ねえ、センセ。―粘着系年下男子の憂鬱

ゴトウユカコ

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君のズルくて甘い罠_5

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 私のバッグをかごにいれた自転車を押しながら、成瀬くんは、私にペースを合わせて歩いてくれていた。

「身長は?」

「178。センセは?」

「160」

「誕生日は?」

「1月15日。成瀬くんは?」

「6月1日。めっちゃ気遣いできるA型ー」

「自分で言わないでよー」

 たわいもない話を、もう夕陽が沈んだ暗さの中で続ける。
 途中で、川の堤防上の歩道にあがった。

 自転車通学だという成瀬くんの家と、教育実習期間中身を寄せている私の実家までの道とはだいぶ重なっていて、成瀬くんは「最後の日まで送り迎えしてい?」と半分本気で聞いてきた。
「朝は学校一番乗りレベルの出勤だよ」と言ったら素直に悩んでいたけれど。

「つうか、何気に先生ってブラックな仕事だよね」

「普通の仕事と比べられないよ、そんなの。仕事内容が全然違うんだから」

「だって、帰る時間も合わせらんないとかさー」

「だから、あと4日、なるべく早めにあがる」

 結局、教育実習生は何時に退勤しようと、その労働時間が変わることはあまりない。
 ほとんどの実習生が帰宅してから自宅で次の日の模擬授業や研究授業の対策をする。
 そのせいか、人によっては朝方まで準備をしてることなどざらだからだ。

 それでも、そうやって全力疾走する濃密な時間は、3週間という期間ゆえにあっという間に過ぎる。

 成瀬くんが不満げに「はあーあ」と息をつくと、川からの風に乗ってミントの香りが通り過ぎていった。

 そういえば、と横を見た。
 成瀬くんは、口の中のミントアメを転がしているみたいだった。

「成瀬くん、よくそれなめてるよね、ミントの」

 言いながら、ふと、成瀬くんとのキスを思い出して、あがったほおの温度を気づかれないようにすぐ脇を流れているはずの夜の川へ顔を向けた。
 本当にこの歩道を外れて転がり落ちたら、そこには深くて急な川があるんだろうかと思う。

「別に好きってわけじゃないんだけど」

 少し成瀬くんが言い淀んだ。

「よく女子がくれるんだよね」

「アメを?」

「そう。でさ、イチゴミルクのとかメロンソーダ味とか」

「甘そう」

「甘いの。マジで。激甘なの。でも断りきれなくて」

「成瀬くんらしい」

「で、ミントが好きって言ったら、なんかほとんどそれになった」

「そっか」

 きっとアメなんて、成瀬くんと話をするきっかけでしかなくて、本当はもっと成瀬くんと仲良くなりたいっていう女子の小さな願いの形。
 それくらいに成瀬くんは人気がある。

 一緒にこの自転車の後ろに乗って登校したり、帰りはこうやって河川敷を歩きながらおしゃべりしたり。
 前に牽制するかのように言ってきた女子たちが本当はしたいことを、私が奪ってる。
 社会の目とは無縁でいられないのに、まだ子どもでいられる曖昧な、温室のような時間。そこで叶うかもしれない甘い世界を、先生の顔をした私が。

「ねえ、暗くなってない? なんで?」

 成瀬くんが敏感に悟ったことに驚いて隣を見た。

「どうして?」

「……なんとなく?」

「なんとなく」

「なんか気に触ること、言った?」

 頭をふって、「違うよ」と笑った。
 少し黙って私の顔を見てた成瀬くんは、前を向くとしばらくしてから「ねえ、センセ」と呼んだ。

「手、つないでいい?」

 なんでか急に許可を求めるような言葉に小さく笑った。

「言わなくてもそうするんじゃないの?」

 私の機嫌や周りを気にするなんて意外に成瀬くんはかわいいところが多いなと思いながら笑みを浮かべた。

「そうだけど」

 拗ねてるのか、少し怒ってるかのような顔をした成瀬くんの方に手を差し出した。

「つなご?」

 軽く手のひらを揺らしてそう言うと、成瀬くんがふいに立ち止まった。

「どうしたの?」と振り返った。

 成瀬くんは自転車のハンドルを支えたまま、その場に「あーもうっ」と半ば叫ぶようにしてしゃがみこんだ。

「え、ちょっと成瀬くん?」

 成瀬くんの方に1、2歩戻ると、成瀬くんが「だめ」と呟くのが聞こえた。

「え?」

「だめ。マジでセンセかわいすぎる」

「……へ?」

「なんなの。オレより年上のくせに、センセなのに、めっちゃかわいいとか」

「な、何言ってるの?」

 いったいどこが成瀬くんを悶えさせてるのか分からないまま、前に目線を合わせるようにしゃがみこんだ。

 俯けていた顔をあげて、成瀬くんが私の目を見た。
 ちょっとだけ拗ねたような顔を赤くして、「センセ」と呼んだ。

「ねえ、キスしていい?」

「ここで?」

「センセと、したい」

 どきんと、鼓動が大きく跳ねて、動揺のあまり視線を地面に落とした。

 言い方が心臓に悪い。
 キスの先、なんて考えちゃいけない。

「だめ?」

 人目を気にするほど明るくはない。
 堤防沿いのマンションから投げかけられる部屋の灯り以外、街灯もない。

「だめじゃないけど……」

「じゃセンセからして? オレ、両手ふさがってるから」

 両手で自転車を支えたまましゃかんでる成瀬くんが私にささやく。

「……もうっ」

 覚悟を決めて顔をあげると、思ったより近いところに成瀬くんの顔があった。

 周りを見回す。

 風の音。
 河川敷の草そよぐ音。
 遠くで電車が鉄橋を渡る音。
 川の音はかすか。
 足音なんて、まして人の話し声も、歩道下の道路を車が通る音もない。

 少し前屈みになって、成瀬くんに顔を近づけた。さっと唇に唇を触れ合わせて、パッと立ち上がる。

 一瞬の、ついばむみたいな。
 でもここでは、それが精いっぱい。

「……ええー……」

 納得できないといった顔で、成瀬くんが立ち上がった。

「もう帰らないと」

 そう言って離れた時だった。

 自転車のスタンドを止める音が聞こえたような。振り返る間もなかった。
 成瀬くんがふいに私の腕を捉えて、強く引っ張った。

 噛みつかれた。
 そう思った。

 乱暴に顔の両側を大きな手のひらで髪ごとつかまれて、唇を奪われた。
 容赦のない強引な力で、有無なんて言わせてくれなかった。

 何度も息をつかせないように角度を変えて深くなるキス。
 無理やりこじあけられた口の中にするりと、成瀬くんの舌が入ってきて、絡む。

 苦しい。
 でも突き放せない。
 ほしい、って思ってしまう。

 そんな自分を抑え込むように、成瀬くんの腕をつかんで理性を必死で保つ。
 ミントの味が媚薬みたいに舌先を痺れさせて、じわじわと私の体の奥に落ちていく。

「や、も……っ」

 涙がにじんだ。
 空気がほしくて口を開けるから、その隙を逃さないように成瀬くんはねだるように塞いで、私を誘う。

「キスって、こーゆーの」

 合間に、成瀬くんが熱に掠れた声音でささやいた。
 体の深くに落とされた成瀬くんそのもののようなミントの残り香がじんわりと私の中で波紋を広げて、全身を侵していく。

 このままじゃいけない。
 理性を剥がされないうちに、離れなければ。

「お願い、もう……」

 すがるように言うと、成瀬くんの手から力が抜けた。

 顔を離した成瀬くんの唇が赤くて、どっちのものか分からない色に濡れていて。
 それをちろりと、成瀬くんが自分の舌で舐めるから。

 かくん、と全身から力が抜けて座りこみそうになった。

 すばやくのびてきた成瀬くんの腕に、優しく引き寄せられた。
 完全に腰砕けになっていた私はされるがまま、成瀬くんに寄りかかって弾む呼吸を必死に鎮めようとした。

「……だ、騙された」

 同世代の男だって、こんなキスなんてしない。

「なんなの、ほんとに、高校生?」

「ごめんね?」

 笑いながら飄々と言った成瀬くんのその余裕っぷりが憎らしい。

「唇、腫れる」

「じゃあー……」

 嫌な予感がした。
 離れようと思うのに、キスというたった1つの行為だけであっという間に翻弄された体は鈍い反応しか返してくれない。

「口、あーんして」

 唇を真一文字に引き結んで横を向いた。

「ふうん、そんなことするの? 無理に口移しするよ?」

 思わず成瀬くんを睨むと同時に、唇に何かひんやりしたものが押しつけられた。

 ミントの爽やかな匂いがした。
 かすかに開けた口に、成瀬くんがアメを指で押し込んだ。

 そこまではよかったのに。

「ん? んうー?!」

 成瀬くんが親指を一緒に口の中に押し込んで、私の舌を愛撫するようになぞった。
 そして私を流し目で見ながら親指を引き抜いた。

 ゆっくりと、濡れた親指を自分で口の中に含んで舐めた。

「甘い、ね?」

 誘うような、声。

 ぞくり、として、一気に羞恥心がこみあげた。
 口の中のミントが別のものを舐めているように錯覚した。

 全身が、熱い。
 熱くて、麻痺する。
 じんじんと、血も細胞も沸騰するみたい。

「成瀬、くん」

「センセ、今、自分の顔、どんなか分かる?」

「え……?」

「めっちゃエロい。オレ、ヤバいかも」

 濡れて、低く掠れた声。

 ああ、と熱を孕んだ吐息が漏れた。

 どうしよう。
 私、すごく、成瀬くんがほしい。
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