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第三十九話 side:U 自棄と逃亡と
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身体が僅かに揺れて目が覚める。
瞼を少しだけ上げると、起き上がる嗣にぃが見えた。
髪を撫でられた気がしたが、あまりにも瞼が重くて、また閉じる。
会社に行くんだろうなぁ、と思いつつ意識を手放して次に目が覚めた時は、室内は静かで人の気配はない。時計を見ると12時をゆうに越しているではないか。
遅刻!と思ったが、今更慌てても遅すぎる時間だ。
その時点で大学は諦めて、のろのろとベッドの上で起き上がる。
身体がギシギシして、色々な場所が痛い。そして俺は何故か嗣にぃがいつも着ているガウンを着せられている。
何だっけ?何があったっけ?ぼーっとする頭で考えた。
ふと、自分の身体を見下ろすと、様々な場所に青と赤の痕が残っていた。ガウンの中も同様だ。
赤いのはキスマークで、青いのは噛み痕・・・かな・・・何かの病気みたいで嫌だなぁ・・・と考えていたところで、昨日のことを思い出した。
ああ、そうだ・・・最悪な日だった、昨日は。
最後に覚えているのは床の上で抱かれていたことだ。
抱く・・・?違うな・・・あれは『強姦』ってやつではないだろうか。
昨日は少なくとも合意ではなかった。俺はしたくなかった・・・。
力で敵わない相手に強制的にされるのは、精神を消耗する。
ーーそれがたとえ好きな人であっても。
嗣にぃだけを責めるつもりはない。俺だって意地になってたし、癇に障るようなことを言動があったのだろうと思う。
売り言葉に買い言葉、その末が昨日の結果。何もかもが台無しになった。
ああ、でも、そうか・・・否定はしなかったな、嗣にぃは。
ーーセックスフレンド。セフレ。
苛ついて出た言葉ではあったけど、俺は否定して欲しかったんだろうな。違う。否定して欲しかった。
けれどーー否定されるどころか、これだ。もう笑いしか出ない。
昨日のことがあって、嫌いになったかと問われれば否。
俺はああ言うことをされても、未だに桐月久嗣が好きだと思う。
でも、だ。
今からずっと同じようなーー例えばこれが昨日はイレギュラーな事態であったとして、それまでのような日々に戻ったとしても、『セックスフレンド』という位置付けに耐えられるのかと問われれば、それも否。
・・・無理だろ、そんなの。俺の目的がセックスであれば平気だし、望んでもないところだ。でも、違う。セックスが目的ではない。それが目的なら、わざわざ幼馴染とか面倒そうな関係性の人間を選ばない。
俺が欲しいのは『桐月久嗣の恋人』という位置であって、『桐月久嗣の遊び相手』という位置ではない。
それとも、俺にはそれぐらいがお似合いってことなのだろうか?
・・・・・・・・・くっそ、ムカつく。
いやいや、確かにね。相手はスーパーイケメンだし?頭も良いし?背も高いし?家も金持ちだし?本人も稼いでるし?人間関係の構築も上手いし?おお、すげー男だわ。俺が長年好きなだけあるわ。
そんな俺はその対極にいるような人間ですよ。辛うじて大学は一緒だが、難なく入れた嗣にぃと違って、俺は結構灰色受験生したんでね。はいはい、対極対極。
でも、だ。
だからと言ってセフレはない。強姦もない。・・・ないないづくしだろ。
「腹立つ・・・」
思わず声が出たが、また枯れている。泣くは喚くはしたもんな、俺。
あれで勃起する精神力って何よ?もう意味がわからない。
あーないないないない!ムカムカとしながら、俺は水を求めてキッチンへと行くべく立ち上がった。
「・・・うっ」
起き上がった時に感じた痛みが、立ち上がると再び襲ってくる。
ちょっともう、勘弁して欲しい。床の上とかでするもんじゃない。絶対にしない、二度としない。いや、というか・・・することってこれ以降あるのかな?俺。
セフレは、嫌だ。絶対に。・・・それって結局、誰か違う人が嗣にぃとは一緒になるということだろ?詰みじゃん。俺にとってはゲームオーバーだろ。
セフレから恋人に!という気概も俺にはない。ないないづくしの俺には無理。
なら、どうするかな・・・今後。
唸りながらキッチンまで来て、冷蔵庫を開けると、昨日作った料理が保存容器に入れられて並べられていた。カレーも鍋からそちらに移されている。
ケーキを含めて、用意したものはそれぞれ一食分くらい減っているようで、食べたのだな、とわかる。
・・・・・・セフレが作った食事なんてお口にあいましたかね?
そんな風に捻くれた思いが浮かんで苛立ちが募って、それらを全部冷蔵庫から出して、容器の中身をポリ袋に放り込んでから、ゴミ箱の中に突っ込んだ。
本来であればこんな無駄なことはしたくない。
けれど、自分で食べる気にも、これ以上、嗣にぃに食べさせる気にもならなかった。
勿体無いおばけが出そうだな、とかアホなことを考えつつ今度はミネラルウォーターを冷蔵庫から出した。それを半分ほど一気に煽って、一息つく。
「・・・これからどうしようか・・・」
途方もなく、言葉が漏れて、俺はその場に座り込んだ。
きっと、ここにはいない方がいい。自分の為にも。
何せ俺は流されやすい。それくらい自分でも知ってる。昨日のことを思い出せば、騙されやすくもあるのかもしれないーーおお・・・経験で育ってるじゃん、俺ーー。
多分俺はここにいて、嗣にぃから求められる限り、応じてセックスをする気がする。そうしてずぶずぶと嵌って抜け出せなくなるのがオチだ。不倫ドラマみたいな展開になる。
・・・出て行ったらどうなるんだろうか?
生活自体は問題ない。元々俺は実家から通うはずだったし。実家に帰ればいいだけだ・・・が、嗣にぃとの関係は、どうなるんだろう?
「・・・終わり、かなぁ・・・」
言葉にした途端に、ボロッと涙が溢れた。
昨日は怖かった。無理矢理だったしいつもの優しい手つきじゃなかったし、目つきも違った。酷いことも散々言われた。・・・今までのはセックスで、昨日のは強姦だ。
ああ、でもなぁ・・・それでも、好きなんだよなぁ・・・。
未練たらしすぎる。じゃあ諦めてそばにいるか?セフレとして?
終わりが見えない地獄でしかない。どう考えても。
色々と考えていたら、果てしなく気怠くなってきて、座り込んだ場所へと横になる。何ちゅう場所で横になっているんだ、俺は・・・と思いはしたが起き上がる気にもなれなかった。涙は相変わらず流れていた。
いっそのこと麗華さんに「これこれこういうことが会って酷い目に遭わされたんですがどうしたらいいですかね?」なんて聞いてやりたい気分だ。怒られてしまえ。
想像したらなんか笑えて、今日、初めて笑った。泣き笑いではあったけれど。
こういう関係だと両親にも桐月の方にも言ってないしーー言えるわけもないしーー、帰るにしても何を理由にしようか・・・。
ああ、面倒くさい。全部が面倒臭い・・・・・・・・・。
※
「・・・ゆうくん!ゆうくん!」
声が聞こえて、目が覚めた。目を開けると、そこには嗣にぃがいる。心配そうな顔で俺を覗き込んでいた。
どうやら泣き疲れて俺は寝てしまってたらしい。相変わらず、身体が痛い。床の上で寝れば、そりゃそうか。
俺は怠さを押して起き上がる。いつもならば嗣にぃが手を出して来そうだが、迷っているのか、その手は俺を支えようとしながらも触れなかった。
「体調が・・・悪い?」
そりゃあね。あんだけされれば、悪い。というか、怠い。めちゃくちゃにしてくれたくせに、どの顔で言ってるんだか。ああ、この素晴らしい顔か。・・・でも俺は素直にそうは言わず、別に、と小さく答える。
「・・・食事は、摂った?」
矢張り心配そうに尋ねられる。それは嘘偽りなく俺を気遣うもので、困惑してくる。これは、どういう立場で俺に尋ねてるのだろうか?夫役?幼馴染?それともーーセフレ?最後はないのかな?わからない。
俺が答えないでいると、嗣にぃは困ったように息を吐く。
「冷蔵庫に、昨日の・・・」
そこまで嗣にぃが言った時、
「俺が作ったのなら捨てた」
声を遮って、繋げる。すると、嗣にぃが呆然とした声で「・・・どうして・・・」と呟く。・・・なんでこの人が被害者みたいな顔してるんだろう。本当に意味がわからない。一度寝て治まった苛立ちが再び蘇る。俺は立ち上がって、屈んでいた嗣にぃを見下ろした。
「・・・セフレが作った料理なんか、いらないだろ・・・」
それ以上の会話をするのも面倒くさくて、言葉が返る前にバスルームへと向かう。電気をつけて脱衣所に入ると、広い洗面台の前にある大きな鏡に自分が写った。
「・・・ひっでぇ・・・」
泣き腫らした目は真っ赤で不細工だし、髪はボサボサで、着せられたガウンも不似合いだ。さっき見た嗣にぃはいつも通り格好良くて・・・総じて不恰好な自分とは不釣り合いとしか思えず、苦笑しか漏れなかった。
少しでも女の子の格好が似合うようにと伸ばしていた髪も、急に鬱陶しく感じられた。
ーーうん、切ろう。もういらない。
急にそう思い立ち、洗面台の端に置かれていた鋏を手に取る。
どこから切るか・・・鬱陶しい首の後ろあたりからか?髪を掴んで鋏を首元に持って行った時、
「何をしているんだ・・・っ!!」
怒声とともに、凄い勢いで鋏を取られた。
ゆっくり振り返り、見上げると、嗣にぃが居た。キッチンから来たんだな、と理解するまでに数秒かかった。
俺から鋏を遠ざけて置き、肩を掴まれて、嗣にぃの方を向かせられる。指が食い込んで、少し痛い。
「・・・また、好きにする?・・・いいよ、別に。しても。セックスがしたいなら、付き合うよ?」
俺が自棄気味にそう言うと、見上げている嗣にぃの顔が強張った。その顔を見ているとやはり俺が悪者みたいな気さえする。おかしな話だ。
手を伸ばして、嗣にぃの頬から顎に指先を滑らせた。ぴく、と嗣にぃの身体が動く。喉を撫でて、ネクタイの上、ベストの上、と移動させた。更におろして、ベルトに指をかけると、嗣にぃの手が俺の手を取った。
「・・・ゆうくん、やめよう」
何を?セフレを?この結婚ごっこを?全てを?どちらにしろ、切り離されるのは俺か。
相変わらず苦痛そうな表情をしているのは相手の方で、俺は思わず笑ってしまった。完全でないにしろ、限りなく被害者は俺の方なのに。なのに、何故。
「馬鹿みたいだ、俺・・・」
ーー出ていこう。不意にそう考えついた。
肩の手も、掴まれた手も、振り払うように大きく身を捩る。
幸いにも、力が弱まっていたので、振り払えた。嗣にぃの横を通って自分の部屋へと向かう。俺の部屋と言っても、授業用の教科書や荷物を置いている程度だ。
部屋に入りひとまず、スマホと財布を手に取る。着替えは・・・寝室のクローゼットか。取りに行くのは少し面倒くさいな・・・。しかし俺の格好はガウン姿だ。
・・・仕方ない。その足で、寝室へと向かおうと部屋を出た時に、嗣にぃが、俺の手を掴んだ。
「離して」
掴まれた手を払おうとしたが、先ほどのように上手くはいかなかった。
「昨日は随分酷い扱いをしてしまったと思う。ゆうくん・・・話をしよう?」
「したくない」
「ゆうくん・・・」
「・・・煩いなぁ・・・何なんだよ、一体・・・!しないんだろ?!なら俺に用はないよね?!離せよ・・・!!」
叫びつつめいいっぱい力を込めて、払う。すると嗣にぃの手が外れた。俺がこれほど大声を出すことなんかほとんどない。稀にあさと大喧嘩することがあったが、それは二人の時が多かったし、嗣にぃの前ではしたことがなかったと思う。嗣にぃにこんな態度を取ったこともない。だから嗣にぃは少し驚いたようだった。
俺は足早に寝室に急ぐ。一度ベッドの上にスマホと財布を置き、クローゼットを開けて、下着とTシャツとジーンズを取り出し、身につける。そしてもう一度、置いたものを手に取って、部屋から飛び出た。ちょうど寝室に向かって来ていた嗣にぃとすれ違う。
「ゆうくん・・・っ!」
嗣にぃが手を伸ばすのと、その横を俺が駆け抜けるのと、俺の方が少しだけ早かった。捕まらずに玄関まで走り、靴を履いて扉から出る。そのまま、エレベーターへと急いだ。幸いにもこの階で止まっていて、飛び乗った。扉が閉まる瞬間「ゆうくん!」と嗣にぃの声が響いた。
嗣にぃが追ってきたところで、そうすぐに追いつけるものではない。
はは、ざまぁみろだ。・・・何してるんだろう、本当に俺。また笑いが込み上げて、笑った。
エレベーターが一階につくと、一気にマンションの外まで出た。息が少し上がる。
日は暮れかけているが、夏の空気はまだ暑い。一気に動いたせいか、くらり、と視界が揺れた。あ、まずい、倒れるーーそう思った、時。
「春見・・・っ?!」
倒れそうになった俺の身体を支えた人がいた。
見上げると、そこにはーー谷先輩が、いた。
瞼を少しだけ上げると、起き上がる嗣にぃが見えた。
髪を撫でられた気がしたが、あまりにも瞼が重くて、また閉じる。
会社に行くんだろうなぁ、と思いつつ意識を手放して次に目が覚めた時は、室内は静かで人の気配はない。時計を見ると12時をゆうに越しているではないか。
遅刻!と思ったが、今更慌てても遅すぎる時間だ。
その時点で大学は諦めて、のろのろとベッドの上で起き上がる。
身体がギシギシして、色々な場所が痛い。そして俺は何故か嗣にぃがいつも着ているガウンを着せられている。
何だっけ?何があったっけ?ぼーっとする頭で考えた。
ふと、自分の身体を見下ろすと、様々な場所に青と赤の痕が残っていた。ガウンの中も同様だ。
赤いのはキスマークで、青いのは噛み痕・・・かな・・・何かの病気みたいで嫌だなぁ・・・と考えていたところで、昨日のことを思い出した。
ああ、そうだ・・・最悪な日だった、昨日は。
最後に覚えているのは床の上で抱かれていたことだ。
抱く・・・?違うな・・・あれは『強姦』ってやつではないだろうか。
昨日は少なくとも合意ではなかった。俺はしたくなかった・・・。
力で敵わない相手に強制的にされるのは、精神を消耗する。
ーーそれがたとえ好きな人であっても。
嗣にぃだけを責めるつもりはない。俺だって意地になってたし、癇に障るようなことを言動があったのだろうと思う。
売り言葉に買い言葉、その末が昨日の結果。何もかもが台無しになった。
ああ、でも、そうか・・・否定はしなかったな、嗣にぃは。
ーーセックスフレンド。セフレ。
苛ついて出た言葉ではあったけど、俺は否定して欲しかったんだろうな。違う。否定して欲しかった。
けれどーー否定されるどころか、これだ。もう笑いしか出ない。
昨日のことがあって、嫌いになったかと問われれば否。
俺はああ言うことをされても、未だに桐月久嗣が好きだと思う。
でも、だ。
今からずっと同じようなーー例えばこれが昨日はイレギュラーな事態であったとして、それまでのような日々に戻ったとしても、『セックスフレンド』という位置付けに耐えられるのかと問われれば、それも否。
・・・無理だろ、そんなの。俺の目的がセックスであれば平気だし、望んでもないところだ。でも、違う。セックスが目的ではない。それが目的なら、わざわざ幼馴染とか面倒そうな関係性の人間を選ばない。
俺が欲しいのは『桐月久嗣の恋人』という位置であって、『桐月久嗣の遊び相手』という位置ではない。
それとも、俺にはそれぐらいがお似合いってことなのだろうか?
・・・・・・・・・くっそ、ムカつく。
いやいや、確かにね。相手はスーパーイケメンだし?頭も良いし?背も高いし?家も金持ちだし?本人も稼いでるし?人間関係の構築も上手いし?おお、すげー男だわ。俺が長年好きなだけあるわ。
そんな俺はその対極にいるような人間ですよ。辛うじて大学は一緒だが、難なく入れた嗣にぃと違って、俺は結構灰色受験生したんでね。はいはい、対極対極。
でも、だ。
だからと言ってセフレはない。強姦もない。・・・ないないづくしだろ。
「腹立つ・・・」
思わず声が出たが、また枯れている。泣くは喚くはしたもんな、俺。
あれで勃起する精神力って何よ?もう意味がわからない。
あーないないないない!ムカムカとしながら、俺は水を求めてキッチンへと行くべく立ち上がった。
「・・・うっ」
起き上がった時に感じた痛みが、立ち上がると再び襲ってくる。
ちょっともう、勘弁して欲しい。床の上とかでするもんじゃない。絶対にしない、二度としない。いや、というか・・・することってこれ以降あるのかな?俺。
セフレは、嫌だ。絶対に。・・・それって結局、誰か違う人が嗣にぃとは一緒になるということだろ?詰みじゃん。俺にとってはゲームオーバーだろ。
セフレから恋人に!という気概も俺にはない。ないないづくしの俺には無理。
なら、どうするかな・・・今後。
唸りながらキッチンまで来て、冷蔵庫を開けると、昨日作った料理が保存容器に入れられて並べられていた。カレーも鍋からそちらに移されている。
ケーキを含めて、用意したものはそれぞれ一食分くらい減っているようで、食べたのだな、とわかる。
・・・・・・セフレが作った食事なんてお口にあいましたかね?
そんな風に捻くれた思いが浮かんで苛立ちが募って、それらを全部冷蔵庫から出して、容器の中身をポリ袋に放り込んでから、ゴミ箱の中に突っ込んだ。
本来であればこんな無駄なことはしたくない。
けれど、自分で食べる気にも、これ以上、嗣にぃに食べさせる気にもならなかった。
勿体無いおばけが出そうだな、とかアホなことを考えつつ今度はミネラルウォーターを冷蔵庫から出した。それを半分ほど一気に煽って、一息つく。
「・・・これからどうしようか・・・」
途方もなく、言葉が漏れて、俺はその場に座り込んだ。
きっと、ここにはいない方がいい。自分の為にも。
何せ俺は流されやすい。それくらい自分でも知ってる。昨日のことを思い出せば、騙されやすくもあるのかもしれないーーおお・・・経験で育ってるじゃん、俺ーー。
多分俺はここにいて、嗣にぃから求められる限り、応じてセックスをする気がする。そうしてずぶずぶと嵌って抜け出せなくなるのがオチだ。不倫ドラマみたいな展開になる。
・・・出て行ったらどうなるんだろうか?
生活自体は問題ない。元々俺は実家から通うはずだったし。実家に帰ればいいだけだ・・・が、嗣にぃとの関係は、どうなるんだろう?
「・・・終わり、かなぁ・・・」
言葉にした途端に、ボロッと涙が溢れた。
昨日は怖かった。無理矢理だったしいつもの優しい手つきじゃなかったし、目つきも違った。酷いことも散々言われた。・・・今までのはセックスで、昨日のは強姦だ。
ああ、でもなぁ・・・それでも、好きなんだよなぁ・・・。
未練たらしすぎる。じゃあ諦めてそばにいるか?セフレとして?
終わりが見えない地獄でしかない。どう考えても。
色々と考えていたら、果てしなく気怠くなってきて、座り込んだ場所へと横になる。何ちゅう場所で横になっているんだ、俺は・・・と思いはしたが起き上がる気にもなれなかった。涙は相変わらず流れていた。
いっそのこと麗華さんに「これこれこういうことが会って酷い目に遭わされたんですがどうしたらいいですかね?」なんて聞いてやりたい気分だ。怒られてしまえ。
想像したらなんか笑えて、今日、初めて笑った。泣き笑いではあったけれど。
こういう関係だと両親にも桐月の方にも言ってないしーー言えるわけもないしーー、帰るにしても何を理由にしようか・・・。
ああ、面倒くさい。全部が面倒臭い・・・・・・・・・。
※
「・・・ゆうくん!ゆうくん!」
声が聞こえて、目が覚めた。目を開けると、そこには嗣にぃがいる。心配そうな顔で俺を覗き込んでいた。
どうやら泣き疲れて俺は寝てしまってたらしい。相変わらず、身体が痛い。床の上で寝れば、そりゃそうか。
俺は怠さを押して起き上がる。いつもならば嗣にぃが手を出して来そうだが、迷っているのか、その手は俺を支えようとしながらも触れなかった。
「体調が・・・悪い?」
そりゃあね。あんだけされれば、悪い。というか、怠い。めちゃくちゃにしてくれたくせに、どの顔で言ってるんだか。ああ、この素晴らしい顔か。・・・でも俺は素直にそうは言わず、別に、と小さく答える。
「・・・食事は、摂った?」
矢張り心配そうに尋ねられる。それは嘘偽りなく俺を気遣うもので、困惑してくる。これは、どういう立場で俺に尋ねてるのだろうか?夫役?幼馴染?それともーーセフレ?最後はないのかな?わからない。
俺が答えないでいると、嗣にぃは困ったように息を吐く。
「冷蔵庫に、昨日の・・・」
そこまで嗣にぃが言った時、
「俺が作ったのなら捨てた」
声を遮って、繋げる。すると、嗣にぃが呆然とした声で「・・・どうして・・・」と呟く。・・・なんでこの人が被害者みたいな顔してるんだろう。本当に意味がわからない。一度寝て治まった苛立ちが再び蘇る。俺は立ち上がって、屈んでいた嗣にぃを見下ろした。
「・・・セフレが作った料理なんか、いらないだろ・・・」
それ以上の会話をするのも面倒くさくて、言葉が返る前にバスルームへと向かう。電気をつけて脱衣所に入ると、広い洗面台の前にある大きな鏡に自分が写った。
「・・・ひっでぇ・・・」
泣き腫らした目は真っ赤で不細工だし、髪はボサボサで、着せられたガウンも不似合いだ。さっき見た嗣にぃはいつも通り格好良くて・・・総じて不恰好な自分とは不釣り合いとしか思えず、苦笑しか漏れなかった。
少しでも女の子の格好が似合うようにと伸ばしていた髪も、急に鬱陶しく感じられた。
ーーうん、切ろう。もういらない。
急にそう思い立ち、洗面台の端に置かれていた鋏を手に取る。
どこから切るか・・・鬱陶しい首の後ろあたりからか?髪を掴んで鋏を首元に持って行った時、
「何をしているんだ・・・っ!!」
怒声とともに、凄い勢いで鋏を取られた。
ゆっくり振り返り、見上げると、嗣にぃが居た。キッチンから来たんだな、と理解するまでに数秒かかった。
俺から鋏を遠ざけて置き、肩を掴まれて、嗣にぃの方を向かせられる。指が食い込んで、少し痛い。
「・・・また、好きにする?・・・いいよ、別に。しても。セックスがしたいなら、付き合うよ?」
俺が自棄気味にそう言うと、見上げている嗣にぃの顔が強張った。その顔を見ているとやはり俺が悪者みたいな気さえする。おかしな話だ。
手を伸ばして、嗣にぃの頬から顎に指先を滑らせた。ぴく、と嗣にぃの身体が動く。喉を撫でて、ネクタイの上、ベストの上、と移動させた。更におろして、ベルトに指をかけると、嗣にぃの手が俺の手を取った。
「・・・ゆうくん、やめよう」
何を?セフレを?この結婚ごっこを?全てを?どちらにしろ、切り離されるのは俺か。
相変わらず苦痛そうな表情をしているのは相手の方で、俺は思わず笑ってしまった。完全でないにしろ、限りなく被害者は俺の方なのに。なのに、何故。
「馬鹿みたいだ、俺・・・」
ーー出ていこう。不意にそう考えついた。
肩の手も、掴まれた手も、振り払うように大きく身を捩る。
幸いにも、力が弱まっていたので、振り払えた。嗣にぃの横を通って自分の部屋へと向かう。俺の部屋と言っても、授業用の教科書や荷物を置いている程度だ。
部屋に入りひとまず、スマホと財布を手に取る。着替えは・・・寝室のクローゼットか。取りに行くのは少し面倒くさいな・・・。しかし俺の格好はガウン姿だ。
・・・仕方ない。その足で、寝室へと向かおうと部屋を出た時に、嗣にぃが、俺の手を掴んだ。
「離して」
掴まれた手を払おうとしたが、先ほどのように上手くはいかなかった。
「昨日は随分酷い扱いをしてしまったと思う。ゆうくん・・・話をしよう?」
「したくない」
「ゆうくん・・・」
「・・・煩いなぁ・・・何なんだよ、一体・・・!しないんだろ?!なら俺に用はないよね?!離せよ・・・!!」
叫びつつめいいっぱい力を込めて、払う。すると嗣にぃの手が外れた。俺がこれほど大声を出すことなんかほとんどない。稀にあさと大喧嘩することがあったが、それは二人の時が多かったし、嗣にぃの前ではしたことがなかったと思う。嗣にぃにこんな態度を取ったこともない。だから嗣にぃは少し驚いたようだった。
俺は足早に寝室に急ぐ。一度ベッドの上にスマホと財布を置き、クローゼットを開けて、下着とTシャツとジーンズを取り出し、身につける。そしてもう一度、置いたものを手に取って、部屋から飛び出た。ちょうど寝室に向かって来ていた嗣にぃとすれ違う。
「ゆうくん・・・っ!」
嗣にぃが手を伸ばすのと、その横を俺が駆け抜けるのと、俺の方が少しだけ早かった。捕まらずに玄関まで走り、靴を履いて扉から出る。そのまま、エレベーターへと急いだ。幸いにもこの階で止まっていて、飛び乗った。扉が閉まる瞬間「ゆうくん!」と嗣にぃの声が響いた。
嗣にぃが追ってきたところで、そうすぐに追いつけるものではない。
はは、ざまぁみろだ。・・・何してるんだろう、本当に俺。また笑いが込み上げて、笑った。
エレベーターが一階につくと、一気にマンションの外まで出た。息が少し上がる。
日は暮れかけているが、夏の空気はまだ暑い。一気に動いたせいか、くらり、と視界が揺れた。あ、まずい、倒れるーーそう思った、時。
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