛情、私以外の、つがいではない人にしては駄目だからね」
「うん、うんっ」
知らないだろうから、というつもりで言ったのに、なんだか独占欲を出したみたいに聞こえた。
言った裕壬自身にそう聞こえたのだから、間違いなくゴーシュもそう思っただろう。
裕壬の言葉に喜んでいるようにしか見えないのが、困る。
悲しむ姿を想像すれば否定はできないし、誤解しているとも言えない。
「……目を閉じてよ」
唇に顔を寄せたいのに、ゴーシュが瞬きを忘れて裕壬の顔を見つめている。
この状態で口にキスなんかできるか、と顔を背けようとした時。
「ユージン、すき」
わずかに頭を下げたゴーシュが、Tシャツの上から裕壬の胸元に口を寄せたのだ。
心臓の上に触れるだけの優しい接触なのに、どきり、と鼓動が跳んだ。
「ふぁっ!?」
ゴーシュは胸元へのキスの意味なんて知らないはず。
そう思っても顔が熱くなるのを感じて、裕壬はゴーシュの両肩に手をかけた。
「すき」
手で肩を押されて少し離れたゴーシュが、がぷり、と噛み付くように裕壬の喉元へ口をつける。
「ひゃうっ」
胸元へのキスは〝所有〟。
今ここでするなら、当然、離れたくないということだろう。
喉へのキスは〝欲求〟。
もっとキスをしてほしい、それ以上もと望んでいるのは疑いようがない。
本能的にキスをしているらしいのに、どうして的確に気持ちを伝えてくるのか。
知っていて嘘をついている……とは思えない。
焦って慌てている裕壬に気がついているはずなのに、ゴーシュは顔を上げて、裕壬の熱くなっている耳へと唇を触れさせた。
耳へのキスは〝誘惑〟。
なにを誘っているのか考えたくない、と裕壬は顔を背けた。
そして、さきほどまで舐めていた首へ。
首へは〝執着〟。
もうこれ、わかってやってるだろ、と涙目で睨んだ裕壬に、ゴーシュがきょとんとした顔を見せた。
この、天然人狼!
思わず口から出そうになった、恥ずかしさを誤魔化すための暴言を飲み込み、裕壬は不思議そうにしているゴーシュに仕返しをした。
大きめで厚めの唇。
下唇よりも上唇が厚くて、輪郭がしっかりとしたきれいな唇に、裕壬は噛み付くように口付けて、べろっ、と舐めた。
「ゆっ!?」
びくっ、と目を開いたまま驚いているゴーシュに、裕壬は笑顔を向けた。
「はい、おしまい」
「えっっ!?」
突然おもちゃをとりあげられた犬のような、衝撃と悲しみが混ざった表情が向けられる。
裕壬は、あ、やりすぎたかも、と慌ててゴーシュの両ほほに手のひらを添えた。
そっとボサボサにもつれた灰色の髪の毛に頭を寄せる。
「髪へのキスは、大好きってこと」
これからずっと一緒にいられるんだから、焦らないで、とつむじを捜しながら囁くと、がっしりとした両腕が裕壬の背中に回された。
膝立ちで不安定な体勢になる裕壬の体重など感じていないように、ゴーシュは裕壬を抱き寄せて、お腹に頭をぐりぐりとこすりつけた。
布越しに鼻先が当たっている。
鍛えていない裕壬のひょろい体に、魅力があるとは思えないけれど。
思い当たることはある。
お腹へのキスは〝回帰〟。
甘えたいと全身で訴えてくる可愛い人狼に、裕壬は自分でも知らないうちに微笑んでいた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ふたなり治験棟
ほたる
BL
ふたなりとして生を受けた柊は、16歳の年に国の義務により、ふたなり治験棟に入所する事になる。
男として育ってきた為、子供を孕み産むふたなりに成り下がりたくないと抗うが…?!
獣のような男が入浴しているところに落っこちた結果
ひづき
BL
異界に落ちたら、獣のような男が入浴しているところだった。
そのまま美味しく頂かれて、流されるまま愛でられる。
2023/04/06 後日談追加
お兄ちゃんができた!!
くものらくえん
BL
ある日お兄ちゃんができた悠は、そのかっこよさに胸を撃ち抜かれた。
お兄ちゃんは律といい、悠を過剰にかわいがる。
「悠くんはえらい子だね。」
「よしよ〜し。悠くん、いい子いい子♡」
「ふふ、かわいいね。」
律のお兄ちゃんな甘さに逃げたり、逃げられなかったりするあまあま義兄弟ラブコメ♡
「お兄ちゃん以外、見ないでね…♡」
ヤンデレ一途兄 律×人見知り純粋弟 悠の純愛ヤンデレラブ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる