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第一章『出会い』
いきなり稽古
しおりを挟む「では、さっそく、稽古をつける。たぬ子、予備の刀を貸してやれ」
「ほいさ」
たぬ子は背負っていた袋から予備の刀を取り出して、兎之助に渡した。
「えぇっ!? 今ここでですか!?」
「左様。鉄は熱い内に打つものだ。拙者は刀は持たぬゆえ、存分にそっちからかかってくるがいい」
桃次郎は背負っていた笈を置くと、道の真ん中に仁王立ちした。
「えっ、えっ……」
兎之助は戸惑いながら、鞘に入った刀と桃次郎を見比べる。
「ほらほら、遠慮しないで殺す気で桃次郎に斬りかかっていいからー」
たぬ子は道端の大石に腰を下ろして見物することにした。
「まずは鞘から刀を抜け。拙者は絶対に斬られぬから、全力で殺す気でかかってこい」
「そ、そんなこと言われましても……」
「なら、助太刀をせぬぞ」
桃次郎が睨みつけると、兎之助は怯えたようにあとずさった。
(あー、この子かなり難儀だなー)
本当に闘うことに向いていないのだろう。
武士に生まれてしまったことは、どう考えても間違いのようだ。
「う、うぅう……」
兎之助はジリジリと下がっていく。
これではどちらが刀を持っているのか、わからない。
「下がるな。そんなことでは仇討などできぬぞ。やらねば、やられるのはおぬしだ。場合によっては敵に加勢する多数の剣客とも闘わねばならなくなる。そのときに最低限、自分の身を守れないでどうする」
「は、はいっ……」
兎之助は踏みとどまって、刀を構える。
だが、へっぴり腰だ。
「真っすぐに立て。そうせねば臨機応変に動くことはできぬ。最初から逃げ腰では闘うことはおろか逃げることもできぬ。そうなれば、死ぬのはおぬしだ」
桃次郎は剣術の基礎と心得を説きながら、あえて兎之助が打ちこみやすいように突っ立った。
「こい」
体から力を抜いた楽な姿勢で誘う。
「で、では……」
兎之助は抜刀すると、上段に構える。
そして、振りかぶろうとしたが……そこで動きがとまってしまう。
「どうした」
「あ、いえ、怖くて」
見れば刀が震えている。
よほど武器を持つことに拒絶反応があるのだろう。
「ほら、いっちゃえー! 男だろー!」
たぬ子は声を張りあげる。
しかし、兎之助の刀を持つ手はより激しくブルブルと震えるばかりだ。
「あ、うぅ……はぁ……」
瞳は涙ぐみ、頬は紅潮し、息が荒くなっている。
「もういい」
桃次郎は告げると、クルリと踵を返した。
兎之助はヘナヘナヘナと、腰が抜けたように座りこんだ。
(んー……こりゃあ今回の助太刀は大変だにゃあ)
これまでの仇討にはさまざまな依頼主がいたが、断トツで弱い。
心も、体も。
「……う、うぅ……も、申し訳ありません……私は昔から剣術はからっきしで……」
(よくこんな子が仇討の旅に出たなぁ)
武家というのは面目を保つことが、なによりも大事だ。
仇討を果たせないうちは家禄が削られたままということは多い。
(やっぱり武士は不合理だよねぇ。こんな子にまで仇討を強いるなんて)
たぬ子としては白けるばかりだが、そういう者がいるからこそ助太刀屋というものが成り立つ。
(といっても、一文ももらってないんだけどさ)
桃次郎にとっては、闘う口実をもらえるだけでよいらしかった。
確かに、助太刀という名目があれば罪に問われることなく人を斬ることができる。
(桃次郎も戦乱の世に生まれれば好き勝手斬りまくれたろうに)
それはたぬ子にとってもだ。
この小太刀の腕を存分に振るうためには、桃次郎の助太刀稼業を手伝うしかない。
(そうじゃないと辻斬りになっちゃうからねぇ)
武芸の腕を持てあますことほど虚しいものはない。
桃次郎ほどの腕ならどこぞの藩の剣術指南役にはなれるかもしれないが、強くなることしか頭にない桃次郎に仕官が無理なのはあやかしのたぬ子をもってしてもわかる。
(力はあるのに因果なもんだよねぇ)
畜生なのに仏教的な無常を感じてしまう。
「いずれまた稽古をつける。ひとまず江戸へ向かう」
「は、はいっ……す、すみません……」
桃次郎は背を向けると、山を下り始めた。
「じゃ、三峯山はいかないのー?」
「それよりも助太刀が優先だ」
「ほんと桃次郎ったら三度の飯より斬りあいが好きなんだからー!」
そう言うたぬ子だって、斬りあいが大好物だ。
(腕が鳴るねぇ)
今度の相手はこれまでにない規模の戦いになりそうだ。
きっと、たぬ子の活躍の場もあるだろう。
(集団戦には小太刀が有効だしね!)
敵味方入り乱れたときは、瞬時に判別して攻撃する速さが求められる。
そういうときこそ、鎌鼬のような鋭さを持つたぬ子の出番だった。
(あたしは俊敏な狸なのだ!)
ワクワクしながら、たぬ子も下山する。
「って、こら。いつまでも腰を抜かしてないで、さっさと下りるよー!」
「は、はいっ……!」
兎之助も荷物を背負い直して、たぬ子のあとについていった。
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