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Amitié amourouse 恋は薔薇のしらべ
19 バラの香
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ぼんやりとした薄闇の中で、陽色は雨が降っていると思った。雨は軽い羽のように降りそそぎ、ほんのわずかの間ひんやりと肌を濡らすと、溶けた。
するとその場所から目が覚めるようなバラの香りが立った。
──ハマナス……?
瞳を見開くと、ベッドに横たわる陽色の周りに無数のマゼンタの花弁が散らばっていた。淡い朝の光が、ようやく部屋に射しこむ時間だった。
身を起こし、素肌から散った花弁に鼻を寄せてみる。花びらは、ハマナスの芳醇な甘さをまとっていた。
「バラの香りがわかる……」
信じられなかった。
陽色はベッドに散らばる花びらをよせ集め、すくい上げた。震える両手に顔を埋めるように近づける。
「わかる!」
思わず小さく叫んだ。
陽色は首を巡らせ、アルノーの姿を探した。
ずきん、と身体の底が痛んで、陽色は腰に手をやった。
「僕……」
アルノーに抱かれて、その熱を受け止めた時、身体の奥深くでバラが咲いたと思った。あれは夢ではなかったと、陽色は震えながら膝を抱えた。涙が溢れた。
「陽色さん?」
寝室の扉が開き、アルノーが慌てて近づいてくる。そのすぐ後をティフォンが追ってくる。
「どうしました?」
どこか痛むのか、と心配そうにアルノーが訊いた。
「わかるんです、バラの匂いが──」
「え?」
「アルノーさんの匂いが」
両腕を伸ばして、陽色はアルノーにしがみついた。アルノーはベッドに腰掛けると、陽色が落ち着きを取り戻すまで、ただ背中を撫でてくれた。
この人も、そしてこの部屋も、なんていい匂いがするんだろう……。
陽色は陶酔して目を閉じる。
「あなたが好きです」
考えるよりも先に、言葉は自然に唇から零れた。アルノーが陽色を強く胸に抱きしめた。
「僕も好きです」
深い響きの声はわずかに震えていた。そっとアルノーを見上げると、彼も泣き出しそうな顔をしていた。
……あなたが好きです。
微笑しあって、二人はゆっくりと唇を重ねた。
白み始めた窓の外から、小鳥のさえずりが聞こえる。ミツバチは今日も、花から花へと忙しく飛び回るだろう。そして今頃、アルノーが愛してやまないバラたちが、朝の光に目覚め、息づき……香しく、開き始めているのだろう。
「うん……うん。わかった、あとは帰ってから話すよ。予定通り、今夜の最終便で帰るから……じゃあまた……後でね」
姉との電話を切った後、陽色はしばらくその場にたたずんでいた。
アルノーがティフォンを呼ぶ声がする。首を巡らせて外を見ると、開け放したままのドアから、前庭のまばゆい光が美しい絵画のように目に飛び込んできた。
さんざめく光に、草花はどれも夢のような色彩を放ち、風に揺られていた。まるで歌を歌っているみたいだ、と陽色は思う。
深呼吸をしてから、陽色は声のする方へ足を向けた。先ほど眺めた景色の中をゆっくりと進む。
農場の小道を、アルノーとティフォンがこちらへ駆けてくる。
「ティフォンを捕まえて!」
見ると、ティフォンは自分の引き綱を口に咥えて、まるで獲物を振り回すように頭を振っている。
「街へ行くのに、リードをさせないんですよ。昨日みたいなことになったら困るって言ってるのに!」
先に陽色の元へ着いたティフォンの背を叩いてやりながら、陽色は笑った。
「街まで送ってくださるんですか?」
忙しいなら無理をしなくても、と言うと、アルノーは息を弾ませて言った。
「いいえ、見送りたいんです」
陽色に腹を見せて地面を転がり始めたティフォンを見て、ティフォンめ、と小さく舌打ちする。
「あなたに懐きすぎだ!」
「ふふ……ティフォン、一年後には、ここに戻ってくるからね」
「え? じゃあ……」
「ええ」
陽色は頷いた。
「今受け持っているアロマテラピーのクラスが、来年の四月で終了するんです。それさえ最後まで勤め上げれば、後はどうしてもいいと、姉が──」
「やったー!!」
言い終わる前に、アルノーに引き寄せられた。
ぎゅうぎゅうと抱きしめる腕に、反射的に身体を固くする。
「あ、ごめんなさい」
パッと身を離されてから、そっと肩を引かれた。
「嬉しいです、陽色」
「僕も……」
アルノーの胸に顔をつけて、陽色は目を閉じた。
優しい陽だまりの温度。アルノーの腕の中は、世界中のどこよりも安心する。
するとその場所から目が覚めるようなバラの香りが立った。
──ハマナス……?
瞳を見開くと、ベッドに横たわる陽色の周りに無数のマゼンタの花弁が散らばっていた。淡い朝の光が、ようやく部屋に射しこむ時間だった。
身を起こし、素肌から散った花弁に鼻を寄せてみる。花びらは、ハマナスの芳醇な甘さをまとっていた。
「バラの香りがわかる……」
信じられなかった。
陽色はベッドに散らばる花びらをよせ集め、すくい上げた。震える両手に顔を埋めるように近づける。
「わかる!」
思わず小さく叫んだ。
陽色は首を巡らせ、アルノーの姿を探した。
ずきん、と身体の底が痛んで、陽色は腰に手をやった。
「僕……」
アルノーに抱かれて、その熱を受け止めた時、身体の奥深くでバラが咲いたと思った。あれは夢ではなかったと、陽色は震えながら膝を抱えた。涙が溢れた。
「陽色さん?」
寝室の扉が開き、アルノーが慌てて近づいてくる。そのすぐ後をティフォンが追ってくる。
「どうしました?」
どこか痛むのか、と心配そうにアルノーが訊いた。
「わかるんです、バラの匂いが──」
「え?」
「アルノーさんの匂いが」
両腕を伸ばして、陽色はアルノーにしがみついた。アルノーはベッドに腰掛けると、陽色が落ち着きを取り戻すまで、ただ背中を撫でてくれた。
この人も、そしてこの部屋も、なんていい匂いがするんだろう……。
陽色は陶酔して目を閉じる。
「あなたが好きです」
考えるよりも先に、言葉は自然に唇から零れた。アルノーが陽色を強く胸に抱きしめた。
「僕も好きです」
深い響きの声はわずかに震えていた。そっとアルノーを見上げると、彼も泣き出しそうな顔をしていた。
……あなたが好きです。
微笑しあって、二人はゆっくりと唇を重ねた。
白み始めた窓の外から、小鳥のさえずりが聞こえる。ミツバチは今日も、花から花へと忙しく飛び回るだろう。そして今頃、アルノーが愛してやまないバラたちが、朝の光に目覚め、息づき……香しく、開き始めているのだろう。
「うん……うん。わかった、あとは帰ってから話すよ。予定通り、今夜の最終便で帰るから……じゃあまた……後でね」
姉との電話を切った後、陽色はしばらくその場にたたずんでいた。
アルノーがティフォンを呼ぶ声がする。首を巡らせて外を見ると、開け放したままのドアから、前庭のまばゆい光が美しい絵画のように目に飛び込んできた。
さんざめく光に、草花はどれも夢のような色彩を放ち、風に揺られていた。まるで歌を歌っているみたいだ、と陽色は思う。
深呼吸をしてから、陽色は声のする方へ足を向けた。先ほど眺めた景色の中をゆっくりと進む。
農場の小道を、アルノーとティフォンがこちらへ駆けてくる。
「ティフォンを捕まえて!」
見ると、ティフォンは自分の引き綱を口に咥えて、まるで獲物を振り回すように頭を振っている。
「街へ行くのに、リードをさせないんですよ。昨日みたいなことになったら困るって言ってるのに!」
先に陽色の元へ着いたティフォンの背を叩いてやりながら、陽色は笑った。
「街まで送ってくださるんですか?」
忙しいなら無理をしなくても、と言うと、アルノーは息を弾ませて言った。
「いいえ、見送りたいんです」
陽色に腹を見せて地面を転がり始めたティフォンを見て、ティフォンめ、と小さく舌打ちする。
「あなたに懐きすぎだ!」
「ふふ……ティフォン、一年後には、ここに戻ってくるからね」
「え? じゃあ……」
「ええ」
陽色は頷いた。
「今受け持っているアロマテラピーのクラスが、来年の四月で終了するんです。それさえ最後まで勤め上げれば、後はどうしてもいいと、姉が──」
「やったー!!」
言い終わる前に、アルノーに引き寄せられた。
ぎゅうぎゅうと抱きしめる腕に、反射的に身体を固くする。
「あ、ごめんなさい」
パッと身を離されてから、そっと肩を引かれた。
「嬉しいです、陽色」
「僕も……」
アルノーの胸に顔をつけて、陽色は目を閉じた。
優しい陽だまりの温度。アルノーの腕の中は、世界中のどこよりも安心する。
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